アヴェ・マリア!
■カトリック新聞より
日本各地でエキュメニカル礼拝
http://www.cwjpn.com/kiji/3892/1p-nihonkakuchi_ecume.htm
21日、日本各地でキリスト教一致祈祷(とう)週間のエキュメニカル(教会一致運動的)礼拝が行われた。東京教区では神田教会で行われ、岡田武夫大司教など約100人が参加した=写真。
会場となったのは、神田教会。
■「2007年 キリスト教一致祈祷週間」という小冊子を読んで
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/6d3bc13125c9b405025a39b206c04b1a
で言及した「2007年キリスト教一致祈祷週間 小冊子」は、
次↓で読めます。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/news/img/icchi2007.pdf
■その他参考リンク
http://www.christiantoday.co.jp/news.htm?id=586&code=mis
■しかし、私たちは歴代の教皇様たちの教えを信じます。
○ キリスト・イエズスにおいて兄弟的な交わりをしきりに説く非カトリックの多くは、イエズス・キリストの代理者が教えを説く時には、それに従おうともせず、彼が命じる時、それに従順たろうともしません。しかし彼らは喜んでローマ教会と同じレベルで、同輩の者として話し合おうとするでしょう。しかし、現実には、彼らがもしそうしたとしたら全く疑いもなく彼らは、彼らを今でもキリストの唯一の群れの外に迷わせ放浪させているまさにその誤りを放棄しなくても大丈夫だという考えを持ってしか、いかなる同意をも結ばないでしょう。
この条件の下では、使徒座はいかなる口実の下であろうとこれらの集いに参加することができず、いかなる犠牲を払ってまでもカトリック信者は、その賛同あるいは行動によってこれらに好意を与えることができないことは一目瞭然です。
諸教会を連合させようともくろむこれらの汎キリスト教徒は、全てのキリスト者間の愛徳を発展させるという崇高な計画を遂行しているかのように見えます。
しかし、信仰を犠牲にしてまでの愛徳の増加をどうして想像できるでしょうか。愛徳の使徒である聖ヨハネ自身が、その福音の中で言わばイエズスの聖心の秘密を明かすのですが、そして、互いに愛し合いなさいと新しい掟を信徒たちに絶えず繰り返すこの使徒が、キリストの教えを完全にそして純粋に宣言しない者たちとの全ての関係を一切断て、と言うことを知らない者はいません。
『もしこの教えをもたずにあなたたちのところに来るものがあれば、その人を家にいれず挨拶もするな。(2ヨハネ10)』
従って、愛徳の土台は真摯で完全な信仰ですから、信仰の一致こそがキリストの弟子たちを一つに結ぶ第一の絆でなければなりません。
そうならば、信仰に関する問題に於いてでさえ自分独自の見解や思潮を保持しつつ、多大に他人の意見と矛盾していても、キリスト者の間で締結を結ぶ可能性さえ考えられるでしょうか。
私はあなたたちに尋ねます。一体いかなる信仰表明でもって、互いに矛盾する意見の人々を一つで唯一の連合に結ぶことができるとでも言うのでしょうか。
例えば、或る者たちは、聖伝は啓示の正真正銘の源であると断言し、或る者たちはそれを否定しています。
或る者は教会の位階制度は天主のみ旨によって、司教・司祭そして他の聖職者から成ると考えますが、他の者たちは位階制度は時代情勢やその時期により少しずつ導入されたと断言します。
或る者は、全実体変化と呼ばれるパンとブドウ酒のいとも素晴らしいこの変化のお陰で、いとも聖なる聖体において、現実に現存するキリストを礼拝します。他の者たちはキリストの体は、信仰によってか、又は印と秘跡の力によってでしか、そこに現存しないと言います。前者は聖体の秘跡において犠牲と秘跡の本性を同時に認めますが、後者は最後の晩餐の思い出あるいは記念以外の何物をも認めません。
或る者は諸聖人、とりわけ母なる童貞女がキリストと共に天で君臨していると信じ、従って、彼らを呼び求め、彼らに祈り、彼らの聖画を敬うべきであると信じています。他者はこの崇敬は非合法であり、天主と人との唯一の仲介者であるキリストにふさわしい名誉に反していると言います。
教会の一致が、信仰の唯一の規範と、全てのキリスト者の同じ信仰によらねば生まれえませんのに、これらの意見の深い相違を目前にして、私たちはほとんど教会の一致を見ることができません。
しかし、それ(意見の相違にも関わらず一致をもくろむこと)によって、人々は宗教をなおざりにする、即ち[どの宗教でも結局は一緒だとする]宗教無差別主義(indifferentism)、あるいは、近代主義(modernism)と呼ばれるものにたどり着くだろうと私たちは良く知っています。これらの誤謬に犯された不幸なものは、「教義上の真理は絶対ではなく、相対的、即ち、真理は時と場所のいろいろな要求に応じて、また霊魂のさまざまな必要に応じて適応しなければならない、何故かというと、教義上の真理は不変の啓示の中に含まれず、その本性からして人の生活に適応しなければならない」と言っています。
尊敬する兄弟たちよ、それゆえこの使徒座がカトリック信者に、非カトリックの集いに参加することを決して許さなかったのが何故かが理解できただろうと思います。
キリスト者の一致は、反乱分子がかつで自分たちの不幸にして捨て去ってしまった唯一の真なるキリストの教会に立ち戻るのを促すことによるほか得られません。即ち、誰によっても目に見えることのでき、人々の共通の救いのために主ご自身が創立されたごとくそのまま留まるように、その創立者の意志によってそう定められたキリストの唯一の本当の教会に立ち戻ることです。
何故かというと、かつて歴史の流れの中で、キリストの神秘的な花嫁は一度も汚されたことが無く、将来にわたってそのようなことが決してないからです。
(教皇ピオ11世 回勅 Mortalium animos 真実の宗教の一致について 1928年1月6日 http://fsspxjapan.fc2web.com/papal/ma.html)
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