たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

そうか、もう5年前だったか・・・、

2023年02月14日 12時36分55秒 | 旅行記

2月も中旬となり、相互フォロワー登録している方々のブログ等で、そろそろ各地の「雛祭り・ひなまつり」情報、話題を拝見する候となってきた。
気力も、体力も減退の老夫婦、新型コロナ感染拡大した頃からは、ほとんど、旅行、山行等、遠出をしなくなっているが、「雛祭り・ひなまつり」・・・で、ふっと思い出すのは、5年前、2018年3月に、近くに住んでいる義姉(妻の長姉)を誘い、三人で、当時まだ老人介護施設に入所していた義母に面会する目的で、静岡県浜松市まで、車で出掛けた折、途中で立ち寄った静岡県袋井市の「遠州可睡斎ひなまつり」だ。
高齢ドライバーとて、そろそろ長距離運転も最後の機会になるんじゃないかという思いと、せっかく浜松まで出掛けるのに、高速道をただピストンするだけではもったいない?、との思いが有って、無理せず、行き帰りの途中で2泊し、「小さな観光旅行」を兼ねるつもりで出掛けたものだったが、「可睡斎」もそのひとつだったのだ。

「もう、5年前だったか・・・」「まだ、5年前だったか・・・」、

その頃はまだ、昨年12月に亡くなった、浜松市在住の義兄も元気で、義兄夫婦も一緒に、義母と面会したことまで思い出される。その義母も、4年前に他界している。
今更になって、「あの時、思い切って行ってて良かった」とつくづく思っているところだ。
旅行らしい旅行等、指折り数える程しかしていない老夫婦にとっては、初めて訪れた「遠州可睡斎ひなまつり」も、貴重な旅の思い出になっているのだ。
「可睡斎ひなまつり」で、「ブログ内検索」してみると、3年前にも書き込んでいたことがわかったが、懐かしくなり、コピペ、リメイクすることにした。コンデジでやたら撮った拙劣写真は、アルバム代わりに「ZUISO」にしてあり、久し振りに引き出して・・・・・・。


「ZUISO」
「追想アルバム 遠州可睡斎ひなまつり」
👇
こちら


(参照・引用)
可睡斎の由緒・縁起
👇
こちら


 

 


平岩弓枝著「はやぶさ新八御用帳・(二)江戸の海賊」

2023年02月13日 16時27分15秒 | 読書記

図書館から借りていた、平岩弓枝著「はやぶさ新八御用帳・(二)江戸の海賊」(講談社)を、読み終えた。本書は、南町奉行所内与力、隼(はやぶさ)新八郎が活躍する長編時代小説「はやぶさ新八捕物帳シリーズ」の第2弾目の作品である。


読んでも読んでも、そのそばから忘れてしまう老脳。
読んだことの有る本を、うっかりまた借りてくるような失態を繰り返さないためにも、
その都度、備忘録として、ブログ・カテゴリー「読書記」に 書き留め置くことにしている。


▢目次
 「緋桜小町」「仙台堀」「海手屋」「恋人」「滝のある家」「竹の市」「湊屋襲撃」
 「袖ヶ浦」「音無川」「消える」「板倉屋」「女心」「阿伽様」「終焉」

▢主な登場人物
 南町奉行所内与力隼新八郎、郁江、神谷鹿之助
 南町奉行根岸肥前守鎮衛、南町奉行所用人高木良右衛門、
 大竹金吾、平泉恭次郎、
 深川方同心高丸龍平、琴江、お園、
 お小夜、源七、辰吉、お柳、
 海手屋久兵衛、お香、
 湊屋勘兵衛、勘太郎、
 藤助、お里、
 竹の市、正之助、
 阿伽様、
 板倉屋利兵衛、庄兵衛、
 四国屋五郎兵衛、
 阿波藩江戸留守居役大岡但馬、

