神と宗教とは関係ないし、自分の中にいる神とは
自然な生命発露のことなので・・・2024/12/08
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昨日 挙げた記事は、少し不親切でした。
というのも、言葉不足であった・・かもしれない
のです。
少し、足させていただきます。
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① ”自由”なら、束縛からも、解き放たれているはずだ
から、 病の原因を作るはずはない。
~ここでは、心的原因を言っています。
心的原因は、物理的原因と、少し、次元が異なります。
物理的要因は、それを、物理的に是正することが
できるけれど、心的原因は、眼に見えません。
心的要因と病気の原因が、関係している、と思う人
も、どちらかというと、少数派ではないでしょうか?
ですが、私は、心的要因こそ、病の大きな誘発剤で
あると思っています。
全て物理的に、同じ状況下で、風邪をひく人と
そうでない人がいるのなら、それは、”心”の中
にある、”何か”が、そうさせているのだと
思うからです。
②”自由を求める人にとって、行動することは進歩する
ことだと言われている。
心を浄化することが、神を心に抱くための向上手段であり、
それを確実に助ける。”
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~ここでは、自由を得たいために、人は行動を起こします。
が、行動することより、もっと、自由を得るために
効果的手段があることを このパラグラフでは伝えて
います。
それは、つまり、”神を心にいだく” ために、”心を浄化する”
ということです。
神というと、反射的に毛嫌いしたり、心を閉ざす方たちも
いると思います。
ここでいう神とは、宗教的に言う、神 とは違います。
宗教は、組織です。
でも、この神は、組織と無縁の、個人的な一人ひとりの
心身を統一している、”何か”なのです。
その存在に気が付くことで、心身は浄化されます。
浄化されれば、エネルギーが変ります。
異次元化すれば、そのエネルギーにふさわしい、振動を
もつ、モノや事や、人 が現れてくる・・
もちろん、小さな自分の、ぎすぎすした執着や怒りや
恐れからも、少しずつ解放されていくはずです。
逆もまた真なり。
浄化を心がけることで、自然と、ここでいう、”神”は
自分の中に、自分の考えに、行動に、生体システムに
現われてきます。
③行動に束縛されず、持てる欲望を捨てられたとき、
彼は内なる神と一体感を味わい始める。(6-3-4)”
②の状態が進行していけば それだけ、
エゴ所属の肉体感覚の判断や、誘惑、などの精神的
作用を 客観視できていきます。
その代わりに 自分自身の中にある、神との一体感
が増してくることを言っているパラグラフです。
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ただし、最後に。
そうはいっても、労苦に面している時、物理的にまず、
手段を考えることが 先決です。
ここでは、それと同時に、自分自身の心の中を
よく、見続けていて欲しい、という、メッセージでも
あります。
どちらか一つでも、現実的ではありません。
自転車が二つの車輪で動くように、地球に生きている
私たちには、二つの手段と要領が必要です。
つまり、
現実の物理的手段〈二次元的)と、クリシュナが
いうような、心の神(一次元的)を見つける方法です。
が、後者の車輪は、自分自身が意識をもっていかない
限り、修理することは不可能です。
自分自身でしか、どこの工場や、技術者でも、不可能
であるということ・・・
でも、こちらの車輪が健全であれば、物理的車輪が
ダメになっても、一輪車(サーカスなどで見かける)
として、人は、それを活用して乗りこなせて、自由
を味わえる・・そのために、’心の浄化’が
大きな役目を持っているということだと
クリシュナはいっているのでしょう。