自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

難治喘息(2)”壮絶な浄化と受容”

2015年01月28日 | 自然治癒力セラピー協会のセラピー

浄化浄化 血痰となり、体よ、激しくてもよい、出し尽くせ の覚悟    2015・1・28

***********************************

先回から引き続き、Sさんの手記をご紹介しています。

  

 

そうした鬱状態のとき、私は、スピリチュアル

な本に少しずつひかれて読んでいました。

たとえば、仏陀の話、ひふみ神示、そして好きな

歌は”愛は勝つ”、この歌詞を口ずさんで自分を

勇気づけていました。

 

同時に、これ以上の治療法はないと信じていた

喘息治療をもう2年間続けていました。

半日待つこともあるほどの、盛況な病院の

アレルギー科でした。

そこへ週に ほぼ毎日通う状況でした。

 

 

そんなとき、自然治癒力セラピーの話を

先輩に伺い、アートマセラピーに興味を持ち、

実際、施術を受けてみることができました。

施術中(先生の)話しを聴いているうちに、

’本当の意味で治すにはこれしかない’と

いう確信が心から湧いてきました。”

(以上Sさん手記)

 

Sさんの施術と並行してお話ししたこと、

それは、

”今現在の体の不調は いろいろな要因

があるでしょう。

でも、あなたの心の想念の積み上げた

業(ごう)から来ているとしたら?

あなたの体も心もその奥にアートマ体

があり、それは神様のお心そのままを

映し出している生命力と完全性を持って

います。

そのところにあなたの現在の意識が

気が付けば、今の病気を造っている

因縁を超越してしまうことも可能です。”

というような内容だったと記憶している。

 

手記にもあるように、Sさんは

すでにスピリチュアルな本を手にし、

人間の本質は何か? 自分の本質は? 

この難病との関係性など日ごろから

考えていたのだろう。

自然治癒力は薬を飲めばそれだけ

弱まること。

体は薬に頼ることを覚えてしまうこと。

などもお話ししていくうちに、

もっと体系的に学びたいという

気持ちがSさんにでてきたようだ。

 

そこで、施術による身体への浄化

とともに、言霊の真理の波動で心の

奥底のアートマを呼び覚ますための 

お勉強会を提案したのもこのころだ。

ヴェーダンタのアートマ理論

般若心経に凝縮される ”ギャーン

(真理に至る智慧)” について、

心行くまで話し合った。

砂漠に水が吸い込む様に、ギャーン

[智慧]の本髄を心の底から納得

しながら、毎回の勉強会は熱の

こもったそして楽しい時間になった。

 

当時をSさんは振り返る。

”セラピー施術と並行して、その論理

やアートマの哲学などの勉強も

することになりました。

 体と心、この二つから、喘息に

向き合うことになりました。

セラピーのあと、2時間前後、

インド太古の聖典 ’ヴェーダ’や’般若心経’

時には’聖書’からキリストさまの言葉

などを学び、どのお話しも心の

奥にスーッと吸収されるようでした。

 

毎回不思議と、’このことを私は

知りたかった’と疑問に思っていた

ことの答えがお話しの中に出てきて、

楽しく、あっという間の時間でした。

言霊の大切さも学び、知り、納得

したので、自分にとって、一番身近

だった神道の神棚も作り、毎朝 

祝詞を唱え始めたのもこのころです。”

(以上Sさん手記)

 

Sさんは以前から時々、三大御不動様

で有名な大山に登り、神社に参拝して、

ご神水を取ってこられることが何より

の楽しみということをお聞きしていた。

そこで、神棚を造って、神道の言霊

(祝詞)を挙げられることをお勧めした。

ほどなく、奈良県の大神神社

(おおみわじんじゃ)、秀真伝え

の守り神でもあるいにしえの所縁

(ゆかり)ある神社にご家族で

行かれ、お札をいただきお祀りされた

と聞いた。

セラピー開始三か月ほどのことだ。

発作時を案じて吸入器は車に積んで

行ったものの”発作が出て病院に

行けなければ死んでしまう・・”という 

これまで遠出ができなかった懸念

を払拭(ふっしょく)して、奈良県へ、

数日かけての旅もできるような体に

変化していた。

 

私がずっと感じてきた、’すべては愛’ 

’自分の本質は愛、それが小我と

区別されるもの’という漠然とした

信念が、アートマセラピーを受け、

協会で教えていただいた’アートマ’

という意味で もっと明確にする

ことができました。

アートマ とは神性、無限の愛、

完全なる姿、生命、光・・・

そして すべての本質がそれで

あるという真理。

’それは絶対にぶれない、自分の軸

であり、中心にある’ということを

心から感じ、信じる事ができました。

 

自分の内側から流れる絶対に消える

ことのない 愛の力(エネルギー)

によって、きっと、自分を完全に

癒すことができる!すべては愛の力

で変えられる!

