アヴェ・マリア!
愛する兄弟姉妹の皆様、
翻訳をするのに、今まで手間取ってしまっておりましたが、2009年3月10日付けのルフェーブル大司教によって聖別された四名の司教の破門解除に関するベネディクト十六世教皇聖下のカトリック教会の司教たちへの手紙の日本語訳をご紹介したいと思います。
コンピューターのスクリーンでも読みやすいように、原文では一段落のところでも幾つかの段落に区切ってあります。
ベネディクト十六世教皇聖下のカトリック教会の司教たちへの手紙
ルフェーブル大司教によって聖別された四名の司教の破門解除について
司教聖務における親愛なる兄弟たちよ、
ルフェーブル大司教によって聖座の許可なしに1988年に聖別された四名の司教たちの破門を解除は、多くの理由により、カトリック教会の内外において、激しい論争を引き起こしました。この激しさは極めて長い間もはや無かった程でした。この出来事は、突然引き起こり、今日のカトリック教会の問題と責務とにおいて肯定的に位置づけるのは難しいものであり、多くの司教たちを困惑させました。
多くの司教たちと信者たちは、言われるまでもなく(アプリオリに)、教皇の和解への態度を肯定的に捉えるよう準備が出来ていたとしても、しかしながら、現代における信仰生活の本当の緊急性に直面して、そのようなジェスチャーが適宜なものであるかという疑問がそれに反対していました。
むしろその反対に、ある複数のグループは教皇をして、第二バチカン公会議以前の時代に後戻りしようと望んでいるとあからさまに攻撃しました。そこから、激しい抗議の大波が引き放たれ、その苦々しさは現在を遡る古傷を現していました。
親愛なる兄弟の司教たちよ、だからこそ私はあなたたちに何らかの説明を与えるように導かれたのです。この説明は私自身をしてまた聖座の担当期間をしてこの一歩を踏み出すように導いた意向を理解する助けとなるでしょう。私はこうしてカトリック教会における平和に寄与することを期待します。
ウイリアムソンの件が破門の解除と重なりあった事実は、私にとって予測のできない悲惨なことでした。有効に叙階された、しかし非合法的に叙階された四名の司教に対する慎み深い憐れみのジェスチャーが、突如として全く別のものとして現れたのです。つまり、キリスト者とユダヤ教徒の間の和解の否定として、従って、このことについてのカトリック教会の道行きのために第二バチカン公会議が明らかにしたことの撤回として現れたのです。
離別の過程に巻き込まれている教会の一グループとの和解への招きは、こうしてその反対のものと変容したのです。つまり、第二バチカン公会議以後なされたキリスト者とユダヤ教徒たちとの和解の全ての歩みに関して、見かけ上の後ろ戻りすることに変容したのです。ところでこの歩みは、その分かち合いと促進は、最初から、私の神学者としての個人的な仕事の対象だったのです。
これら二つの相反する過程の重なりが起こったこと、そしてこれがキリスト者とユダヤ教徒との間の平和を、そしてカトリック教会内の平和を一時揺るがしたことは、私にとって深く嘆くばかりのことです。インターネットによってアクセス出来る情報を注意深く追っていたなら、問題を直ぐに知ることが出来ただろうと言われました。私はこのことから教訓を得て、将来、聖座において、私たちはこの情報源にもっと注意を払うべきでしょう。
私は、カトリック者でさえも、それが何であったのか、奥深くもっと良く知ることができたはずのカトリック者でさえも、いつでもあからさまに出来る敵意を持って私に侮辱しなければならないと考えたことという事実に苦しみました。
正にこのためにこそ、すぐに誤解を打ち消し友情と信頼の雰囲気 --- ヨハネ・パウロ二世の時にそうであったように、そして私の教皇職の全ての時期にわたっても存在していたし、ティシエ・ド・マルレ司教様の御恵みによって存在し続ける友情と信頼の雰囲気 --- を再建しようと助けてくれたユダヤ教の友人たちに感謝します。