▢あらすじ
「この頃、お江戸で流行るもの、地震、大水、船幽霊、退治したくば飛鳥にござれ、花の下なる平将門」なる怪文書が、本所、深川に貼られ、飛鳥山へ探索に出掛けた隼新八郎の眼の前では、御高祖頭巾のお女中が何者かに殺され、大川口では、伊達藩の御用船が海賊に襲撃される事件が起き、更に定町廻り同心平泉恭次郎が殺害される。怪文書に込められた怨嗟、海賊船の正体とは?、水路の町江戸に蠢く巨大な陰謀に立ち向かう隼新八郎、南町奉行根岸肥前守とその配下達の、必死の探索を描く長編時代小説。相次ぐ事件の関連性は?、謎、謎、謎、八方塞がり、迷路に立ち尽くす隼新八郎。最後の最後まで読者を翻弄するが、ラスト数ページで、一気に謎が解けるが、クライマックスの大捕物では、新八郎、郁江が、絶対絶命のピンチ、・・・、。
ミステリーとスケール感有る筋立てになっている。
前作では、お鯉が、隼新八郎の相手役(準主役)?のような存在だったが、本作には登場無しで、本作では、緋桜小町と呼ばれるお小夜が、その役(準主役)・・というところだろうか。
「それにしても、女はわからんな」、大川の水をのぞくようにして、新八郎が呟いた。・・・・・・。よもや、緋桜小町が高丸龍平の・・・・・・・。「女は誰でも恋をして幸せにたどりつくことをのぞんで居りますのに・・・」、郁江が小さく呟いて、社前にぬかずいた。・・・・・・。それにひきかえ、お小夜は、と思い、新八郎は妻には聞こえない嘆息をついた。
(第2話・完)

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「初恋」 島崎藤村

2023年02月13日 08時37分57秒 | 詩・エッセイ

先日、相互フォロワー登録している方のブログを拝見していて、ふっと思い出した詩が有る。
島崎藤村の詩「初恋」だ。
せっかく思い出させていただいても、何日かすると、何を思い出したかも、思い出せなくなる老脳、また思い出せなくなる前に、ブログ・カテゴリー「川柳・俳句・詩」に、書き留め置くことにする。

島崎藤村の詩、「初恋」、記憶は曖昧になっているが、確か、高校生の頃に出会った詩のような気がする。
にも拘わらず、おぼろげながらも、八十路過ぎて未だにほぼ口ずさめるから、不思議なことだと思う。七五調で、初恋の甘酢っぱさ、初々しさを描いた詩「初恋」、
北陸の山村で、初(うぶ)で多感だった頃に心を打たれ、脳裏に焼きついてしまったのだろう。
今更になってネットで調べてみると、「初恋」は、1897年(明治30年)に刊行された、島崎藤村の処女詩集「若菜集」に収められた詩51編の中の一つだった。これまで意識したことも無かったが、「林檎(りんご)」「初めし」が、3回も使われていて、この詩のキーワードになっている。

          「
初恋」 島崎 藤村

          まだあげ初めし前髪の
          林檎(りんご)のもとに見えしとき
          前にさしたる花櫛(はなぐし)

          花ある君と思ひけり

          やさしく白き手をのべて
          林檎をわれにあたへしは
          薄紅(うすくれない)の秋の実に
          人こひ初めしはじめなり

          わがこゝろなきためいきの
          その髪の毛にかゝるとき
          たのしき恋の盃(さかずき)

          君が情(なさけ)
に酌(く)みしかな

          林檎畠(りんごばたけ)
の樹(こ)の下に
          おのづからなる細道は
          誰(た)
がふみそめしかたみぞと
          問ひたまふこそこひしけれ

島崎藤村の「初恋」には、数多の作曲家が曲を付けているそうで、
その一つ、若松甲・作曲、舟木一夫・唄 の「初恋」を YouTubeから共有させていただいた。

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春陽気に誘われて・・、

2023年02月12日 15時48分15秒 | 散歩・ウオーキング

一昨日降った雪も、すっかり溶けて消えてしまい、
当地、今日は、風さえも心地よい春陽気になっている。
好天に誘われて、午後ちょこっと近くと歩いてきた。
スマホの歩数計で、約6,300歩。

モズ                     ダイサギ

 

カルガモとコガモ

 

カワセミ                    アオサギ

 


