ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

出会えて良かった!!

2007-04-18 22:43:09 | 演劇

 今日は、どうしたって、書くことは決まってた。置農演劇部に新しい部員を迎える日だからね。ただ、どう書けるのか、不安だったよね。部員、来なかったどうしよう。少なかったら、なんて書こう?ほんと、つい、さっきまで、不安に苛まれていたんだ。

 演劇部は、どこもじり貧。どの高校も、前年並みを集めることが難しいって状態だからね。中には、一学年のクラス数が、5クラスを割り込むと、演劇部は成り立たなくなる、なんて公式を大まじめに立てる顧問もいたりして、じゃあ、置農はどうなんだい?一学年3クラスでも立派に活動続けてんぞ、部員集まって来てんぞ、って大見得切りたかったけど、結果を見なけりゃ、それも言えない。で、今日は、その結果が厳しく、突きつけられる日だったってわけ。

 だから、出張先でも、ただ入部の動向が気になって、気になって。学校に戻ってきて、部室を覗く時の気持ちって言ったら、入試発表を待ちわびる学生の心境。プロポーズした青年が、相手の返事を待つドキドキ感!

 だから、なんと、9人が入部したって知った時は、もう、嬉しくて嬉しくて、挨拶の言葉が出なかった。なに言ってんの、たかだか部活じゃない、部員なんて、毎年入ってくるものじゃない、って言われれば、その通り。ほんと、恥ずかしい、この取り乱し方、年甲斐もなくって、反省しきり。まったく、部員獲得が演劇部より少なかった女子バレー部の顧問、おい、勝ったな、なんて優越感に浸ってるのなんて、もうほんと、大人げない。

 でもね、この大人げなさが、実は大切なんだよ。それだけ、自分の部活動に入れ込んでるって証だから。熱中しなくちゃ!顧問が狂わなくちゃ!はしたなく部員の奪い合いをしなくちゃ!この熱さがあるから、指導もできる。歳の差乗り越えて、一緒に目標に向かって駆け抜けることができるんだと思う。

 今回、9人の新入部員が集まったのには、上級生の必死の勧誘活動があった。特に、しばらく演じたことのなかったコントやダンスを無我夢中で再演した意欲、これが新入生にぐっぐっと通じたのだと思う。それと、顧問Nのがむしゃらな説得工作も効果があった。僕も、最後は列車時間を無視して、一年生に語りかけた。だから、嬉しい。だから、この満足感だ。

 でも、ここからなんだよな。今日、新しく出会った9人とどんな縁を結ぶことができるのか。古いよ、縁を結ぶなんて!この9人の新人に、どこまで満足のいく時間を提供できるか。そして、彼らの人生をどれだけ拓くことができるか、ここからが、僕の責任なんだ。いいや、僕だけの力じゃない。部員全員、顧問すべてが問われることなんだよ。

 今日入部してくれた9人の部員達、君たちの高校生活を、生きがい溢れる3年間を、僕たちが、保証しよう。いいや、演劇だ。演劇こそが、必ず、請け負ってくれるから、安心して、付いてきてくれ!

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演劇の力だあ!⑦:地域に支えられる

2007-04-16 21:54:15 | 演劇

 今回のテーマは地域と高校演劇との関わりだ。ちょっと、演劇の力とは、関係ないかもなあ。でも、とっても大切な話しだから、載せておきたい。

 今時、地域と高校生は、およそ縁遠い。中には、ボランティアなどで緊密に地域の人たちと関わっている高校生もないわけじゃないが、まあ、これはかなり少数派だよね。だいたい、親だって、高校生の息子、娘とどう接するか、自信がないもの。まして、赤の他人がなに言うか、って感じじゃないかな。

 でも、これはどちらにとってもとっても不幸なことなんだなあ。高校生は、大人から貴重な経験や知識を学ぶ機会を台無しにしてるし、地域の方は、高校生の爆発するエネルギーを活用できないでいる。お互いに遠目から見やっていると、誤解も生まれるしね。地域活動を小馬鹿にする高校生、やれ近頃の若い奴は、って色眼鏡の大人達ってわけだ。

 この不幸な行き違いを、なんとか乗り越えることができれば、どちらにとっても、言うことない。で、置農演劇部は、この難しい課題を結構上手に乗り越えつつあるんだ。その課程とそれがもたらす大いなる意義、ちょっと、言い過ぎじゃねえか、が、以下の文章の内容だ。演劇の力とは言えないけど、高校生と地域との関わり、という点で、ちょっとは参考になるんじゃないだろうか。う~ん、かなり大上段!

