なんか、ためらううなぁ。
読んだからって、気楽に感想書いたりしていいんだろうか。上からだろうと横からだろうと自分棚上げの視線で物言っていいんだろうか?上間陽子さんの『海をあげる』だ。
う
最初の章、うーっ!こりゃ違うわ。もしかして、これが女ってもんなのか?だとしたら、俺にゃとてもじゃないが、女は書けない。この粘着質はどうだ!夫の不倫、しかも相手は友人、そりゃショックだろうけど、打ちのめされて這い回る彼女の姿のおどろおどろしさ、寄り添う友人たちの献身。うーん、圧倒された、って言うより、はっきり言って、もう読むの止めようってくらい異質さ感じた。これが女なのか?
が、読み続けて良かった。
沖縄に、未成年で妊娠、子育てする女・少女たちのルポルタージュだと思って手に取ったんだから、裏切られ方は立ち合いの変化技、おっと、どこ行った相手は?
沖縄から東京に出て来たホストの青年に話をじっくりと聞き、辺野古の基地の是非を問う県民投票の実施を求めてハンガーストライキを敢行する元山仁士郎さんのもとに最後まで通い続け、父親からの性暴力を心の傷として抱え続ける若い母親にもとことん付き添い、気まぐれだった祖母の死にも心を寄せ、娘には童話を紡いて添い寝する。
この人の力、この人の拠り所、それは寄り添う力!なんだ。
聞き取りをまとめるという仕事も、その前にどこまでも寄り添い、共感していく彼女がいる。正邪や道徳、信念、理解、認識・・・そんなもんはいらない。まず、ありのまんまの"人"に寄り添って行く。外から観察したって人間は見えてこない。"人"の思いも美しさにも行き当たらない。
どこまでも寄り添う。命と食べ物を慈しみながらどこまでも。それが彼女の方法、って言うより生き方そのもの。
そして、沖縄!敢えて基地近くに移り住み、基地と日本に引き回される沖縄に寄り添う。いや、そこに張った根を信じる。埋め立てが強行される辺野古の海に、追いやられる生き物たちを見つめ続ける。
あなたに、つまり私たちに「海をあげる」っと重い課題を突き出して、本は終わる。
果たして、海を受け取ることはできるのか?私たちは、俺は?
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