ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

当ったり前!のことが確認できた東根サクランボマラソン

2016-06-05 14:26:37 | ランニング

 もう!当ったり前じゃんかねぇ、トレーニング不足なら苦しむって。1か月間ほとんど走らず農作業に追いまくられて、ハーフで記録更新?バッカじゃないの?あわよくば2時間切りたいって、なに寝言ってんだか。

 不安に責めさいなまれて、前夜の眠りは浅かった。、忘れ物したり、電車乗り違えたりして、大会に間に合わない!なんて悪夢に追いまくられて、焦りに焦って子や汗かいて、予定の1時間も前から目が覚めてしまった。走り始めてみれば、ランニングウオッチの調整を間違えて、走った距離が表示されないわ、途中で勝手に止まるわ、もう散々!

 あまりの準備不足に不安を感じて、大会の4日前に10キロ走ったら、経験したこともない筋肉痛!どうする?どうする?っておたおたはすでに書いた。このまま休めばちょっと痛めつけられた筋肉めは、あっ、走らなくていいんだ、ラッキー!と元のふにゃ筋に戻ること必定、それ、絶対、うまくない!せめて、奴らに、近々厳しい試練が待ち受けているんだぞ、ってはっきり宣告しておこう、と思って2日後、てことは大会前々日、6キロ走った。最初はジョギングペースで油断させておいて、中盤から本番仕様で筋肉をこき使った。そんな無茶なぁぁ!

 って、思うだろ?それが、それが、あら不思議!悩まされていた筋肉痛、ウソのように消えてしまった。本当!向かい酒の効果ならぬ、迎え走りの効用だね。そうなんだ、筋肉ってやつは、甘やかしちゃダメなんだ。よしっ、これで本番はばっちり!完走なんて当たり前、もしかしたら2時間切って、東根で一昨年出したハーフワースト記録を打ち破ってやる。郡山の16キロも長井白つつじの10キロも、目標通り記録達成してるからね、基礎走力が付いてるんだよ、きっと。よしよし。

 一昨年の失敗は前半10キロまでの坂道に恐れをなし、ペースを抑えたのが原因。復路の下りで飛ばしてみたものの挽回できず、そこで足を使い過ぎて、ラスト3キロがよれよれになってしまた。と反省して、前半の坂道登りを5分半のペースで駆け上がり、あとは勢いで下る、こういう戦略を立てて走った。どうにか10キロまでを予定通り、走った、が、そこまでで、ほとんど余力なしの状態に陥ってしまった。そりゃそうだ、この間走った距離、長井の10キロと4日前の10キロだけなんだもの、ここまででお終いって、筋肉どもも、勝手に休息モードに入っちまったわけだ。

 折り返しからの10キロの辛いこと!苦しいこと!天気はピーカンの気温26度、やたらと給水取って、スポンジ取って、体と心をすかし、だまくらかして走り続けた。最後はもう7分/キロというジョギング並みのペース、ともかく、歩かない!この意地だけでゴールにたどり着いた。抜かれること、抜かれること!ガンバ!ガンバ!って掛け声掛けながら迫って来た婆さんにも抜かれ、どうみても80歳代の爺さんにはどんどん差を広げられ、姉ちゃんたちは颯爽と追い越して行った。こんな惨めなレースは初めてだった。

 体調も万全じゃないんだから、沿道の応援には構わず走ればいいものを、小学生や中学生と立て続けにタッチしつつ走ったり、頑張って!の声援に律義にありがとう!って答えたり、これも当然、なけなしの体力を消耗させた。でも、東根の応援態勢は、半端じゃないからね、もう、市民総出、この炎天下、行きも戻りも2時間以上、声枯らすして必死に応援してる子どもたちの姿見たら、答えないわけにゃいかんでしょ。多くのランナー冷たいんだから。いや、感謝はしてるはずなんだ、ただ、お調子者じゃないだけ。冷静に自己の余力を見極めて、レース本位で走ってるだけのことなんだ。なんたって走るために来たわけだから。市民と交流が目的じゃぁない。それはそれで正しい姿勢だ。

 と、いうことで、トレーニングしなけりゃ、地獄が待っている!何事も丹念な準備があって、結果が出る。今回の東根サクランボマラソンで得た教訓はこれだ。って、当ったり前だろ!あっ、記録は、後日発送とのこと。どうやら記録集計ソフトのトラブルだったみたい。最悪だったから、ぜーんぜん、構わないぉ。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハウスの居残り苗、行先は?

