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浜矩子著『グローバル恐慌』

2009年06月04日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!聖霊来たり給え!
[金融危機] ブログ村キーワード

愛する兄弟姉妹の皆様、

 岩波新書の『グローバル恐慌』浜 矩子著を読みました。大変わかりやすく書かれているので面白く思いました。もし私がこの著書の内容を正しく理解したとするなら、次のことが言えます。

 今「世界金融危機」と言われていますが、金融とは「ヒトがヒトにカネを融通する」ことで、元来ヒトがヒトを信用することで金融が成り立っています。

 「恐慌」が起こる原理はこうです。まず、利益最大化のため生産は拡大し、余剰化した資金はさらなる投資に向かいますが、需要は無限に拡大することができないのでバランスが崩れてしまいます。バランスを求めて経済活動は過激に縮小します。この過程で、株価は暴落し、銀行は破綻し、信用は収縮します。これが過去の恐慌でした。

 恐慌が起こっても、金本位制のもとでは、金準備の水準しか資金を供給できませんでした。金本位制は非裁量的通貨制度であり、「キンの切れ目がカネの切れ目」だからです。従って、恐慌に対する十分な人為的介入ができず、「自然な」回復を待つだけでした。

 1929年10月24日の株価暴落から始まった恐慌は、しかし、1933年3月のルーズベルト大統領による金本位制停止宣言で、つまりニューディール政策の導入で克服しようとされました。また恐慌の反省から1933年の銀行法(グラス・スティーガル法)が成立し、投資銀行業務と商業銀行業務との兼業禁止、預金金利の上限規制、地理的規制などの規制ができました。

 金本位制は、戦後もアメリカだけが取り続けます。1944年のブレトンウッズ会議による体制では、世界はアメリカの集めた金(キン)と経済力を信用しました。

 ところが、戦後しばらくして、アメリカの保有する金の量より巨額のドルが世界に出回るようになると、人々はアメリカへの信用を失い、紙きれになる前にドルの金交換を急ぎました。そこで、1971年8月15日ニクソン大統領は金との交換不可と発表します(ニクソン・ショック)。

 こうして世界は管理通貨制度に移行します。これは「モノとカネとの決別」です。これによって、アメリカ不信からの金取り付け騒ぎによる恐慌の発生は避けられましたが、アメリカのインフレ経済化が始まりました。またモノとカネとの決別は、ウォール・ストリートとメイン・ストリートとの離別を準備します。

 ニクソンショック以後、アメリカは財政膨張によって需要を創出し、財政収支は悪化の一方をたどり、対外収支は赤字化します(双子の赤字)。また、モノとカネとの決別によってカネの一人歩きと金融のグローバル化が始まりました。

 1971年のニクソン・ショック以後、インフレ経済のために、一般の金利水準は上がりました。しかし1933年のグラス・スティーガル法のために預金金利は据え置きで、銀行に資金が集まらなくなり、貯蓄から投資に大量の預金が流出しました。

 また、1975年に証券委託手数料が自由化すると、商業銀行からますます預金が流出しました。これでは銀行の金融仲介機能が麻痺してしまいます。

 そこで、1986年、アメリカの全ての預金金利規制は撤廃されました。金利(正確には、管理通貨体制における預金金利とインフレ率との差のことを差していると思われます)とは、ある意味で、カネの値段であり、一般市場にインフレが起こればカネの値段の上がるはずだからです。しかし同時に規制の撤廃によって、ハイリスク、ハイリターンの金融スーパーマーケット時代に入る準備が整っていきます。

 1999年、ついにグラススティーガル法の規制は全て解禁となりましたが、2000年以後世界は基本的に低金利でカネ余り状態で推移していました。

 そこで出てきたのが、ハイリスク、ハイリターンを求めた金融暴走でした。その結果引き起こされたのが、グローバル恐慌だ、ということです。

 著書は、2008年現在アメリカ経済が縮小モードをとったいること、実体経済が沈降していること、財政ポジションが大幅に悪化していること、財政赤字が増大していること、などから(アメリカ経済の歯止めなきインフレ経済に対して)ドルの大暴落の危険を指摘しています。

 以上が今回、私が面白く読んだ内容の要約です。詳しくは、浜矩子著『グローバル恐慌』(岩波新書)をごらんください。

 カネとは、流通と貯蓄の手段です。人間は、カネを食べて生きているのではありません。カネでモノを購入して、そのモノを必要としています。カネはあくまでも手段です。

 金本位制では、カネとモノとの結びつきが強いので、ヒトは容易にカネを信用することができます。現実の世界と、〈わたし〉が頭の中で描く信用の世界(主観)とが、金本位制では、普通は容易に一致します。さらに、景気が良いと生産拡大のために更なる利益を〈信じ〉て余剰利益を投機します。しかし、現実の世界の動きが信じていたような予想と異なる場合、ミスマッチが生じて恐慌になるのです。

