たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「夕日の沈む頃」(再)

2021年10月11日 10時29分29秒 | 詩・エッセイ

6年も前、2015年10月30日、
「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に書き込んでいた記事を、
コピペ、リメイク(再編集)してみた。


「夕日の沈む頃」(再)

記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。

その中に「夕日の沈む頃」と題した詩(もどき)が有る。「昭和40年10月2日」の日付が記されており、今から56年も前、当時、静岡県浜名郡舞阪町に有った独身寮に暮らしていた数年間に書いたもののようだ。マイカー等まだ夢だった時代、休日は レコードを聴いたり、同室の先輩とヘボ碁を打ったり、親しい同寮友人等と、舞阪、浜名湖、弁天島、新居等を、ぶらつくことくらいしか、無かったような気がしているが、秋の夕暮れ時、もしかしたら、子供の頃、故郷北陸の山村で見ていた、夕焼けに染まった紅葉の山々、日本海に沈む太陽等の情景を想いながら、感傷と妄想で書いたのかも知れない。50数年後に、他人様に公開される等とは、当時、想像も出来なかった詩の類、よくもまあ、これまで仕舞い込んでいたものよ、我ながらあきれてしまっている。

日本海の夕日
水平線上に浮かんでいるのは能登半島の先端


振り返り記事 「日本海の夕日」
👇
2012年6月1日


「夕日の沈む頃」

紅く(あかく) 染まるる 天地上
美し(うるわし) 自然の 神技よ

夕日に 映える 紅葉の
深山(みやま)にしみいる ヒグラシの
哀しき生命(いのち)を 想えども
その偉大なる 天然の
恵みを 尊び(たっとび) 鳴きたるや

瀬音に望む 石河原
ススキの穂の 白髭の
たなびきたるは 物のけの
わびしき姿と 想えども
君とくみし 盃の
情(なさけ)を受けて ゆれたるや

(昭和40年10月2日)


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