2016-06-04 11:52:20 | 農業

 朝1番、いや、2番の仕事は、ハウスの水やりだ。1番は当然、田んぼの水見回り、それが済んだら朝飯食って、まずはハウスへ直行。田植えからすでに10日、捕植だってとっくに済んでるのに、一角には未だモチとコシヒカリの苗がプールで沐浴中だ。

 夏のような日差し、ハウスの中は完璧、真夏!1時間でも水が干上がれば、苗は、いたずらがばれてごしゃかれた小学生のように萎れ果てることだろう。プールと言えども、4年もののビニールで張ったロートル、あっ、この言葉もう死んでるか?老いぼれって意味だ、どことはなく穴が開いているらしく水漏れする。油断は禁物ってことだ。

 なんだって、後生大事に苗を生き延びさせているのか?いったい何の役に立つって言うんだ。このままプールで収穫まで育てよう、なんて実験的試みをする?そんな、あり得ない。この苗たちは、小学生が田植え体験をするためにとってある。農村地帯の小学校、いくら農家が少なくなったとは言っても、子どもたちには稲の育つ様子をしっかり見知って欲しいって、農家青年たち、いや、今じゃもう農家のおじさんたちだが、世話をして学校田を作っている。そこの田植え用の苗なのだ。

 田植えの段取りと指導はプロの農家にお任せ、僕は苗の供給担当を引き受けている。数ある米作り農家の中で、なんたって新米で力量不足の我が家の苗なんだ?それはねぇ、まずは無農薬ってこと。子どもたちの田んぼは当然、無農薬栽培だから、苗だって農薬使っていない健全苗が必要なんだ。それと、ポット苗だってことも大きい。植える時、1ポット1株、迷わずうえられるだろ。根を引きちぎってしまうなんて心配もない。場合によっちゃ、1人何株って割り当てることも可能だ。というような事情で、今なお、ハウスでは居残り苗たちが大きな顔をしている。

 で、その奥には、ハウス栽培の野菜たち、ハウスが引き渡されるのを待ちきれずに、移植されて、ほっと一息だ。ポットのままで置いておけば、元気なくなるし、適期を逃せば生育も大きく送れるから、育苗プールを追いやるように、トマト、メロン、スイカの苗が植わっている。こいつらは、暑さにめっぽう強いが、雨はからっきし苦手の連中なんだ。特に、トマトは初期はともかく実がなり始めてきたら、水分は控えてやるのがコツだ。雨に当たるとすぐ病気がでてしまうが、ハウス内で雨を避けて作ると、ほとんど病気にならず、いつまでも元気に育つ。連作障害も心配したが、もうすでに10年以上作り続けても、目だった病害は出ていない。スイカも同じ。メロンは、ウドン粉病など出やすいが、出来る実は甘く香り高いので、今年はさらに本数を増やした。水やりも大切、手間暇省くために、散水チューブを設置、あと蛇口をひねって水を出すだけ。

 小学校の田植えは明後日、どうやら今年も責任果たせそうだ。順調に育って、秋には収穫、餅つきなんかできるといいねえ。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

足、攣りそう!?東根ハーフ

2016-06-03 08:52:43 | ランニング

 不安だ!走り切れるだろうか?足が攣りそうな嫌な予感がする。東根の果樹園の中を顔をしかめつつ歩く姿が目に浮かぶ。東根、沿道の応援多いから、歩いたら辛いよなぁ

 ハーフマラソンでこんなに自信喪失に陥ったのは、長井で初めて走った3年前以来だ。その後、年4回はハーフを走り、フルも3回完走した。ハーフでは走るたびに記録更新ってわけではないが、2時間を切れなかったのは、前回の東根と多賀城仙台港ハーフだけ、まあ、2時間は切って当たり前、完走への不安なんてあり得ない。自惚れや慢心ではなく、そのあたりが自分の今の実力なんだと思っていた。だから、4月末の郡山10マイル(16㎞)も5月半ばの長井白つつじマラソン10kmも、ほとんどトレーニング無しでも目標タイムはクリアすることができた。

