行動が波動を作る・・・11月4日(月)
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今日は、11月1日の内容の続きで、ヴァイブレーションに
関しての内容は、(3)となります。
心がヴァイブレーションを生むようです。
(脳は?となると、感情は、直接は心の諸産物といわれるので)、
心が根源と考えます。
では、その”揺れの種類”はという話になります。
揺れは幾種類もあるように見えますが、根源の感情は
たった、二つのみです。
”愛と恐怖” です。
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恐怖の反対は、安心と考えますが、安心はどこから来るか?
といえば、”愛”です。
愛は、嵐の海に、舟を止めておくための、錨(いかり)
の役目をしますから、どんな状況でも、心は、どこかで、
落ち着いていられます。
愛は、難しく考えなくても、簡単に表現できるはずです。
それは、誰でも持っているし、自覚するかどうか、だけの
違いです。
愛は、受けるものでは無く、与えるものだからです。
頼ったり、懇願したりして、得られるものではなく、自分から
率先して、相手に与えようとすれば、たとえ、笑顔ひとつでも、
それは 愛 の表現です。
そうこうしていれば、常に、愛 を持ち続けることは可能です。
それが、’恐怖’に対して、対抗する大きな力になりうるか、は、
愛を自覚していれば、理解できることでしょう。
愛の反対は、憎しみでは?と考えますが、憎しみは”恐怖”から
きます。
誰かから受けた言動が、憎しみのきっかけになる場合、
それは、相手を失う事への恐怖
急に変わったように見える相手への恐怖、
安定していたこれまでの関係の心のバランスを崩される
ことへの 恐怖
などが根底にあるからでしょう。
悲しみは?
愛と恐怖しかないといわても、悲しみだって、大きな
感情の波と誰もが思います。
でも、結局、それは、”愛の不足感”から来ます。
一番の悲しみは、愛する人が逝ってしまうこと
でしょう。
その時、’死は表面的な次元の移行で、いつも、
その人の魂は、自分と共にある’という、互いの愛の確信が
あれば、 ’いつかあの世で会いましょう’と笑顔で語り掛ける
ことも可能でしょう。
悲しんでいては、亡き人は、あちらで、喜んでいないと
笑顔で、思い出してあげれば、その亡き人への最高の
”愛”の表現だと感じます。
苦しみは?
愛も恐怖も のどちらか?、その関係性はないように
思えますが、それは、”恐怖”からきます。
同じ状況の中で、ある人は、”苦しい”と感じ、ある人は、
”挑戦し甲斐がある”と、とらえるのは何故でしょう?
苦しいと感じる反対には、それに連想させる、何らかの
恐怖心があるからです。
丁度、注射が怖いと泣く園児が、 打たれる直前に
’痛いのを味わう’という恐怖感に似ています。
過去にそれに似た体験や、苦しさを思い出したとき、
恐怖感の大きさと並行して、苦しいという思いが強く
なるのではないでしょうか。
しかし、どんなに、苦しい場面でも、”愛”があれば、
思ったより、楽に、それを乗り越えられるはずです。
愛する誰かのために受ける苦労が 良い例です。
傍目で どんなに、’苦しそう’に見えていても 本人は、
その行為の中に、’喜び’すら感じているかもしれません。
愛に傾いているか?
恐怖に傾いているか?
心のシーソーは、今、その、どちらかに傾いて
いるはずです。
今の私は、どちらの割合このシーソーゲームをして
いるのか?
と、
私は、瞬間瞬間、心を見つめるよう、努力してますが
’恐怖’の連鎖は、強いので、難しい時が多々あります。
前回書いた、大衆意識に自分の心が寄り添ってしまうと、
”恐怖”に傾いていくことが多いようです。
厳密に言えば、怖い というより、何か、虚しさや、うつ的
などんよりした重い感情が、心に雲のように、覆っていくので
わかります。
あ、これは、よその人達の’恐怖感’の塊(かたまり)に、影響を
受けているかもしれないと感じたら
意識的に、愛の比重を足すようにします。
恐怖側の傾きが大きくなり、足が地につかなく
(新たな行動さえ億劫で起こせなく)なる前に、何とか、
愛側のシーソーの方に、意識をもっていくわけです。
意識を持っていくだけでなく、思いつく、何らかの
愛の行動を起こそうとします。
私の場合は、それでも、効き目がないときは、
身の回りの場所の、掃除を始めます。
掃除機をかけ、拭き掃除を終えるころには、
部屋の空気が一掃されるのと同時に、心も何か
軽くなります。
すると、自然と、新しい次の”愛”の行動へのヒントが
見つかることが多いものです
たとえば、誰かに喜んでもらえそうなことを
考える・・
これは、良い言葉を、身近な人に、かけたり、
笑顔で対応するだけでも、相手の心が和むことで
こちらも、共有できる、愛の表現の一つでしょう。
よく、天気が悪いから とか、気圧が変化するから、
今朝から気分が冴えない という人がいます。
それも一理はあるかもしれませんが、大体は、そんな日に
は、外からの、エネルギーに感化されやすいか
しれません。
こんな時は、自分に優しく、他人にも優しく、
自分が喜ぶこと、他人に喜んでもらえることを、
できるところから、見つけて、実行してみること
でしょう。
”波動は現実を作る” ということが真なら、逆さも真です。
”行動は、波動を作る” ということです。
愛の行動は、自然と愛の波動を広げて、それが共鳴して
さらに、幾重にも、広がっていくことで、自分の心も、
いつの間にか、晴れやかに、嬉しくなって
いく・・ようです。
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