ぼくは一度もそれについてまじめに考えていない。
* * * * * * * * * *
終戦の日の朝、19歳のぼくは東京から故郷・広島へ向かう。
通信兵としての任務は戦場の過酷さからは程遠く、
故郷の悲劇からも断絶され、ただ虚しく時代に流されて生きるばかりだった。
淡々と、だがありありと「あの戦争」が蘇る。
広島出身の著者が挑んだ入魂の物語。
* * * * * * * * * *
映画監督、西川美和さんの著作です。
「その日」とは、昭和20年8月15日、終戦の日。
本作は氏の父方の伯父の体験談を綴ったものだそうです。
「ぼく」は、昭和20年の春に召集され、
終戦を迎えるまでの約3ヶ月間、陸軍の特殊情報部の傘下で
通信兵としての訓練を受けていました。
だから実際に戦地へ赴いたこともなければ、
銃を人に向けたこともありません。
情報部にいたため、日本が無条件降伏をし、戦争に負けたことを
日本中の誰よりも早く知っていたのです。
彼らの部署は文書等をすべて燃やし処分したあと、
解体され、開放されます。
そうして、東京駅から里の広島へ帰ろうとする
その列車が5時25分発。
彼が戦争について語っている部分があります。
「どんなものを読んだり、歌ったり、暗記させられたりしたけれど、
ぼくは結局戦争のことはよくわかっていないと思う。
飛行機が好きだ。戦闘機も好きだ。
零戦は優れた飛行機だ。
そしてB-29の翼もまた美しいと思う。
軍隊は好きじゃない。
点呼も行進も嫌いだ。飯もひどい。
けれどずっとぶたれたり蹴られたりし続けるのはたまらないから、
下士官になって出世して、軍人として生きていくのも悪くないと思った
・・・中略・・・
このまま本土決戦になって銃剣一本で戦えと言われれば戦うだろう。
でもなぜ戦わなくてはいけないのかはよくわかっていない。
ぼくは一度もまじめにそれについて考えていない。
一度も。」
長くなりましたが、このモノローグは、
当時の人々の多くの心境そのものなのだろうと思います。
車窓から見える、空襲で焼けただれた街、
行き場のない人々、
そして壊滅したと聞かされた広島の街、家族たちの安否への不安。
しかし彼自身は、そんな悲惨さからは遠く離れた地にいたわけです。
何かぼんやりした疎外感のようなもの。
あるいは、現実感のない空虚さ。
これまで自分がしていたことの無意味さ。
自分が何もできない無力感。
そうした気持ちがそこここに、かいま見えます。
確かに過去の出来事。
だけれども、これからあるかも知れない出来事のような気がしてなりません。
自分で武器をとるでもなし、
だからといってそれについて真剣に自分で考えるでもなしの私たち自身に。
中東で起こっていること。
ウクライナで起こっていること・・・。
ニュースでは見知っていても、少なくとも現実感のない私の心境にはとても似ている。
「その日東京駅五時二十五分発」西川美和 新潮文庫
満足度★★★★☆
![]() | その日東京駅五時二十五分発 (新潮文庫) |
西川 美和 | |
新潮社 |
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終戦の日の朝、19歳のぼくは東京から故郷・広島へ向かう。
通信兵としての任務は戦場の過酷さからは程遠く、
故郷の悲劇からも断絶され、ただ虚しく時代に流されて生きるばかりだった。
淡々と、だがありありと「あの戦争」が蘇る。
広島出身の著者が挑んだ入魂の物語。
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映画監督、西川美和さんの著作です。
「その日」とは、昭和20年8月15日、終戦の日。
本作は氏の父方の伯父の体験談を綴ったものだそうです。
「ぼく」は、昭和20年の春に召集され、
終戦を迎えるまでの約3ヶ月間、陸軍の特殊情報部の傘下で
通信兵としての訓練を受けていました。
だから実際に戦地へ赴いたこともなければ、
銃を人に向けたこともありません。
情報部にいたため、日本が無条件降伏をし、戦争に負けたことを
日本中の誰よりも早く知っていたのです。
彼らの部署は文書等をすべて燃やし処分したあと、
解体され、開放されます。
そうして、東京駅から里の広島へ帰ろうとする
その列車が5時25分発。
彼が戦争について語っている部分があります。
「どんなものを読んだり、歌ったり、暗記させられたりしたけれど、
ぼくは結局戦争のことはよくわかっていないと思う。
飛行機が好きだ。戦闘機も好きだ。
零戦は優れた飛行機だ。
そしてB-29の翼もまた美しいと思う。
軍隊は好きじゃない。
点呼も行進も嫌いだ。飯もひどい。
けれどずっとぶたれたり蹴られたりし続けるのはたまらないから、
下士官になって出世して、軍人として生きていくのも悪くないと思った
・・・中略・・・
このまま本土決戦になって銃剣一本で戦えと言われれば戦うだろう。
でもなぜ戦わなくてはいけないのかはよくわかっていない。
ぼくは一度もまじめにそれについて考えていない。
一度も。」
長くなりましたが、このモノローグは、
当時の人々の多くの心境そのものなのだろうと思います。
車窓から見える、空襲で焼けただれた街、
行き場のない人々、
そして壊滅したと聞かされた広島の街、家族たちの安否への不安。
しかし彼自身は、そんな悲惨さからは遠く離れた地にいたわけです。
何かぼんやりした疎外感のようなもの。
あるいは、現実感のない空虚さ。
これまで自分がしていたことの無意味さ。
自分が何もできない無力感。
そうした気持ちがそこここに、かいま見えます。
確かに過去の出来事。
だけれども、これからあるかも知れない出来事のような気がしてなりません。
自分で武器をとるでもなし、
だからといってそれについて真剣に自分で考えるでもなしの私たち自身に。
中東で起こっていること。
ウクライナで起こっていること・・・。
ニュースでは見知っていても、少なくとも現実感のない私の心境にはとても似ている。
「その日東京駅五時二十五分発」西川美和 新潮文庫
満足度★★★★☆