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司教聖別に選別された四人の司教への手紙 ルフェーブル大司教 一九八八年六月十三日

2012年06月09日 | ルフェーブル大司教の言葉
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 ルフェーブル大司教様が1988年6月13日に書いたお手紙を訳して下さった方がおられますので、愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。
 聖ピオ十世会のために、聖ピオ十世会が7月に開く総会のためにお祈り下さい。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

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兄弟姉妹の皆様のご関心と応援とを感謝します。
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司教聖別に選別された四人の司教への手紙

ルフェーブル大司教

一九八八年六月十三日

 聖ピオ十世会を代表して、あなた方四人に感謝の意を表します。
 本質的なことが問題になると、ローマはその疑問に決して返答しません。ローマはいつも、彼らが示す方向に、私たちがほんの少しだけ傾かせる宣言を出すよう要求していますが、ローマの側においては、自分たちの基本的な自由主義と近代主義に疑問を差し挟もうとしないのです。今のところ、私はローマの近代主義のことを常に問題提起し続けています。

 六月二日、ローマに手紙を書いた時、話し合いは丁重でしたが、理解し合う時はまだ来ていないと理解させられました。私たちはアシジの精神に対抗するなんらかの防御を持たねばなりません。ローマは絶対に基本的な問題に取り組もうとしません。絶対に! ですから私たちの努力は無駄でした。数々の話し合いにおいて、私たちとローマは意見が食い違っています。こちら側としては、ローマが聖伝に戻ることを期待しています。ローマはというと、頑として動こうとしません。

 教皇様は『こういった話し合いを開くことで、私は一致に向けて関心を示している』とお答え下さいました。このようにして、五月五日の議定書は、第二ヴァチカン公会議を含む二十一のエキュメニカルな公会議に一致した上で、兄弟会が教会内に留まることを許そうとしました。それにも関わらず、私は教皇様のこのご返答に答えねばならないのですが、本来ならば私たちの方こそが、ローマに反近代主義者の誓いを立てること、"ラメンタビリ" と "クァンタ・クラ" を受け入れることを要求しなければならない、ということです。私たちこそがローマに信仰について質問すべきです! しかしローマは答えないでしょう。ただ誤謬を主張し続けるだけです。

 昨日、デ・サヴェンゼムが『あらゆる分裂の責任は、あなた一人にあるのですよ』と言いました。しかし "マーテル・エクレジエ" の全面的失敗に関する、元神学生カルロの手紙をとにかくご覧なさい。彼は『何から何まで間違っていました』と書いています。彼のラッツィンガー枢機卿への嘆願書も見て下さい。カルロは何度も枢機卿閣下に手紙を書きました。でも、なしのつぶてです! 二年もの間、ローマは、カルロら青年たちを笑い物にし続けたのです。彼らは歩調を合わせるよう強制されています。ガロンヌ(Garrone)、インノチェンティ(Innocenti)あるいはラッツィンガー【枢機卿ら】であれ、誰であれ、私たちに対して、まったく同じやり方です……。保守派と公式の教会との間のいかなる戦いにおいても、ローマはいつも公会議支持の司教たちの味方であり、聖伝を断罪しています。

「デ・サヴェンゼムは『しかし、こういったことは取るに足らないことですよ』と反論します。私は『いくつもの取るに足らないことが、甚大な影響をもたらすのです』と答えます。ローマは私たちのすること全てを第二バチカン公会議の精神に引き寄せようとするつもりなのです。五月五日の議定書によって、すぐに私たちは死んでいたことでしょう。一年も持ちこたえられなかったかも知れません。今のところ、私たちは一致していますが、議定書によれば、ローマと接触を持たざるを得ず、聖ピオ十世会内に分裂をもたらしていたことでしょうし、すべての事が分裂の原因となっていたことでしょう。新しい志願者たちは、私たちがローマとともにあったから私たちの道にたくさん来ていたことでしょうが、このような召命を持つ者たちは、ローマとの不一致──つまりは分裂──を我慢できなかったでしょう。今のところ、彼らの召命は、私たちのところにたどり着く以前に別のところに行っています。

 ローマ側では、ドクルトレ(Decourtray)大司教が、私たちの同僚の一人、ラファルグ(Laffargue)神父に、聖ピオ十世会を出ることを条件に聖伝の教区を提供しています……。ローマは私たちの同僚を引きずり込み、私たちを公会議へと引っ張っていこうとしています……。私たちはというと、注意深くローマと距離を取ることで、兄弟会と聖伝を守っています。私たちは、公式の教会に入り込んで聖伝を守ることができるかどうかを知ろうと、誠実に努力し理解しようとしました。それは不可能なことと分かりました。ローマは、さらに悪くなる以外に頑として動きません。例えばカザロリ枢機卿のモスクワ訪問のようなことです。

 しかしながら、私たちの信徒らは数名の司教が与えられることで狂喜乱舞するでしょう。九十パーセントの人々は深い安堵の息をつくでしょう。

 おお、そうです、ローマは反対しています。でも、五月五日の議定書は私たちに一人の司教を差し出したのです。私たちは決してその司教を受け入れません。ここスイスにおける、シオン教区の私たちの司教は、ラジオやテレビで、私たちが提示したすべての候補者たちをヴァチカンは拒否した、と言いました。ドン・ジェラール(Dom Gerard)、ポゼト(Pozzetto)神父、ラファルグ(Laffargue)神父ならローマは受け入れるかもしれません。しかし、私たちの候補者は、誰を提示してもローマは拒み、拒み、拒み抜くでしょう。デ・サヴェンゼムはというと、まるでローマの一員であるかのように異議を唱えるのです!

 あなた方の役割は秘跡を与え、信仰を説くことになります。あなた方は兄弟会に仕えることになるのです。ローマは、私の背後に兄弟会があったために、私だけを相手取っていました。兄弟会は正当な団体です。聖伝を力強く支えるため、あなた方の間にしっかりと一致を保って下さい。諸々の主要な決定をするのは、総長の意向次第となるでしょう……。

 教皇様の認可なしで司教になるということは、それ自体、離教ではありません。教皇ピオ十二世以降、中国の司教たちのために離教となっただけです。

 ローマは怒り心頭です。デ・サヴェンゼムはラッツィンガー枢機卿のFAX番号を教えてくれました。ローマは霊的エイズに罹ってしまっています。ローマにはもはや天主の恩寵はありません。ローマの免疫システムは停止してしまいました。ローマが信仰を失っていないと言えるのか、私には疑問です。やがて来るはずの制裁に関していうならば、不愉快なことは時とともに少なくなります。謙遜な人々にはわかるでしょう。私たちの行動に反対するのは聖職者です。

 信仰の証人たち、殉教者たちは、常に信仰と権力の狭間で、どちらかを選択せざるを得ませんでした。私たちはジャンヌ・ダルクの試練の時をふたたび生きているのです。ただ、私たちは、数ヶ月間の不愉快なことではなく、二十年もの間、続いてきたことなのです!

ルフェーブル大司教


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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