という想いが、確信に近いものに

なってきました。

 

 

ところが そのころから、体の方は 

突然 思いもよらない、激しいほどの

症状がでてきたのでした”(以上Sさん手記)

 

激しい症状とは、好転反応による、

自然治癒力の開花による浄化作用や

本来の健康に戻るための自然治癒の活動

運動だったりして、熱や咳、下痢や痛み

などで、一見悪化したような症状を 

ここではさしている。

一難さってまた一難、良くなったかと

思うと、また、さらに悪化したような

反応が体に見られることは、回復を

目指して自然治癒を発動している

不調和な体には往々にして見られる

のだが、90%の人たちはここで、

尻ごみをして再び、西洋医学の

手助けを得ることになる。

 

Sさんはこの試練も試練と思わず

乗り越えた。それほど、自らに

備わっているアートマ体、生命の

完全性に全託する気持ちが強かった

からだ。

そのために、体は安心してこれまで

のねじれやつまり、順気の封鎖

された道を開くために様々な症状

となって、Sさんの体に悪化した

ような状況を見せながら、しかし、

信じたとおりSさんの生命力は

全開し本来の完全な体の具現化に

向かって行ったのである。

 

 

 

 

続く~

 

 

 

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難治喘息(1)”"思考や願望も波動で生きている”

2015年01月25日 | 自然治癒力セラピー協会のセラピー

アートマセラピーに出会う前の鬱状態   2015・1・25

******************************

 

自分の内在する力の本当の自覚がないと、

アートマセラピーで状況が改善されても、

長期的には、また、もとに戻る可能性がある。

中には、主治医が検査結果に”想定外に

完治している”と認めたにもかかわらず、

微熱が出たことへの恐怖心が嵩じて再び、

検査入院、そして結局、些細な症状が

気になり、西洋医学で治すことに専念。

結局、命は、帰ってこない方がいらした。

 

難治ぜんそくと診断され”あなた死にますよ”

とまで言われながら、施術を希望してきた

Sさん。

こうした前例をふまえて、理論も勉強する

ようお勧めした。

”アートマ”とは何か?~を、理解しようと

してほぼ3年間、セラピーと並行して

文字通り身も心も 死にもの狂いで

Sさんは、自分自身に向き合った

 

理論に関しては、”身は心の顕れ”、

”今置かれている環境も、自分に

接するすべての人の言動も、

すべて自分の心の反映”、つまり、

”唯心所現”、ということの理解から

始まった。

 

想念が肉体の細胞を変える、

人間の本質は愛、大我、別名アートマ。

アートマという言葉はサンスクリット

語であり、一元論哲学のヴェーダ思想

から来ている。

Sさんはヴェーダ哲学も学んだ。

その知識は智慧としてドンドン吸収され、

ご自分の死を予告された難治喘息が薄紙を

はがすようにアートマセラピーで改善

されていく体験と並行していった。

 

”心身の関係、自己は神性であるから

私は必ず、健康になる!”という強い

意思とともに、彼女は死の淵を

歩きながら、自分の信念を貫く自信

を持つことができた。

その強い信念は、現象の身体に投影

されて、3年後の現在、ほとんど

難治喘息は完治したのだ。

 

アートマセラピー理論は 紙面に、

箇条書きにして書き表せば簡単な

ことだ。

でも、実行するのには 難しい。 

大袈裟ではなく まさに”地獄の

ような苦しみ”さえ時には通り

抜ければならないときがあるものだ

・・・~ということも含めて 

Sさんは手記を再び今回投稿して

くれた。

 

その理由はただ一つ・・・多くの

方達はプライバシーとして秘めて

いたい苦くてさまざまな赤裸々な

体験でも、共感して少しでも勇気

づけられる人がいれば幸せだから

という理由からだった。

 

 