私を心から悲しませるもう一つ別の誤りは、2009年1月21日の措置の範囲と限界が、その発表の時に充分明確なやり方でコメントされていなかったという事実にあります。破門は個人に関わるもので、組織に関わるものではありません。教皇の許可(mandatum)無しの司教叙階は、離教の危険があることを意味します。何故ならこれは、教皇とともにある司教団の一致に疑問を投げ掛けることだからです。だからこそ、カトリック教会は破門という最も厳しい罰則によって対応しなければならないのです。それは、このやり方で罰を受けた人々を後悔と、一致とに呼ぶ目的のためです。
叙階後二十年がたちましたが、この目標は残念ながら達成されていません。破門の解除は、罰がなされる同じ目的を目ざしています。つまり、もう一度、四名の司教を回帰に招くことです。
このジェスチャーは該当者が教皇と教皇の牧者としての権威の原理を認めることを彼らが表明したことで可能だったのです。それは、たとえその教義上の権威と第二バチカン公会議の権威とへの従順について、留保をつけてであったとしてもです。
私はここで個人と組織との区別に話を戻します。破門の解除は、教会規律の領域における一措置でした。教会の最も厳しい罰が構成する良心の重荷から個人が解放されました。この規律の水準と教義上の領域とを区別しなければなりません。聖ピオ十世会がカトリック教会内で教会法上の地位(position canonique)を持っていないことは、結局のところ、規律上の理由ではなく、教義上の理由に基づいています。
聖ピオ十世会がカトリック教会の中で教会法上の地位をもたない限り、その役務者らは教会の中で合法的な役務(ministères légitimes)を行っていないことになります。次に、個人としての個人にかかわる規律のレベルと、その役務と組織がそこにある教義上のレベルとをと区別しなければなりません。
さらにもう一度正確に言うと、教義に関する問題が明確にならない限りは、聖ピオ十世会はカトリック教会内で如何なる教会法上の地位(statut canonique)も持たず、そしてその役務者達は、 --- 彼らが教会法上の罰から解放されたとしても --- カトリック教会中のいかなる役務も合法的に行使してはいません。
この状況の光のもとに、将来、エクレジア・デイ教皇庁立委員会 --- 1988年以降、聖ピオ十世会或いはそれと似たグループに由来する、教皇と全きの交わりに立ち返りたいと望む共同体と個人のための担当組織ですが --- を教義信仰聖省に所属させる意向をもっています。かくして、現在、取り扱われるべき問題は、本質的に教義上の本性を持ったものであり、特に、第二バチカン公会議と公会議後の教皇たちの教導権の受入れに関するということが明らかとなります。
団体的諸組織(organismes collégiaux)、--- 教義信仰聖省はこれらと共に提示される問題に取り組むのですが --- (特に、毎週水曜日の枢機卿たちの会合と毎年の或いは二年ごとの総会)は、ローマ諸聖省の長官たち、また世界中の司教の代表たちが、なすべき決定をするに当たってその参加を保証します。 カトリック教会の教導の権威を1962年で凍結することは出来ません。 ---- このことは聖ピオ十世会にとっても明らかでなければなりません。しかしながら、自らを第二バチカン公会議の偉大な擁護者として宣言する人々の一部に、第二バチカン公会議がカトリック教会の教義の全歴史を包含していることを思い起こさせる必要があります。第二バチカン公会議に従順であることを望む人は、数世紀にわたって宣言された信仰を受入れなければならず、生きている木の根を切ることは出来ません。
親愛なる司教兄弟たちよ、以上で、2009年1月21日の措置の肯定的な意味とその限界が明らかにされたと期待します。しかしながら、今、次の疑問が残っています。この措置は必要だったのか?
