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[ダ・ヴィンチ・コード]映画に揺れる世界、日本と韓国の現象は!

2006年06月02日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!

[ダ・ヴィンチ・コード]映画に揺れる世界、各地の現象は!



 カトリックの「オプス・デイ」から、「話は事実ではない」というただし書きを字幕に挿入するよう要求されたが、フィクションであることを理由に拒否した。



●日 本●本も映画も絶好調


 国外では反発も目立つが、日本ではどこ吹く風。公開と同時に大ヒットし、配給元のソニー・ピクチャーズエンタテインメントによると5月20日の公開から2日間で約93万人を動員、興行収入は約12億8119万円。今年度の開幕興行収入ではトップを記録した。


 邦訳本の売れ行きも絶好調で、同月末現在、単行本と文庫本合わせて1007万部を達成。出版元の角川書店は「驚異的な売れ行き。文庫は毎回100万部ずつ増刷している」とうれしい悲鳴を上げている。


http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2029050/detail?rd
より


【コメント】


「オプス・デイ要求:”事実ではない”というただし書き挿入は、フィクションであることを理由に拒否された。」


「国外では反発も目立つが、日本では反発など全く無かった。」

「日本では公開と同時に大ヒット」

「公開から2日間で約93万人を動員」

「興行収入は約12億8119万円。今年度の開幕興行収入ではトップを記録」

「邦訳本の売れ行きも絶好調」

「単行本と文庫本合わせて1007万部を達成」

「驚異的な売れ行き。文庫は毎回100万部ずつ増刷とうれしい悲鳴」



 ふむふむ。メモしておこう。



 私は「ダ・ヴィンチ・コードに抗議するべきではない」という理由の一つに「ダ・ヴィンチ・コードの宣伝になるから、じっとおとなしくしていれば良い」と言うのを聞いた。しかし、これでこれが全くのウソであったことが分かった。


 これで、次回、ダ・ヴィンチ・コードに類するものが出たら、私たちは日本で、何も恐れることなく出来る限りの抗議を行うことができる。抗議が宣伝になるという人々の主張はまったく聞くに値しないことが分かった。


 オプス・デイの「事実ではない」というただし書き挿入の要求は、馬鹿にされて無視されただけだった。オスプ・デイ式の「フィクション」ということが分かるようにすれば、人々が私たちの主イエズス・キリストを冒涜し侮辱しても良い、などという主張は全く聞くに値しないことが分かった。

 


●韓国●冷ややかな対応


 因みに、韓国では「韓国キリスト教連合会・映画『ダヴィンチ・コード』特別対策委員会」が同映画の国内公開禁止を要求し仮処分申請を提出したが、ソウル中央地裁・民事捜査部は上映禁止仮処分棄却した。


 韓国でも映画は公開されたが、統一地方選挙とワールド・カップで話題が持ちきりで、ほとんど話題になっていなかった。


 私たちの聖堂のある場所は、朝から夜の9時まで、いろいろな候補者の選挙カーがひっきりなしに来て各自のテーマソングをスピーカーで流し、様々な候補の選挙運動員が十名ほど道の両脇に並び、通行人が通るたびに、「○番の 金△△です。」と一斉に挨拶。アイグー! ノム シックロソ、キドド モッテソヨ! 



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 兄弟姉妹の皆様、ダ・ヴィンチ・コードの冒涜の償いのために多くの祈りをお願いいたします。日本の司教様や教会の指導者の方々のためにお祈りをお願いします。

 天主の御母聖マリアよ、我等のために祈り給え!

 


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ダ・ヴィンチ・コード: イエズス・キリストはマグダラのマリアと結婚していたか?

2006年06月02日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!


ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい


 イエズス・キリストはマグダラのマリアと結婚していたか?


 ダ・ヴィンチ・コードの主張「キリストは妻帯者であった。キリストはマグダラのマリアと結婚していた。キリストは彼女との間に子孫を残した。当時のユダヤ人のメンタリティーではキリストが独身であることは不可能であった。何故なら当時は独身が習慣として禁止されていたからだ。教会はマグダラのマリアを娼婦として作り上げた。それは彼女の高貴な血統の跡を消すためである。」



 歴史の主張「イエズスの結婚に関してはいかなる痕跡も存在していない。聖書はイエズスの結婚について完全に沈黙している。もしもキリストに妻がいたとしたら、この沈黙は全く説明がつかない。キリスト時代のユダヤ人のメンタリティーにおいて、メシアの待望という歴史的文脈の中で自発的に童貞を守る人々が存在していた。イエズスの結婚ということは、歴史的根拠が全く存在しない。」



