コロナ自粛で、じっと息ひそめて暮らしてるってのに、銀座のクラブ飲み歩いてる政治家がいる、と思ったら、今度は森喜朗の「女が入ると会議は長引く」のとんでも発言だ。女は刺身のつまかなんかとしか思っちゃいないんだぜ。
どうもなぁ、あの手の輩、つまり政治家、それも保守党系てのは、感覚が世間様の常識から大きくずれてるよな。ったく、うんざりだぜぇ!
って、鬱々しながら本読んでたら、こんなエピソードにぶち当たった。日本の百年2『わき立つ民論』編著・松本三之介。鹿鳴館時代の一光景だ。
以下、簡単に紹介する。
<政府の偉いさん方に、忘年会は和食と西洋料理とどちらがいいか聞いた。一人が言う、「西洋料理だと、和食のように芸者が傍に付かないからなぁ、味気なくても和食だな」。別の一人が立って、「わしは断然肉がいいぞ。でも、酌婦も欲しい。ならば料理は西洋でボーイの代わりに芸者にサービスさせりゃいいいだろう」。集まった偉いさんたち、拍手喝さい、賛意を表した。>(篠田鉱造「明治新聞奇談」より)
笑っちまうよな。政治家、高官どもって明治の昔からちっとも変っちゃいないんだぜ。女は酒の肴以下、横に侍って酌してりゃいい。しゃしゃりでるんじゃない。話しは、当たり障りのない相槌とかお追従。なまじっか、意見でも出そうものなら、己の立場「わきまえろ」ってぴしゃり、次にゃお呼びもかからなかったことだろう。
も一つ。こっちは自由民権派の壮士たちの話し。
景山(福田)英子、民権派女性闘志の先駆者だが、仲間の壮士たちが決起する(朝鮮に武力遠征し清国に一喝を加える直接行動。自由民権運動も末期には行く先を見失って国権主義にはまり込んでいたってこと、気を付けなくっちゃよ、ナショナリズムの甘い汁にゃ!)に際して、最後の打ち合わせをするから出て来いと連絡を受けた。必死でかき集めた資金を携えて会場に行ったところ、なんと、男たちは酌婦を上げての大酒盛りの真っ最中!怒り狂った英子は男たちに罵声を浴びせてその場を去り、運動からも手を引いた。
政権にあろうと反対派だろうと、男の本質てのは同じ。女は事を諮る対等の相手、つまり同僚とも同志とも認めていない、ってことだ。
その男たちの女性蔑視は、根強く残り今につながってる。これが今回一連の騒動の本質だ。根はかなり深いもんだなんだぜ。
森喜朗が辞めるかどうかなんて問題じゃない!この日本社会の岩盤にまで張り巡らされた差別意識をどう掘り起こし、根絶やしするかってことなんだ。
この際だ、浮き彫りになった日本男児のずるさ、薄汚さ、一切洗いざらい暴き出して、とことんぶち壊すいいチャンスなんじゃないか!
まずはクォーター制からだな。