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ローズ胡美玉 著 『楽は苦に在り』 第六十二章 あちらにもこちらにも、天主様はいらっしゃいます

2012年01月08日 | カトリックとは
第六十二章 あちらにもこちらにも、天主様はいらっしゃいます

あなたが今まで私の話をお読みになれば、非常に多くの殉教者が私の周囲にいたことを学んだことでしょう。ですが、私は彼らのいずれかが聖母またはイエズス様の出現を受けたことを聞いてはいません。それは、天主様があたかも中国の刑務所や労働収容所にほとんど注意を払っていないかのように見えました。数十年もの間、非常に多くの司祭と信者は、ミサを立てたり、それに与ることや、如何なる秘跡をも受ける機会がありませんでした。ミサや告白無しに、自分たちの信仰をどうして保つことができたのかと、多くの人々は私に問いました。実際には、それは非常に少数の人々しか気付くことが出来ない奥義です。

私たちは天主様の前で罪人ですが、私たちは自分の国や他人を怒らせることを何もしませんでした。私たちは真実の証人となるためだけに自由を失いました。私たちは天主様の名前のために迫害されました。どうして、慈悲深い天主様が、私たちをお忘れになることが有り得るでしょうか?天主様は全知全能であり、どこでも、そしていつでも私たちと共におられます。私が労働改造所にいた時、私はいつも、自分が殉教者の列に選ばれた人であり、もっとも祝福された一人だと思いました。私がどんなに侮辱されようとも、私が持っていた十字架がどんなに重くても、私はゴルゴタの丘に向かう準備が出来ていました。私が死ぬのならば、天主様は直ぐに私の目の前におられ、私が天国へ来るのを歓迎されるでしょう。労働改造所は私にとって、天国の予備校でした。もし、自分たちの苦行と祈りをイエズス様の犠牲と一体にするのならば、私たちは自分たちと他の人の霊魂を救うことが出来ます。どうして、そうせずにいられるでしょう?50年以上の後の現在、あわれな罪人である私はなお生き延びています。私は天主様が神であることを証明する最良の証人です。誰も天主様無しでは、苦しみの深い谷を切り抜けることは出来ないでしょう。とても強くて聖なる人でさえ、長年ものあの種の厳しい迫害を自分自身の強さでは耐えられないでしょう。間違いなく、私は小さき者の最も小さき者です。実際のところ、私が披露するようなものは何も持っておらず、天主様の御慈悲を褒め称えるばかりです。イエズス様無しには私は罪人であり、埃に過ぎません。

私の親友であるテレサは、私に素晴らしい出来事を語りました。彼女が上海で投獄された時、彼女は同じ牢屋内で女霊媒師と共に過ごしました。この女性は、彼女が何匹かの魔物に取りつかれており、死者と交信する霊媒になることが出来ると告げました。テレサは最初、冗談としては受け取りましたが、その経験は彼女に疲れと妨げを残しました。ある冬の日、霊媒師は十分な衣類を持っていなかったので、寒さで手に負えないほど震えていました。テレサは彼女を気の毒に思い、この女性に自分のコートを着せました。数秒の内に、その女性は大声で叫びました。牢獄内の誰もが、彼女に何が起きているかに驚きました。数分後、女性は静かになりました。彼女は、ここ数年の間、彼女の上に何匹かの魔物がいましたが、今彼女は彼らから自由になったとテレサに語りました。彼女は、コートに何か特別なものがあったかどうか尋ねましたが、当然のことながら、テレサは何も特別なものはない普通のコートだと言いました。その後、慎重に自分のコートをチェックし、驚いたことに、テレサは彼女の母親がコートの裏地の上に、茶色のスカプラリオの一部を貼り付けていたのを見つけました。彼女の母親を除いては、誰もその秘密を知りませんでした。スカプラリオは、刑務所の独房で大きな奇蹟を起こしました。何度も何度も時間をかけて私の友人に警告した女性は、進んで信者の一人となりました。あちらでもこちらでも、天主様と私たちの聖母は刑務所の独房におられました。天主様の祝福と御恵みは常に私たちと共にあります。

何年も前に、私に起こった他の出来事がありました。私が最初に米国に来たとき、私はチャイナタウンに住んでいました。私は毎朝ミサに行き、私の家から教会までの距離は遠くはありませんでしたが、通りの多いランプがありましたので、近道として、橋まで3層を歩いて登らなければなりませんでした。道が真っ直ぐではっきりとはしていなかったので、非常に少数の人しかそこを通りませんでした。私の隣人の多くは、多くの人が物を盗まれてある人は殺されたので、そこの上を歩くのは余りにも危険だと私に言いました。彼らはそこを通らないように何度も何度も私に警告しました。私が安全な道を通る場合、教会に行くのに40分多くかかります。私が近道をするつもりではなかったら、有り難いと思うでしょう。私がほとんど頂上まで歩いていた日まで、何事もなく日々は過ぎました。突然、不穏な人影が私の視界に入ってきました。一人の裸のラテン系アメリカ人が、私から10歩以内のところにいました。彼は空腹のライオンのように非常に荒っぽく見え、私は自分が何をすべきか全く途方にくれました。もし私が走れば、彼が私を捕まえるのとても簡単だったでしょう。どこへ行くにも私はいつもロザリオを持ち、可能な限り多くロザリオの祈りを唱えました。私の信条は、ロザリオが武器の中で最も強力であるということです。そのような緊急事態で助けを求めても、誰も来ないでしょう。その非常に重要な時に、私の思考は速く回り、私は自分の右手から左手にロザリオを持ち替えて、とても熱心に十字架の印をしました。

彼は震え始めました。私は一歩一歩とペースを保ちつつ、彼に近づきました。その人はとても怯えたので、私の顔を見るのを避けるために、一歩一歩と後ずさりしました、そして、踵を返してすぐに走り去りました。教会に着いた後、私はイエズス様の前に跪きましたが、どのように天主様に感謝してよいか分かりませんでした。実際のところ、私は単なる特別な力も持たない罪人でした。あのランプで起こったことは、全く強力な十字架の印によるものでした。何が起きようとも、悪魔は救いの印であるこの偉大なシンボルを恐れます。天主様は十字架の上で私たちをお救いになりました。何が起こったかを見て下さい。ロザリオの祈りを唱えることと、十字架の印をすることの他に、私は何もしていませんでした。私はイエズス様と、私たちの祝福された御母であるマリア様によって守られました。天主様に完全な信頼を置いているならば、あなたにも同じく奇蹟が起こるのです。実際に、天主様はこちらにもそちらにもおられます。どこにでもいらっしゃいます。いつでも、私たちの祈りにお応え下さるように準備されています。

-完-





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