これは本当に優先課題だったのか?もっとより重要なことは無いか?確かに、より重要でより緊急なことはあります。
私は、教皇登位の最初に述べた講話のなかで、私の教皇職の優先課題を強調したことを考えています。その時私が言ったことは、変わることなく私の行動方針であり続けています。ペトロの後継者にとって、第一の優先課題は、最後の晩餐の時、私たちの主によってはっきりと定められました。「おまえは兄弟たちの信仰を堅めよ」(ルカ22:32)と。ペトロ自身も、この優先課題を自分の第一の手紙の中で、新しいやり方で次のように表明しました。「あなたたちのうちにある希望の理由をたずねる人には、やさしく、うやまいつつ常に答える準備をせよ」(ペトロ前書3:15)と。
現在、地上の広大な地域で、信仰がもはや燃え尽きてします炎のように消え去ってしまう虞がある私たちの生きている時代において、何より先になされるべき優先的ことがらは、この世に天主を現存させ、天主へ近づくことが出来るように人々に開くことです。誰彼の区別ない或る神ではなく、シナイの山で語り給うたこの天主へ、私たちがその御顔を認めるのは、極みまでの愛において -- 十字架につけられ復活し給うたイエズス・キリストにおいて -- である天主へ、です。私たちの歴史のこの時点において、本当の問題は、天主が人々の水平線から姿を消し、また一方で天主からの光が消えるとどうじに、他方で人類は方針を欠き、ますます自分の内部に人類を破壊するような結果が現れ出ていることです。人々を天主へと導くこと、聖書において語り給う天主に導くこと、それが今日、カトリック教会とペトロの後継者との最高で基本的な優先課題なのです。そこから、論理的結果として、私たちが信者たちの一致を心におかなければならないということが帰結します。実に、信徒たちの内部的な不一致や対立は、彼らが天主について語るところの信憑性を疑わせるだけです。だからこそ、エキュメニズムによってキリスト者たちの信仰の共通の証のために努力をすることが最高の優先課題に含まれているのです。このことに、天主を信じる全ての者たちが、共に平和を探し求め、たとえ天主のイメージは違っていても、光の源へと一緒に行くために、お互いが近づくように試みる必要が付け加わります。これが諸宗教間の対話です。天主を「極みまでの」愛として告げるものは、愛の証をも与えなければなりません。つまり、苦しむ人々に愛を込めて自己を奉献し、憎しみと敵意を遠ざけること、これがキリスト教の信仰の社会的次元です。これについては私は回勅『デウス・カリタス・エスト(Deus Caritas Est)』の中で語りました。
もしも、この世において、信仰、希望、愛のための熱心な参与が、この時(そして、いろいろな形においては、いつも)カトリック教会にとって本当の優先課題であるなら、大小様々な和解も、その一部をなすのです。手を差し伸べるたという謙遜なしぐさが、大騒ぎの元にあり、それで和解とは反対となっていることは、私たちが記憶しなければならない事実です。しかし、私は今こう尋ねます。この場合にも、「何かあなたに対してふくむ所がある」(マテオ5:23)兄弟に会いに行き、和解を求めることは本当に間違っていた、間違っているのでしょうか?市民社会もまた、過激化を予防し、ありうるかも知れない過激化の賛同者たちをして、社会生活を形づくる大きな力の中に --- 出来る限り --- 受け入れるように試みなければならないのではないでしょうか? それは差別とその全ての結果とを避けるためです。心を頑なにすることや狭めることを弱めようと努力する事実は、これは全体のために、肯定的なことや回復されるべきことにこうやって場所を与えるためという目的でなされるのですが、完全に間違っていることがあり得るでしょうか?
私自身、1988年以降、以前はローマから離れていた複数の共同体が戻ってきたおかげで、これらの共同体の内的雰囲気が変化したこと、偉大で広大な共通の教会へと戻ってきたことが、一方的な立場を越えさせ、頑なな態度は和らげ、続いて全体にとって肯定的な勢力としてそこから姿を現したということを見てきました。その中に、491名の司祭、215名の神学生、6つの神学校、88の学校、2つの大学、117名の修道士、164名の修道女、そして何千人もの信者を数える共同体を、私たちは全く無関心でいることが出来るでしょうか。彼らがカトリック教会から遠くを漂流するのをそのまま何も感じずに放置すべきなのでしょうか?私は、例えば491名の司祭たちのことを考えています。私たちには、彼らの動機のもつれを知ることは出来ません。しかしながら、もしも、歪んだ病的な様々の要因を別にして、キリストへの愛と、キリストと、キリストと共に生きておられる天主を告げ知らせようという意思を持っていなかったならば、司祭職へと決意していなかっただろうと私は考えます。私たちは、単純に、彼らを重要でもない先鋭グループの代表として、和解と一致とを求めることから排除することが出来るでしょうか? その後はどうなるのでしょうか。
確かに、以前から長い間、そしてまたこの具体的な機会に、この共同体を代表する人々から、多くの不調和なことを聞かされてきました。--- 満足と思い上がり、一方的主張に凝り固まっていること、などです。真理への愛によって、私はこう付け加えなければなりません。それは、私は感謝の感動的な一連の証言をも受け取ったということです。これにおいて、彼らの心が開かれていることが見て取れます。それでも、偉大なカトリック教会は、同じく寛大になり、自分が持っている巨大な包容力を意識して、教会に対してなされた約束を意識することを自らに許してはならないのでしょうか?私たちは、良き教育者として、好ましくない様々なことには注意を向けないでいられるようにし、心の狭さから出るように努力をするべきではないでしょうか? そして私たちは、教会の中にも、何らかの不調和があることを認めるべきではないでしょうか?
