体は固体ではなくてアートマエネルギー体 2014・5・26
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私たちは、自分の肉体も固体と感じているけれど、
実態は、細胞、細胞の分子、分子の中の素粒子、
素粒子の中の巨大な空間、そして、
その空間に存在する、
生命力、アートマエネルギーから成り立っている
といえそうです。
~と先回ブログで書きました。
私たちが肉体を”固体の塊り”と思っていても、
原子の中を覗けば、
ほとんどが空間で占められて、そこにエネルギー
の波動体が
存在していることがすでに分かっています。
私たちの体だけではありません。
身の回りの眼に飛び込むものすべて、
物質といわれている
ものは原子で構成されているわけですから、
電子や原子核の距離などを考えると、空洞状態
であるのがモノの本質といえそうです。
ですから
そうであるということは、自分も、透明人間のように
どこにでもスルーできて不思議でないような気がします。
つまり、外部世界との境界線は無いのと同然なのです。
なぜなら 空洞の中のエネルギーがこうした固体のような
錯覚を起こさせる物質の根源的実存だからです。
私たちの体の、細胞を細かく見て行けば、原子、電子
そしてさらにおおいなる空間で占められている。
私たちの体は個体であるように、錯覚 しているけれど、
ほんとうは 透明人間のように、ゆるゆるとした実体
があって実体がないようなエネルギー体であると
想像することも可能かもしれません。
さらに、考えれば、私たちの周りの外部世界も
その実 物質でできている
以上、物質の中に占める空間を考えれば、ほとんどが、
波動エネルギー体でできている といってもよいでしょう。
そう感じられるようになったとき、私たちは
トランスフォーメーションしたという言い方をします。
つまり、意識の変容です。
見た目にには 何も変わっていないけれど、本当はものすごく
核心的なことが 心身に起きているのです。
大袈裟に聞こえるでしょうけれど、もし、変容 すると、
その人の周囲も
環境も、そのままでいて元のそれとはまったく異なったものに
なっていることに気が付くでしょう。
その変容施術が アートマセラピーの 目的の一つです。
フランス人のクライアントがいました。
その時まだ、協会を立ち上げてませんでしたから、
このセラピーの名前はありませんでした。
彼女は言いました。
”これはtransformation-therapyよ!”
つまり、彼女自身それを受けてからすっかり変容した
自覚が持てたというのです。
勿論彼女の人生も変わりました。
話しが飛ぶのでこの辺にして、 本題に戻ります。
変容の第一の意識変化は、まず、
”肉体の中に入っていると思っている自分の定義”を
変えることから始まるでしょう。
新しい“本当の自分の意識”への
トランスフォーメーションが必要です。
自分の新しい変容を通して、何が変わるのでしょう?
それは自分が広がった感覚です。
自分という枠がなくなって、透明人間になったと
いうことは、何処にでもスルーできるわけですから、
まるで 他者も他の生き物たちも、自分の
如くに理解できるようになるということかもしれません。
言い変えれば、自分がどこにでもいる~
あの木々の揺れている葉の中に、
それを動かしている、微妙な風の動きに、
風に誘われて舞っている蝶の中に、
蝶(ちょう)の止まる雄蕊(おしべ)や雌蕊(めしべ)の
花びらの中に、あらゆるところに自分を発見できるでしょう。
自然の散策が大好きなあなた。
山登りで大自然を満喫しているあなた。
無意識にあなたはそのとき、透明人間に戻って
いるのでしょう。
現実的な下世話な世界から 心が、一歩離れれば、私たちは
大自然の空気や大地や、そこで息づく花や虫、
動物や空と一緒に
肉体の中に閉じ込めていた自分を解放して、 境界線をはずして
いるのかもしれません。
何故って、私たちは 本来境界線のない
命を生かすエネルギー体なのだから。
どこにでも自由に風のように、流れて飛んで
いくことができるのですから。
境界線をつくってしまうもの。
それが自分意識、梵語で、アハムカーラ と
呼んでいるものです。
観察者であり、観察されるものであるという
二元的な観方をする意識そのものです。
知性[知恵]がそれに加担するから、不幸な気分になって、
ついつい、相手を責めたり、理屈で非難や批判をして、
自分を責めたりもしてしまう。
空回り、悪循環、何も良いことは生まれません。
個人的範疇で住まなくなると、社会をせめて問題を
一層、ややこしくさせているのです。
本当は、自分の本質に返って、相手の本質 と
一体化すれば問題と見えるものも、いつの間にか
問題でなくなる・・・
それが あなたの本質である愛 の仕業であり、
愛を根底におけば 結局、最終的には、周囲との
調和しかないやさしいまろやかな世界が実現する
はずなのに・・・・・
なかなかそうはいきませんね。
無智の自分を打ち破る とか、
新しい自分を発見する という言葉は だから、
簡単にはいかないし、
不適当かもしれません。
それができないから私たちはもがいているのですから。
だけど、お互い忘れないようにしましょう。
多様性の中に潜む一つの真実。
どんなに姿を変えても、例えば、母親が若い
美しいマリア様のようなイメージでも、皺(しわ)
に刻まれた老いた女性になっていても
私たちの心には 母という自分を育んでくれた
優しい母性愛が浮かぶでしょう。
どんなに姿を変えても変わらない本質がある。
だから、今の私たちがどんなに見えていても、
今、ここに、もう、本当 の私の本質が存在
していることは忘れたくないのです。
今、生きているということ、それは、私たちの
エネルギーが 宇宙規模の生命力のジェネレーター
に つながっているということ、
つまり、ON 状態であることを想いだして
みたいのです。