黄金のような部屋:実際は暗い木造建築の部屋・

アートマの象徴のようだ。心は暗くても、実は

黄金色に光っているのが私たちの心だ、身体だ。

 

思考や願望も波動で生きていると

言います。波動が同じ波動を呼ぶとも。

そういうことを私は身を持って知る

ことができた2010年から現在にいたる

簡単な道のりを皆様にお話ししたいと

思います。

 

私は重度の喘息患者で、長年、病院

で治療を受けてきました。

その頃は、病院の知名度や医師の肩書、

薬の効用などに気をとられていました。

名医と聞けばどこにでも行き、あち

こちの先生を転々としていました。

でも、癒されるどころか、薬の

副作用も重なり、精神的苦しみ、

金銭面での心配も増すばかり・・・

それでも、次から次へと、少し

でも良いといわれる健康法や治療法

に頼ることしか考え付きませんでした。

 

早く治したいと思えば思うほど、

何が本当に良いのか、不安や迷いが

つきまとい、薬や医師に頼れば頼る

ほど、”もし、必要な時に頼れなかった

ら?”とか”必要な時になかったら?”

とか、不安が増していきました。

 

その時は私は大変なことになる・・

きっと死んでしまうだろうという

不安感でした。

’こんなに頼っているのに、どうして、

何も効果があがらないの?’と想い通り

にならない日々に、いらだつときも

ありました。

 

ましてや その治療法が人気のある

先生で、患者がたくさんいてなかなか

自分の場に回って来ないで、長時間

待たされたり、予約がとれなかったり

の状況が続いていました。

すると、’我先に’と人を押しのけて

でもかまわないという周囲の態度を

見たり聞いたりするにつけ、’芯から

癒されている’という実感には程遠く、

その治療法に どこか、自信を持つ

こともないまま、時が過ぎていき

ました。

 

その時の私は 簡単に’病は気から’

という言葉を知っていても、

”想念で病が癒える”とか、”病状が

変わる”などということは

考えてもいませんでした。

 

そのうち、私は 鬱状態のように、

先ほど述べたような不安感や葛藤と

向き合うようになっていました”

(以上Sさん手記)

 

続く

 

 

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神経症:

2014年12月01日 | 自然治癒力セラピー協会のセラピー

姑(はは)の神経症 2014・12・1

***********************************

カイロプラクティスの一般的調整法として、

以下のような 頸椎(けいつい)

と身体の関連性が知られている。。

第一頸椎

精神病・神経衰弱・ヒステリー・心気症・

憂鬱賞・妄想・頭痛・めまい

・不眠症・脳充血・中毒性疾患・

顔面神経麻痺・半身不随・痛風・脳水腫

・脊髄髄膜炎・神経性疾患

第二頸椎

にきび・神経衰弱・ヒステリー・頭痛・

ヒポコンドリー・顔面神経痙攣(けいれん)

・尿毒症・頭部発汗症・脳疾患・顔面神経麻痺・

第四頸椎

神経衰弱・ヒステリー・ヒポコンドリー・

鼻カタル・三叉神経痛・アデノイド

・アディソン病・顔面神経麻痺・脳充血・

頭痛・弱視・扁桃腺炎・ヘルペス・

 

 

以上第四頸椎までの症状を見てみると、

いずれにも共通しているのが、

ヒステリー や ヒポコンドリー、などの

神経衰弱の症状だ。

頸椎に”ずれ”を生じている場合、このような症状が出やすいと

カイロプラクティスではいわれる。

 

頸椎に”ずれ”を生じているとはどういうことだろうか?

 

頸椎に直接 何らかの外部の刺激が与えられたとき以外に、

むしろ、別な箇所、たとえば、”骨盤底部”に損傷を

受けたときでも、

瞬時の強い衝撃の場合、頸椎上部に影響を与え

そこに、ずれを生じることがある。

 

その場合、”頸椎上部のずれ”を治しても、根本の

”底部の損傷”のつまりを解かなければ、また、もとの

状態に戻ってしまうと神気法を施術する姑(はは)はいう。

 

実は姑(はは)自身、若いころ、神経症を患っていた時期

があった。

その体験を 自著に綴っている。

もう半世紀ぐらい前の話だ。


“遊びにいった青山外苑の妹の家より、息子と姪を連れて

銀座まで買い物に出かけた。


帰りは5時半ごろでラッシュ時にかかり、地下鉄新橋駅より

満員の乗客で電車の揺れるごとに乗客の身体が片寄る。

5歳ぐらいであったと思われる姪をかばおうとして、

つり革に渾身の力を込めて踏ん張ったとき、身体の

どこかでギクッと音がしたように覚えた。


急に眼前がかすみ、耳の中がガーンとして音を遠くに感じ、

苦しくなってきた。”

