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3. 6. 1. 人生を真面目に考える男

2006年06月03日 | ルフェーブル大司教の伝記

第3章 ローマ神学生時代(1923年-1930年)

6.聖トマス・アクィナスの哲学・神学体系(トミズム)とローマ精神 (その1)


人生を真面目に考える男


 マルセルはますますもっと本質的なこと、つまり、聖ペトロ及び殉教者たちの信仰に固執した。1928年の復活祭の一週間には手間を取らないで母親と妹クリスチアンヌとの聖地巡礼を準備した。巡礼者たちは聖カリクストのカタコンベで 60段の階段をおりて、闇の中の祭壇の上にただ 2本の蝋燭を灯したまま、友人の司祭であるマルセル・コロン神父 (Marcel Colomb) がミサを捧げた。


 夏休みには、マルセルはサン・サヴァンでルネとクリスチアンヌに会った。クリスチアンヌは 9月 24日トルクアンにあるカルメル会修道院に入会し、ルネは 11月 18日アフリカのガボン行きの船に乗るはずだった。こうしてジャンヌ、ルネ、ベルナデット及びクリスチアンヌは、次々に修道生活に入って行った。マルセルは、一人だけ「世俗」に残るのだろうか?


 こんな疑問をもちながら、マルセルはまたローマに戻った。ベネディクト会の修道生活に心がまだ引かれていたのだろうか? 何故なら、彼は相変わらず毎週主日には、アベンティノ丘の上にある聖アンセルモ修道院聖堂で修院荘厳ミサで、ベネディクト会修道者たちの声に自分の声を合わせてグレゴリオ聖歌を歌っていたからだった。


 1928学年度初期に、長上神父はドイツ語圏スイス人二名(のちにすぐに四名になる)の新入学神学生に、マルセルを「守護の天使」として任命した。彼らのうちの一人、アロイス・アムライン (Alois Amrein) は自分の日記のページに思った感じをこう書いた。


「自然と、私たちは彼のことを深く見ていたし、彼も、その深く見通す目で、私たちのことを見ていた。彼は普通の見かけをもつ人ではなかった。彼の顔つきは人生を真剣に考える人の特徴をもっていた。私の仲間は、私にこう言った。『彼は自分が求めていること知っているし、それをついに得るだろう』と。彼は私にとても良い印象を与えてくれたし、彼は私をしてそう思わせた。」

 


(つづく)

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