釣った魚に 餌やり過ぎて どちらが主か 解りゃせぬ

2023年02月11日 15時12分02秒 | つぶやき・うんちく・小ネタ・暇つぶし・脳トレ

相互フォロワー登録しているある方のブログ拝見していて、すっかり脳裏から消え去っていた言葉、「都々逸(どどいつ)」を見掛け、記憶が炙り出されてきた。昭和20年代~30年代、まだラジオしか無かった時代、電波が極めて届きにくく、NHKラジオ第1放送、1局が辛うじて聞けた北陸の山村で幼少期を過ごしたが、特に夕食後の団欒時等には、茶箪笥の上に鎮座した中古ラジオの前に家族が集まり、ほとんど毎日、番組を楽しみにしていたものだった。とっさに思い浮かぶ番組だけでも、「三つの歌」「お父さんはお人好し」「私は誰でしょう」「とんち教室」、「民謡を訪ねて」等々。「浪曲」「落語」「漫才」「漫談」等も多かったが、その中に、時々「都々逸」も有ったような気がする。子供のこととて、意味も分からず、面白くもなんともなかったが、元々東京人だった祖母が、寄席物、特に「浪曲」が大好きで、よく聞いており、なんとなく聞いている内に、サワリや断片的一部を覚えてしまったりしたものも有った。「都々逸」に関しては、節回し?や雰囲気程度しか記憶に残っていないが、懐かしさは有る。
今更になってネットで調べてみると
「都々逸」とは、江戸時代末期に、初代・都々逸坊扇歌という寄席芸人によって大成された七・七・七・五調の俗曲のことで、元来、三味線と共に歌われ、男女の恋を歌ったものが多かったのだそうだ。昭和時代中期頃までは、寄席の前座や合間に歌われたりしたようだが、時代が変わり、「浪曲」と同様、すたれてしまったということになる。ただ、唄物から離れて、文芸形式としての都々逸は、現在でも、新聞紙上等に作品が紹介されているようだ。「ことわざ」の感覚で、これまで聞いたことも有る、「都々逸」の有名な作品例をいくつか、書き留め置こうと思っているところだ。


都々逸作品例 その7 
「釣った魚に 餌やり過ぎて どちらが主か 解りゃせぬ」


(ネットから拝借イラスト)

フム、フム、なーるほど・・、ワカル、ワカル、

おあとがよろしいようで・・、

 

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「建国記念の日」・・・今更になって「へー!、そうだったの?」

2023年02月11日 09時24分56秒 | つぶやき・うんちく・小ネタ・暇つぶし・脳トレ

「今日2月11日は、「建国記念日」・・・」等と、
これまで、平気で話したり、ブログに書き込んできたような気がするが、
正しくは、「建国記念の日」であることに、気がついた。
今更になって、「訂正してお詫び・・・」しても始まらないので、今日から肝に銘じるしかない。日本において、「国民の祝日に関する法律」で定められた「国民の祝日」のひとつ「建国記念の日」は、諸外国によく有る「建国記念日」とは意味が異なり、「の」を入れるのが正しいというものだ。

今更になってネットで調べてみると
2月11日を、国民の祝日「建国記念の日」と定めたのは、昭和41年(1966年)で、「建国をしのび、国を愛する心を養う日」と記述されているという。
では、なぜ、2月11日が、「建国記念の日」に?・・・、
由来は、「日本の初代天皇神武天皇が即位した日」をもとにしているという。

古事記や日本書紀では、神武天皇の即位は、紀元前660年1月1日と記述されているようだが、この日付は、古代で使われていた旧暦で、現在も広く世界中で使用されているグレゴリオ暦に換算された結果、現在の2月11日が神武天皇の即位日であるとわかって、この日を「建国記念の日」としたというものだ。

昭和41年(1966年)に、2月11日を「建国記念の日」と制定されるまでは、この日は、神武天皇が即位した日を記念する「紀元節」と呼ばれる祝日だった。これは明治6年(1873年)に定められたもので、毎年2月11日になると各地で「紀元節祭」が開かれ、人々は国の紀元を祝ってきたのだそうだ。
しかし第二次世界大戦後、GHQ(連合国軍司令部)が日本を統治するようになると、GHQは,初代天皇の即位から定められた「紀元節」によって、天皇を崇拝する日本国民が団結力を高めるのではないかと危惧するようになり、昭和23年(1948年)には、「紀元節」は廃止されることになったという。
「建国記念日」と呼ばず、「建国記念の日」と呼ぶのは、史実に基づいた建国した日そのものではなく、日本が建国されたことを祝う日ということになる。
「へー!、そうだったの?」・・・・である。

 