 

このとき以後、夕方になると、

“頭の中がぼーっとして眼前が薄暗くなり、

別世界にいるような感じ”

が起こるようになったという。


そして小康状態が続いていたが3年後に症状が再び

発覚してくる。

“三年後、視神経の酷使と対人関係のショックや大脳の

酷使が重なって、頭部が緊張し始め、特に第七頸椎の棘突起(大椎)

の周辺が重くなり出していた。


頭部が胴体の中に引きこまれそうな前駆症状は、

23か月前からあったが、決定的な症状が起きたのは、

駅まで親戚のものを迎えに行こうとしたときであった。


門を一歩出るや否や、右顎に緊張がおき、咽喉がつまり、

全身が寒く震えが起き出した。途中で引き返し、

ソファに寝転んだ。 

時刻は4時半ごろである。


間もなく、親戚のものが到着し、母と話している声が

聞こえるだけで、心臓の鼓動は異様に高まり、すべての音が

やかましく、呼吸困難となる。 


部屋を閉め切って、真っ暗の中で苦しさと闘っていた。

母は医者の娘と生まれながら、現代医学を否定するほうなので、

歯医者以外は昭和10年以降治療を受けたことがなかった。“

 

現代医学に決定的信頼がおけない~という須田の家の体質は

りょうおばあ様から受け継がれているのだろうか?


姑(はは)は 嫁いできてから、嫁の私に~我が家は“常識に

しばられない”~

という言葉を何度か使ったが、これは”病気に対する姿勢”にも

通用したのかもしれない。


そのおかげで 心安く アートマセラピーで 息子や自身の

心身の不調時の対応することに罪悪感などを感ぜずに

これたことを感謝せずにはいられない。

 

話しがずれたが、このときの姑(はは)は“音が迫って

くる恐怖感”を体験していたという。

りょう御ばあ様から 筆者の母親が伺って筆者に語った

エピソードと一致する。


姑(はは)が神経症でソファーに休んでいるとき、近所の

熊野神社の盆踊りのレコードが朝から晩までスピーカーで

流れていた。

その音に耐え切れず、“スピーカーの音量を小さくするよう、

頼んできてほしい”と御ばあ様に心底苦しそうに乞うたという。

“このときほど、困ったなと思ったことはそうそうなかった”

と筆者の母に語ったそうだ。


しかし、すべての事には神の計らいがあるのだろう。

この神経症的症状で苦しんださなか、姑(はは)は”精神生活”

という心の内側に眼をむけることになる。

 

そのあたりを自著から抜粋すると:

“このまま死ぬのかと思った。夜の九時半ごろになって、

発作は止まった。

この苦しいさなかに考えたことは、子供のことでも、

両親のことでもなく今の自分は何の修行も積んでいないので

満足して死ねる覚悟のないことを、恐れたのであった。


‘どうしても死ななければならないのなら、あと、半年で

よいから生かして置いてください。

その間に何とか死んでも悔いのない心境を準備しますから’と

必死の思いで祈った。・・・


私は、このときまで我が強く、わがままで自己中心的な人物

であったのだが、急に精神分野に眼を向けさせられたのである。“

 

それでも発作以後、すぐに体調が良好に向かったわけで

はなかった。

この発作以後、門より一歩でも外に出ることが恐ろしく、

寒い風がスーッと頬をなでるだけで、右頬に痙攣が起きて、

気分が悪くなる。”


こうした体験を経て、秀真伝えの研究に没頭し、それと平行して、

背後の神霊からの計らいで 姑(はは)は神気法と

いう治療を行うようになっていったのである。

 

引き連れ、つまりの原理を理解すると、自己治療するようになった。

そして幼児よりの怪我や打撲など、つまりの原因と

なった部位を見直し解いていった。


特に、神経症になった決定的要因とみられる、肩関節の損傷や

右頸椎の硬縮、後頭骨と第一頸椎の間隙を和げるために

手をあてた。

 