時として、私たちの生きている社会は、少なくとも一つのグループを必要としているように思えますそれにはいかなる寛容も与えられないグループ、これに反対しては平然と憎しみ投げつけることが出来るグループを。そして、誰であれこのグループに敢えて接近するなら、---- 今回は、それは教皇でした ---- その近づいた人も寛容の権利を失い、彼もまた憎しみとともに、畏れも遠慮もなく取り扱われうるのです。
親愛なる司教の兄弟たちよ、この手紙を書こうと考えが私に起こったその日々の間、たまたま私はローマの神学校にいて、ガラチア人への手紙の5:13-15の箇所を解釈し注解しなければなりませんでした。私は驚きながら、次の言葉が私たちに現在のことを語っているその直接さ(l' immediatezza)に気づきました。「ただその自由を、肉への刺激としてつかってはならない、むしろ愛によってたがいに奴隷となれ。なぜなら全律法は、「自分とおなじように隣人を愛せよ」という一言に含まれているからである。たがいに噛み食って、ともにくいつくされないように注意せよ。」
私はいつも、この言葉を、聖パウロの中に時々ある修辞的誇張と考える傾きがありました。
ある観点から見ればそうでありえます。しかし、不幸にしてこの「噛み食ってくいつくす」ということは、間違って解釈された自由という名前のもとに、カトリック教会の中にも今日存在します。私たちもガラチア人より優れているとは言えないことは驚きでしょうか? 少なくとも、私たちは同じ誘惑を受けているのではないでしょうか? 私たちは常に新しく自由の正しい使い方を学ぶべきではないでしょうか? そして常に新しく私たちは最高の優先課題である愛を学ぶべきではないでしょうか?
私がそのことをローマの大神学校で話したその日、私たちは「信頼の聖母」の祝日を祝っていました。事実、聖母マリアは私たちに信頼を教えてくれます。聖母は私たちをして聖子に導き給い、私たちは聖子に全きの信頼を置くことが出来るのです。聖子は、私たちを導いて下さるでしょう。たとえ喧噪の時代であったとしても。私は、こうして、心を込めて、これら全ての司教たちに感謝をしたいと思います。彼らは、この(大変な)期間に、私に信頼と愛情との感動的なしるしを与えてくれ、特に私に自分たちの祈りを約束してくれました。この感謝は、最近、聖ペトロの後継者に対する変わらない忠誠を証してくれた全ての信者の皆様にも同様に申し上げます。
願わくは、主が私たちを全てを保護し給い、私たちを平和の道に導いき給わんことを!これこそが、この四旬節の始まりにあたって、私の心から自然と湧き上がる願いであります。四旬節は特に内的の清めのためにふさわしい典礼の時節であり、私たち全てを、新たな希望とともに復活祭の光に満ちた対象へと眼差しを向けるようにと招待しています。
特別の使徒的祝福をもって、もう一度言います、私は、
主においてあなたたちのもの
ベネディクト十六世
バチカンにて、2009年3月10日
LETTRE DE SA SAINTETÉ BENOÎT XVI AUX ÉVÊQUES DE L’ÉGLISE CATHOLIQUE
au sujet de la levée de l’excommunication des quatre Évêques consacrés par Mgr Lefebvre
Lettre de Sa Sainteté Benoît XVI aux évêques de l’Église catholique
au sujet de la levée de l’excommunication des quatre Évêques consacrés par Mgr Lefebvre
Lettre de Benoît XVI aux évêques du 10 mars 2009
«À notre époque, dans de vastes régions de la terre, la foi risque de s’éteindre comme une flamme qui ne trouve plus à s’alimenter»
LETTERA DI SUA SANTITÀ BENEDETTO XVI AI VESCOVI DELLA CHIESA CATTOLICA RIGUARDO ALLA REMISSIONE DELLA SCOMUNICA DEI QUATTRO VESCOVI CONSACRATI DALL’ARCIVESCOVO LEFEBVRE
【関連記事】
愛する兄弟姉妹の皆様、
