アヴェ・マリア! イエズスの聖心の祝日にて
朝鮮日報の社説 孤立無援の大韓民国 を読んで
昨日、朝鮮日報を読んでいて、その社説に感動した。日本語のウェッブ・サイトから終わりの方の抜粋を紹介したい。
【社説】孤立無援の大韓民国
・・・・ 現政権の偉い方々は国民に数百兆ウォン(約数十兆円)の税金を出させ、自主国防の後押しをすることを要求したが、実際にやったことはといえばこうした空虚なスローガンで大韓民国を孤立無援の状態に追い込んだことだけだ。
世界の流れにまともに目を向けてはどうか。自分が見たいように見る世界観ではなく、あるがままの世界を受け入れるべきだ。一国の指導者が世界の動きをありのままに受け止めず、自分勝手に解釈すれば、その国と国民は存亡の危機にさらされるしかないのだ。
われわれの先祖や先達が涙で取り戻し、血を流して守り、汗にまみれながら作ってきた大韓民国が今、非常事態に直面していることに気付くべき時だ。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/06/22/20060622000008.html
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私はキーポイントはここだと思う。
「自分が見たいように見る世界観ではなく、あるがままの世界を受け入れる」。
指導者が現実の世界を「ありのままに受け止めず、自分勝手に解釈すれば、その国と国民は存亡の危機にさらされるしかない」。
現実の世界に「まともに目を向け」なければならない。
まさに、現実主義に立ち戻る、ということだ。あるものをあるがままに認識する Realism(現実主義)に戻るということだ。私たちには、現実をそのまま認識することができるし、そのまま認識しなければならない、ということだ。私たちは、私たちの心(=頭の中で考えていること)の外にある現実を、ありのままに認識することが出来る、ということを受けいれなければならない。
<私>がなにを思おうと、好きであろうとなかろうと、信じようが信じまいが、何と名前を付けて呼ぼうと、現実は現実として存在している。そして<私>は、その現実を認識できるのだ。
朝鮮日報の社説と共に、私たちも言いたくなる思いがした。
・・・・ 第二バチカン公会議以後の偉い方々はカトリック信徒に新しい典礼を受け入れさせ、エキュメニズムの後押しをすることを要求したが、実際にやったことはといえば、団体主義、エキュメニズム、信教の自由というスローガンでカトリック教会を混乱の状態に追い込んだことだけだ。そして第二バチカン公会議の「春」が来た、第二バチカン公会議は成功だ、と主張している。
現実にまともに目を向けてはどうか。自分が見たいように見る世界観ではなく、あるがままの現実を受け入れるべきだ。教会の指導者が現実をありのままに受け止めず、自分勝手に解釈すれば、教会と信徒は存亡の危機にさらされるしかないのだ。
われわれの先祖や先達が涙で取り戻し、血を流して守り、汗にまみれながら作ってきたカトリック教会が今、非常事態に直面していることに気付くべき時だ。
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