こうして思考力、記憶力、集中力を回復させて神経症で

苦しんだ症状を自ら克服するに至ったのだ。

そして 神経症で悩む方達に”根本からのつまり”を

ほどくことで改善を計る施術を続けておられる。

 

 

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好転反応は一見 悪化症状にもみえる・・

2014年11月28日 | 自然治癒力セラピー協会のセラピー

趣味も魂(こん)つめれば心筋梗塞の危険が・・・・2014・11・28

 

*************************************

 

昨今 社交ダンスを楽しむ人が増えてきたようだ。

テレビの画面でも女性芸人とTV局アナウンサー

という異色のカップルが

様々な社交ダンスの試合に参加して好成績を

果たす演技を披露して喝采を浴びているのを見た。

 

さて、姑(はは)のもとに 社交ダンス歴のある

クライアントさんが訪れたことがある。

著書(*1)から引用すると:

“肩関節から上腕へと気を放射すると、私の上背部と

前胸部に著しい締め付けが現れてきた。 

息苦しくて弾力がない、これでは医師の警告通りだと思った。

細心の注意をもって右腕を治療し、次に左腕に以降する。

左腕の懲りは右腕ほどではなかった。

全身的に治療したあとに、再び右腕に戻ると、

締め付けは少し緩んだが右腕の懲りは重症である。“

 

こうしてひととおり、治療が終わった後、

患者は姑(はは)に聞く。

“どこが悪いのですか?”

姑(はは)が 

“腕、特に右腕の懲りから来ています。”

と答えると、

“ダンスですよ”

とはっとしたように患者は答えた。

社交ダンスのことである。 

 

男性は常に右腕を水平の高さにして女性の肩を

抱くポジションを基本とする。

この姿勢を保つのは見ためよりはるかに、

難しいもので力もはいるのだろう。

その患者は”右腕の懲り”を指摘されてこう話した。

たしかに、体の不調を感じ始めたのは8年前より

ダンスを始めてからです。”

治療が功を奏したのだろう。

好転反応がみられるのだが、被施術者にとっては

熱やだるさ、下痢などの症状となるために、

不安になるらしい。

この患者さんも例外でなく 2~3日後に 

電話してきた。

“先日、治療を受けたあとから、両腕が痛みだし、

特に右腕が強く、家に帰りついた途端に動かす

こともできず、したがって食事もままならず、

翌日の昼ごろになって、通常の感覚に戻りました。 

ソファーに腰かけていると、まだ残っている腕

のけだるさが、昔ゴルフの猛練習をした後の

状態に似ていることに気がつきました。

改めて、引き連れ、つまりということがわかりました。“

 

幸いにこの患者さんは 治療が終わった当日、

帰る直前、姑(はは)から

“必ず治療の反応がでますよ

と言われていたので、”これがそうだろう”と思い、

体調が一見悪くなったように見えたものの、

むしろこれから自分の身体が良くなっていくという

ポジティブな考え方を強めたらしい。

3回目の治療を受けるころには、右腕の凝りからくる、

胸部の圧迫もだいぶ和らいだという。

こうして身体がリラックスしてきたのだが、

普通の患者さんは治療中、眠気に誘われて眠り込むこと

が多々あるのに このダンスを趣味としてきた

クライアントの男性だけは 決して施術中、眠らない。

 

普段から、軽い不眠症でもあった。

27~8年間 安定剤や強い睡眠薬を常用していた。

心臓の薬も併用していた。

その後、治療を続けて、全面的に心臓の薬を中止

することにした。

すると、胃の調子が快調になり、身体の調子が戻り

つつあった。

それから数年後、体のほぐれ、順気が整うにつれ、

この男性は姑(はは)の治療中

”初めてぐっすりと眠ることができた”と記されている。

ぐっすり眠るということ。

当たり前のようなことなのだが、脳機能が健康的

でないとなかなかそうもいかないことがあるらしい。

だから、この男性が施術中リラックスして、

熟睡したということは、いいかえれば脳が正常に

戻りつつあるということでもあった。

 

脳が正常になってくるにつれて、頭部の毛髪も

生え始めた。

この効果が見えてきたのは、治療を開始してから

4~5か月経ってから。

髪の生え際からちらほらと黒い毛が生えだした

というのだ。

頭頂に向かってごま塩に髪の毛の色が変化し、

さらに、3年もたつころはほとんど真っ白だった

頭髪は黒い頭髪に代わっていたという

 

