自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

真のセルフは、合気道でも、心療内科でも、創始者の悟りの前では同意語

2024年07月24日 | 自然治癒力(生命力)セラピーの本質

合気道創始者-植芝氏の禊(みそぎ)と池見博士の”真のセルフ”
2024年7月23日
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以下 2023年1月9日の記事の再校です;

昭和34年1月15日、鏡開きの日に合気道本部道場で

植芝氏は、次のような話を遺している。

その筆記があるのでご紹介していきたい。

ここには禊(みそぎ)と合気道の関係性が語られている。
*************************

“合気道とは宇宙内をことごとく、禊(みそ)ぎ、
森羅万象の罪障、邪気邪念を祓い清め処理する
ところの大道であります。

ここに”禊”(みそぎ)という言葉が出てくる。

浄化するという意味だとすれば、合気道は世界の
邪気邪念を浄化する手段だと、いう。

合気道は武道の一つだけではない。

世界、ひいては、宇宙の浄化を促進する手段なのだ。

合気道創始者の植芝氏の言葉はさらに続く:

”合気の道は愛を守る道であります。 

愛なくば、この世の一切は成り立たないのです。

ゆえに合気の真の働きがなければ、この世はつぶれる
と私は信じているのであります。


“合気とは宇宙の中心にたって、漂える世を建ち直す
役目を持っているところの一つの道です。

自己をみそぎ、人を国を宇宙をみそぎ、神の名によって、
進むのであります。”
 

宇宙の中心 宇宙をみそぐ、そして、神の名によって、
つまり、大調和で大平和の 神 の世を顕現するために
すすむと、言う。


ところで、植芝氏流にいうのなら、

病とはどこから生じるのか?
 
植芝氏の考え方を借りれば、禊(みそぎ)が不十分だから
となるだろう。

禊が不十分だと、生命力が隠される

病気は、生命力が十分発揮されていない状態なら
病気とは、生命力の隠ぺいが原因だといえるだろう


隠ぺいすることは、包み隠すこと、

だから、その状態を別言葉で、罪(つみ~つつむ)
ともいう。

罪つくり とは、禊(みそぎ)で、浄化されない
暗黒の嘘の自分(”小我”)が、真の自我(大我)を、
隠蔽(いんぺいしたときの行為のこと。

言霊的にもそういえるだろう。

禊(みそぎ)して、その罪穢れを祓えば、罪という、
’つつまれた’暗黒は 浄化されて、光に変わる。


冒頭の引用文の中にあるように、植芝氏は、禊(みそぎ)
の大切さ、自分を清めることで回りが清まっていき、
しいては、世間の穢れを落とすことができる
述べている。

ある意味、とても宗教的な雰囲気のある言葉にも聞こえる。

が、植芝翁はこう語る。

“私の合気は、宗教から出てきたのかというと
そうではない。 

真の武産(たけむす)から、宗教を照らすのです。 
未完の宗教を完成へと、導く案内でもあります
。”


“そのために、大地のけがれ、地球上における今までの
誤った武によってなされた戦争やけがれ、また、戦争
によって、亡くなった人々の想念を清めて、大地を
浄め、
人類の浄めを慰霊のために、神の意をもって、
この植芝は合気道を以てするのです。

他の方法でそれをする人々もいるでしょう。“



植芝氏のこの”清める”という言葉と同意の、”禊”の
目的は、”未来の宗教”のため、とも、いう。

世界の浄化とは、戦争や争い、人間の自然に対する
横柄さや傲慢さを、自然と鎮圧していく、ことに
つながっていくのだろう。

その過程における手段として、合気道の本領がある~
と。

“合気道とは、すべてを自己に吸収して、相手もなく
敵もなく、それらはすべて自分の中に吸い込まれて、
自己に同化させてしまう”

“悪を悪として切らず、悪を祓い浄めて、和合してゆく
のが合気道じゃ”


病に対しては、

“病を敵対するものとして対処せず、自分の
心を祓い清めて病を受け入れていく”

そうしていくうちに病が緩和していくとも言う。


どのように、自分の中に一切合切を吸収して自己同化
させられるのか?

そしてそれがいかに、平和に貢献するのか?