翻訳をするのに、今まで手間取ってしまっておりましたが、2009年3月10日付けのルフェーブル大司教によって聖別された四名の司教の破門解除に関するベネディクト十六世教皇聖下のカトリック教会の司教たちへの手紙の日本語訳をご紹介したいと思います。
コンピューターのスクリーンでも読みやすいように、原文では一段落のところでも幾つかの段落に区切ってあります。
ルフェーブル大司教によって聖別された四名の司教の破門解除について
司教聖務における親愛なる兄弟たちよ、
ルフェーブル大司教によって聖座の許可なしに1988年に聖別された四名の司教たちの破門を解除は、多くの理由により、カトリック教会の内外において、激しい論争を引き起こしました。この激しさは極めて長い間もはや無かった程でした。この出来事は、突然引き起こり、今日のカトリック教会の問題と責務とにおいて肯定的に位置づけるのは難しいものであり、多くの司教たちを困惑させました。
多くの司教たちと信者たちは、言われるまでもなく(アプリオリに)、教皇の和解への態度を肯定的に捉えるよう準備が出来ていたとしても、しかしながら、現代における信仰生活の本当の緊急性に直面して、そのようなジェスチャーが適宜なものであるかという疑問がそれに反対していました。
むしろその反対に、ある複数のグループは教皇をして、第二バチカン公会議以前の時代に後戻りしようと望んでいるとあからさまに攻撃しました。そこから、激しい抗議の大波が引き放たれ、その苦々しさは現在を遡る古傷を現していました。
親愛なる兄弟の司教たちよ、だからこそ私はあなたたちに何らかの説明を与えるように導かれたのです。この説明は私自身をしてまた聖座の担当期間をしてこの一歩を踏み出すように導いた意向を理解する助けとなるでしょう。私はこうしてカトリック教会における平和に寄与することを期待します。
ウイリアムソンの件が破門の解除と重なりあった事実は、私にとって予測のできない悲惨なことでした。有効に叙階された、しかし非合法的に叙階された四名の司教に対する慎み深い憐れみのジェスチャーが、突如として全く別のものとして現れたのです。つまり、キリスト者とユダヤ教徒の間の和解の否定として、従って、このことについてのカトリック教会の道行きのために第二バチカン公会議が明らかにしたことの撤回として現れたのです。
離別の過程に巻き込まれている教会の一グループとの和解への招きは、こうしてその反対のものと変容したのです。つまり、第二バチカン公会議以後なされたキリスト者とユダヤ教徒たちとの和解の全ての歩みに関して、見かけ上の後ろ戻りすることに変容したのです。ところでこの歩みは、その分かち合いと促進は、最初から、私の神学者としての個人的な仕事の対象だったのです。
これら二つの相反する過程の重なりが起こったこと、そしてこれがキリスト者とユダヤ教徒との間の平和を、そしてカトリック教会内の平和を一時揺るがしたことは、私にとって深く嘆くばかりのことです。インターネットによってアクセス出来る情報を注意深く追っていたなら、問題を直ぐに知ることが出来ただろうと言われました。私はこのことから教訓を得て、将来、聖座において、私たちはこの情報源にもっと注意を払うべきでしょう。
私は、カトリック者でさえも、それが何であったのか、奥深くもっと良く知ることができたはずのカトリック者でさえも、いつでもあからさまに出来る敵意を持って私に侮辱しなければならないと考えたことという事実に苦しみました。
正にこのためにこそ、すぐに誤解を打ち消し友情と信頼の雰囲気 --- ヨハネ・パウロ二世の時にそうであったように、そして私の教皇職の全ての時期にわたっても存在していたし、ティシエ・ド・マルレ司教様の御恵みによって存在し続ける友情と信頼の雰囲気 --- を再建しようと助けてくれたユダヤ教の友人たちに感謝します。
私を心から悲しませるもう一つ別の誤りは、2009年1月21日の措置の範囲と限界が、その発表の時に充分明確なやり方でコメントされていなかったという事実にあります。破門は個人に関わるもので、組織に関わるものではありません。教皇の許可(mandatum)無しの司教叙階は、離教の危険があることを意味します。何故ならこれは、教皇とともにある司教団の一致に疑問を投げ掛けることだからです。だからこそ、カトリック教会は破門という最も厳しい罰則によって対応しなければならないのです。それは、このやり方で罰を受けた人々を後悔と、一致とに呼ぶ目的のためです。