こうして社交ダンスを一生懸命練習して右腕に凝り

を貯めておいた結果、つまりや凝りが表面化して

体の不調になったと 姑(はは)はいう。

社交ダンスだけではないらしい。

たかが ゴルフの素振り程度と思っていても、

こうしたことが積み重なって つまりとなる場合

が多々ある。

そのつまりを解かないでいると、

後々”つまりの後遺症”が現れてくる~そうすると、

そこに、異常を感じるから何らかの病の不具合と

心配もでてくる。

 

その時医者にかかっても、対症療法を施されて一時的

に症状を抑え込まれるだろう。

しかし、その本当の原因をさかのぼって、治療されることは

まずないだろう。

 

ダンスに限らず、筋肉を必要以上にトレーニングした人たち、

例えば、バーベルやエキスパンダーなどを使いボディービル

をした人たちにも、

姑(はは)は次のように注意を促す。

それらの“運動による身体の酷使”が続くと、

“横隔膜があがり、両肩が盛り上がり、肩甲骨が高く

なるとともに、胸腔に圧迫を生じていて、

全身的に悪影響を与えている。”

と。

適宜な運動、散歩や柔軟体操は時には運動不足の

解消のために必要だとしても、

運動による身体の酷使は “寿命を短縮させる

一要因ともなる” という。

我が家でも、姑(はは)からは、孫の私の

息子には、幼いころより、

テニス、乗馬、陸上競技など余暇を利用して、

スポーツをすることは避けるようにと言われていた。

実際 姑(はは)のもとには運動の後遺症で

不調を覚える若者が治療に通っていた。

高校時代からバレーボール部で活躍。

回転レシーブや アタックを得意として大学時代

は選手を務めた。

姑(はは)のところに来たときには、アタックを

していた右腕の筋肉は弾力を失っていたという。 

まるで、触ると、丸太棒のような感触だったという。

右の手掌は皮膚は堅くなり、まるでグローブの様相だった。

バレーボールの後遺症は指にも見受けられた。

手の指は突き指をしたことのある関節が固く太く、

足の右ひざの関節は膨隆して変形。

ボールをアタックしたときに、

空中に一瞬飛び上がり身体をエビのように

そらせてボールを相手側に打ち込む。

それから、地上に降りるのだが、その時の

衝撃のために足の裏の指の付け根は

堅く凝っていた。

そのほかにも幼児のころ、ガラスを頭部で

突き破って隣の部屋にとびぬけたことが

あり、頭部打撲をしていた。

中学校に上がる前後、定かに時期は覚えていないが、

左眼にボールを強く当たった体験もあり、

疲れると左目が痛み、左頭部の偏頭痛も持っていた。

加えて過度の運動で筋肉、腱、靭帯が固く締まり、

肩甲骨と横隔膜があがっている。

そのため胸腔を圧迫。

すると、肺や心臓の機能がその運動範囲が狭まる

ため低下する。

呼吸が浅くなれば、血液循環や新陳代謝へ悪影響

を及ぼし、手足末端の冷えやほてりを感じる体になる。 

また、横隔膜があがると、胃が常時引っ張られるので 

胃の筋肉が上下に伸びて弾力を失いやすい。

弾力を失えば胃下垂になる。

背中側では、胸椎の第八あたりが、横隔膜の緊張で内側

へと引っ張られる。

そこで、第八胸椎と上下の椎骨(ついこつ)に歪みを

生じることも出てくる。

このように体は有機的につながっている。

このバレーボールの選手だった患者も、横隔膜の緊張を

ゆるめ、胸腔の圧迫を取り除くことから治療が始まり、

丸太棒のような右腕もやわらかい伸びた腕へと 

次第に変化していったと姑(はは)の記録にある。

 

 

 

 *1 ”ひきつれ・つまり 身体をほぐす” 文芸社文庫 2013

 

 

 

 

 

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エゴイズムの効用ここに有り

2014年08月03日 | 自然治癒力セラピー協会のセラピー

心の蟻地獄にひきずられないために    2014・8・3

**************************

いつも、自信に満ちているように見える人でも、

迷いのない人などいないはずだ。

男性は理性的と、一般に言われているが、

それは、社会の中で生き延びるための手段として、

感情を出さずに、理性的に自己を抑圧して生きているためで

あるのかもしれない。

筆者のインドの師は

”男性も女性も、同様に弱いものだ。

感情的でないかどうかというのが、弱さの基準ではない。

感情的でないように見えても、一皮めくれば、人間皆、

不安のブラックホールに引き込まれるような弱い自分を

自覚しているはずだ。

真に強いというからには自分の本質と繋がったときだ”

と言った。

 

先日、友人が海を越えた恋人とスカイプして、

”近頃の彼は、なぜかやけに涙もろくなって、あんなに不安定な

感情を人に見せることはなかったのに、どうしたのだろう?”

