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静岡の地震

2009年08月13日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 先日の静岡で起こった地震ですが、安否を気遣うお言葉をありがとうございました。

 天主様の憐れみで、父母は大丈夫で、家も小物が倒しただけだったとのことです。

 怪我をされた方々や損害を受けた方々のために、お祈り申し上げます。愛する兄弟姉妹の皆様のお心に感謝いたします。

天主の御母聖マリアよ、我らのために祈り給え!

天主様の祝福が愛する兄弟姉妹の皆様の上に豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

教会が何故に、マリアを憐れみの元后と呼び奉るのか

2009年08月13日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖アルフォンソ・デ・リゴリオの「聖母マリアの栄光」から引用します。

***


「寛仁の法はその舌の上にある」(lex clementiae in lingua eius)Proverb. 31:26 マリアの祈りは、一つ一つ、法の力を持っている。何故なら、主は、マリアが執り成しを願うものの全てのものに慈悲を垂れるとお定めになったからである。

 聖ベルナルドは「教会が何故に、マリアを憐れみの元后と呼び奉るのか」という問いに、次のように答えている。
「それは、マリアが、望むものに、望むときに、望むとおりに、天主の御憐れみの深淵を開くことを示すためである。だから、罪人は、どんなに悪に凝り固まっているものであっても、聖人中の聖人であるマリアが、これを御保護の元に置くならば、決して滅びることはない」・・・

http://www.franciscan-archive.org/bonaventura/index.html

 聖グレゴリオ七世は答えて
「いな、マリアの偉大さと聖性とは、回心を望んでより頼む罪人に対して、彼女をさらに寛仁なもの、優しいもの、とするだけである」と言っている。・・・

 聖ベルナルドが言っているように、どんなに弱く惨めな人間も、マリアを恐れて、これから遠ざかる必要なはい。マリアは憐れみの元后だからである。マリアをよく眺めてみよう。「マリアには、厳しいところ、恐ろしいところは少しもない。マリアは極めて優しく、親切でいらっしゃる。」

***


天主の聖母、終生童貞なる聖マリアよ、我らを憐れみ給え!

天主の聖母、終生童貞なる聖マリアよ、我らのために祈り給え!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

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アヴェ・マリア・インマクラータ!
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