たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「故郷(ふるさと)」(再)

2021年10月27日 11時42分32秒 | 詩・エッセイ

5年前、2016年7月8日、に書き込んでいた記事を、コピペ、リメイク(再編集)


「故郷(ふるさと)」(再)

記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。

その中に、「故郷(ふるさと)」と題した詩(もどき)が有る。「昭和40年7月10日」と記されており、今から56年も前、当時、静岡県浜名郡舞阪町に有った独身寮に暮らしていた数年間に書いたもののようだ。マイカー等まだ夢だった時代、休日は レコードを聴いたり、同室の先輩とヘボ碁を打ったり、親しい同寮同室友人等と、舞阪、浜名湖、弁天島、新居等を、ぶらつくことくらいしか、無かったような気がしているが、秋の夕暮れ時、もしかしたら、子供の頃、故郷北陸の山村で見ていた、夕焼けに染まった紅葉の山々や、日本海に沈む太陽等の情景を想いながら、感傷と妄想で書いたのかも知れない。50数年後に、他人様に公開される等とは、当時、想像も出来なかった拙劣詩、よくもまあ、これまで仕舞い込んでいたものよ、我ながらあきれてしまっている。

故郷(ふるさと)

愛し(いとし)妹の手をとりて
堤を巡る夕間暮れ
浴衣(ゆかた)にやさし涼風(すずかぜ)の
川面に映る夕焼けは
遠くなつかし故郷(ふるさと)の
美し夏の夢なりき
今 汝(な)は 星の下(もと)
我が想いは はるかなり

(昭和40年7月10日)

小学生の頃、学校から帰ると、よく、まだ赤ん坊だった妹T子の子守をさせられていたものだった。妹を負ぶい紐おんぶしたまま、近所の子達と、かけずりまわっていた記憶がある。
大人達が野良仕事で留守になる農村では、そんな光景があたり前の時代だったが、その妹が、ある年、大流行した悪性の流行性感冒(今でいうインフルエンザ)に負けてしまい、幼くして天国に旅立ってしまった。小学生の子供には、妹の死がどれ程のショックだったかは、計り知れないが、昭和40年、すでに故郷を離れてから幾年にもなり、故郷の夏の情景と妹の残像が重なって想い浮かび、書いたのかも知れない。


振り返り記事
👇
2021年1月15日「古い写真から炙り出される妹T子の記憶」(再)


 

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思い出の紅葉山旅 「観光ツアーで巡った初めての北海道」(再)

2021年10月27日 09時40分16秒 | 山歩記

かれこれ8年前、2013年9月19日~21日に、日本で最も早く紅葉が始まると言われている北海道の大雪山等を、旅行会社の格安バスツアーで巡ったことが有った。それまで、毎年、新聞やテレビで、紅葉の画像、映像を眺めては、一度は訪れたいものだと思っていた老夫婦、なかなか機会が無いままだったが、「その内、いつか」等と言っておれない齢となり、思い切って申し込んで行ってきたものだ。旅行日は 天気予報では、おおむね「全国的に晴」となっていたが、あいにく、日本海北部から北海道北部にかけては、前線が伸びてきていて、北海道北部、特に、大雪山系等の高山では、強風が吹き荒れる悪天候となり、期待していた紅葉風景も、見頃絶頂とまではいかない状況で、やや、中途半端、消化不良?気味の旅となってしまったが、気候天候のせいでは仕方無し、体力気力減退の今となっては、それもこれも思い出となっている。

旅程
第1日目 札幌千歳空港~大雪山旭岳・旭平・姿見の池~層雲峡温泉(泊)
第2日目 層雲峡温泉~銀泉台・第1花園~大雪山黒岳~層雲峡温泉(泊)
第3日目 層雲峡温泉~流星の滝・銀河の滝~三国峠~(十勝)~幌鹿峠~然別湖~日勝 峠~(日高)~樹海峠~(夕張)~札幌千歳空港

(1)大雪山旭岳(標高 2,290.9m)・旭平周辺・姿見の池

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旭岳山頂部は、時折、姿を現すものの、悪天候。
この日、未明、旭岳山頂部に初冠雪が観測されたようだ。

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姿見の池、旭岳山頂部は、すっぽり雲の中、

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ナナカマド

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下山後の下界は、晴天なり。(旭川市内から大雪山を望む)

(2)銀泉台・第一花園

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(3)大雪山黒岳(標高1,984.3m)