次の答えがある。

本当の自分は、“空っぽ”だから、空っぽになればよい
という。

“(本当の自分は)小我で動く想念が無い

としたうえで、

人間の真実は神そのものであるのに、
小我の想い(業や執念)に邪魔されて、その姿を
深く奥に隠しているのです。

そして、小我の想念で常に動いて、迷い迷っている
のが、凡夫なる通常の肉体人間の姿であります。 

その邪魔していた想いがなくなってしまえば、
神そのままが現れてくるのです。”

本当の自分は、神であると、喝破する。

ただ、邪魔している想念をたちきれば、神そのままの、
本来の自分が現れるという。

”通常の肉体人間はいわば、宇宙分の一です。 

分霊分母が宇宙であり、分子の一が肉体人間です。 

ところが 
分母分子に分けている棒(業や執念)
なくなると、分母も分子も宇宙になってしまう
のです。

いいかえれば、
空(くう)になると、今までの
人間観はくるりと逆になります。 

すると
宇宙分の一だった人間が一分の宇宙、即ち
宇宙そのものとなるのです。“


ここにいたって、禊(みそぎ)の本当の意味がわかる


つまり、私たちの本質は、神であるのだから、
小我にくっつく、業(カルマ)やマイナス想念などが、
禊で祓えられれば、ちり芥(あくた)が落とされ、
本来の清らかな自分が現れるのだ。

この姿が未来の宗教の真の目的であると植芝氏は教える。

合気道はそのための手段。

そして、私たちは合気道を学ばなくても、神になる
ための、それぞれの手段を持っている。

その手段を遺憾なく発揮させるためにただ一つ、自分の
中心には、清らかな”神”が座しているという自覚だけが、
あればよい。

その自覚とともに、人はそれぞれの方法で、真の自分を
探り出していく。

心療内科の設立者、池見博士の 真のセルフの探求も、
セルフ・コントロール方法という手段が、その
一つと言えるだろう。

それに関しては、これから、ご紹介していきたいと思う。






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心療内科と宗教

2024年07月17日 | 自然治癒力(生命力)セラピーの本質


池見博士の宗教観と自然治癒力の接点 7月17日(2024年)
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前置き)

池見博士は、私の知る限り、最も尊敬する医師である。

自分の最期は、(一般的な西洋医術では自分は納得できないし)、
(解剖に回されたり警察に引き渡されたりする手間がない
ように)(さらに、家族への説得のために)心身医療に
特化した池見博士のような医師にご協力いただいて、
自宅で静かに息をひきとれたら理想的だ思っている

創立者の池見博士のような、極めて、スピリチュアル的
(あえて、この言葉を使うが)で、心理学的な奥深さと
医科的専門知識を兼ね備えた、達人を、私は知らない。

***********************

池見博士はご自身の宗教観に関して、次のように
書いている:①

”私のいわゆる宗教は、自然(宇宙)と、自然の中のあらゆる
存在者、人間社会とすべての個人をあらしめ、個を貫いて
全体に及ぶ生きた秩序への気づきを深め、それをふまえての
自己実現ないし、セルフコントロールを促す’道’ということに
なる。

また、私にとって、’宗教的な生き方’ とは、このような全体的
秩序への限りない、謙虚さと信頼を、日々に培ってゆく
生活態度のことである”

もう少し、上の博士の言葉を砕いて読んでみたい。

宗教には、神や仏がつきものだが、博士にとっては、それは
”全体に及ぶ生きた秩序”をさした。

この秩序は、大自然の営みに、そして、そこでの生きとし
生けるものすべてに貫かれている、”生きた秩序”、つまり、
”生命力とその働き”をさしているように思う。

自然治癒力セラピー協会の、セラピーを可能にする本源は、
博士のいう生きている秩序、つまり、”健康を保つため、
身体にそなわった本来の秩序ある機能”にある。

それは、生きとし生けるものすべてに流れている“個を超えた”、
生命力 にほかならない。

自然治癒力セラピー協会では、これをとことん信頼する。
そのとき、自然と、意識波動が、高まっていく。
最終的には、宇宙意思(大生命力)の波動とつながり、
そのときに、病という不完全さが 自然治癒というかたちで、
消えて本来の健全な姿が現れると考えている。


池見博士は こうしたことをふまえたうえで、
”自己実現ないし、セルフコントロールを促す’道’”を 
ご自身の宗教と定義した。

宗教といえるには、現実にそれが応用されて、活かされ、
生活や健康が、健全に豊かにならなければ、意味がないのだ。

頭でっかちの、独りよがり的な、観念的な”宗教”は、排斥
(はいせき)を呼ぶだろう。

その正義のもとに、暴挙が行われ、信徒から多大な寄付を
要求して、社会悪と呼ばれる種を撒く結果にもなるだろう。

現実に即して、生きた、意味のあるものでなければ、
宗教 とは本来、呼べないものだと思う。

池見博士は、こうしてセルフコントロールをもって 
博士の宗教の定義である、”道”を確立した

では、セルフコントロールとは、どういうものか?
次回から数回にわたって、みていきたい。



 ”セルフ・コントロールの医学” 池見酉次郎s・57年9月1日 
日本放送出版協会





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本当の自分 を知るの、総まとめ

2024年06月28日 | 自然治癒力(生命力)セラピーの本質
本当の自分につながる波動から平和を志向して
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物質を構成する原子は素粒子でできていること。
 