 

⑦地域に支えられる

公演は、たとえ高校生と言えども、市や町のホールを利用する。リハーサルを含め一つの公演にはおよそ10数万円の会場費がかかる。これをすべて自己負担したら、ホールでの演劇公演はまず不可能と言ってよい。川西町に限らず多くの地方自治体は、高校生の文化活動には助成措置をとってくれているが、川西町(フレンドリープラザ)の場合、会場使用料の他、設備利用料金も半額に減免してくれているので、非常に助かっている。

また、フレンドリープラザで行われるプロの演劇公演は、必ず鑑賞させてもらっている。こまつ座の年2回の公演の他、子どものためのシェークスピア劇場、流山児祥事務所など、プラザを訪れる数々の実力派劇団の生の舞台を、高校生特別料金をさらに割り込んだ演劇部料金で見せていただいている。アマチュア劇団も含めると、年に10回近くの舞台を見ていることになる。まさしく、地域に支えられてこそ成り立つ活動と言える。

支えていただく以上、こちらもできる限り協力は惜しまないことにしている。フレンドリープラザ主催の行事には積極的には参加し、裏方などのボランティアも引き受けている。例えば、フレンドリープラザは、映画スイングガールの舞台になったことで有名だが、それを記念して、東北学生音楽祭を毎年2月11日に、厳冬の真っ直中開催している。この裏方の中心は、置農演劇部の部員達だ。また、プロ劇団の公演では、その仕込みやばらしを手伝ったりもする。町おこしの様々なイベントにも、獅子舞やダンスなどで極力参加することにしている。これらの催しでは、町の職員や地域の方々と一緒に働くことになる。これらのボランティアを通して地域の大人達と接することは、高校生にとって、大変大きな勉強の機会となっている。

また、演劇部が公演を行う時は、ホール専属スタッフの方々からの協力、指導が欠かせない。相手が高校生とあって、やさしく丁寧に教えて頂いているが、高校生からすれば、その道のプロの人たちと仕事をするわけで、緊張感はかなりのものだ。事前の打ち合わせからリハーサル、そして本番まで、スタッフの方々と緊密に連携しながら進めていく。そんな大人との協同作業、プロとの仕事が、部員達にもたらすものは計り知れず大きい。これもまた、高校演劇ならではの教育的効果と言えるだろう。

つづく

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お役に立ちます、ダンスの教え!:50(歳)を過ぎたら板(舞台)地獄⑤

2007-04-14 23:09:24 | 演劇

 いよいよ始まった、演劇学校。まずはストレッチ。そして、ダンス。これが良かった。2年間休まず続けられたのも、ダンスが毎回あったからかもしれない。以前から、踊れぬくせにやたら好きだったんだ。ステップは、いつまでたってもデタラメ、自分流!覚えられない、動けない。でも、身体はリズムに乗って気持ちいい。勝手なステップ、気ままな振り付け。気持ちだけは、一流ダンサーだった。

 置農演劇部で、とこんとんダンスにこだわっているのも、この時の経験が大きい。上手に踊れるにこしたことはない、が、下手だっていいんだよ、ダンスってものは。音楽を身体で楽しむことなんだから。きっと、音楽の始まりってそんなもんじゃなかったのかな。リズムがあって、それに心を揺さぶられ、自然と身体がついて行く。リズムや音と一体化していく、幸福感、陶酔感。踊り終わった後の心地よい疲労と満足感。

 踊るってことが、どんなに楽しいことか、今日もつくづく感じた。僕のことじゅない。スタッフの部員達の話し。新入生勧誘行事として、この2月に舞台に掛けたダンス&コント『さがしものはなんですか?』を急遽上演することにした。相も変わらぬ突然の思いつきだ。2ヶ月前、たった一度舞台に乗せただけのものを、わずかに1時間半、3回の稽古で上演しちまおう、ていうんだから、無茶苦茶な顧問だ。ええーっ!おぼえてな~い!できっこな~い!どうしよう!・・・騒いだのは一時、いざ、始めてみれぱ、みんなノリにのって結構、仕上がってしまった。それも、二人も代役だってのに。ほんと!凄い!驚異の高校生パワー!!(こんだけの集中力を勉強でも発揮してくれれば、なんて、野暮は言わない。)

 舞台の最初と最後のダンス、今回は、スタッフも踊ることにした。なんせ、教室内のステージだから、スタッフの仕事なんてない。で、彼らは、このダンス今日が始めて。どっちかって言うと、踊るのが苦手な子たちだから、嫌がるのかなって思ったら、どうしてどうして、もう、嬉々として踊っていた。そして、自主トレまでやって、さっさとフリも覚えてしまったんだ。う~ん、これまたお見事。