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「黒岳ロープウエイ層雲峡駅」(標高 670m)から
ロープウエイとリフトで、標高 1,520mの「七号目下」まで上がり・・、
雨中山歩き・・

041 九合目

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次第に風雨強まり、大荒れの天候、
帰りのロープウエイ、リフトの運行中止の恐れも有り、
山頂目前で、登頂を断念し、往路を下山、

(4)層雲峡・流星の滝・銀河の滝

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三国峠。
十勝平野、日高山脈を一望

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大樹海の中をダイナミックに下る国道273号線、

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(5)然別湖(しかりべつこ)

遊覧船に乗船(約40分)遊覧

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十勝平野

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日勝峠(標高 1,023m)、(現在は、トンネルで通過)
十勝平野を一望

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疾走するバスからカシャ、カシャ、
牧草地風景

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日高、競争馬の産地
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旅行会社の強行日程、格安バスツアーとて、各所の時間に余裕はなく、慌ただしく、北海道を巡った旅であったが、初めて訪れた北海道、多分、最初で最後になる?北海道の旅であり、記憶に残る旅となっている。

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「世の中ワースト20清少納言選」・まんがゼミナール「枕草子」 その25

2021年10月26日 13時26分50秒 | 読書記

足腰大丈夫な内に出来る限り、不要雑物処分・身辺片付け整理をしよう等と思い込んでからすでに久しいが、正直なかなか進んでいない。それでもここ2~3年には、押し入れや天袋、物置、書棚等に詰まっていた古い書籍類等をかなり大胆に処分してきた。ただ、中には「これ、面白そう・・」等と目が止まり、残してしまった書籍もまだまだ結構有る。その中に 漫画家赤塚不二夫著、元東京学芸大学附属高等学校教諭石井秀夫指導の古典入門まんがゼミナール「枕草子」(学研)が有る。多分、長男か次男かが、受験勉強中に使っていた「枕草子」の解説本・参考書の一つのようだが、錆びついた老脳でもなんとか読めそうな、まんがで描いたくだけた内容、その内いつか目を通してみよう等と仕舞い込んでいたものだ。ながびく新型コロナ禍、不要不急の外出自粛中、ふっと思い出して、やおら引っ張りだしてみた。当然のこと、本格的な「枕草子」解説本、参考書とは異なり、限られたサワリの部分に絞ったものであるが、学生時代に多かれ少なかれ齧っていたはずの日本の代表的な古典、清少納言の「枕草子」も、ほとんど覚えていないし、「古典」に疎く、苦手な人間でも、十分楽しめそうで、御の字の書である。


「世の中ワースト20清少納言選」・まんがゼミナール「枕草子」 その25

第25段 「すさまじきもの」
「すさまじ」とは、期待感や調和感を裏切られた時に感じる索漠とした気持ちを表す言葉。昼ほえる犬、春の網代、3、4月の紅梅の衣、博士の家で続く女子出生・・・等々いろいろ有るが、何と言っても、「除目に司得ぬ人の家」を、最も強調している段。国守の任官の時期をめぐる人情の機微を、具体的に迫力をもって描いており、清少納言がそうして生活環境と同じ次元に身を置いていたことからだろうと思われる。
さながら、大臣の椅子を期待して、親族、取り巻き、友人、秘書等が集まってざわざわしていた家に、結局、吉報は齎されず、すごすごと、皆が引き上げていく情景の如く・・かな。

場違いでお呼びでないものの数々。
ワン!、ワン!、昼間吠える犬。「夜、吠えてえな!」
3月、4月になっても、紅梅の衣を着た、あかぬけない人。
牛が死んでしもうた牛飼い。
火をおこさない炭びつ。「じゃまね」
上手に詠めたと思った歌を、人に贈っても、返歌のない時・・・、
せっかく結婚式をあげたのに、婿殿が通って来んようになったしもたんは、まことにおもろない!。「あっ!、わてのことやのうて、人のことでもやわ」
必ず来るはずの男友達を待っているとき、
トン!、トン!、「あっ!、来やはった。はようお入りながれ!」「こんばんは」、待ち人と違う人やった。「わっ!、おもろない!」
「物の怪は見ん事調伏して見せますで」(読経)、朝、フンガー!、「やー、何にも、効き目が出えへんのに寝てしもたワ・・・」「まことにもって、お呼びやあらへん」
「ちゃーんと返事もろて来るんやで」「あい・・」・・「ただいま」、「お留守でおましたー」「折角、きれいに書いた文、くしゃくしゃにしはって!」
地方からよこした手紙に、お土産ついてないの。それもお呼びでない。
「京からの手紙のお土産つけへんのも、おもろない言わはるかも知らんけど、それはええんや。何ゆうたかて、その手紙には、日本一の都の最新情報がいっぱいやさかい」