素粒子は巨大な空のスペースをぐるぐる回っていて、
意思伝達を兼ね備えた場を作っている。
前前回のブログ内容でした。

ところが、私たちの感覚世界では、そうしたことは、
まったくわからない・・、

むしろ、感覚器官は、身の回りのエネルギー体
を翻訳機にかけて、提供してくれます。

色や音などに変換されるのです。
光の波長は、色として識別できることは、良く知られて
いますが、本質の”波動体”は、絶対、肉眼には察知
されません。

私たちの想いも考えも、念も、祈りも心の動きも、この波動体の
エネルギーです。

波動体であるということは、物質的ではないので、どこにでも、
時間空間の限定を受けずに、飛んでいくことができます。

宇宙のかなたにも瞬時に届くほどの、エネルギー体です。
だからこそ、幸せになるためには、このエネルギーを自覚して、
よりよい方向に利用することだと思うのです。

よりよい方向というのは、良いエネルギー体を出し続けていれば、
それに見合うエネルギーをもっている想いが引き寄せられる
でしょう。

それに見合うエネルギーの想いが引き寄せられるというのは、
そうした想いを発信している”人”が近づくということです。

あるいは、そうした”想い”を込められて、創造された”製品”
や”産物”が 与えられるということです 

さらに、これが一番、肝心なことなのですが、確信に満ちた
善き想念は、静かに、周りの人を変えていきます。

理屈抜きに、言葉の説得ぬきに、人を変えます。

なぜなら、誰にでもアートマ(Atma)の波動が、魂に、
人として存在したときから 流れているからです。

それは、純粋な、波動です。

ある人が、その波動を常に、安定して、放出しているのなら、
それを回りの人たちの、アートマに、共鳴を起こさせることが
できるのです。

これがアートマセラピーを可能にしている、基本でもあるの
ですが、その波動によって、物質の他、健康や笑顔まで、
引きだすことができます。

本来の誰でも、健康体で幸せであるのが、普通の状態だから
です。

理屈は、その”アートマの共鳴場”には歯が立ちません。

そこにあるのは、ただ善き想念と、その波動数に振幅して
共鳴する宇宙創造物の本来の波動の合奏しかありません。

この共鳴が、少しずつ、広がって行けば、これが、きっと、
地球を平和にしていく、”最大の手段”でもあるのだと、
思うのです。

****************



 

 
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寝る前にすれば、必ず寝つきが良くなる心身リラックス方法

2023年08月27日 | 自然治癒力(生命力)セラピーの本質

自分で自分に”気を流す”、第一段階のお話
******************************************

前回までの続きを、是非 ご覧になってから
本日の話題をお読みくださると、流れが
わかり、ご理解が深まり、自己活用がしやすい
かと思います。


前回は、池見酉次郎博士の提唱した、心身をリラックス
とための暗示訓練をご紹介しました。
今日、ご紹介するのは、私どものセラピー協会で行って
いるもので、心療内科とは直接の関係はないことを、
お断りしておきます。

前回見たように、最初の第一段階の暗示、もしくは、
第二段階の暗示をかけると、訓練を積めば、容易に、身体
はその暗示通り、”重く”感じたり、”温かく”感じたりする
のは、私自身、体験済みです。 

ここまで集中力が強化したらメンタルのリラックス、暗示法
は、容易なものに感じることでしょう。

“わたしの体は今リラックスしてくる。” 
と、頭部、頸部、肩、胸、腹、臀部、腿、脹脛、足 
徐々に下に向かいながら、かけていくだけです。
その時の要点は以下です:

① 身体に、余計な力が入っていないかどうか
確かめながら、行う。
それには、一度、その箇所に力を意識で、入れてから、
ふっと、それを抜くことを、何回か行うと効果的です。

頭や首などは、なかなか、力をいれたり抜いたりする
意識は、難しいですが、四肢は、容易です。
筋肉に力をいれて、次に、ダランと、力を抜けば
リラックスしている状態です。