と心配していた。

”互いに真理の道を研鑽して、旺盛な探究心と 

活き活きした創造的生活を

送ることが何よりの取り柄だった人が、いったい、

どうして、こんなに変わるのかと

思うほど、変わってきてしまった”

と溜息をついた。

”なんていって、励ましてあげたの?”

と聞くと、

”’そんなに落ち込んでいるあなたは本物の貴方

ではないから、

暗い気持ちに甘んじればそれだけ、蟻地獄の

砂の中に引き込まれていくだけだから’

と言ったのだけど。

わかってくれたかどうか・・・”

と言葉少なげに語った。

 

彼女が彼に問いかけた ”本物のあなたは?”という質問。

確かに、これは 蟻地獄のような心の暗い渦の中に

引き込まれないための、重要なカギかもしれない。

 

今、このブログを ”あなた” は読んでいてくださる。

あなたの時計は今何時ですか?

というのも、拙ブログの読者解析報告を見ると、読者は

24 時間にわたって分散して いる。

多い時間帯としては、朝9時前後、夕方7時前後は

わかるのだが、意外にも、深夜12時以降、一般的に

多くの人達が安眠をとっている、午前2~4時の時間帯に 

時には、一人で、十ページ 近く、開いて読んで

くださる方達が数人記録されている。

 

ちょっと、堅苦しいこのブログを読んでくださる 

あなた”は、ご飯を食べているときのあなた

仕事に没頭しているときのあなた、 

とは 何か一線を画しているかもしれない。

ご飯を食べながら、心身一如 について語り合えば

消化不良を起こしそうだし、

仕事をしながら、”不生不滅” という意味を考えて

いれば、能率が悪くなることだろう。

先の話で、友人が 恋人に、”思い出してほしい

と言ったのは、日常生活に没頭している”あなた

ではなくて、一線を画したもう一人の

あなた”、を指していたのだと思う。

 

昨日と今日の私は、物理的に言えば同一人物

ではない。

古い細胞は死に、新しい細胞が どんどんと

新陳代謝して、入れ替わっている。

子供時代の自分の写真で見ると、面影はあっても、

今の私と同一ではことはわかる。

しかし、誰でも、その写真を見れば、

”あ、須田さんの子供時代?”と気が付いてくれる。

何かが、変わらない自分の存在” であり、

どんな時代を経ても、その人に宿っていることを

皆知っているからだろう。

とはいうものの、”変わらない自分” をここで示してください~

と言われても、困惑する。

自分=実存の私 は、今も過去も、未来も、そして

死んだあともきっと、

そこに居続けるに違いない・・・・と筆者は思うし、

そう願う。

でなければ、魂の輪廻説も、生まれ変わりも

死後の世界の存在でさえ、実態がないものになってしまう。

さらには、インドの大師たちが語る、転生や実際、

幽体を肉眼の前に現わしたという話も、全くの想像物

になってしまう。

先の一線を画した自分というのは、たぶん、higher self 

(より高次元の意識を持つ自分自身)をさすのだろう。

そして、人は誰もが、そのhigher self(ハイヤーセルフ)

を多かれ少なかれ意識しているはずだ。

伸びよう、改善しよう、よりよく生きよう、

幸せになろう、発展しよう、

などの希望は、自分がハイヤーセルフにもっと

到達できるはずだという心持と裏腹のような気がする。

 

そう願っている人でさえ、ハイヤーセルフを拒む要因、

エゴ(利己主義)からの脱却が なかなかできないのは

何故だろう?