 イエズス・キリストが結婚していたということは、新約聖書は勿論、古代の文献もそれを語らない。初代教会は、イエズス・キリストの独身を疑ったことが一度もなかった。



 肉体や性を悪と考えるグノーシス主義者らの書いた文献は、イエズスの結婚の可能性についてどう考えていたのか? ダン・ブラウンは、グノーシスの「福音」こそが、新約聖書よりも古い時代に編纂されより信頼に値する、と主張する。しかし歴史的事実は、グノーシスの「福音」は、四福音書よりもずっと後世に書かれたものであり、信頼に全く値しない。しかもグノーシスの「福音」は、キリストがマグダラのマリアと結婚していたというようなことを暗示さえしていない。グノーシス文献の最も古いものにおいては、マグダラのマリアは殆ど登場しない。


 二世紀の「トマスの福音」によると、ペトロはイエズスにマグダラのマリアと距離を置くように求める。ペトロは言う「女は生命に値しない。」 イエズスは答えて言う「見よ、私は彼女を男(人間)とするために保護している。すべて男(人間)となる女が、天主の王国に入るだろう」(ロギオン114)


 クムランの「死海文書」のセクトの共同体は、結婚を放棄することを説教していた。


 マグダラのマリアは二、三世紀の「マリアの福音」「フィリッポの福音」においてのみ重要な役を演じる。それによると、イエズスはマグダラのマリアに特別な啓示を示す。ただしそこではいつも霊的な親しさという描写である。何故なら、グノーシス派は肉体を悪と見ていたので、性や結婚を罪としたからである。グノーシス文献において、確かにマグダラのマリアは、霊的にイエズスと近しい者だったかもしれないが、妻であったとは想定されていない。



 イエズス・キリストがマグダラのマリアと結婚していたという考えは、二〇世紀末に始まった話しである。これはダ・ヴィンチ・コードが取り上げる前に、ある映画で話題になった。この様な考えは、現代のフェミニズム神学、ジェンダーフリーの思潮にマッチし、人生を官能と恋愛とだけしか見ない現代人の「理想」によく受けた。ただしこのような考えは、二,三世紀のグノーシス思想が考えていたことでは全くなかった



 ダン・ブラウンの論理はこうだ。

当時のユダヤ人のメンタリティーでは独身が習慣として禁止されていた。
キリストは、当時のユダヤ人だったからそのメンタリティーに従っていたはずだ。
だから、キリストが独身であることは不可能であった。


 しかしイエズス・キリストは、しばしば当時のユダヤ人の習慣に全くとらわれていなかった。そのためにファリザイ人からは厳しく非難されていた。キリストは、隣人への愛のためなら、自分は安息日の上に立つ、と宣言した。当時のユダヤ人は断食をしていたのに、イエズス・キリストは弟子には断食をさせていなかった。キリストは現行犯で捕まえられた売春婦を石殺しからかばった。キリストは離婚を禁止した。キリストは税吏や罪人とともに食事をした。イエズス・キリストは、当時の習慣から全く自由であった。


 福音書はイエズスのために奉仕する婦人達の存在に言及するが、妻のことを書いていない。ヨハネの福音(4:27)によると、弟子達は、イエズスがある日、サマリアで婦人と二人きりで話しているのを見て、極めて驚いた。イエズス自身、「天の国のために」独身を守ることの素晴らしさを教えた。厳格なファリザイ人であった聖パウロは、自分が独身であると宣言し、皆が自分のように独身を守るようにと勧めている(一コリント7:7)。旧約時代では、預言者エレミアは独身であった。洗者ヨハネもそうであった。



 聖書の主張「マグダラのマリアはイエズスの弟子の女性らの一人である。彼女はイエズス・キリストを深く尊敬し、復活の主日には、最高の敬称である「ラボニ」(尊師)という称号で呼んだ。福音はイエズス・キリストとマグダラのマリアとの結婚関係について全く語らない。ただし新約聖書において、キリストは教会の花婿であり、教会はキリストの花嫁である。それは旧約において、ヤーウェがイスラエルの民の花婿であり、イスラエルの民がヤーウェの花嫁であったことと全く同じ意味においてである。

 マグダラのマリアについて言えば、福音はイエズス・キリストが彼女から七つの悪魔を追い出したと言い、聖伝によればイエズス・キリストの足下でナルドの香油を塗った罪の女が彼女であり、姉妹にマルタ、兄弟にラザロがいる。」



 聖書は、使徒達がユダヤ人を畏れて隠れていたことやイエズス・キリストを裏切ったこと、マグダラのマリアを含めて女性たちだけが(使徒聖ヨハネを例外として)十字架の下に留まったこと、使徒達の間で口論があったこと、など率直に使徒達の弱さを描く。しかしマグダラのマリアと使徒達の間の対立関係については、全く言及がない。


 聖パウロは、イエズスの結婚についてはっきりと書く。キリストは教会の花婿である(エフェゾ5:25-32)。


 イエズス・キリストも自分自身を花婿と例えている。「ほら、花婿が来た!」 ただし救われる民と救う天主との一致という霊的な意味での婚姻関係における、花婿である(マテオ22:1-14、25:1-13)。イエズス・キリストは、旧約のヤーウェとユダヤの民の霊的婚姻関係の契約を取り上げたのだ。(イザヤ54:5,ホセア2:16-19)



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