叙階後二十年がたちましたが、この目標は残念ながら達成されていません。破門の解除は、罰がなされる同じ目的を目ざしています。つまり、もう一度、四名の司教を回帰に招くことです。
このジェスチャーは該当者が教皇と教皇の牧者としての権威の原理を認めることを彼らが表明したことで可能だったのです。それは、たとえその教義上の権威と第二バチカン公会議の権威とへの従順について、留保をつけてであったとしてもです。
私はここで個人と組織との区別に話を戻します。破門の解除は、教会規律の領域における一措置でした。教会の最も厳しい罰が構成する良心の重荷から個人が解放されました。この規律の水準と教義上の領域とを区別しなければなりません。聖ピオ十世会がカトリック教会内で教会法上の地位(position canonique)を持っていないことは、結局のところ、規律上の理由ではなく、教義上の理由に基づいています。
聖ピオ十世会がカトリック教会の中で教会法上の地位をもたない限り、その役務者らは教会の中で合法的な役務(ministères légitimes)を行っていないことになります。次に、個人としての個人にかかわる規律のレベルと、その役務と組織がそこにある教義上のレベルとをと区別しなければなりません。
さらにもう一度正確に言うと、教義に関する問題が明確にならない限りは、聖ピオ十世会はカトリック教会内で如何なる教会法上の地位(statut canonique)も持たず、そしてその役務者達は、 --- 彼らが教会法上の罰から解放されたとしても --- カトリック教会中のいかなる役務も合法的に行使してはいません。
この状況の光のもとに、将来、エクレジア・デイ教皇庁立委員会 --- 1988年以降、聖ピオ十世会或いはそれと似たグループに由来する、教皇と全きの交わりに立ち返りたいと望む共同体と個人のための担当組織ですが --- を教義信仰聖省に所属させる意向をもっています。かくして、現在、取り扱われるべき問題は、本質的に教義上の本性を持ったものであり、特に、第二バチカン公会議と公会議後の教皇たちの教導権の受入れに関するということが明らかとなります。
団体的諸組織(organismes collégiaux)、--- 教義信仰聖省はこれらと共に提示される問題に取り組むのですが --- (特に、毎週水曜日の枢機卿たちの会合と毎年の或いは二年ごとの総会)は、ローマ諸聖省の長官たち、また世界中の司教の代表たちが、なすべき決定をするに当たってその参加を保証します。 カトリック教会の教導の権威を1962年で凍結することは出来ません。 ---- このことは聖ピオ十世会にとっても明らかでなければなりません。しかしながら、自らを第二バチカン公会議の偉大な擁護者として宣言する人々の一部に、第二バチカン公会議がカトリック教会の教義の全歴史を包含していることを思い起こさせる必要があります。第二バチカン公会議に従順であることを望む人は、数世紀にわたって宣言された信仰を受入れなければならず、生きている木の根を切ることは出来ません。
親愛なる司教兄弟たちよ、以上で、2009年1月21日の措置の肯定的な意味とその限界が明らかにされたと期待します。しかしながら、今、次の疑問が残っています。この措置は必要だったのか?
これは本当に優先課題だったのか?もっとより重要なことは無いか?確かに、より重要でより緊急なことはあります。
私は、教皇登位の最初に述べた講話のなかで、私の教皇職の優先課題を強調したことを考えています。その時私が言ったことは、変わることなく私の行動方針であり続けています。ペトロの後継者にとって、第一の優先課題は、最後の晩餐の時、私たちの主によってはっきりと定められました。「おまえは兄弟たちの信仰を堅めよ」(ルカ22:32)と。ペトロ自身も、この優先課題を自分の第一の手紙の中で、新しいやり方で次のように表明しました。「あなたたちのうちにある希望の理由をたずねる人には、やさしく、うやまいつつ常に答える準備をせよ」(ペトロ前書3:15)と。
