韓ドラにちょいハマり!ったって、『ヴィンチェンツォ』でのめり込み『愛の不時着』を見終えたばかりの新参者なんだが、へぇ、すげぇなぁ!今時の韓国。どんな社会なんだろ?
どっちのドラマもかなりのクセの強さだからなぁ。方やイタリア帰りのマフィア顧問弁護士と有能な民衆派弁護士で、『愛の不時着』は財閥の後継者と北の将校、それも政治局長の息子。うーん、面白いにゃ違いないが、現実離れしてるよな。『パラサイトー半地下の人々』の方がどぎつくても庶民の暮らしや願望を描き切ってた。
でも、もうちょい、フツウーの人たちの生き方や考え方ってどんななんだろう?
韓国で100万部突破の大ベストセラー『82年生まれ、キム・ジヨン』読んでみた。
82年生まれってことは今は39歳。本は2015年で終わってるから、生まれてから30台半ばまで、一女性キム・ジヨンの暮らしを淡々と描いた小説だ。精神に失調をきたしたキム・ジヨンのカウンセリングをする精神科医が聞き取りを書き連ねて行くって形式だから、劇的な構成や過剰な思入れなどはない。経年的に彼女がぶち当たった家族や学校や男たちや社会との出来事が綴られている。
圧倒的な男尊女卑の1980年代!女の子産んで肩身の狭い思いするとか、4人目も女だったから中絶した、とか。男中心、跡取りは別格で大切にされるなんて話は、日本でもあったが、さすがに戦前だよな。でも、そこで虐げられた母親たちが頑張って娘たちを応援した。女が男と対等に渡り合えるのは教育、学問、学歴の世界。今では男女の大学の進学率はほぼ変わらず、8割を超すまでの高学歴社会になっている。
それで女たちは力を引き寄せられたか?って言えば、就職は超難関、いざ入れたとしても男女の給料は大きく違い、与えられる仕事も差があって当然の社会が続いている。親も世の中も結婚、出産を当然のことと待ち望み、いざ、結婚して子供が出来れば、どんなに気に入った仕事でも辞めて育児に専念するのは女。なのに、三食昼寝付き?の「ママ虫」と害虫のように陰口を叩かれる。ならばと働き口を探してもあるのはアイスクリームの販売員で自給600円、専門性を生かすなんて夢のまた夢。
と、2000年以降のキム・ジヨンの葛藤、なんか見たような景色じゃないか。
いや、大学の入試でさえ内密に男に点数お手盛りする日本、(東京医大はじめいくつかの私立医大)女の立場はもっと苦しいだろうな。会社の管理職も、国会議員の女性比率も世界有数の低さだし。給料の格差は女一人じゃ暮らしていけないほど大きい。まっ、男の低賃金も大きな問題だけどな。
なのに、MetooとかKutooとか少しでも声を上げれば、寄ってたかって叩かれる。逆に嘘つき呼ばわりされたりする。母子家庭の困難を訴えれば、性産業があるだろ、と、あしらわれ、男たちはその窮迫に付け入って女たちのサービスを満喫する。不当な対応にデモを仕掛けられる韓国の女たちの方が、間違いなく1歩も2歩も進んでいるかも知れない。
そんな、両国の女たちを囲む現実を目の当たりされながら、この本を読み終えた。
で考えた。俺は、ここまで女たちとどう向かい合って来たか?幸い、家って怪物とも距離が取れ、高校教員という比較的男女格差の小さい社会で過ごせたから、取り立てて差別的な行動はしていないとは思う。学年主任や教頭が女性だったこともあったが、別に意識することなく仕事してきたはずだ。
でも、世の常識ってやつの手強いからなぁ。多分、爪の先とか足指の付けねとかにゃ女性蔑視の感覚がこびりついていることだろうな。残る何年かの人生、そんな残渣を洗い出さなくっちゃな。女たちにもっともっと活躍して欲しい。女たちが生き生きとすれば、世界はもっと住みよいものになる。そんな願いを込めて劇作活動もしている。そのためには、過去の女たちの惨状を目の当たりしなけりゃってことで「女たちの昭和」シリーズも上演し続けている。
次回菜の花座公演『ダンスホールMitsu』もその一環、男たちに弄ばれた女たちの反撃の物語だ。ただ、このキム・ジヨンの行き詰った半生を読んで、まだまだ彼女たちの口惜しさや憤りにはたどり着けていないって痛感した。
それと、も一つ、8歳の孫娘が成人する頃には、こんな女を取り巻く理不尽が消え去っていればいいんだが、って願いもね。