アヴェ・マリア!
愛する兄弟姉妹の皆様、
カトリック教会は、その聖伝によれば、聖寵(grace)とは「私たちの功徳によるのではなく、ただ私たちの主イエズス・キリストの功徳を通して、私たちが永遠の生命を得ることができるために、私たちに与えられる無償の内的な超自然の賜・恵み」であると教えています。
同じ聖伝の教えによれば、聖寵には二種類あります。成聖の恩寵(sanctifying grace)と助力の恩寵(actual grace)です。
成聖の恩寵は、私たちの霊魂に内属する超自然の賜・恵みで、私たちをして義化し、天主の養子とし、天国の相続人とします。洗礼を受けた時に初めて与えられ、大罪を犯さない限り霊魂に常駐する無償の聖寵(habitual grace)です。
助力の恩寵は、必要な時にその都度、全ての人々に与えられる超自然の恵みで、私たちの心を照らし、意志を強め、私たちをして悪を避けて善を行うように助けてくれる恵みです。私たちは、この助力の恩寵に逆らって、与えられた恵みを無駄にすることができます。
カトリック教会の聖伝の教えによれば、聖寵は主に秘蹟を通して与えられ、秘蹟は成聖の恩寵と、さらに秘蹟の恩寵とを与えてくれます。何故なら、私たちの主イエズス・キリストはご自分の受難とご死去によって、秘蹟に聖寵を与える力を賦与したからです。
だから、カトリックの大学の神学部の教授が「第二ヴァチカン公会議は、人間の宗教体験における典礼の重要性と、秘跡的体験における言葉としるしの統括性を強調している。秘跡は、すでに与えられた恵みの現実(reality)を、典礼的な工夫を通して意識的に体現する(realization)ものとして理解される。」などという説明を聞くと、本当にカトリックなのだろうか?!と思わずにはいられなくなります。
愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)@タナイでのメディカル・ミッションにて
愛する兄弟姉妹の皆様、
カトリック教会は、その聖伝によれば、聖寵(grace)とは「私たちの功徳によるのではなく、ただ私たちの主イエズス・キリストの功徳を通して、私たちが永遠の生命を得ることができるために、私たちに与えられる無償の内的な超自然の賜・恵み」であると教えています。
同じ聖伝の教えによれば、聖寵には二種類あります。成聖の恩寵(sanctifying grace)と助力の恩寵(actual grace)です。
成聖の恩寵は、私たちの霊魂に内属する超自然の賜・恵みで、私たちをして義化し、天主の養子とし、天国の相続人とします。洗礼を受けた時に初めて与えられ、大罪を犯さない限り霊魂に常駐する無償の聖寵(habitual grace)です。
助力の恩寵は、必要な時にその都度、全ての人々に与えられる超自然の恵みで、私たちの心を照らし、意志を強め、私たちをして悪を避けて善を行うように助けてくれる恵みです。私たちは、この助力の恩寵に逆らって、与えられた恵みを無駄にすることができます。
カトリック教会の聖伝の教えによれば、聖寵は主に秘蹟を通して与えられ、秘蹟は成聖の恩寵と、さらに秘蹟の恩寵とを与えてくれます。何故なら、私たちの主イエズス・キリストはご自分の受難とご死去によって、秘蹟に聖寵を与える力を賦与したからです。
だから、カトリックの大学の神学部の教授が「第二ヴァチカン公会議は、人間の宗教体験における典礼の重要性と、秘跡的体験における言葉としるしの統括性を強調している。秘跡は、すでに与えられた恵みの現実(reality)を、典礼的な工夫を通して意識的に体現する(realization)ものとして理解される。」などという説明を聞くと、本当にカトリックなのだろうか?!と思わずにはいられなくなります。
愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)@タナイでのメディカル・ミッションにて