古いアルバムに貼ってある、たった1枚の白黒写真から、子供の頃や若い頃の記憶が、炙り出されることがある。
昭和30年代、M男は、北陸の山村の親元を離れて、地方都市の学生寮に入寮、4年間、寮生活をしていた。下宿等と比べたら段違いに安かった学生寮は、3人部屋、4人部屋、6人部屋等だったが、その集団生活は、後の自分にとって、礎だったようにも思っているが・・・・。
貧乏学生であり、当然カメラ等は持っておらず、当時の寮生活の写真等、ほとんど残っていないが、そんな寮生活中の1963年(昭和38年)の冬の豪雪(後に、「三八豪雪」と呼ばれていたことを知ったが)の折に、誰かに撮って貰ったらしい写真が1枚、古いアルバムに貼ってある。
雪深い北陸の山村育ち故、1mやそこらの積雪、根雪等には慣れていたが、あの豪雪には驚き、その記憶は、未だに脳裏に焼き付いており、炙り出てくる。
現在は、積雪数cmで大騒ぎする首都圏に居住、後にも先にも、あの豪雪が、唯一の経験した豪雪となているからだ。
確か、しばらく臨時休校となり、その間、学生達は、屋根雪おろしや、道路の雪かきに動員されたような気がする。
写真は、2階建て、2棟の寮舎の間の中庭の写真だが、1階部分がすっぽり埋まっており、屋根雪おろしを済ませ、2階の高さで、除雪していた時の写真のようだ。
2階の部屋の窓から出入りしていた様子も分かる。
当時は、現在のような、除雪車両、排雪重機、等も十分には無く、人力が主体?、
消雪パイプ道路にもなっていなかった街中の狭い通り等は、
2階の高さの雪山の尾根道を人が行き来する様になっていた記憶があり、
ネットで探してみた。
今冬、その「三八豪雪」に匹敵する積雪の地域が有り、改めて、雪国の暮らしの大変さを
身に染みて感じているところだ。
(参考・参照)
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新潟県長岡市「防災ホームページ」・「三八豪雪」