アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
恒例のドン・ショタール著「使徒職の秘訣」L'Ame de tout apostolat
第四部 内的生活をいとなめば、使徒的事業が豊かに実を結ぶ(続き11)
をご紹介します。山下房三郎 訳を参考に、フランス語を参照して手を加えてあります。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
第四部 内的生活をいとなめば、使徒的事業が豊かに実を結ぶ(続き11)
(e)内的生活はまた、同じ内的生活を他に生むのであるから、その霊魂たちに及ぼす影響は深く、そして長続きがする (2/3)
ただ筆者がいいたいのは、こんなものに、あんまり時間やカネや精力を、使いすぎては危険である、だから注意してほしい――これだけである。そういう人たちは、今しばらく思いを沈めて、筆者がかつて語ったことのある、チモン・ダビド神父の意見に、耳をかたむけてほしい。
神父になって、二か年ほどたったある日、筆者は、かれと対談する幸福に恵まれたのだが、話の末に、この尊敬すべき老司祭は、ごく親しげに、しかしいくらか憐れむような調子で、次のように語ったものである。
「“わたしには、あなたにいうべきことが、まだ多くあるが、あなたは今はそれに堪えられない”(ヨハネ16・12)……後になって、内的生活にもっと進歩されましたら、そのときはじめて、わたしのいうことが、おわかりになると思います。
今はどんなに考えても、こういういわゆる近代的伝道方法を、お捨てになることはできますまい。遠慮なく、それをお使いなさい。あなたは、他に妙案がないのですから。
わたしのやり方はこうです。ごらんのとおり、わたしは若い労働者やサラリーマンを、じつにうまく集めています。そして一日一日、人数はふえる一方です。かれらを集めるための方法ですか?
わたしの処には、旧式の遊びしかありません。しかし、それはいつまでたっても、面白さがなくならない遊びです。そして、こういう簡単な遊びで、精神はじゅうぶん安らぎます。むろん、ビタ一文も要りません。
さ、あっちへ行きましょうか。楽器がしまっている納屋を、ごらんに入れますから。
お恥ずかしい話ですが、こういうわたしが、事業を始めたころには、こんなものがなければ、仕事は絶対にやっていけるもんじゃない、とまじめに信じていたんです。ところが、現在は考えが、スッカリ変わりましてね。むろん、合奏団もあるんですが、それがまた、一風変わった新式のものでして。そおれ、おいでなすった。どんなものだか、ゆっくりごらんになってください……」
なるほど、それから五・六分もたったろうか。十二・三才から十七・八才ごろまでの若い人たちが四・五十名、列を組んで、われわれの前を通りかかった。まあ、その騒がしいことといったら! このヘンテコな“軍隊”を、聖なる老司祭はさも満足げに、すすきのほのように細い眼を、しばたたいて眺め入っている。そのおかしさといったらない。ひと目みて、大笑いしない者はあるまい。
老司祭は、続いていうのである。
「あれをごらんなさい。先頭に立って、あとじさりしながら、ステップをふんでいる若者がいるでしょう。オーケストラの指揮者のように、手にもっている丸太棒をしきりにふりながら、音頭をとっている。
あれあれ、こんどは棒を口にもってきて、まるでクラリネットを吹くような格好――あれは、外出の許可をもらって、兵営から出てきた下士官です。こちらでも、いちばん熱心なリーダーの一人ですがね。かれはできる日には、いつも聖体拝領をしています。毎日でもしますよ。とりわけ熱心なのは、きまって半時間の黙想をすることです。それに、人を愉快に遊ばせるのがまた、たいへんお上手でしてね。聖堂では信心の天使ですが、運動場にでれば、青年たちが遊びにあかないようにと、自分のもっている知恵を全部しぼりだして、いろいろ工夫をします。頭がいいし、機知には富んでいるし、人をおもしろく遊ばせるのは雑作もないことです。
どうかして、青年たちを愉快に、ほがらかにしたいと、そのことに一生懸命なんです。
ですが、本職は特務曹長でしょう。それに、青年たちの使徒ですからね。目が光っていますよ、目が。心の目は、なおさらのこと!
