足腰大丈夫な内に出来る限り、不要雑物処分・身辺片付け整理をしよう等と思い込んでからすでに久しいが、正直なかなか進んでいない。それでもここ2~3年には、押し入れや天袋、物置、書棚等に詰まっていた古い書籍類等をかなり大胆に処分してきた。ただ、中には「これ、面白そう・・」等と目が止まり、残してしまった書籍もまだまだ結構有る。その中に 漫画家赤塚不二夫著、元東京学芸大学附属高等学校教諭石井秀夫指導の古典入門まんがゼミナール「枕草子」(学研)が有る。多分、長男か次男かが、受験勉強中に使っていた「枕草子」の解説本・参考書の一つのようだが、錆びついた老脳でもなんとか読めそうな、まんがで描いたくだけた内容、その内いつか目を通してみよう等と仕舞い込んでいたものだ。ながびく新型コロナ禍、不要不急の外出自粛中、ふっと思い出して、やおら引っ張りだしてみた。当然のこと、本格的な「枕草子」解説本、参考書とは異なり、限られたサワリの部分に絞ったものであるが、学生時代に多かれ少なかれ齧っていたはずの日本の代表的な古典、清少納言の「枕草子」も、ほとんど覚えていないし、「古典」に疎く、苦手な人間には、十分楽しめそうで、御の字の書である。(以上 過去記事コピペ文)
「宮廷 花の交遊録」・まんがゼミナール「枕草子」その16
第136段 御返しに「いと夜深く侍りける鶏の・・・」
書の名人で三蹟の一人として仰がれていた頭の弁藤原行成との楽しい友情を綴った回想録。
まもなく丑の刻でおます。
頭の弁「あっ!すっかり長話してしもうた。明日は物忌みや。そろそろチェックインせにゃ!、ほな、次のデートまで バイなら!」
朝!!
使者「頭の弁様のラブレターでおます」
頭の弁からの文「なごり惜しくて心が一杯どした・・・・・。夜通し語り明かしたいと思うとったに、えげつない鶏の声にせかされて・・・」
清少納言の返し文「えらい真夜中に鳴いたというは、中国は戦国時代孟嘗君の故事の鶏でおますか?」
使者「返し文の返し文をお持ちしたでおます」
頭の弁からの文「孟嘗君の故事は、中国函谷関のこと、わての鶏は日本の逢坂関のこと」
清少納言「早速、ご返事いたしまひょ・・」
清少納言「このお返事待ち遠しおましたエ」
逢坂は人越えやすき関なれば
鳥鳴かぬにも明けて待つとか
清少納言「まあ!」
使者「どーゆー意味や。おせーて、おせーてな」
清少納言「あなたは 気がおうて素直な人やから、ワイが行っても、心を広げて、待つことやろう・・・、こないな意味どすえ。これ 分からんのやったら風流士の資格はおまへん」
男と女の文の交換は、公開されていて、文を開けるのはいつもみんなの前どすから 男と女のゴシップは すぐに内裏に広がるのどす。
頭の弁「そなたの文は 皆に見られてしもうた」
清少納言「それでええと思います。頭の弁様がワテへの気持ちを皆に知られたいというのは 愛がほんまでおますからや」
頭の弁「そなたは ほんまに物事を良く理解でける人や。素晴らしい女性や!」
原文だよーん
御返し(おほんかへし)に、「いと夜深く(よふかく)侍り(はべり)ける鶏(とり)の声は、孟嘗君(もうさうくん)のにや」と聞こえたれば、立ち返り、「孟嘗君の鶏(にはとり)は、函谷関(かんこくかん)を開きて、三千の客(かく)わづかに去れり」とあれども、これは逢坂(あふさか)の関なり」とあれば、「夜をこめて 鶏(とり)のそら音(ね)は はかるとも よに逢坂(あふさか)の関は許さじ 心かしこき 関守侍り(せきもりはべり)」と聞こゆ。
(注釈)
私(清少納言)から、頭の弁藤原行成様からの文のお返事に、「大層夜遅く鳴いていたとかいいます鶏の声は、孟嘗君のそれでしょうか」と申し上げたところ、折り返し、行成様から 「孟嘗君の鶏は、そのために函谷関の門を開けて、三千人の食客がやっとのことで逃げ去ったといいますが、この鶏は 逢坂の関のことですよ」と 言ってこられたので、「夜のまだ明けない内に鶏の音色を真似ても、函谷関の関守は騙されるとしても、逢坂の関で逢い引きしましょう等と言って騙そうとなさっても、私は 決してあなたの言葉にはのりませんよ。ここには 利口な関守がいるのです」と 申し上げる。
百人一首
歌番号 62
清少納言
夜をこめて 鳥の空音は はかるとも 世に逢坂の 関はゆるさじ