原文だよーん

すさまじきもの。昼ほゆる犬。春の網代(あじろ)。・・・(略)・・・、除目(ぢもく)に司得ぬ(つかさえぬ)人の家。今年は必ずと聞きて、はやうありし者どもの、ほかほかなりつる、田舎(ゐなか)だちたる所に住む者どもなど、みな集まり来て、出で入る(いでいる)車の轅(ながえ)もひまなく見え、もの詣でする供に、われもわれもと参りつかうまつり、もの食ひ、酒飲み、ののしりあへるに、果つる暁まで、門たたく音もせず、あやしうなど耳立てて聞けば、前駆追ふ(さきおう)声々などして、上達部(かんだちめ)など、みな出で給ひぬ。もの聞きに、宵より寒がりわななきをりける下衆男(げすおとこ)、いともの憂げに歩み来るを、見る者どもは、え問ひにだにも問はず、ほかより来たる者などぞ、「殿はなににかならせ給ひたる」など問ふに、いらへには、「なにの前司(ぜんじ)にこそは」などぞ必ずいらふる。まことに頼みける者は、いと嘆かしと思へり。つとめてになりて、ひまなくをりつる者ども、一人二人すべり出でて往ぬ。


(注釈)

興ざめなもの、昼間吠える犬、春まで残っている網代の装置。・・(略)・・、除目(じもく)で官職を得ない人の家は、興ざめである。今年は必ず任官すると聞いて、以前に仕えていた者達で、今はあちこち他所に行ってしまった者や、片田舎に住む者達などが、皆この家に集まって来て、出たり入ったりする訪問客の牛車の轅(ながえ)もすきまが無いほどに見え、任官祈願の参詣をする供に、われもわれもと一緒に参詣して奉仕し、ものを食い、酒を飲んで、大声で騒ぎ合っているのに、任官の詮議の終わる夜明け方まで吉報を知らせるための門をたたく音もせず、不思議なことなどと耳を澄まして聞くと、先払いの声がいくつもして、評定していた上達部(かんだち)等は、皆宮中から出てしまわれる。様子を聞きに、前夜からぶるぶる震えながら役所のそばにいた下衆男(げすおとこ)が、ひどくつらそうに歩いて来るのを、主人の身近にいた者達は、とても「どうだった?」と聞くことさえ出来ない。他所から来た者等が、「殿は今度何におなりなさったのですか?」等と尋ねると、その返事としては、「どこそこの前国守よ」等と必ず答える。本当に頼りにしていた者は、ひどく情けないことと思っている。翌朝になって、すきまも無いほど集まっていた者たちは、一人二人ずつこっそりと出て行ってしまう。

 

 

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「雪国に帰る」(再)

2021年10月25日 14時33分06秒 | 詩・エッセイ

4年前、2017年12月15日に書き込んでいた記事を、コピペ、リメイク(再編集)


「雪国に帰る」(再)

記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。

その中に、「雪国に帰る」と題したエッセイ(もどき)も入っていた。「昭和44年1月1日」の日付が記されており、今から52年も前のもの。どうも、正月休みに、北陸の実家へ、夜行列車で帰省した折の感傷を、書きなぐったもののようだ。50数年後に、他人様に公開される等とは、当時、想像も出来なかったエッセイの類、こんな物をよくもまあ、これまで仕舞い込んでいたものよ、我ながらあきれてしまっている。

