たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

川端康成著 「雪国」

2021年02月04日 06時00分55秒 | 読書記

つい数年前まで読書の習慣等まるで無かった爺さんである。当然、若い頃から書店に足を運び、本を買い求めたりしたことも、図書館に通うこともほとんど無かった。書棚や天袋、押入れ等には 妻が結婚当初持ってきた世界文学全集(全◯◯巻)や 本好きだった義母が遺した大量の単行本や文庫本の中から譲り受けた書籍がぎっしり詰まっていたが それらにも全く手が伸びなかったし、新聞に新刊の広告が載っていても眼中になかったものだ。
戦後の、
物が無かった時代に育った人間、身に染み込んだ「もったいない」「本は大事なもの」観念に囚われて まるで飾り物の如くだった書棚の本類も、不要雑物整理の一環で 2~3年前には、かなり大胆に処分してすっきりさせたが、思い入れがあったりして処分し切れないままになっている本がまだかなり有る。その一つに 「現代の文学 川端康成集」(河出書房)が有る。裏表紙に自分の筆跡で 「S.40.10.23」と記されており 全く記憶には無いが、昭和40年に自分で買い求めた本に違いない。独身の頃だ。「伊豆の踊り子」、「雪国」、「千羽鶴」、「紅いくたび」、「山の音」「眠れる美女」が収められている書だが もしかしたら、当時 一時的に川端文学にかぶれていたのかも知れない。ページを捲ってみると 随所に赤鉛筆で 線が引かれたりしている。

「伊豆の踊り子」を読み終わってから 随分経ってしまったが 今回 やっと「雪国」を 改めて読む気になり なんとか読み終わった。若い頃、確かに読んだことの有る「雪国」、ただ その記憶は全く無くなっており、まるで初めて読む感覚。1ページ2段構成、字が小さくて、疲れてしまったが 読み進める都度、「へー!、そうだったのか」の連続。改めて 名作を堪能した。

巻末の「解説」によると 「雪国」は 昭和10年、川端康成が37歳の時から 断片的に短篇小説として発表した作品に新稿を加え 昭和12年に第1稿「雪国」が刊行され、さらに続編、改作等が有り 昭和23年12月に それらをまとめた決定版「雪国」が刊行されたのだそうだ。つまり「雪国」は 複雑な経緯をたどり、完成するまでなんと13年の歳月を要した作品だったことになる。
第1部 「夕景色の鏡」(昭和10年1月)
第2部 「白い朝の霧」(昭和10年1月)
第3部 「物語」(昭和10年11月)
第4部 「徒労」(昭和10年12月)
第5部 「萱の花」(昭和11年8月)
第6部 「火の枕」(昭和11年10月)
第7部 「手毬歌」(昭和12年5月)
第8部 「新稿」(昭和12年6月)
第9部 「雪中火事」(昭和15年12月)
第10部 「天の河」(昭和16年8月)
第9部改作 「雪国抄」(昭和21年5月)
第10部改作 「続雪国抄」(昭和22年10月)

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった」は 余りにも有名な「雪国」の書き出し。小説の舞台は 上越国境の清水トンネルを抜けた越後湯沢温泉である。
前年の新緑の5月、山歩き後、初めて訪れた温泉場(越後湯沢)で島村は 19歳の駒子と出会い、見初め、夜を共にしたが 東京に帰った後、手紙も出さず、踊りの型の本を送る等という約束も果たさずにいた。決して忘れていた分けではなく 薄情者と思われることを気にしながら 12月初旬、雪が降り始める頃になって 温泉場を訪ね、駒子と再開し毎晩のように共に過ごす。一方で汽車の中で見かけた葉子への関心もあり、決して深入りすることを望まない島村であったが、複雑な人生を歩みながら鄙びた温泉場で暮らす二人の女性の生き様に 心を揺れ動かされる。
島村には 東京に妻子が有り、随分勝手な男とも思われるが 時代は昭和初期、かってはそんなことも平然と行われていたのだろう。
駒子は 後に芸者となり、島村は 数年間、温泉場を訪ね、その度 駒子と逢瀬を重ねるが 最後で 雪中の火事の場面が有り、葉子が・・・・、
「どいて、どいて頂戴。」駒子の叫びが島村に聞こえた。「この子、気がちがうわ。気がちがうわ。」・・・・・、踏みこたえて目を上げた途端、さあと音を立てて天の河が島村のなかへ流れ落ちるようであった。
で 終わっている。難しい文学的表現であり 凡人には 少々難しい。
駅長さんは 和服に外套、マント、皸(あかぎれ)、置火燵(おきこたつ)十能(じゅうのう)、突慳貪(つっけんどん)、縮(ちじみ)、雁木(がんぎ)・・・・等々、懐かしい言葉や情景が 随所に出てくる。


北陸の山村育ち、若い頃 冬季 上京する機会が1~2回有ったが
 「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」とは 
逆の思いをしたものだ。
そんなことを書き込んだ9年前の記事が有った。

2011年12月27日の記事 ➡ 「トンネルを抜けると・・・・」


 


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2 コメント

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Unknown (クリン)
2021-02-04 15:27:42
たけじいさま、クリンです🐻
よく、時代小説のレビューをあげていらっしゃるので、読書家なんだろうなって思っていましたが、数年前までお読みにならなかったとわかり、びっくりいたしました!でも、かわばたやすなりに赤い線を引っぱりながらお読みになられていたのですから、やはり読書家だったのですね📚⤴✨(どんなところに線を引いたのか気になります・・)
2011年のたけじいさまのブログは、なんだかたけじいさまじゃないみたい!しんせんでした✨✨✨
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クリンさん、こんばんは、 (takezii)
2021-02-04 17:54:13
クリンさん読書量と深い読書感想、私等とはレベルが違うなと 毎度感じ入りながら拝読しているんです。読書初心者の爺さん、いろいろ参考にさせていただいておりますので これからもよろしくお願いします。
10年前のブログ・・しんせん(新鮮)?、ワッ!、ワッ!、10歳若かったからでしょうか。文体をサッと読み解かれるクリンさん、恐れ入ります。
コメントいただき有難うございます。
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