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映画「鉄道員(IL Ferroviere)」とテーマ曲(再)

2023年02月10日 18時47分02秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

すでに記憶は曖昧になっており、どこまでが事実で、どこからが脚色なのか、自分自身も定かでなくなりつつあるが、昭和30年代前半、高校2年生だったか3年生だったか、M男は、生徒会活動の「新聞部」に所属していたことが有った。自分で進んで生徒会活動に参加するような性分ではなく、多分、くじ引きか、ジャンケンかなにかで、押し付けられてしまったものだったと思う。「新聞部」の活動は、年に2回だったか3回だったか、「生徒会新聞」を編集し発行することであり、定期的に会合を開き、次回発行の記事の内容、担当等の相談、打ち合わせをしていたような気がする。当然、生徒会活動の情報や部活動の記録等の掲載がメインだったと思うが、紙面の一部に、毎号、「文芸欄」なるスペースも設けられていて、ある時、M男は、その一部の「映画感想評」のような記事を任されてしまったことが有った。
M男の通った高校が有った町にも、当時は、小さな映画館が2館有ったが、山村から通学していたM男は、滅多に映画館に入ることもなく、特に、映画に強い関心興味を持っていた生徒でもなく、映画についての情報、知識等、まるで無く、まして、映画について感想、評論する等、とてもじゃないが出来ないと固辞したはずだが、それでも押しつけられたんだと思う。
町の映画館2館にしても、大衆娯楽映画を上映している程度で、生徒会新聞の「文芸欄」の「映画感想評」に掲載するような、品格の有る作品を観る機会等、極めて少なかったと思う。仕方なく、M男は、駅前の書店で、映画情報雑誌等を立ち読みしたりしたような気もするが、なかなか、これはという映画に当たらず、どんどん原稿締切日が迫ってきていた。
原稿締切日直前、幸運にも、文部省特選映画として、イタリア映画「鉄道員」を見る機会が有り、もう、これで行くしかないと決め、栞やポスター等からカンニング、支離滅裂な感想文をなんとか書き上げたものだったが、新聞部の編集締切には間に合わず 原稿を、町の印刷所に直接持ち込み、「これでお願いします」と頼み込んだような気がする。後日、「生徒会新聞」が出来上がり、生徒全員に配布されたが、掲載されていた「映画感想評」は、文章も手直しされ、さらに、栞か雑誌から切り抜いた、1カット写真も入り、見違えるような出来栄えとなっていて目を疑ったものだった。毎回、生徒会新聞を印刷している印刷所が、手慣れた修正、校正、技術で、カバーしてくれたようなものであるが、拙劣原稿が立派な記事になって、晴れがましいような、後ろめたいような思いをした気がする。

映画「鉄道員(IL Ferroviere)」は、1956年(昭和31年)に公開された、ピエトロ・ジェルミ監督、主演のイタリア映画、誰でも知っている有名なモノクロ作品である。
律儀一徹な初老の鉄道機関士の家庭生活を中心に、父親を英雄の如く慕う末っ子のサントロの純真な目を通して、親子の愛情、夫婦愛、友情の強さ等を激しい情熱と真情をこめて、描いた感動的な名画なのだが、M男が、客観的に、「鉄道員」の評価を認識出来たのは、後年になってからのことで、高校生だった、当時のM男には、とてもそこまで「映画感想評」をする力等有り得ず、おそらく 的外れの感想文映画評ではなかったかと、今でも冷汗が出てくる。
ただ、モノクロ映画の全編に、強く弱く流れていた、物悲しくも美しいメロディー、「鉄道員」のテーマ曲が、心に響いたことは間違いなく、映画の感動、感銘が、「音楽によるところ大である」ことを、その頃、知ったような気がする。
そんな思いが有って、M男は、就職してしばらくしてからのこと、その「鉄道員」のテーマ曲(サウンドトラック盤、ドーナツ盤、45回転)を手にいれた。聴く度に、高校時代の新聞部での苦い思い出が蘇ってくるもので、何回もの引っ越しの際にも廃棄出来ず、CD時代になっても段ボール箱にしまい込んでいて、最近になってまた、懐かしくなって、引っ張り出して針を落としてみたりしている次第である。

                                       

「鉄道員」(YouTubeから共有)