 例えば、今、1株360円で取引されていたとしても、現実の価値は90円で、いつかその値段になるのなら、今の高い値段で売って後で安い値段で購入したいと思うのが普通です。多くの人々が、信用していたことと現実が違うことに気づいて、信用を失い「恐れて慌てて」一斉に株を売りに出せば、恐慌になるからです。

 管理通貨制度でも、同じことです。現実と信用とが大幅にミスマッチすると、信用を現実に合わせるために恐慌が生じてしまうでしょう。ただ、それを防ぐために財政政策として需要を創出し、信用に現実を合わせようとするのです。アメリカはこうして成長政策に邁進したのでした。

 1971年8月15日のニクソン・ショックの時、1ドルは360円でした。
 1971年12月、ニクソンショックを受けて、1ドルは308円の切り上げになりました。
 1978年1月、1ドルは241円でした。
 1978年10月、1ドルは176円にまで転落しています。
 2008年10月以降、1ドルは90円台をつける展開で推移しています。
 ニクソンショック以降40年の間に、ドルの円に対する価格は4分の1にまで下がっています。

 しかし無限に現実を夢のような主観に合わせることは無理です。そんなことを続けていると、管理通貨制度自身の信用を失わせてしまうからです。カネは発券銀行の権威への信用を基礎に流通しているわけですから、人々がただの紙きれになる前にモノと交換を急ぐようになると、ものすごいインフレになってしまいます。紙幣は、信用がなくなれば、実際は、ただの紙きれに過ぎないからです。

 今、もしもそうなると、全世界の通貨システムが麻痺してしまうことになってしまいます。

 現実と信用していたこと(幻想?)とのギャップが大きいほど、ショックも大きくなります。

 アメリカの連邦政府が抱えている財政赤字の累積額は、いくらなのでしょうか。『国家の品格』でも述べられていましたが、デリバティブで今、取引されている額は、人間が本当にコントロールすることができる額なのでしょうか。

 以前、日本で高校生たちが何の気なしにバスの中でどこそこの信用金庫危ないらしい、というおしゃべりから取り付け騒ぎが起こったことがあります。しかし、アメリカの場合、客観的事実がドル暴落の危険を指し示しています。今までは、成長すべきだという思考に現実を合わせようとしていましたが、ついには、人為的虚構が崩れて、思考を現実に合わせるようになるのでしょう。

 その時は、あまりの巨大な差に私たちは大きいショックを受けることになってしまうのでしょう。主よ、憐れみ給え!天主の御母聖マリアよ、我らのために祈り給え!

 そこで次のようにふと思いました。

(1)ニクソンショックによるドル暴落の時期が、新しいミサの導入によるカトリック召命の失墜とほとんど同時期で似ていること。

(2)宗教において、ルターは、客観的な教導権をかなぐり捨てて、プロテスタント主義という人為的虚構を作り上げた。
 哲学では、デカルトのコジトに始まって、カントは主観を客観から切り離し、観念の世界に閉じこもり始めた。それに続いて、現象論などの近代主義哲学へと、現実と離別した人為的虚構を作り上げた。
 政治では、天主という目に見えない現実をかなぐり捨てて、人為的虚構である天主なき世界を革命によって打ちたてようとした。天主なき人権、天主なき道徳、天主なき国家。
 経済では、現実のモノと離別したカネの世界を人為的に虚構した。デリバティブなどの名前で天文学的な巨大な額のカネが、銀行のコンピュータの中で膨れ上がっている。
 私生活でも、これから、自然の現実から切り離された人為的虚構が制度化されつつある。同性同士の「結婚」など。将来、猿や犬と「結婚」したいなどと言い出すアホも、出てくるかもしれない)。
 以上のことを見ると、どんな領域でも、現実と観念とが離別することによって、人間は自分の思い通りの虚構の世界を構築しようとするのですが、現実はそれをいつまでも許さず、いつかは危機が訪れることになっているように思われます。


主よ、我らを憐れみ給え!
天主の御母聖マリアよ、我らのために祈り給え!
聖ヨゼフ、我らのために祈り給え!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

富士山静岡SC (FSZ 開港)

2009年06月04日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様

6月4日、富士山静岡空港が開港しました。

新しい空の玄関がオープンし、静岡と国内外の就航先との交流が一層盛んになります。お知らせでした。

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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