現在、地上の広大な地域で、信仰がもはや燃え尽きてします炎のように消え去ってしまう虞がある私たちの生きている時代において、何より先になされるべき優先的ことがらは、この世に天主を現存させ、天主へ近づくことが出来るように人々に開くことです。誰彼の区別ない或る神ではなく、シナイの山で語り給うたこの天主へ、私たちがその御顔を認めるのは、極みまでの愛において -- 十字架につけられ復活し給うたイエズス・キリストにおいて -- である天主へ、です。私たちの歴史のこの時点において、本当の問題は、天主が人々の水平線から姿を消し、また一方で天主からの光が消えるとどうじに、他方で人類は方針を欠き、ますます自分の内部に人類を破壊するような結果が現れ出ていることです。人々を天主へと導くこと、聖書において語り給う天主に導くこと、それが今日、カトリック教会とペトロの後継者との最高で基本的な優先課題なのです。そこから、論理的結果として、私たちが信者たちの一致を心におかなければならないということが帰結します。実に、信徒たちの内部的な不一致や対立は、彼らが天主について語るところの信憑性を疑わせるだけです。だからこそ、エキュメニズムによってキリスト者たちの信仰の共通の証のために努力をすることが最高の優先課題に含まれているのです。このことに、天主を信じる全ての者たちが、共に平和を探し求め、たとえ天主のイメージは違っていても、光の源へと一緒に行くために、お互いが近づくように試みる必要が付け加わります。これが諸宗教間の対話です。天主を「極みまでの」愛として告げるものは、愛の証をも与えなければなりません。つまり、苦しむ人々に愛を込めて自己を奉献し、憎しみと敵意を遠ざけること、これがキリスト教の信仰の社会的次元です。これについては私は回勅『デウス・カリタス・エスト(Deus Caritas Est)』の中で語りました。
もしも、この世において、信仰、希望、愛のための熱心な参与が、この時(そして、いろいろな形においては、いつも)カトリック教会にとって本当の優先課題であるなら、大小様々な和解も、その一部をなすのです。手を差し伸べるたという謙遜なしぐさが、大騒ぎの元にあり、それで和解とは反対となっていることは、私たちが記憶しなければならない事実です。しかし、私は今こう尋ねます。この場合にも、「何かあなたに対してふくむ所がある」(マテオ5:23)兄弟に会いに行き、和解を求めることは本当に間違っていた、間違っているのでしょうか?市民社会もまた、過激化を予防し、ありうるかも知れない過激化の賛同者たちをして、社会生活を形づくる大きな力の中に --- 出来る限り --- 受け入れるように試みなければならないのではないでしょうか? それは差別とその全ての結果とを避けるためです。心を頑なにすることや狭めることを弱めようと努力する事実は、これは全体のために、肯定的なことや回復されるべきことにこうやって場所を与えるためという目的でなされるのですが、完全に間違っていることがあり得るでしょうか?
私自身、1988年以降、以前はローマから離れていた複数の共同体が戻ってきたおかげで、これらの共同体の内的雰囲気が変化したこと、偉大で広大な共通の教会へと戻ってきたことが、一方的な立場を越えさせ、頑なな態度は和らげ、続いて全体にとって肯定的な勢力としてそこから姿を現したということを見てきました。その中に、491名の司祭、215名の神学生、6つの神学校、88の学校、2つの大学、117名の修道士、164名の修道女、そして何千人もの信者を数える共同体を、私たちは全く無関心でいることが出来るでしょうか。彼らがカトリック教会から遠くを漂流するのをそのまま何も感じずに放置すべきなのでしょうか?私は、例えば491名の司祭たちのことを考えています。私たちには、彼らの動機のもつれを知ることは出来ません。しかしながら、もしも、歪んだ病的な様々の要因を別にして、キリストへの愛と、キリストと、キリストと共に生きておられる天主を告げ知らせようという意思を持っていなかったならば、司祭職へと決意していなかっただろうと私は考えます。私たちは、単純に、彼らを重要でもない先鋭グループの代表として、和解と一致とを求めることから排除することが出来るでしょうか? その後はどうなるのでしょうか。
確かに、以前から長い間、そしてまたこの具体的な機会に、この共同体を代表する人々から、多くの不調和なことを聞かされてきました。--- 満足と思い上がり、一方的主張に凝り固まっていること、などです。真理への愛によって、私はこう付け加えなければなりません。それは、私は感謝の感動的な一連の証言をも受け取ったということです。これにおいて、彼らの心が開かれていることが見て取れます。それでも、偉大なカトリック教会は、同じく寛大になり、自分が持っている巨大な包容力を意識して、教会に対してなされた約束を意識することを自らに許してはならないのでしょうか?私たちは、良き教育者として、好ましくない様々なことには注意を向けないでいられるようにし、心の狭さから出るように努力をするべきではないでしょうか? そして私たちは、教会の中にも、何らかの不調和があることを認めるべきではないでしょうか?