 彼らのダンス、お世辞にだって、上手いとは言えない。でも、踊りたいって気持ちは満ちあふれていた。これが大事なことなんだよな。少しばかりフリ間違えたって、リズムから外れてたって、格好が様になっていなくたって、どうでもいいんだ。踊りたいから踊る。リズムに身体預けたいから踊る。踊ることが心地よいから、踊る。踊ってる姿見て欲しいから、踊る。それを誰もけなさない。誰も揶揄しない。気持ちよくみんなで踊る。

 つい一昔前までは、どこでも、こうだったんじゃないかな。ほら、盆踊りとか。それが、いつしか、下手だと恥ずかしがるようになってしまった。下手だと踊りの輪に加わらないようになってしまった。もったいない話しだ。これは、間違いなく、人間の退化だね。文明が進み、、本能の豊かさが縮こまってしまった。 

 あーあ、やっぱり書いてしまった!昨日、今日、久しぶりに部員達と踊ってきたからね。台本書きと新学期の忙しさに追われて、一緒に活動できない日々が続いていたんだ。走って、ストレッチして、そして、ダンス。一昨日までの肩こり、いったいどこにいったんだ。でも、太ももはそろそろ、ううっ、張ってきてるぞ!

 で、強引に演劇学校に戻ろう。ダンスをプログラムに組み込んだ佐藤修三先生の慧眼に改めて、拍手を送ろうと思う。ダンスが、身体を作るのにどれだけ効果的か、ダンスが、演技に必要なリズム感を養うのに、どれだけ役に立つか、ダンスが、人の心をどれだけ和らげ解き放つか、演劇学校の教えは、今、僕の中で確実に生きている。って、なんかとってつけたようじゃないか。いいのか、これで終わって?

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言葉のイメージ、異なりダメージ!

2007-04-13 00:24:37 | 演劇

 ちょっともラップ風に韻を踏んで始めてみた。今日から、チンドン芝居の稽古が始まった。

 チンドンやるぞって、宣言したら、非難囂々、悲鳴飛び交い、悲惨な有様、大混乱!と、思いきや、菜の花座の面々、きゃーきゃー言いながらも、すんなり受け入れてくれた。どう考えたらいい?肝っ玉座ってる?役者根性お見事?それとも、課題の重さがわかっていない?う~ん、どれだろう?多分、全部たろうね。でもまあ、できません!とか、なんでさんなねの?って声が聞こえなかったのは、さすがだね。

 もっとも、クラリネット一から練習しなきゃならないメンバーは、やります、でも、宣伝美術と制作のサブは外してください、って泣きついてきた。まあ、それはそうかもしれない。もう、四六時中クラリネットに没頭してもらわなくちゃなんないから、この懇願は、認めよう。とんでもないこと始めちまったって気付くのは、来週か、再来週かな?

 さて、今日は最初の台本読み。さっそく、キャストを発表して、読んでもらった。唖然!呆然!愕然!憮然!おい、それ、違うぞ!どうしてそう読むの!元気良すぎ!幼すぎ!・・・掛けたいダメだしを堪えるのに苦労した。なんてつまらない台本なんだ、こんな本だったのか、僕が書いたのは、とほんとがっかりしてしまう。

 でも、これはいつものことなんだ。僕のイメージがこうも裏切られるって、どういことのなの?役者が下手なのか、セリフが適切でないのか。それはどっちでもないと思う。台本ってものの、本質なんだよ、きっと。いや、セリフの本質、大袈裟に言えば言葉の本質なんじゃないかな。

 僕がセリフを書くときは、イントネーション、声の強弱、微妙なニュアンス、込められた情緒なんてものを無意識のうちに感じながら書いている。ところが、書き留められたセリフには、その味付けが、さっぱり抜け落ちているんだ。インスタントラーメンで言えば、僕のイメージにあるセリフは、今リバイバル中の日清チキンラーメンで、実際に書かれたセリフは、現在主流の別製スープの生麺なんだってことだ。なに?意味わかんない?つまりぃ、チキンラーメンは、麺に旨味が絡めてあるってこと。だから、・・やめた。