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今冬初雪?、初積雪、白黒の1日

2023年02月10日 15時00分58秒 | 散歩・ウオーキング

天気予報通り、当地、今日は、未明から降り始めた雪が1日中降り続いており、
今冬初めての積雪となった。
7~8cmから、場所によっては10cm程度の積雪。
雪に弱い首都圏、「大雪警報」が出され、
報道等でも朝から喧喧囂囂だが、
大きな事故、災害、交通混乱が生じないことを願うばかりだ。
最近は、降雪、積雪の日には運転しない・・と決め込んでいる高齢ドライバー、
毎週金曜日には、車で買い出しに出掛けることにしているが、今日は中止。

外の様子を眺めながら家籠もりとなっているが、
久し振りの雪景色に、北陸の山村育ちは血が騒ぎ?
午後になり、小止みになってから、
こんな日のために買ってある爪付きをブーツ履いて、
近くをちょこっと歩いてきた。
スマホの歩数計で、約3,800歩。

満開の梅の花に雪の花

 

 

昨日までとは打って変わって、白黒の1日である。

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「春よ来い」(再)

2023年02月09日 18時32分41秒 | 懐かしいあの曲

毎年、冬の峠を超し、早春の陽射しがちょっぴり感じられるこの時期になると、必ず思い浮かんでくる童謡がある。
相馬御風 作詞、弘田龍太郎 作曲の 「春よ来い」だ。
今年も、コピペ、リメイク。


昭和20年代、30年代、幼少期を北陸の山村で過ごした人間、雪に閉ざされた長く厳しい冬から やっと春めいてくる時期、故郷を離れて60数年経っても、あの頃の春を待つ暮らしの情景を思い出してしまう爺さんである。

「みいちゃん」という子供の視点で、春を待ちわびる人々の心情を、短い詩に込めた童謡。
歌詞に登場する「みいちゃん」は、作詞者相馬御風の長女文子がモデルとされている。
「じょじょ」は、草履のこと。
「おんも」は、家の外のこと。屋外のことだ。
作詞者の相馬御風は、新潟県糸魚川市出身、早稲田大学校歌、「都の西北」の作詞者としても知られている詩人。
「春よ来い」は、大正時代後期、児童向雑誌「金の鳥」に発表された詩なのだそうだが、すっかり春を歌った童謡の代表的存在になっている。
雪国の暮らしも、当時とは随分違ってしまっていると思うが、春を待つ心情は変わっていないはずで、これからもずっと歌い継がれて欲しい童謡のひとつであると思っている。
今は帰る家も無くなっている故郷の、雪解け、せせらぎ、丸木橋・・・、
幼少時代の、春を待ちわびる情景を想い浮かべさせてくれる童謡になっているのだ。

「春よ来い」 (YouTubeから共有)


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セリバオウレンがちらほら咲き出しており・・・、

2023年02月09日 14時58分34秒 | 散歩・ウオーキング

次々通過する低気圧の影響もあって、変わりやすい天気が続いており、
当地でも、明日には、降雪、積雪の予報も出されているが、
今日は朝から快晴、冷たい風がやや強いものの、陽だまりは、温かくもあり、
好天に誘われ、車で出掛けたついでに、足を伸ばし
里山の公園、都立小峰公園に立ち寄り、
ちょこっと歩いてきた。
スマホの歩数計で、約3,800歩。

「もう、咲いているなあ」「まだだろうな」
お目当ては、園内に自生している「セリバオウレン(芹葉黄蓮)」
無関心だったら、多分気が付かないような小さな花、
「オッ!、ちらほら咲き出してるじゃん」
まだ、開花し始めって感じではあったが、
コンデジで、カシャ、カシャ、証拠写真?
「スプリング・エフェメラル」「春の妖精」等と呼ばれる植物のひとつ、
春隣の候になってきた。

「ブログ内検索」してみると、昨年は、どうも2月25日に訪れていた。
その時は、ちょうど見頃だった気がする。
ちょっと早過ぎたか・・・。
拡張整備工事中だった公園駐車場がすっかり完成していて、今日初めて、新しくきれいな広い駐車場に止めることが出来た。今日は、ガラガラ。5~6台しか駐車しておらず、園内で見掛けた人も数人。閑散としていた。


爺さんの備忘録的花図鑑「セイバオウレン(芹葉黄蓮)」
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こちら


 

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