 それから3週間、春シーズン最後の東根ハーフ、いかんいかん!と思いつつも、ついに一度も走ることなく本番を迎えようとしている。そう、もう1か月以上ランニングしていないのだ!なんせ、忙しい。まずは台本、何とか書き終えて、田植えの準備から田植え、それが終われば、菜の花座公演、よしっ、今度は走れるぞ、と意気込んだら、ハウスの片づけ、野菜の苗植え、大豆畑の堆肥撒きと耕耘と、一人農業は息する間もない忙しさだ。

 時間がないって避けがたい事情ももちろんあるが、農作業してるからな、という安心感も無いわけじゃなかった。堆肥を散布し、肥料を撒き、田んぼのどろどろの中を歩き回り、草取りに腰をかがめ、草刈り機をぶん回し、走り回るように働く毎日、こりゃ足腰鍛えられているに違いないさ、こんだけ疲れ果ててんだもの。体を目いっぱい動かしている自覚があったから、まっ、少しはトレーニングの代用になってるはずだ、いざとなりゃ百姓パワーで完走だ!そう思い込んでいたんだ。

 本番を4日後に控え、さすがに不安になって、ちょっくら10㎞くらい走っておくか、とハーフ2時間のペースで走ってみた。辛い!7㎞過ぎて足が一気に重くなった。後半ペースを上げて、なんて思惑はすっ飛んで、5分45秒/kmを守るのが精いっぱい、それでもなんとか走りとおせた。まあ、この調子なら、2時間切りは難しくとも、完走は間違いなしじゃないか、と、楽観。ところが、その夜、太ももが張って、痛みが出て来た。翌日になっても痛みと張りは消えない。ええーっ?あれくらいで筋肉痛?しかも翌日持ち越し?!あり得ない!これまでハーフ走ったって、フル走ったって、翌日には疲労回復、筋肉痛に悩まされるなんてことはなかったのに。

 走る筋力と仕事で蓄えられる持久力とはまったく別物、わかっちゃいたけど、改めて思い知らされた。それと、急速な老化?!いやいやいや、そんな妄言に惑わされちゃいかん。まだまだ出来る!まだまだ走れる!ただ、常に鍛錬を続けないと、筋力の減退も素早くなっているってことだ。怠け者の筋肉め!あっ、怠け者は自分か。太ももの太さなど、触ってみなくとも、ズボンをはいた感じでげそっと細くなったのがわかる。年取るほど日々の精進を甘く見てはならない、ってことだ。

 10㎞走から2日たって、まだ、痛みも張りも抜けない。さて、どうしたものか?今日、明日の過ごし方。休養につとめるべきか、迎え酒よろしく、悲鳴を上げる柔な筋肉に走って宣戦布告を叩きつけるか?思い悩むところだが、まずは農作業か。水路から水があふれて、畑の一部が水田化しつつある。そいつをなんとかしなくっちゃな。土木工事しながら、体と相談することにしよう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

厚み増す裏方陣:『女たちの満州』秘話

2016-06-02 08:44:34 | 演劇

 『女たちの満州』の反省と裏話もそろそろ終わりなにしなければ。いつまでも過去に引きずられてたんじゃ、前に進めない。すでに次の舞台の稽古始まってることだし。

 まず、失敗から話そう。布を満州の高原に見立てた装置は完全に失敗だった。演技エリアに近すぎて、予期した効果、はるか彼方に広がる大地とはおよそほど遠いものになってしまった。もっとステージに奥行きがあり、中央舞台との間に空間があれば、距離感が生まれて遠景に見立てられたのかもしれないが、今さらないものねだりは見苦しい。素直に失敗と認めよう。照明を当てて雰囲気を変えるという狙いもほとんど効果を生まなかった。布の色、当てる色の選択、地明かりとのかぶり、原因はいろいろある。これなら、思い切ってバトン吊りして、空中を漂わせればよかった、とまずは反省。

 大切な小道具、中国の簪、なんと本番3日前でも準備できていないことが判明!なんてこったい!ここまで切羽詰まってたんじゃネットで調達も無理。となったら、菜の花座極めつけのお助け工房、東根フキ工房しかないでしょ。さっそく、画像データを送り、こんなもん作って、お願い!製作期間はわずかに2日!さすがのフキさんも、できないかもしれませんが、その時は勘弁!いや、できます。信じてますから、と製作を依頼した。