友人の恋人のように、ちょっとした事ですら 

エゴを揺さぶられ、不安を掻き立てられる悪循環に

陥るのが常の人生だ。

あたかも、じたばたして余計溺れてしまう人のように、

悩みと悲しみ、怒りと憎しみ、イライラと焦燥の中で

魂(ソウル)が焦げ付いていくような苦々しい

体験を重ねているのが、人生の常なのだ。

そうこうして、目的地に 所詮、泳ぎ着けないと

あきらめて 一度の人生快楽を求めて、

苦しさを忘れようとする。

 

そんな 煩悩に焼かれる私たちに、大師はこう教える。

自然の元素、火と水、土と風、これらに共通した

ことが一つある。

それは、その元素自身、自分自身の強さを知らず、

火は火で焼き尽くされることなく、水は水で

溺れることなく、土は土で崩すことはできず、風は

風によって、乾かすことができない。

つまり、人のアートマ[魂]は日々の物質的生活の

中に見え隠れしているものの、それ自身姿を現すには 

もう一人の自分(エゴ)がいる。”

 

矛盾した言い方なように思う。

”私はなんて、ダメなんだろう!”とため息をつく前に 

エゴ意識の役割を認めてあげたら?~ と覚者は言う。

なぜなら、

エゴを取り去りたいとおもっているのに、

エゴがなければアートマが見えないというのだ。

 

~その前に、エゴ意識ってなんですか?

 自分中心主義の人を エゴ意識の強い人というが、

ではエゴは何か?

といえば、ごくごく簡単に要約すれば、心の中の無限にわく 

独り言はエゴ に端を発している。

一言でいえば、エゴはおしゃべりだ。

たわいのないことを、次々と思いださせる。

それを一喝して、

座禅を組んでも頭の中はいろいろな想いや感情を止めることは

まずできない。

次々と連想ゲームのように、最初の想いが次の想いを生み、

次第に枝葉を伸ばして、気が付いてみると、最初の想いから

はるか離れたところまで妄想している自意識に気が付いて、

また、ハット 瞑想に集中しようと喝を入れる。

追い払おうとしても余計気になるうるさい ハエのようだ。

ハエはハエで顏の周りを飛ばしておけと覚者は言う。

魂との対話を求めるのなら、このエゴのおしゃべりを

利用すれば良いと言うのだ。

つまり、 エゴ意識に、十分話させて、それを、

じっと、聞き流している自分を

意識するという方法だ。

聞き流している自分を意識することだ。

聞き流している自分、が 一銭を画した 

ハイヤーセルフに繋がるというのだ。

おしゃべりに耳を貸さず、ただ、流れていく雲をみるように

そのおしゃべりが疲れて口を閉ざすまで、話させるのだ。

そうこうしているうちに、雲が途切れて青空が心に広がるように

静かな時が訪れるだろう~と覚者は教える。

 

 

雲の合間のひと時、それは、超意識的、超時間的、、

超空間的でもある。

ここに、アートマ意識~higher self が見えてくる。

誰も裁かず、何も選ばず、そこに意識を置く点は、

限りなく小さな点

であると同時に限りなく深淵で宇宙大にも広がる、

収縮可能なスポットでもあり、時空を超えている

世界観が広がる。

 

もう一つの方法は、他者のエゴを知ることによって自分の

エゴを抑制し、アートマを顕わす方法だ。

誰でも、人生道中、馬が合う人 合わない人、と

いう判断を 対する人に下した

ことがあるだろう。

何となく、傍にいて、心が落ち着くという人もいれば、妙に

イライラさせられるという人もいるものだ。

何か特別、その人にいじめられたとか、直接的な原因がある場

を除いては、何となく~、漠然と抱く理由なき感情だ

 

性(しょう)が合わない~といわれるが、その性とは

何なのだろう?

たぶん、相手のエゴ意識をさすのかもしれない。

相手の性分の何かが、何とも気になってカチンとくるのだ。

それも、結局は、自分の中に そのカチンとくる要素と

同質のものがあるからこそ、相手の中のそれを見出す

ことができる仕組みになっている。

同じ周波数の波動を持っているからこそ、自分の内部で、

共振する。

そのカチンとくる性分は、自分自身の中にあって、

自分に対しても許せない

からこそ、 今更、相手からも見せつけられたくない

という想いになるのかもしれない。

 

こうして考えれば、相手の嫌な面、それが、

自分の気づいていない自分自身のエゴの投影

あるかもしれないと気づけば、相手を責める前に

自分を見つめるという謙虚さが生まれる。

さらに、他の誰かにも同じような想いを 

気づかないうちに、させていたかも

しれないと省みる余裕が出てくるだろう。

 

エゴ意識はこう考えてみると、自他ともにとって、

決して意味のないものではなさそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

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