時として、私たちの生きている社会は、少なくとも一つのグループを必要としているように思えますそれにはいかなる寛容も与えられないグループ、これに反対しては平然と憎しみ投げつけることが出来るグループを。そして、誰であれこのグループに敢えて接近するなら、---- 今回は、それは教皇でした ---- その近づいた人も寛容の権利を失い、彼もまた憎しみとともに、畏れも遠慮もなく取り扱われうるのです。
親愛なる司教の兄弟たちよ、この手紙を書こうと考えが私に起こったその日々の間、たまたま私はローマの神学校にいて、ガラチア人への手紙の5:13-15の箇所を解釈し注解しなければなりませんでした。私は驚きながら、次の言葉が私たちに現在のことを語っているその直接さ(l' immediatezza)に気づきました。「ただその自由を、肉への刺激としてつかってはならない、むしろ愛によってたがいに奴隷となれ。なぜなら全律法は、「自分とおなじように隣人を愛せよ」という一言に含まれているからである。たがいに噛み食って、ともにくいつくされないように注意せよ。」
私はいつも、この言葉を、聖パウロの中に時々ある修辞的誇張と考える傾きがありました。
ある観点から見ればそうでありえます。しかし、不幸にしてこの「噛み食ってくいつくす」ということは、間違って解釈された自由という名前のもとに、カトリック教会の中にも今日存在します。私たちもガラチア人より優れているとは言えないことは驚きでしょうか? 少なくとも、私たちは同じ誘惑を受けているのではないでしょうか? 私たちは常に新しく自由の正しい使い方を学ぶべきではないでしょうか? そして常に新しく私たちは最高の優先課題である愛を学ぶべきではないでしょうか?
私がそのことをローマの大神学校で話したその日、私たちは「信頼の聖母」の祝日を祝っていました。事実、聖母マリアは私たちに信頼を教えてくれます。聖母は私たちをして聖子に導き給い、私たちは聖子に全きの信頼を置くことが出来るのです。聖子は、私たちを導いて下さるでしょう。たとえ喧噪の時代であったとしても。私は、こうして、心を込めて、これら全ての司教たちに感謝をしたいと思います。彼らは、この(大変な)期間に、私に信頼と愛情との感動的なしるしを与えてくれ、特に私に自分たちの祈りを約束してくれました。この感謝は、最近、聖ペトロの後継者に対する変わらない忠誠を証してくれた全ての信者の皆様にも同様に申し上げます。
願わくは、主が私たちを全てを保護し給い、私たちを平和の道に導いき給わんことを!これこそが、この四旬節の始まりにあたって、私の心から自然と湧き上がる願いであります。四旬節は特に内的の清めのためにふさわしい典礼の時節であり、私たち全てを、新たな希望とともに復活祭の光に満ちた対象へと眼差しを向けるようにと招待しています。
特別の使徒的祝福をもって、もう一度言います、私は、
主においてあなたたちのもの
ベネディクト十六世
バチカンにて、2009年3月10日
LETTRE DE SA SAINTETÉ BENOÎT XVI AUX ÉVÊQUES DE L’ÉGLISE CATHOLIQUE
au sujet de la levée de l’excommunication des quatre Évêques consacrés par Mgr Lefebvre
Lettre de Sa Sainteté Benoît XVI aux évêques de l’Église catholique
au sujet de la levée de l’excommunication des quatre Évêques consacrés par Mgr Lefebvre
Lettre de Benoît XVI aux évêques du 10 mars 2009
«À notre époque, dans de vastes régions de la terre, la foi risque de s’éteindre comme une flamme qui ne trouve plus à s’alimenter»
LETTERA DI SUA SANTITÀ BENEDETTO XVI AI VESCOVI DELLA CHIESA CATTOLICA RIGUARDO ALLA REMISSIONE DELLA SCOMUNICA DEI QUATTRO VESCOVI CONSACRATI DALL’ARCIVESCOVO LEFEBVRE
【関連記事】
- 聖ピオ十世会総長のベルナール・フェレー司教が感謝と信頼の見解発表:聖ピオ十世会総長の報道発表:教皇様の2009年3月10日付けカトリック司教たちに送った手紙に関して
- 聖ピオ十世会総長フェレー司教のアレッサンドロ・ニョッキとマリオ・パルマロとのインタビュー
- 教皇様の「ルフェーブル大司教に叙階された4司教の破門解消について」と題された書簡を読んで
- 【参考資料】2009年1月21日付の司教聖省の教令の日本語訳
- 聖ピオ十世会の四名の司教たちが、2009年1月29日の教令の後、教皇様に送った手紙
- 聖ピオ十世会総長のフェレー司教様は、インタビューに答えて
- ローマは、天主の栄光と霊魂の救いのために信仰を維持したことを感謝するだろう(ルフェーブル大司教)
- ヴァチカン:1988年7月1日付けの教令は栽治権上失効したと宣言します。2009年1月21日
- 聖ピオ十世会報道発表:教皇ベネディクト十六世の命による司教聖省の2009年1月21日の教令について