 本番前日、見事な作品を届けてくれた。ほら、信じてた通りでしょ。画像は嬉しさのあまり撮り忘れので、菜の花座FBhttps://www.facebook.com/%E5%8A%87%E5%9B%A3-%E8%8F%9C%E3%81%AE%E8%8A%B1%E5%BA%A7-1682802165316410/?fref=ts

で見て欲しい。たった2日で思い通りの作品を仕上げてくれるフキ工房、今回も大いに助けられた。

 今回、新しい試みとして、吊りものの落下というのをやってみた。満州国の旗は黄色地に黒白青赤の4色のストライプ、その5つの色は、満州族、漢族、蒙古族、朝鮮族、そして日本を示し、国の標語5族協和を表している。黄色は大地として背景の布で表現し、他の4色をバトンに吊った。日本を象徴する赤い布だけをエピローグで落とす演出を考えた。ソ連軍の侵攻で、満州国が瓦解したことを視覚的に表現したかったからだ。他の3色は縫い合わせ、赤色の布だけはすぐ隣に別に吊る。全体が1枚の旗に見えるよう、落とすときはすぐにはがれるよう、粘着度の弱いテープで張り合わせ、バトンに仕掛けを仕込んで、赤い布だけ一気に落下させた。そのシーンが際立つような照明も付け加え、本番では見事にひらめきつつ落下した。赤布の落下が日本の失墜、凋落を意味することをどれだけの観客が見抜いたかはわからない。でも、見る人が見ればわかる。そんな仕組みもあってよい。

 この仕掛けを責任もってし遂げてくれたのがTさん。旗の墜落に次ぐ雪も巧みに降らせてくれた。彼、曰く、布が上手く落ちたりするとやった!って満足できる。そう、この心意気なんだよ、裏方ってのは。自分が請け負った仕事は確実にやり遂げ、その出来栄えに一人喜ぶ、たとえ、一瞬の出来事でも、ワンシーンの登場でも、大切なものは大切なもの。全力、全神経を傾注して、取り組み、成功させる。こんな職人気質を持った裏方がまた一人スタッフに加わった。菜の花座の可能性、大きく広がっていきそうだ。淡い恋物語のもう一つ大切な小道具、水汲みの桶、これもTさんの作品だ。飼い葉おけにしてくれと注文だしたら、本物そっくりの桶を即座に仕上げてくれた。

 そして、舞台監督。わずか1度の舞台経験、それも役者で。舞監ってなに?裏方知識はほとんどゼロ、なのに、稽古を続けながら職務の内容を理解し、全体を把握して、見事本番を仕切ってくれた。能力あるって見込んだから、頼んだわけだが、ここまでやってくれるとは正直、思わなかった。次回の作品では役者として舞台に立つ、残念だ、が、仕方ない。彼には役者として大きな武器を持っているから。それはそれでお楽しみだ。

 演出の勝手気ままな要求に振り回されつつも効果音を仕上げてくれた音作り担当のKさんは、照明のオペレーターもそつなくこなしてくれた。照明を作ったカナミも役者との両立に悩みつつもやり遂げた。慣れないピンスポットと音響にはシニア男性3人。演出から何度もダメ出しを食らいながらも、なんとかクライマックスを乗り越えた。衣装班の活躍はすでに書いた。数えてみたら、今回の舞台にかかわった人数は21人になっていた。受付など外も含めるとさらに、さらにさらに。

 さて、充実の菜の花座、次なる芝居は、菜の花プラザシニア団第3回公演『クロスロード』。乞うご期待!