「雪国に帰る」

No.1
どこからか、午前零時の時報が聞こえたような気がした。
暖房の気分悪さとスキー客の騒々しさで、中々、眠れなかった私も、いつしかうつろに眠ってしまっていたのだろうか。ふと周囲を見回したが、大分静まっていた。
その時、チャイムが流れて放送が始まった。名古屋で乗車した時から、いやに雑音の多い放送だなと思っていたが、その時も同じように聞きずらい放送だった。しかし、深夜の静けさも加わって、良く聞き取れた。
「皆様、只今 午前零時でございます。明けましておめでとうございます。本年もどうぞ、国鉄を・・・・・」と、いう放送だった。
実際のところ、私は、学生時代を含めて、お正月に帰省すること、8回目になるのだが、列車の中で、新年を迎えるのは、今回が初めてだったように記憶する。昨夜まで雑事に追われ、やっと整理し、列車に飛び乗って郷里に向かう私は、さっきまでが大晦日で、今、新年を迎えたのだなという感慨を、うっかり忘れてしまうところだった。
この聞きづらい放送は、そうした私の心に、「新年を迎えたんだな」という、ほのぼのした感動を蘇らせてくれた。
窓外をふと見やると、静かであるが、やわらかい雪が舞っていた。曇ったガラスを拭くと、外はもう ”別の世界” であった。
車内の灯がもれて、新鮮な雪化粧の景色を、スクリーンのように映している。枯れ木に花、わたぼうしが、うしろに飛んでいく。
もう、高山のあたりを走っているんだろうか。旅の感傷が、とめどなく襲ってきて、わたしはぼんやりと、この懐かしい雪景色を追っていた。

No.2
北陸線に乗り換え、日本海沿いに走る電車も、最近は複線電化が成って早く(速く)なっている。うっすら、夜明けが近づいた富山平野の風景は,静かに眠る平和な散村そのもののように見えた。過酷な雪国の環境を知る私にさえも,この美しい墨絵のような風景にロマンチックな想いを馳せるに十分であった。
いよいよ、〇〇に着く頃は、東の空、上信越の嶺々の重なるあたりが赤く染まり、裏日本の遅い日の出の時刻になっていた。いよいよ射し出る朝日は、新しく、素直で、美しい。
西南の方向、白馬連山が先ず浮かび上がって、新雪に映えて素晴らしい。この景色が見られるだけで、私は、〇〇に郷里を持つ幸せを感じた。そこからは、センチメンタリズムやニヒリズムではない、大らかで自然の尊厳さえ感じられる。
この元旦の朝、こんな素晴らしい朝を迎えられた感動を、途中、車(タクシー)の運転手にも、分かち合ってもらった。「昨日まで、吹雪だった」と言う。何か、この年1970年?(1969年)、素晴らしいものを期待出来そうな気がした。
白い息をたのしみながら、しばらくは、雄々しく朝日に映える周囲の屏風のような嶺々の、そして 音の無い、全く眠っているような閑村(寒村)の、一面白銀の世界に魅せられて、立ちすくんでしまった。
「ただいま」、玄関を入るや、待っていてくれた家族の出迎えの賑やかさで、今さっきまでのロマンチックな想いは片隅に片付けられて、あたたかいコタツに飛び込んでしまった。

(昭和44年1月1日)

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曇のち雨?

2021年10月25日 11時55分38秒 | 散歩・ウオーキング

当地、今日の日の出時刻は 5時58分頃、
5時では、まだ真っ暗、
10月も下旬、ずいぶん、夜明けが遅くなっている。

今日の天気予報は、「曇のち雨」。どうやら、天気は下り坂のようだ。
朝の内、ちょこっと近くを歩いてきた。

スズランの実
春に咲く白色の可愛いい花は 毎度撮っているが、
実を見掛けたのは、もしかして、初めてかも?

 

タニウツギ?、ベニウツギ?

 

ユズの実                  ?

 

我が家の猫額庭のカシワバアジサイ(柏葉紫陽花)の紅葉
梅雨時から夏に掛けて長く花を咲かせる紫陽花、
晩秋の紅葉がまた見事、今年は特にキレイな色付きかも?

 

 

ナンテンの実と紅葉

 

 

コボウズオトギリの種         ホトトギス

 

 

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いつもより早い冬支度と餅つき

2021年10月24日 15時25分41秒 | 暮らしの記録

当地、今日も、快晴、
絶好の行楽日和ではあるが、とりあえず出掛ける予定は無し、
関東西部山沿いの当地、
秋~冬の気温は、平地より1~2℃低くなることが常だが、
今年は、このところ、すでに、最低気温が1桁台の日が多くなっており、
そろそろ、低温に弱い君子蘭等の鉢植え植物を、
屋外から室内に運び込まなくては・・・。
過去のブログ等を見る限り、毎年、11月中旬頃になってやっていた冬支度。
今年は かなり早いが、もう暑くなることはあるまい・・ということで
今日、運び込み。
株が増えて、年々大物になっている君子蘭は、重い、重い、
中腰、ギックリ腰にならないように・・・、
来年は、もう無理?、株分けして、小鉢にしないと・・・、