 つまり、ことばってのは、生身の素材だってことなんだ。それに塩味、醤油味を付け、旨味を加え、香辛料をまぶしてみて、はじめて、芝居の言葉になる。生きた人間の言葉になる。そして、味付けの方法は数限りなくあって、それを仕切るのは、まずは、役者なんだな。役者には役者の好みがある。得意の味付けがある。役者が言葉を調理して出してくるから、料理になる。ところが、菜の花座の場合、この味付けが、僕の味付けと、かなり、隔たってるってことなんだ。あ~あ、まったくもう!何年も一緒にやってんだ、以心伝心、わかってくれよって泣きたくもなるが、まあ、仕方がない。この自由度が、芝居の醍醐味でもあるのだから。

 しかし、役者の数だけ板前がいたんじゃ、レストランはしっちゃかめっちゃかだ。そこで、演出の出番となる。まっ、総料理長ってところだね。いろんな役者の持ち味、得意技を取捨選択して、バランスの取れた一品へと仕上げていくってわけだ。

 さあさ、これから3ヶ月、料理長の腕前やいかに?作者のイメージにどこまで近づけることができるか。あるいは、役者たちの新しい趣向を取り込んで、さらに美味しい一皿に仕上げることができるのか、真剣勝負でござんすよ。皆の衆!

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チンドン芝居書けました!!

2007-04-10 21:31:03 | 演劇

 チンドン芝居、書けたぁ!!いや、正しくは、今、読み直し作業中。でも、まず、明日には完了する。いやあ、辛かったぁ!!

 タイトルは『おもかげチャンチキ』。チャンチキてのは、チンドン太鼓の上にくくりつける鉦のこと。ぶきっちょだけど、誠実な男の人生を、長く別れて暮らしていた娘が、チャンチキの音に導かれてたどっていく、って話しだ。

 この男の10歳の時(1959年)の淡い初恋の思い出、30歳の時(1979年)の理不尽な蹉跌、そして、53歳の時(2002年)の突然の破局、それに男の葬儀と、四つの時間を行きつ戻りつして、男の、どうにもならない寂しいけれど充実した人生の成り行きと、父と娘との和解を描いてみたつもりだ。

 この男、チンドン屋ではない。それぞれの時代に、その時代なりのチンドンとの関わりを持つという設定にした。苦労したんだよ。わかるかな?だって、ずばりチンドン屋書いたら、どうしたって、チンドンの音や光景をふんだんに再現しないわけに行かないでしょ。これって、プロでも頼まない限り、かなり無理があるからね。悩んだ!苦しんだ!チンドン書くなんて、宣言してしまったおかげで。

 で、解決方法。芝居の底流をチンドンが流れるって構成にした。これだと、シルエットで見せるとか、音だけ聞かすとか、いろんな方法が(ごまかしとも言う)可能になる。でもね、やっぱり、チンドン描いて、全部借り物って上手くないって思ったんだ。下手は下手なりに、チンドン出さないのはフェアじゃない。芝居にフェアもアンフェアもねえだろう、どこまで騙せるかって問題だろ、とは思うけど。まっ、それは置いといて。それで、団員にチンドン屋をやってもらうことにしたってわけだ。詳しくは、本ブログ『ええーい!チンドン屋作っちゃえ』を見てほしい。

 チンドン屋旗揚げを決断したおかげで、なんかいろいろ楽しいことが始まりそうで、今は、舞台と同様、ちょっとどぎどきだ。新しいことに挑戦するのって、やっぱりいいよね。この緊張感が、常に人生を新鮮にしていくんだ、なーんて、わかったような口きいちゃって。

 さて、今回の台本、凄く苦しんだ。これまでの書き方のパターンを打っちゃらかして、これまた、新しい方法で書いてみたからなんだ。どういうことかって?それは、ストーリーに頼らないってこと。できるだけシーンのイメージを大切にして、そこから立ち上がってくる登場人物の思いや言葉を拾い上げてみようと思ったんだ。

 成功したのか?って、う~ん、ビミョー、だね。やっぱり、いつの間にか、ストーリー引き寄せてしまうんだよ、僕の弱さだ。もっともっと、イメージを膨らませて、意味など無視し、時間など飛び越えて、縦横無尽に走り回りたかったんだけど。想像力の不足!論理へのこだわり過剰!ストーリーの過信!改めて自分の限界を感じた作品になってしまった。

 おっとっとっと!いけねえいけねえ!以上は厳しい内省の言葉。失敗作なんて思わないでほしい。中途半端なだけ、わかりやすい面白い台本には仕上がったと思うよ。それと、限界なんて、安易に語っちゃいけなかったんだ。だって、僕の演劇部での口ぐせ『できないって言うな』なんだからね。

 ということで、明後日から稽古に入ります。菜の花座第16回公演『おもかげチャンチキ』乞うご期待です。公演は7月15日(日)、川西町フレンドリープラザだぁ!

コメント (8)
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