アヴェ・マリア!
「2007年 キリスト教一致祈祷週間」(日本キリスト教協議会・カトリック中央協議会 共同発行)という小冊子をある方から戴いた。それを見てみた。これは、諸教会が合同礼拝を行う場合にそこに掲載されている「エキュメニカル礼拝式文」をそのまま使うことを期待して作成されている小冊子だ。カトリック教会にも、この(カトリックの典礼儀式とは全く関係ない形式)通り行うことが期待されている。
それには最後に、南アフリカにおけるエキュメニズムの状況(46-52ページ)という報告が載っていた。これは、日本でも南アフリカの良き模範に倣って同じことをすることを期待して掲載されていることは言うまでもない。カトリック中央協議会はそれを認め、それを望んでいるから、多額の支出をしてこのパンフレットを発行したのだ。献金者も、日本キリスト教協議会扱いよりもカトリック中央協議会扱いの方が多い。カトリック中央協議会は、何をカトリック信徒に期待しているかというと、次の通りだ。
「信徒には、情報を交換したり、会合を行う多くの機会があります。マス・メディアの視聴を通じて、信徒は様々な教派の聖職者の賜物にあずかります。自分たちで黙想会を企画する時も、信徒は誰にも頼らずに、自分たちのための指導者を選びます。信徒は、黙想指導のためにどの教派のどの教職者を選んでも許されると考えます。たとえば、最近、南アフリカのある聖公会の小教区では、黙想指導のためにカトリック司祭を招きました。そのすぐ後、その小教区の聖公会の「司祭」が、カトリックの小教区でのくそう指導する依頼を受けました。このとき、率先したのは信徒であり、教職者はそれに従いました。これは時宜に適っています。・・・」
これを読んで、いまから30年以上も前の1976年にブリュックベルジェ神父様(Pere Bruckberger)の書いた記事を紹介したいと思う。(原文はフランス語だが、自由に日本語に訳した。)
「遺書によってジョルジ・ポンピドゥーはラテン語のミサで葬儀を要求した。共和国の大統領だった彼には、それが与えられた。(注:Georges Pompidou は 1911 年生まれ、1974 年死去 1969 年から 1974年までフランスの大統領であった。)今日では、イスラム教徒にも、仏教徒にも、チベット仏教徒にも、ヒッピーにも、小さき人々のためにも、小さくされた人々のためにも、小さくなった人のためにも、沈黙を強いられた人たちのためにも、エイズ感染者のためにも、冤罪を訴えている死刑囚のためにも、退職を命じられた教師のためにも、アパルトヘイト反対の活動家たちのためにも、教育基本法反対の活動家のためにも、憲法改正反対の活動家のためにも、男の子たちにも、女の子たちにも、おじさんにも、おばさんにも、お花を生けるためにも、押し花のためにも、お琴の練習のためにも、お習字のためにも、お絵かきのためにも、音楽のためにも、お歌のためにも、おマンガのためにも、カトリック司祭は自分の小教区教会を使わせることができる。しかし、もしもかわいそうな司祭がその教会で、まさにそのためにこの教会が建設された(しかもその教会はその主任司祭が建てたのでも教区民が建てたのでもない)ミサ聖祭を捧げようと望むとすると、もしも、カトリック司祭として叙階を受けた神父がその教会で数世紀も何百年も捧げられてきたそのミサ聖祭を捧げようとすると、或いはカトリック信者が、その教会でその聖伝のミサに与ろうと望むと、司教が怒りだし厳しい罰則を与え彼らを教会から閉め出している。
そしてその同じ司教たちが、寛容とか自由とか多元性とかエキュメニズムとかを私たちに語っている。カトリック教会の外部の人たちには彼らは皆、羽毛のように優しい。カトリック信仰の兄弟、或いは同じカトリック司祭職による兄弟である私たちだけには、刺を立て無慈悲になる。彼らがどれ程私たちのことを厳しく取り扱うことか!彼らが何と酷く私たちのことを厳しく取り扱うことか!
モンテスキューはこう書いていた。良い奴隷だけしか望まない人には、悪い部下しか与えられない、と。」
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