自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

好きなことをしたいけど~罪悪感とどう向き合う?

2016年02月05日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

運命をある程度察知していたはず  201625

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以前ブログで、人は自分で両親を選択して生まれて来るということを書いた。

死んだ時 一生の善悪の実を秤にかけられて、それに見合った、環境の候補が

提示され、選んで生まれて来るということ。

その際の選定基準は魂が、その生で果たせなかった“何か”に挑戦しやすいか

どうかということを、親や育児環境、生活水準など背景が加担してくれそう

なところで折り合いをつけるらしい。


それでは運命はある程度決められていることになるのだろうと誰かに聞かれた。

確かに、そうだが、でも、生まれてきたときに明らかなのは、大まかなプロット、

筋書きだけで、大道具や小道具、登場人物を設定してくるものの、その展開は

本人の新しい人生の中で造られていく要素が大きいということらしい。

 創造、これが 生きているうえでの証になる。

女性なら家庭を作り上げ、男性は仕事や社会的な足跡が創造物になるだろう。

芸術家は作品が残り、文士は小説の中の世界を作り上げる。

一方、先回のブログで見たように、マイナスの創造、失うモノ、人、金、健康や

命を体験する場合もある。

プラスの創造、マイナスの創造、この違いは何処から来るのだろうか?

創造とは、私たちが意図したとおりに造られるようには思えない。

こんなはずではなかったのに~と思うことはよくあった。

が、賢人は言う。 すべての環境、状況、遭遇する事件、人、物質的な豊かさ

健康まで、もろもろは、“わたし達の創造物で私たちに全面的責任がある”と。

私は、今でも金銭的なことの話題には疎い。

セラピーを2時間しても、3時間続けて行っても、ビジネスのように割り切って、

計算できない。

癒すことはできればチャリティーで行えれば、さぞかし心が楽だろうと思う。

これは逆に、金銭へのこだわり がそうさせていると誰かに指摘された。

どんな人でも金銭が少ないより、多い方が気分が良い。

誰でも給料が良い方へ転職するのは、皆、お金が好きなのだと言われた。

こういう感覚は宗教家とか、慈善家とかにみられるらしい。

善い人でいたいから、金儲けのような金銭問題とは一線を画していたい、

物欲に無欲であるということを強調したいのだろう・・と。

一方では、金は天下のまわりもの。 執着なしに、人のために出していると、

いつかは自分のもとに利子がついて戻ってくるものだという人もいる。

それは本当だろう。

金銭のみならず、普通の欲求が何故か罪意識とともに感じられるのは何故

なのだろう?

賢人は指摘する。

“古くは神学のせい、原罪を持って生まれた人間は、神に赦されるべき存在

である。罪深いのだ。”

という教えを受け入れてきた群衆意識の大きさ、代々それが伝わってきた

ためだと。

原罪というのは、アダムとイヴが楽園を追い出された聖書の話に出てくる。

イヴが蛇にそそのかされて、智慧の木の実を食べ、裸でいることが恥ずかしい

という羞恥心を持つようになる。

それは神に禁じられていた事だったが破ったことによって、楽園を追放される。

女は産みの苦しみを味わってそれから出産するようになった。 

裸でいることは恥ずかしい、セックスは恥ずべきこと、秘密の園に隠すべき

こと・・・こうして 健康な発育を遂げ成熟した青年男女たちが持つ性欲は

どこかでうしろめたさを残す、欲望とされ、

その他、物質的な欲望は執着のもととして スピリチュアルな生活を送り

たいという一方の心の領域から外されてきた。

ここでいう神学とは、西欧社会を凌駕したキリスト教文化の礎になる聖書

の解釈をさしている。

 

こうした原罪意識、罪、神からの罰、本来、そのようなものはないのに、

あるように洗脳されたのだとしたら、キリスト教の宗教組織の戦略だった

かもしれない。その反対に、(真実を述べて)

“あなたは神の似姿として造られたのだから、本来 罪もなく、贖罪すべき

ことは何もないのです。

あなた自身、人生を神があなたを創造したのと同様に、彩り、形作って

いくのです。 

さあ、好きなように始めてごらん。

あなたの魂が満足するように・・・“

と言われたら、教会へいって、懺悔(ざんげ)する人は激減するに違いない。

恐怖を与える~これは、支配する際の大きな武器であることは、政治の世界

でも宗教世界でもあまり、変わりないらしい。

罪と罰、飴と鞭、こうして、一つの価値観が組み込まれ、性、物欲、などの

ゆがんだ鏡が心にはめ込まれたというわけだ。

 

コメント
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