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

役者が変わる!ために

2016-06-01 08:43:07 | 演劇

 アマチュア演劇の役者は、まっ、だいたいは自分の持ち味から抜け出せない。どんな役を与えても結局その役者そのもの、とまでは言わないが、個人のパーソナリティに沿って役作りをしてしまう。そこがプロとの大きな違いだ。だから、アマチュア演劇の舞台で失敗しない大切なポイントは、役を出演者に合わせることだ。そう、当て書きに徹することだ。役者の乏しいレパートリーを知り尽し、その範囲内で人物を設定する。セリフも言いやすい言葉で、姿勢や仕草も普段のそれに近いものとして造形する。役者は自分の守備範囲での芝居だから、落ち着いてボールをさばき、難なく守りを固めることができる。攻めの迫力には欠けるが、無難な進め方だ。菜の花座が曲がりなりにも、17年、36回の公演を積み重ねてこれたのも、この当て書きが効力を発揮したからだと言える。座付き作者がいることの強味だ。

 しかし、だ。書き手だって飽きるのだ。似たり寄ったり行ったり来たり、いつか見たような芝居ばかり書いていると、これでいいのか?これしか書けないんじゃないか?もっとはみ出した世界を、もっと型から抜け出した人物を引き出したくなるってもんだ。お客さんだって、安心して見られるものの、また、これなの?そんじゃ、今回はパス!って気分にもなるじゃないか。役者もきっと同じ行き詰まりを感じているはずだ。いや、感じていて欲しい。今の自分から抜け出したい!新しい役柄に挑戦したい!演技の幅を広げたい!菜の花座の役者たち、シニアも含め、丁度その険阻な急登を目の前に佇んでいるところなのだ。

 『女たちの満州』はそんな行き詰まりを突破するという意味の作品でもあった、作者にとっても、役者にとっても。まず、時代が違う。70年も前に生きた人たちの世界だ。単純に年数の問題ではない。戦争を境にして、日本人は大きく変わった。考え方はもちろん、生活ぶりも、言葉使いも、身ごなしも、まったくの別文化と言って差し支えないほどの変化があった。出てくる娘たちの年齢は17、8歳、今なら高校生だが、あの時代、まさに結婚適齢期、教師上がりの最年長者でも20歳かそこいらなのだ。今どきの娘たちのキャビキャビが通じるはずはない。言葉の発し方、敬語の使い方、言い回し、同じ日本語とは思えないほど?違っている。と言っても、それは聞き分けることのできる人にとってはの話しだ。仕草や身ごなしについても同じ。

 そんな違いを菜の花座の役者たちは上手く乗り越えられたのか?

 答えは、60点、辛うじて合格ってところじゃなかったろうか。

 どうしても日ごろの自分が出てしまう。得意な役作りに頼ってしまう。たしかに、そうすることで、娘たちの生き生きとした様子が浮かび上がってくる。

 でも、一方で、その時代の娘たちの雰囲気は失われる。難しい。時代を生きつつ、その頃の娘たちの控えめな喜び、抑えた悲しみ、しっとりとした華やぎ、そういった時代らしさを表現するまでは至らなかった。

 満拓職員や義勇隊所長、中国人使用人については、

 演じた役者の年の功もあり、持ち味に近い役(後2者)であったこともあって、戦時中の雰囲気をまずまず醸し出せていた。

 演じた人たちとっては、直接経験した、ということではなくとも、ひと昔前の戦時の記憶が知識として引き継がれているからなのであろう。

娼婦という難しい役については、よく頑張っていた、と思う一方、悪所に身を置き、爛れきった境遇を生きる女の悲哀や自嘲、自負、心意気、といったものがもっと生々しく表現できたらとは思うが、それはもうプロのレベルの要求だろう。

 もう一つ、役者の力量を試されたのが、エピローグの語りだ。ソ連兵や満人に追われ、死と暴行の恐怖に苛まれながら逃げまどった女たち、ついに行き場を失い自決する女たち、辛うじて逃げ延びた後も飢えと伝染病に苦しめられ自分を見失う女たち、・・・その後の幾多の苦難を女優たちが代わる代わる語った。今の私たちには、頭に浮かべることはできても、切羽詰まった感情として追体験しにくい強烈な生きざまだ。これをいかに自分の心と体で語り尽すか。何度も何度もダメ出しを繰り返し、稽古をした。せめて、この場面だけは、本物でなくてはならない。それが、『女たちの満州』を演じることの最良の供物になるに違いないから。残念ながら、安易な泣きの演技から抜け出せなかった役者もいた。ここらが、これからの越えていくべき大きな山なのだろう。

 役者は変われたか?それは、是であるとともに、否でもあった。小さな一歩、はっきりとした踏みごたえは感じられないが、何か、違う。変わるってことは、そんなもんなのかも知れない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする