病になるのは、菌のせいか、身体のせいか?? 2022 年12/10
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コロナにかかっても、軽症な人、重篤になる人が
いるのは、何故でしょうか?
今年7月、夫のマンツーマンでコロナ介護中、
私もコロナを発症。
重篤にはならないまでも、長引きました。
”あなたは、介護で寝不足が続いていたから、
ストレスのために、症状が長引いたのよ”と、
友人の感想。
確かに、今現在、こうして、帯状疱疹が右手から
始まり、まだ完治しないうちに、首や左手などに、
出てきて治りきらないのは、免疫力が、低くなって
いるのだなあという実感があります。
私の、この帯状疱疹について、コロナワクチンの
スパイクタンパク質の、シェディングに似ていると
いう友人もいました。
そのシェディングも、その症状が出るかどうかは、
人によるという類(たぐい)なので、結局は、症状(病)
が出るかどうかは、その人の免疫力の強弱が、キーなの
かもしれません。
免疫力とは、簡単にいえば、肉体の中にいるウイルス
などの悪玉菌に対しての、抵抗力の強さといえるで
しょう。
私たちの身体には、コロナ菌とか、カビとか、ウイルス
とか、腹の虫とか、微生物が入り込み、住み着いている
のは周知の事実。
大方の病気の根源は、その菌が、普段は、調和とれた中
でおとなしくしていたのが、何らかの理由で、悪玉菌と
変化し、増えて病気になる・・と、考えられ、その説は
パスツール博士が初めて理論的に唱えました。
一方で、病は、微生物が直接の原因ではなく、その宿主
(微生物を宿しているヒト)の健康・精神状態が、
大きな要因だとする説もあります。
ペシャン博士が、パスツール博士の意見に抗う形で
発表しました。
菌をむやみに敵対視して、退治(ワクチンなどで)する
前に、土壌(身体)を健全にすれば、病気にはならない
という考え方です。
私たちは、コロナワクチンを打つ際に、この二つの意見
を比較しながら、自分で納得する方を摂っているわけです。
’ワクチンの副作用のリスクをとって、菌を撲滅する’ か、
’身体の免疫力を高めて、自然治癒力で対抗できる’方を選ぶ
か・・・?
自然治癒力的に考えると、細菌やウイルス、カビなどは、
自然界に存在しているものなので、たとえ感染しても、
健康体の自然治癒力(’殺菌作用’)が正常に働けば、
発病することは稀であると、考えます。
しかも、ワクチンを打たなくても、その菌に対する
’免疫’は生成されるという、不可思議な生命力の持つ、
生理作用に対する信頼があるから、自然に蓄えられた
免疫力を信じます。
いいかえれば、病気になるのは、菌の力というよりは、
細菌を持つ、宿主の状態に原因があると、ペシャン博士
の考え方に同意します。
それは、現代病の一つ、’癌’の細胞にたいしても同様で、
正常な細胞が何らかの原因によって、突然、癌細胞に
変化する理由は、正常な細胞に、正常ではない”歪み”が
できたからだと考えます。
仮に、ある種のウイルスが、癌の原因だとしても、
前述のように、健全な生体には、殺菌し、ウイルスを
無害と化したり、免疫作用が働いて、発病しないように
自然療能力が発揮されているので、癌にかかりやすい人
とそうでない人という区別が生まれるのかもしれません。
また、’免疫異常説’にしても、元来、生体の免疫力は
正常に営まれているのですから、これが異常となるには、
免疫異常を起こすような、それ以前の 原因がなければ
なりません。
世界中の学者がそれを探っていますが、まだ、その真
の原因はわからないようです。
癌の免疫学的、生化学的研究など肉体医学の研究は、
あくまでも、現象面にあらわれた異常や中間代謝の異常、
つまり、結果に対する研究になっているからです。
そのため、一番奥深いところにある、その異常を起こす
原因を探すのは難しいといわれています。
さて、パスツール博士の遺言を皆さん知っていますか?
1895年、彼の死に立ち会った人たちの前で遺した言葉
それが次の言葉です。
本来はフランス語ですが、英語で訳した言葉があります。
”Beehamp was right.The microbe is nothing.
The terrain is everything."
Bechampとは、ペシャン博士のことです。
彼は、
”病気を引き起こすのは、微生物ではない。
微生物の感染後に病気になるかどうかは、私たち
人間の身体の状態である。”と主張した生物学者です。
terrainとは、本来の意味は、地形とか領域ですが、
ここでは、微生物を宿す領域、つまり、宿主をさし、
宿主の健康状態を意味します。
したがって、パスツール博士の、この人生最期に残した
言葉の意味はこうなります:
”私の病原体仮説は間違っていた。細菌を取り巻く
環境が病気を左右するのだ”
この事実は、あまり知られていないようですが、この
博士が残した言葉の意味を、今だからこそ、じっくり
と考えてみたいと思う今日この頃です。