②起きている時より、体を横たえた姿勢のほうが、筋肉
への負荷が無いので、力をいれたり、抜いたりの感覚は
よりはっきりと、得られると思います。

③ 頭部、頸部、肩、胸、腹、臀部、腿、脹脛、足
の順序で①が終わったら(およそ、10分を目安)、次に
自分の、利き手の手のひらを 各部位に当てていきます。
(一つの部位に、およそ、3分前後)
こうすると、自動的に、気が流れていきます。
人体には、もともと、電気が流れています。
”私は、これから、この手のひらを使って、各部位に、
気を流す。”と、明確に宣言してからされると、より
効果的です。

④効果を期待せずに行ってください。
というのも、確実に流れ始めているのですから、
”考える”ことより、静かに、①で得た、リラックスの
状態(力が入っていない)が保たれているという感覚
をチェックしながら、集中して 手をあててください。

これだけです。
人によって、効果を感じる回数は、まちまちですが、
あくびがでてきたり、内臓から、’ぐうー’とグル音が
聞こえてきたり、ガスが腸内で動く感じがしたり、
オナラや、ゲップとして、体外に、それが排出される
場合もあります。

根気よく、ぜひ、お試しあれ・・・
寝る前に行うと、よく眠れること、90%の確立です。
一日の疲れを、その日のうちに取る・・ストレスの
解消につながります。

以上が、’気を流す’方法の、簡単な、はじめのステップ
となります。
次第に回を重ねていくうちに、自分で流している気の
流れが、身体のどこに、どう、反映されているか
わかるようになってきます。
そうなったら、しめたもの・・・
何故なら、自分で自分の身体をリラックスさせるだけ
ではなく、未病の発病予防や、具合が悪い部位の自然治癒
に、繫がってくるからです。

気の流れを意識することは、”自然治癒力”を自覚できる
とても、身近で簡単な方法なのですから・・・



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自己セラピーの具体的方法

2023年07月22日 | 自然治癒力(生命力)セラピーの本質


2023/7/13の記事をもとにして
********************************************
前回、発表した記事に具体的な方法がわからないという
感想を身近な読者の方たちから、頂いています。
今日は、もう一度、記事を基に、付け加えさせていただき
ます。

まず、自己セラピー とは何か?
これは、私が行っている、自然治癒力を発揮させるための、
セラピーを”自分で行う”ことです。
それは、具体的には、ツボと呼ばれる、箇所に順に手から
出る、波動を被施術者の身体に流しながら、気の流れを
整えて自然治癒力の動きを活発にせしめるものです。

まず、①”心を整える”、つまり、アートマセラピーをする際の、
心構えをはじめにあげました。

ア)身体と心の 密接な相互関係の理解、
イ)身体に備わっている自然治癒力への信頼。

ア)は、私たちの身体と心は、互いに影響を与えている、という
より、心の想いのエネルギーが身体を作っているという、もっと、
積極的な意味です。
イ)は、誰にでも、”自然治癒力”が生まれながらに、備わっている
いう事実を、信じることです。 

この自然治癒力の源を、私は、”アートマ”というサンスクリット語
呼んできました。
実相、仏性、神性、などなど、すべて、同意語です。
この、ご自身の中の、生きている~生かされている大元のエネルギー、
アートマ(神性、仏性)に、施術中は、しっかりと、心の目をむけると
いうことです。

なぜなら、セラピー(自己セラピーも含む)をするということは、自己
アートマ”を もっと、現象界(身体の上に)表すために、施術を
して、”引き出す”ということでもあるからです。

そのことを、強調したかったので、前回のブログ記事には、次の必要
心構えの項目に
②アートマ(実相)に心の眼を向ける=’アートマに目を向ける’と
念押ししています。

とはいっても、これは、簡単なことではありません。
現在、身体が不調のときに、”自分の健全なエネルギー”に、意識を
もって いくことは、喉を詰まらせていて苦しいときに、自然治癒力
の発動を待つということぐらい、矛盾しています。
救急患者に対しては、取り急ぎ、救急手当が必要でしょう。
そのうえで、それが癒されていくという過程に、ぜひ、自己実相
(アートマ)に視点を置きながら、自己セラピーをされると、早く、
身体の回復が期待できるかと思います。

さらに、ヒトは、誰でも、不安や、悩みやわだかまりといった思い
が、心をよぎることで、心が落ち着かず、自分の自然治癒力の源
まで、集中することは難しいでしょう。

そういう時は、禅寺の瞑想のように、そうした想いの波を、雲の
流れを見ている時のように、内観しながら、自然と、通り過ぎる
のを、見守るのが、一番、効果的のようです。

