3月菜の花座東京公演(阿佐ヶ谷)、お得意の2本立てさ、ふふふ。
1本はすでに11月公演で上演した『いのちの明日』、所有者が使えなくなった凍結卵子の行く末の話し、どう?ちょっとそそるだろ。
3人の女優が演じるこの舞台、40分とちょい短いのさ。まさか、これ1本でチケットは売れい。なら、もう1本、新作書下ろしってことで。
タイトルはすでに決まってる『寄りそう夜明け』、夜明けがあるから明日もある、ってくれば、公演全体のタイトルは、『明るい未来の夕焼け小焼け』で、ほれ、時系列がそろうだ。
新作の台本締め切りは2月半ばって設定した。1カ月半の稽古じゃ短すぎるぅ!って不平不満がばかばか寄せられたが、知らん!それでできる、出来なきゃ役者じゃない!って、ずいぶん身勝手な言い分で突き放した。
と、なりゃ約束違わず、あと1カ月で書き上げなくっちゃ。なのに、今頃、関連本を眺めて時間つぶしてる、大丈夫かよ?
まずは老いに関する本、3冊。
『「老いる」とはどういうことか』河合隼雄著、
『人はどう生きるのか』久坂部羊著、
『「高齢者差別」この愚かな社会』和田秀樹著。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/19/5781b1d8f548868fd824f3396fc38c85.jpg)
河合さんの本からは、芝居で使えそうなヒントを二つもらえた。
「よい顔で死ねること」を生きる目標にしている種族がいるって話し。カナダ北方に居住するヘアー・インディアンで、それぞれが守護霊を持っていて、死が迫ると守護霊にその旨伝えられ、親族ともども相談して絶食し、よい顔で死ねるように準備するんだそうだ。命万能、生きてなんぼの今時にゃ、なかなか示唆に富む風習じゃないか。中世の補陀落渡海 、生きながら死を求めて船出し、渡海浄土を目指した僧侶たちと同じ死の処し方だな。
も一つは、世阿弥の言葉。舞人が舞い終えて引き下がる時、引き際に、名残りを惜しむようにひと舞して引っ込む、これを「入舞」と言うそうなんだが、なんかとても心に沁みるものがあるよなぁ。舞台に残した数多くの踏み痕や舞の名残りをそっと振り返るようなひと舞い、そんな作品をいつか書きたいもんだって思いが浮かび上がって来た。そうだ、主人公にはこの入舞を舞ってもらおうか。
どちらの話しも新作に使えそうな話題じゃないか。
後の2冊は、どう老いるかの指南本?ってところかな。どちらも書いたのは医者だ。お二人とも薬漬けや過剰検査を避けよという点では同じなんだが、久坂部さんの方は、さらに一歩進んで、老いはそのまま受け入れた方が楽だよって主張。早期検査、早期発見にしても、認知症とか治療法が確立されていない場合、知ったことで苦しむことの方が大きいって立場だ。老化についても、若さを保つあれやこれやなんて、じたばたせずにそっくり老いて行く己を受け入れた方がいいって、はっきりしてる。
和田さんの主張は、高齢者は不当に差別されてる、年寄りバッシングなんかに騙されるな、運転免許返納なんていかさまだ、年寄り若者の方が事故率は高い、高齢者の運転能力が落ちるなんてデータはない、とかなり激越に世の風潮に挑戦している。高齢者と言っても人それぞれ、若さを保ちたいと頑張る人も肯定する。運動はした方がいいし、何かしら気晴らしは持っていた方がいい、と老け込むことの危険性に警鐘を鳴らしいる。
やや相反する二人の言い分、どちらを信じて老後を過ごすか?年寄りしだい、その人任せってことだ。まっ、どっちみち寿命が来れば、おさらばするわけだが。
俺?うーん、できるだけ若々しくありたいと強く願う派だな。皺だらけの顔は嫌だし、曲がった腰とは仲良くしたくない。筋力は衰えつつも、保てる限り保持したい。それの方が心も体も心地よいからな。いつまでも、ってわけにやいかなくても、ムリなく走れるうちはマラソンも続けたい。そのために、ムリもする。
そのせいで、さっさとぽっくり!なんて、行けたらそれも効用ってもんじゃないの。
いいんだよそれで、短い老い先、どう転ぶかなんてわからない。気持ちよく納得できる生き方をすりゃ、あとは野となれ山となれって、こったぜ。
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