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ミサ聖祭と聖餐式

2009年08月01日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 カトリック教会の聖伝の教えによれば、ミサとは、十字架のいけにえの記念を行うために、パンとブドウ酒の外観のもとに、私たちの祭壇の上で捧げられる私たちの主イエズス・キリストの御体と御血とのいけにえです。ミサ聖祭は、実体的に十字架のいけにえと同じいけにえであり、私たちの主イエズス・キリストがご自分の教会に残した新約の永久のいけにえです。この永久の新約の唯一のいけにえは、司祭の手を通して天主にのみ捧げられるのです。これは、聖伝の公教要理にある、子供でも知っている教えです。

 ところが、あるカトリック大学の神学部の教授は、ミサ聖祭をミサと呼ばず、常に「聖餐」あるいは「聖餐式」と呼び、「聖餐はゆるしの体験が共同体的に体現される秘跡的な場である。ゆるしが体現されることにおいて聖餐の本質が表れる。」(ここでの体現 Realization されるとは、意識的に体現される、気がつく、理解される、把握する、一種の悟りという意味であると思われる)と言い、「聖餐は、復活し現存するキリストの人格に出会う場である。」と主張して、十字架のいけにえには一切触れずに、聖餐をエマオへの旅をしていた二人の弟子のキリストとの夕方の食事と同じであると理解し、「私たちはエマオへの旅物語において、キリスト者の共同体が祝っている聖餐の現実を正確に見ることができる。」と言っています。ですから、この准教授によれば、聖餐は、いわば、キリスト者らの旅であり、パンを裂いているキリストが「彼らの旅の主でもあり、聖餐の宴の主でもあると彼らが認識するとき、旅全体は最高潮に達する。人間の歩みと私たちの食事会が統合されてい
く。その頂点がパンを裂く式を通して現れる。旅が進むにつれ、キリスト者は心の深みでキリストの現存に気づき始め、キリストはますます彼らの一部になっていく。彼らは復活されたキリストに出会うにつれ、新しい希望と力を得る。彼らが彼を晩餐の主だと認めるとき、彼らは新しい人になる。彼らは宣教者になる」のだそうです。

 これらは、カトリック教会の聖伝にも、過去の公会議にも、教父らの教えにも、基づくものではありませんが、第二バチカン公会議の教えとして提示され、神学生たちに教えられているようです。

 従って、この神学部准教授は、「聖餐は、キリスト者がこの(キリストの)現存の強烈に経験し、復活されたキリストとより深く結ばれるところである。」「人は実際に信仰の旅をする中でのみ、復活されたキリストと出会う。」「キリスト者は聖餐を通じてこの(キリストとの)出会いに気づき、それが本物だと認める。聖餐は、イエズス・キリストと全人類との旅を、儀式的・典礼的に集約し、充実させる。‥キリスト者たちは、パンを裂くことのうちに復活されたキリストがいることを知り、彼に出会う」ことになるのです。

 だから、聖餐がキリストとの出会いであるならば、「共同体はキリストの現存を深めるために、典礼のおける積極的な参加が勧められ、また典礼の自国語化や文化的な適用が促され」なければならず、そのとき、「神によって与えられた無限の恵み」が「神の恩赦の宣言」として体験され、悪人にも善人にも太陽を昇らせ雨を降らせる神の愛の深さが「パンの意味」の本質をなすことになると言います。そして、この教授によると、「イエス」こそが「神の真のしるし」であり、「神からの無償の贈り物」であり、信仰とは、イエスを贈り物として真のしるしとして受け入れることであり、「聖餐は儀式的表現でその信仰を促進させる」べきなのです。だからこそ「信者は「パン」を‥まさに取って食べる」べきなのです。

 従って、第二バチカン公会議の新しいミサが、その総則にあるように、主の晩餐(すなわちミサ)であり、私たちが普通ミサ聖祭とかミサと呼んでいるものが、まず晩餐でありなら、もしも、ミサ聖祭は罪のあがないのいけにえではなく、聖餐式という復活したキリストとの出会いの場であるなら、新しい「ミサ」は、全く別の神学の上に建てられたと言わなければなりません。

 だからこそ、聖餐式である新しい「ミサ」では、信者は「パン」を手に取って食べるべきなのです。

 もし、カトリック信者が教会を離れて、カトリックの司祭らがプロテスタントの牧師に転向するというニュースを聞いても、私たちは驚くべきではありません。

至聖なるイエズスの聖心よ、我らを憐れみ給え!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

文責:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)@メディカルミッションを終えて帰路にて携帯で

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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