心はいつも、おしゃべりをしています。
ペチャクチャという雑音に、耳を貸しているようで、聞き流しながら、
ただ大空の雲が通り過ぎで、その背後の光に、心の眼を当てて見つめ
ているという感覚が、一番、とらわれないで、自分の本源にぶれずに、
近づくようです。

こうして、もう一つの眼が、自分の奥底にある、自然治癒力の
エネルギーに注がれていれば、必ず、自然治癒力が発揮されるように
なります。

さらに、ご自分のアートマを深く自覚しようとする努力を重ねていけ
ば、、他者から、施術を受ける必要なく、自己セラピーが可能に
なっていくでしょう。

何故なら、その時、自分が自然と手当しようと 気を流した部位は、
一番,自然治癒力の発現に、適切なところとわかるでしょう。
直観と実感でそうなります。

どういうことかといえば、その時は、ただ、自分の感じるままに、
相手(自己)の体に手当の手を置いただけで、文字通り、必要な
ところに当たり、気の流れが活発化して、免疫力や内臓の動きが、
自発的に、活発化されていくでしょう。

”平常心” 

このように、自分の自然治癒力の底力を信じれるようになると、
どんな症状に対しても平常心で対応できるはずです。

その理由が以下です。
病気とか、身体の不具合は、一時的な現象だと、生命力を信じて
いる施術者は知っています。

良くなった・悪くなったと心を動かすのは、症状が治まったか、
また、出て来たかということに、一喜一憂することです。

でも、自然治癒力が発動していれば、症状が悪くなるように見えても、
良くなる前の、カタルシスだと、とらえます
私たちの身体は、文字通り、健康でも、毎秒、破壊と新生を繰り返
しているのです

特に、悪い箇所の原因は、様々な身体内の、叡智のメカニズムで、
いち早く身体外に出そうと、痛みや、吐き気、げっぷや、下痢など
症状と共に、排出されていきます。

この時には痛みや症状が伴い 不安になりがちですが、自己カタル
シス(悪いものの崩壊運動)と、考えると、むしろ、排出されて
いくことに、安堵することが多いのです。

症状は一種の破壊です。 
膿でも熱でも、痰や咳、発熱などは、悪いものが破壊されるために、
出てくるのです。
”破壊された部分に、新しい組織(細胞)が建設され(造られる)” 
時にも、痛みを伴いますので、 症状が悪化したと思うことが
多いようです。
  
この体に備わっている、自然の働き(治癒力)を理解すれば、症状
に対しての、恐れがなくなる。

病気の悪化の原因は、ほとんど、症状への恐れと、病気と闘おう
する、心の取り組み方そうさせている場合が多いのです。  
ただし、これは、私がいつもクライアントさんに、申し上げますが、
生命力を信じるという前提のもとでの話です。

どれだけ信じているか?
アートマへの適格な凝視がどの位の時間可能か?

もし、不安が勝つようでしたら、直ちに、別の手段を講じるのが
適切だと考えています。
心と身体は、一体、ですから、不安が勝つと、むしろ、自然治癒力
発動するところか、身体に害を及ぼすからです。

④ 身体左右のバランス

さて、ここでは、施術した際に、効果があがると、平行して、
反応が、施術者にも、被施術者にも、出ることが多々あります。
’反応’というのは、先に書いたように、良くなるための、身体の
調節器官によって出てくる症状のことです

先にも書きましたが、微熱や下痢、腹痛や頭痛などの、症状的現象
として出てくることが多いようです。

過度な場合は、嘔吐なども伴ない、苦しみを倍増させてしまい、
かえって、恐怖心を呼び起こして、逆効果となってしまいます。
そのために、なるべく反応を少なくしたい・・・そのために、
身体をほぐすときには、左右のバランスを考える必要が出てきます。

具体的には、身体の左(腕や肩、足など)が重くて悪いから、
いって、そこだけ、重点的にするのではなく、対照的な右の部位
(左手に対して右手)にも、施術(手を当てて)アートマエネルギー
を注入していくことを、お薦めしています。
 
⑤施術する側の、アートマ想念が、相手のアートマ想念を引き
付けることを理解

自分の、アートマと同波長の心で、相手(被施術者)に手当を
するとき、相手の気の流れが引き上げられる効果があります。
これは最初に書いた①と同じことです。
この⑤の基本的な心の持ち方を、第一義に置くことで、自然治癒力
の効能が 発揮されることは、同じ波数が同じ波動を引き出すと
いうことと同じです。




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