昨夜のおいらく三人男飲み会では お互い若い頃、昭和30年代、40年代頃の旅の思い出話等も飛び出しました。
昔のことを懐かしがるのは最も老人の老人たるところと自嘲しながらも、
いちいち 頷いたり 共感したり。
超満員の夜行列車で通路やデッキに新聞紙を敷いて寝た話、東北の親戚まで中学生で心細い一人旅し、乗り合わせた大人達から親切にされた話、大阪から青森まで日本海側を寝台列車で旅した話、蒸気機関車に纏わる話、旧国鉄の時刻表を見ながら自分で旅を計画することが楽しかった話、遠く汽笛を鳴らして通過する夜汽車の風景が目に焼き付いている話、等々、
夫々 断片的に 良く覚えているものです。
小学生高学年だったか中学生になってからだか 記憶曖昧になっていますが
疎開した父親の郷里に定住し 戦後 貧しい暮らしをしていた実家も、
やや落ち着き始めた頃だったと思います。
戦後初めて 祖母の東京近辺の何軒かの親戚を訪ねる旅が実現し
弟と同行、
北陸本線、信越本線、高崎本線経由で 上京したことがありました。
鈍行で、所要時間がどの位だったか等 覚えているはず有りませんが、
確か夏休み中で 冷房等無しの三等客車、扇子でパタパタ、
子供には退屈を極めた列車旅だったはずです。
写真も何も無く、途中の記憶が全く有りませんが
碓井峠アプト式、横川駅の峠の釜めしの話が出ると
なんとなく 記憶が蘇るような気がするから不思議です。
YouTubeで 貴重な 「昭和38年頃の碓氷峠アプト式」の映像(動画)を見つけ 共有させていただきました。
夜行列車の通路に新聞紙をひいて仮眠、翌日早朝から登山。
また帰りも同じく夜行列車で…
そのまま出勤…だったそうです。
今では、考えられない…そんな時代もあったのですね。
マイカーもまだまだの時代、だいたいが夜行列車で出掛けていました。シーズン中等は 大きなザックやスキーが列車の通路、網棚に溢れ、満員で通路で仮眠もざらでした。今の若者には想像出来ない情景でしょうね。貧しかったけど バイタリティーが有った時代だったとも言えるような気がします。
わずか50~60年前の話ですが 遠い昔話になってしまいましたね。
コメントいただき有難うございます。