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「神の子どもたちはみな踊る」村上春樹

2017年05月03日 | 本(その他)
僕らはかたちなきものを、善きものであれ、悪しきものであれ、どこまでも伝えあうことができる

神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)
村上 春樹
新潮社


* * * * * * * * * *

1995年1月、地震はすべてを一瞬のうちに壊滅させた。
そして2月、流木が燃える冬の海岸で、
あるいは、小箱を携えた男が向かった釧路で、
かえるくんが地底でみみずくんと闘う東京で、
世界はしずかに共振をはじめる……。
大地は裂けた。
神は、いないのかもしれない。
でも、おそらく、あの震災のずっと前から、ぼくたちは内なる廃墟を抱えていた――。
深い闇の中に光を放つ6つの黙示録。

* * * * * * * * * *

本作は、1995年1月の阪神淡路大震災後に書かれた短編集。
直接的に大震災に触れているわけではありませんが、
理不尽にやって来る大きな"喪失"に向かう人々が描かれます。


表題作「神の子どもたちはみな踊る」
善也(よしや)は母子家庭に育ち、母は宗教活動をしています。
彼の出生の秘密として母は語る。
絶対確かに避妊をしたのに、善也を妊娠したのだと。
だから、あなたは「お方様」の子どもなのだと。
そんな馬鹿なことがあるはずがない。
その頃付き合っていた男が父親としか思えない。
ある時善也は、母に聞かされた父らしき男と同じ特徴を持つ男を見かけ、
尾行しますが、ついに姿を見失ってしまう。
そして、彼は思います。

「僕が追い回していたのはたぶん、
僕自身が抱えている暗闇の尻尾のようなものだったんだ。
僕はたまたまそれを目にして、追跡し、すがりつき、
そして最後にはより深い暗闇の中に放ったのだ。」


そして彼は夜の野球場の草原で一人踊る。
「それからふと、自分が踏みしめている大地のそこに存在するもののことを思った。
そこには深い闇の不吉な底鳴りがあり、
欲望を運ぶ人知れぬ暗流があり、
ぬるぬるした虫たちの蠢きがあり、
都市を瓦礫の山に変えてしまう地震の巣窟がある。」


そしてまた、彼が父のように尊敬ししていた人の臨終の間際にむけて、このように言う。
「僕らの心は石ではないのです。
石はいつか崩れ落ちるかもしれない。
姿かたちを失うかもしれない。
でも心は崩れません。
僕らはそのかたちなきものを、善きものであれ、悪しきものであれ、
どこまでも伝えあうことができるのです。
神の子どもたちはみな踊るのです。」


覚醒した善也。
ヨシヤ・・・ヨシュアを連想させる名前ですが、これはイエスの別の呼び方でもありますね。
そして文中に彼は以前「かえるくん」と呼ばれていたことがある、ということで・・・。


「かえるくん、東京を救う」
信用金庫に勤める片桐のもとにある日突然、
巨大なかえるが訪ねてきて、自分は「かえるくん」だと名乗ります。
そして、地下にいるみみずくんが、大地震を起こして
東京を破壊しようとしているから、一緒に戦ってほしい、と言うのです。
結果、かえるくんはなんとか「引き分け」に持ち込むことで、大地震を防ぐことができたのですが、
疲れ果てたかえるくんは混濁の中に戻っていってしまう。
けれどそのときにかえるくんは言う。
「ぼくは純粋なかえるくんですが、
それと同時に僕は非かえるくんの世界を表象するものでもあるんです。
…ぼくの敵はぼく自身の中のぼくでもあります。
ぼくの頭のなかには非ぼくがいます。」



若干とらえどころがないようにも思うのですが・・・、
でも興味はつきません。
そしてまた私は思ってしまいました。
その後2011年3月・・・。
かえるくんは再び誰かと共に戦おうとしたけれど、うまく行かなかったのだろうか。
もしくは、彼の中の非かえるくんが増大して力を持ってしまったのだろうか・・・・

とても興味深い一冊です。

「神の子どもたちはみな踊る」村上春樹 新潮文庫
満足度★★★★☆