Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

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古来には、キリスト妻帯説は存在しなかった。これは20世紀になって登場した。

2006年06月06日 | ダ・ヴィンチ・コード、ここがおかしい

アヴェ・マリア!

キリスト妻帯説は、本当に古来からあった考え方か?


 古来には、キリスト妻帯説は存在しなかった。これは20世紀になってようやく登場したものでしかない。


 グノーシスの所謂自称「福音」と言われる、古代異端のトンデモ本の中にも、キリスト妻帯説は存在していない。


 初期のグノーシス文書においては、マグダラのマリアはほとんど登場せず、彼女に言及があるわずかな文書も、彼女をむしろ「男(完全な人間)」として描いている。結婚の話は、全くない。


 「マリアの福音」

 ナグ・ハマディの文書は、自称「福音」という題を持つテキストがあるが、本当の福音ではない。そこにはイエズスに関する一つのエピソードしかない。

「マリアの福音」は、1896年以来、エジプトのカイロの博物館にある。

 そこに載せられているエピソードはこうだ。イエズスが説教した後に、弟子達は説教に出るのを恐れた。そこでマグダラのマリアは「自分の兄弟ら」を励ました。「泣くな。悲しむな。何故なら、主の聖寵はあなたたちを保護するだろうから。むしろ主の偉大さを賛美しよう。何故なら主は私たちを準備し、私たちを男(人間)にして下さったから。」(マグダラのマリアの女性らしさは疑わしい。)


 ペトロはマグダラのマリアに、彼女が主から受けた啓示を教えてくれるように頼む。「主は、彼女をその他の女性よりも愛していた。」(結婚の話は無い。)


 マグダラのマリアは、主から受けた啓示を語る。その内容は、全くくだらないものだ。メッセージは、宇宙空間を遊泳する霊魂が4つの敵の力と論争し、ついに霊魂は「アエオンが沈黙する季節に」休むことが出来るように解放される、というもの。
(訳していてアホらしくなる・・・。)


 そこでアンドレアとペトロが何故、マグダラのマリアのメッセージを信じないのか?と問われる。ペトロはただ嫉妬するだけ。「何故主は、私たちにではなく、たかが一人の女に個人的にこの話しをしたのか? 主は私たちよりも彼女をひいきしたのか?」


 マグダラのマリアはペトロに言う。「私の兄弟、ペトロよ、これを私が自分の心で考えついたと思うのか? 或いは私が主の言葉についてウソを言っていると思うのか?」 すると弟子の一人レヴィが彼女を擁護する。「ペトロよ、おまえはいつも汚い性格を持っている。主は彼女のことをよく知っているに違いない。だから主は彼女を私たちよりも愛するのだ。」


 グノーシス文書では、マグダラのマリアは女性であると言うよりも完全な男(人間)として描かれ、嫌々ながら女性である。イエズスの妻であるとは全く言及がない。(正典の聖福音が、マグダラのマリアの女性らしさを強調するのとは全くの正反対。)



 「トマスの福音」

 グノーシス文書の一つ、トマスのといわれる自称「福音」は、イエズスの生涯を語るものではない。イエズス・キリストの言葉(と主張するもの)を集めたものだ。その中には、シモン・ペトロが弟子達に言う。「マリハム(=マグダラのマリア)が私たちを離れるままにさせよう。何故なら、女は命に値しないからだ。」イエズスは言う。「見よ、私は彼女を男とするために導くだろう。それは彼女もまた、あなたたち他の男らのように似て生きる霊となることが出来るためだ。何故なら、男となる女は誰でも、天の国にはいることが出来るからだ。」


 ここには正典の聖福音にあるような、女性に対する敬意など全くない。


「フィリッポの福音」

 フィリッポの「福音」も本物の福音ではない。その中には次のようなテキストがある。カギ括弧は推定して補ったところっである。「マグダラのマリアは、その連れ(= koinwos)に呼[ばれた]。救[い主は]、マ[グダ]ラの[マ]リアをその他の[すべての]弟子らよりも[愛し]ていた。そしてしばしばその[口]に接吻をした。その他[の弟子ら]は、彼女に言った。あなたは何故私たちよりも彼女を愛するのですか?と。」


 しかし、もしもマグダラのマリアとイエズス・キリストが結婚していたら「あなたは何故私たちよりも彼女を愛するのですか?」と聞くマヌケな弟子達がどこにいるだろうか?? 


