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良心とは何か。行為の実効的規範とは客観的真実のみ。

2007年01月31日 | カトリックとは

アヴェ・マリア!

良心

1.道徳的良心とは、人間が、具体的状況における自らの行動について為す道徳的判断のことです。法が行為の遠隔的かつ客観的規範であるのに対し、良心はこれの近接的、主観的な規範です。


2.善く行為するために、人間は自らの良心に従わなければなりませんが、これは良心が自らの過失・責任によって誤りに陥っている場合を除いてのことです
[1]。(聖トマス・アクィナス 神学大全第2巻第1部第19問5-6節)自らの責任とならない誤りは、犯した過失の罪の弁解となりますが[2]、それ自体悪い行為を善い行為、正当な行為に変えるわけではありません。(聖トマス・アクィナス 神学大全第2巻第1部第19問6項第1異論解答)


3.そのため、行為が霊魂の内奥から社会的な広がりをもった外部の世界へと移行するその時点から、行為の実効的規範は、(責任を問われ得ないものをも含め)誤謬ではなく、ただ客観的真実のみとなります。これと逆の主張を為すなら、それは現実と非現実の根本的対立を否認することに他なりません
[3]。また、それは同時に、社会の秩序というものが非現実的虚構の中に構築されるということ、さらに秩序が無秩序に場所を譲ることを受け容れるのに等しいと言えます。


結論:
良心は(自らの過失によって誤っているのである場合を除き)、個人の生活における行動規範です。しかるに社会生活においては真理の他に規範はありません。すなわちこれは、ただ真理のみが良心に権利を付与する、ということを意味しています。



[1] なぜなら、誤った良心に従いながら、真の意味で善く行動する、ということはあり得ないからである。

[2] したがって、当の人の為した過失について責任を問うことはできず、よって罪に定めることもできない。

[3] より簡単に言えば、真実であることと、真実でないこととは互いに相容れない、と言うこと。もしそうでなければ、真実と誤謬との区別はなくなってしまう。




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