そして今日は 午前中、「餅つき」もして・・・。
「餅つき」・・・と言っても、家庭用餅つき機で行うもので、妻一人で十分、さほど大変なものでは無く、餅好き老夫婦、正月用餅に限らず、毎年、1年に数回は、行っているもの。
昼食は 例によって、「からみ餅」の、立ち食いと相成った。

過去に書き込んでいた記事を、下記、コピペ、リメイクしてみた。

昨日から浸しておいた餅米(2升)、

家庭用餅つき機は、30数年前に買った、東芝製「もちっ子」で、未だに健在、

(1)浸しておいた餅米を 水を切って 餅つき機の「ウス」に移す。 
(2)先ず、「むす」ボタンを押して待機、蒸し上がるとブザーが鳴る。
(3)次に、蓋を取り除いて、「つく」ボタンを押す。        

(4)10分~15分程度で、つき上がり。

昼食は、毎度のこと、つきたての餅に、大根おろしと納豆を絡ませた「からみ餅」。

 

のした餅は、翌日朝に切り餅にして、直ぐ食する分を除いては、冷凍保存、
しばらくの間、餅が食べられる。

 

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「中学生日記より」その48(再)

2021年10月24日 09時47分38秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

「中学生日記より」

「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のことだ。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が全く無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると、すっかり喪失してしまっていた記憶が、断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。


その48 「元日、書き初め、百人一首」

昭和31年(1956年)1月1日(日)、天気 雨、
起床 6時30分、就床 9時50分、

1、元日、初日の出など、元旦にきなんで(因んで)、ラジオは、にぎやか、
  さかんに、「明けましておめでとう」といっている(言っている)。
  新聞、2日分、五枚入り、
2、このよい元日に、新潟県彌彦神社で、死者112人余り、重軽傷者、
  50名余りという大事件(大事故が発生した)、
3、10時から、ぼく(僕)たちの新年の式、
4、僕への年賀状をくれた人、〇〇、△△、✕✕・・・・・、
5、昼後、全部、かきぞめ(書き初め)をおえた(終わらせた)、
6、夕食後、かるた、百人一首、トランプ等をした、
帰家 11時20分、

1、その年の元日は、雪ではなく、雨だったようだ。暗い元日?
  冬季は、日本海から渡ってくる冷たく湿った北西の季節風のため、1日中、快晴ということが
  少ない北陸の山村。M男は、子供の頃、ラジオ等から伝わってくる、晴れ渡った太平洋側の
  大晦日や元日の賑やかな情景を、羨ましく、別世界?のようにも感じていたものだ。

  当時、村落の中心から外れたM男の住んでいた集落には、新聞配達は無く、簡易郵便?で
  届けられていたような気がする。ニュース等は、ラジオからか1日遅れの新聞からでないと
  受けることが出来なかったことで、新聞が届くのを待ち構えている風でも有った。

2、すっかり忘れてしまっていたが、昭和31年の元日、新潟県の弥彦神社で、
  押しかけた初詣客の死者112人余の大惨事が発生。
  正月早々、大ニュースだったこと、思い出した。


参考「NHKアーカイブス」 → こちら


3、全く記憶が残っていないが、元日には登校して、「新年の式」等が有ったようだ。
  帰家、11時20分となっている。
4、同級生同士、年賀状のやりとりしていたようだ。信じられないことだと思われるが、
  今の、メールやLINE感覚だったのかも知れない。
5、毎年、元日には、茶の間の炬燵から、冷え切った座敷に引っ張り出されて正座、
  墨を摺る作業から始めて、父親の指南で、「書き初め」を書き上げることが、
  M男の家の習慣になっていた。これが終わらないと遊ばせてもらえなかったと思う。
  書き初め用紙も貴重だった時代、まずは、父親のOKが出るまで、新聞紙で練習を重ね、
  それから清書。10枚程度を書き上げ、一番良さそうなものを
学校提出用に、
  次ぎに出来がよさそうなものを自分の家の梁に貼り、残りは 近所の子供の家に配ると
  いうものだった。お互いの家で配り合い 年始回りの来客の目に触れ 
  品評したり話題にしていたものだ。


振り返り記事 ⇨ 2012年12月8日「書き初め」


6、テレビも無かった時代、まだまだ 伝統的なゲームや遊びしか無く、M男の家では
  正月になると必ず 家族で「百人一首カルタ取り」をしていた。父親が読み手となり、
  負けず嫌いの母親もムキになって参加していた。勝った時の賞品?は 
  みかんや落花生だったような気がする。