 ダン・ブラウンによると「アラマイ語の専門家は皆」"連れ(= koinwos)" という言葉の意味は「妻」という意味であると知っている、と主張する。しかし、フィリッポの福音はアラマイ語で書かれているのではない。実はこれはコプト語で書かれている。コプト語とは、ギリシア文字で書かれたエジプト語のことだ。(「コプト」という言葉の語源は「エジプト」にある。) コプト語を知らない限り、アラマイ語の専門家は、フィリッポの福音の一字一句も理解できないだろう。


 しかも、その同じ文献のすこし先を読むと、男が「妻」(= gyne) と並んで座っているという文章が書いてある。男が"連れ(= koinwos)" と一緒に座っていたのではない。つまりコプト語では、「妻」と「連れ」とは別の言葉であり、マグダラのマリアは、イエズス・キリストの「妻」ではなく単なる「連れ」である、と書いてあるのだ。



 「ヤコボの第二黙示録」


 では何故グノーシス文書によると、イエズスはマグダラのマリアの口に接吻をしたことになっているのか? これはグノーシス文書によると、恵みと啓示の伝達の印であったからだ。


 「ヤコボの第二黙示録」といわれるナグ・ハマディのグノーシス文書によると、イエズスが義人と呼ばれるヤコボに秘密の知識を授ける。ヤコボは言う。「そして主が私に口づけをして私にこう言って教えてくれた。”私の愛するものよ、見よ、私はおまえに天が知らないことを啓示しよう”と。」

 この文章は「マリアの福音」の中の秘密の伝達と全く同じである。グノーシスによれば、口による接吻は「霊的な教えを親密に受けること」の象徴であるといえる。(Karen King The Gospel of Mary of Magdala p.146).



 ナグ・ハマディのグノーシス文書は秘密だった?


 ナグ・ハマディのグノーシス文書は、秘密でも、新しい発見でもない。既に、聖イレネオ(紀元後200年)に論駁していた。



 上のグノーシス専門家によるグノーシス文書の分析については、次を参考にした。


DEFI CULTUREL - Le "feminin sacre" - Commentaires historiographiques sur le DA VINCI CODE - Argumentaires
http://www.deficulturel.net/modules/news/article.php?storyid=40

 

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シャルトルからモンマルトル(パリ)への歩け歩け 聖霊降臨巡礼

2006年06月06日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

アヴェ・マリア!

聖ピオ十世会国際ニュース

★フランス★



シャルトルからモンマルトル(パリ)への歩け歩け 聖霊降臨巡礼
(聖霊降臨の大祝日の前後、6月3日より5日まで3日間の徒歩での巡礼)


2006年の巡礼のテーマは「私たちは皆、宣教者」



 6月3日(土曜日)、シャルトルのカテドラルを出発。照りつける太陽の下、4500名が歩き出す。そのうち1400名は子供、2200の大人、800名のボランティア。


 朝8時15分、シャルトルのカテドラルの前庭でのミサ聖祭。元メキシコ管区の管区長フランソワ・クニテル神父様が、フランス語、ドイツ語、スペイン語で説教。


「巡礼者は皆、鏡のように、私たちの主イエズス・キリストの生活と教えを映し出すことによって宣教者とならなければならない。だから私たちは、きれいな鏡のように、汚れがあってはならない。従って、巡礼の前によい告解で良心を清めよう。そして私たちの主イエズス・キリストの御言葉と模範を大きく受けなければならない。」


 十字架はシャルトルの道を開く。





 


 日本からはるばる参加した日本人巡礼団。

http://www.dici.org/fraternite_read.php?id=000081

 


 6月4日、巡礼者らは森林の中での聖霊降臨の祝日を祝う。


 聖ピオ十世会総長のフェレー司教様が荘厳司教ミサ聖祭を執行、説教をする。

 




「何故、私たちは宣教者でなければならないのか?
何故なら、天主がそれを望んでおられるから。私たちの主イエズス・キリストは、霊魂の救いのためにご自分の命を与え給うた。そしてイエズス・キリストは、私たちがその贖いの業に協力することを望んでおられる。
 では、私たちは何故必ずしも皆が福音の教えを熱心に聞く宣教者であるとは限らないのか? この世を恐れているから。世間体のため。この世が反対し、敵対するのが怖いから。
 私たちは、聖霊の賜が必要である。聖霊降臨の時の弟子達のように、慰め主なる聖霊は、現代世界における宣教者となる超自然の力と大胆さを私たちに下さるだろう。」













http://www.dici.org/fraternite_read.php?id=000082




 聖霊降臨の月曜日、7500名が行列でパリに入城した。


 フランス管区補佐の、ロイック・ドゥヴェルジェ神父様がモンマルトルでの聖伝のミサで説教をする。

 宣教者は、祈り、苦しみ、証をしなければならないこと、家族は子供達にしっかりとした良い教育を与えなければならないこと、青年達は、天主と霊魂の救いのために働くことの偉大さを訴えた。














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