振り返り記事 ⇨ 2017年12月31日「正月と百人一首」


 

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好天に誘われて・・・、

2021年10月23日 16時11分49秒 | 散歩・ウオーキング

雨模様だったり、寒かったり・・で 
ここ数日、散歩・ウオーキングも休んでいたが(サボっていたが)、
今日は、快晴。
やや、冷たい風が有り、体感的には、初冬の感有りだったが、
好天に誘われて、午後になってから、ちょこっと近くを歩いて来た。
スマホの歩数計で 約9,900歩。

清流のさざ波

ミツバチ?

ツマグロヒョウモン(オス)

オキザリス?

ルドベキアの種?

ツバキ?

カワセミ

セグロセキレイ

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思い出の紅葉山旅 「伯耆富士 大山(だいせん)」(再)

2021年10月23日 11時26分24秒 | 山歩記

かれこれ13年前、2008年10月12日に、たまたま島根県に赴く私事が有り、初めて訪れる山陰地方だったこともあって、その機会を逃してはならじと、山装備を携行、帰途に、伯耆富士(ほうきふじ)、出雲富士(いずもふじ)等とも呼ばる「大山(だいせん)」を、訪れたことが有った。
中国地方の最高峰であり、深田久弥の日本百名山にも名を連ね、日本名峰ランキング第3位にもなっているという単独峰。
大山夏山登山口から大山・弥山(みせん)山頂への往復コースは、危険箇所も無く、初心者向きとされているが、長い階段の連続が有ったり、標高差も920m程有り、足の負担大きく、特に下山時には、膝が笑い出し、腿、脹脛の筋肉が悲鳴を上げたことが、思い出される。
コンデジでやたら撮った写真は、以前、「デジブック」にしていたが、「デジブック」はすでに廃止になってしまっており、今回、改めて、外付けHDから古い写真を引っ張り出して、思い出の山旅アルバムのつもりで、YouTubeにしてみた。
JR米子駅発の特急発車時刻を気にしながらの慌ただしい強行軍だったが、あの時、思い切って行ってて、本当に良かったと思う今日この頃である。

ルート・歩程等、
下山駐車場→夏山登山口→五合目(行者谷別れ(元谷への分岐)→六合目(避難小屋)→八合目→大山(弥山)山頂→八合目→五合目(行者谷別れ)→元谷→大神山神社奥社→大山寺→下山駐車場 (標準歩行所要時間 約5時間)、

「追想山旅 伯耆富士 大山(だいせん)」

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五七五言葉を編んでボケ防止 2020年9月

2021年10月22日 15時58分33秒 | 川柳・俳句・五七五

数年前までは、まるで興味も関心もなかった川柳。ユーモアセンスゼロ、頭カチカチ、川柳とは程遠い存在の爺さんが、ひょんなきっかけで、「面白そう?・・」等と思い込んでしまい、「川柳とは?」も分からないまま、単なる「五七五言葉並べ遊び」を始め、続けていたが、3年半前頃に、相互ブログフォロワー登録している方からのお声掛け、お誘いを受けて、恥も外聞もなく、拙句、駄句を、投句してしまうことにもなっている。結果、何も分からなかった川柳の世界をちょこっとでも覗かせていただき、多くのことを教わってきたような気がしている。
ただ 所詮 川柳の才能無しの爺さん。
スタンスは、出題されるお題に対して、締め切り日までに、錆びついた老脳をギシギシ動かし、言葉を捻り出し、五七五に編むという過程が、ある種、脳トレになっているに違いない、ボケ防止に多少役立つかも知れない等という期待感から 続けていることだと思っている。その出来不出来に関わらず、爺さんが四苦八苦して?生んだ川柳(川柳もどき)、せっかく作った句を、忘れてしまわない内にブログに書き留め置くことにした。


2020年9月に作った川柳(もどき)


お題 「丸、丸い」

    我が亭主孫が出来たら丸くなり

    ハナマルのテストはサッと親に見せ

    仲間割れ丸く収めて交す盃

老楽川柳

    コロナ禍に負けはならじ歩く爺

折句 「し・か・く」

    新入りの可愛いあの娘口説く彼

    シカトされ顔に出さずも悔しがる

    写真手に彼女を探すクラス会

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