ですから、青年たちのどんな小さな事がらにも、いつも目をくばって、絶対に間違いをおかさせません……」
なるほど、老司祭のいうとおり、この茶目な音楽家たちが、若い声をはり上げて、ありふれた、だれもが知っている童謡や軍歌――たとえば、「あひるが羽根をひろげて……」や、「帽子はどこだっけ……」などを歌っているのをみると、どうしても爆笑を禁ずることができないのだ。
オーケストラの指揮者特務曹長殿が、合図に棒をふると、みんなはちがった折り返しを歌う。そして演奏者はみな、楽器を弾くまねをする。ある者は、両手を丸く筒形につないで口にあて、ラッパを吹く格好をする。ある者は、紙片をくちびるにあててピーと吹き、世にも妙なる笛の音をだす。ある者はまた、別なことを工夫する。
うっかりして、いうのを忘れていたが、前列にトロンボンと太鼓をやっているのが、またおもしろい。二本のふとい棒をもって、一本は、左の手ににぎっている。他の一本は、右の手で正確な調子にあわせて、前につきだしたり、後へ引いたりして、ホンもののトロンボンの代用にしているのだ。太鼓の代用には、ふるくなった石油かんをしている。
だが、青年たちはみなまじめで、ひじょうに愉快そうである。演奏ごっこに、ほんとうに夢中になっていることがわかる。
「合奏団に、ついていこうじゃありませんか」老司祭が、そういったので、その通りにした。道のつきあたりに、聖母のご像が、おいてあった。
「諸君ひざまずきたまえ!」合奏団長が、号令をかける。「われわれの善き御母聖マリアさまに、“Ave Maris Stella”(めでたきかな、海の星よ)を一回と、ロザリオ一連を、となえることにしよう!」
瞬間、小さな群れは、しばらく沈黙する。つぎに、ひじょうにゆっくり、そして聖堂にいるときとすこしも変わらない、信心ぶかい態度で、特務曹長殿の先唱する“めでたし聖寵”うんぬんの天使祝詞の祈りに、“天主の御母聖マリア”うんぬんと答える。
南国生まれの、この若い人たちは、敬けんにまぶたを伏せている。ついさっきまでは、手におえない、いたずら小僧だった者が、今はなんと、フラ・アンジェリコえがくところの天使に、早がわりしているのだ。
そのとき、老司祭はいうのだった。
「お忘れになっちゃいけませんよ。これが、使徒的事業の成績を、正直に示すバロメーターです。簡単な、そしてひじょうに面白い遊びで、大きくなった青年たちを集める。二十才以上の青年でも、よろこんできますよ。
それから、ここに遊んでいるあいだに、祈りをしたり、遊びに興じたりしているうちに、小さい子供の精神になる。童心に帰る、というんですか。遊びといっても、ビタ一文、カネのかからない奴です。とりわけ、かれらに祈らせる。ほんとうに祈らせる。遊びのまっ最中でも、心では祈らせる。そういう習慣をつけさせるんです。
わたしのところの中心人物――熱心にもえた、いわゆる小さき使徒たちはみな、この一点をねらっているんです……」
バンドは立ちあがって、例の楽器で、また新しい合奏を始める。運動場は、その音響でいっぱいだ。しばらくたつと、こんどは“人取り遊び”で、また大騒ぎだ。ここに一つ、見のがせない関心なことを目撃したから、左に紹介しよう。
それは、例の特務曹長殿だが、かれは『めでたきかな、海の星よ』が終わるや否や、すぐに立ちあがって、二・三人の青年たちの耳に、なにごとかささやいた。すると、かれらは、直ちに、大よろこびで、あたかもみんなが実行している規則にでも従うように、作業ズボンや、ズック靴をぬぎすてて、聖堂に走って行った。それは、聖ヒツの前にひざまずいて、十五分間の聖体訪問をするためだそうだ。
そのとき、チモン・ダビド神父は、大きな確信をもって、こうつけくわえていうのだった。
「われわれの大望は、熱心にもえた、ほんとうの使徒をつくることにあるべきです。かれらの心には、天主への強烈な愛が、もえさかっていなければなりません。もえさかっておれば、そのおかげで、かれらは青年会を出た後でも、家庭をつくってからでも、以前と同じように、自分の心にうずを巻いてもえている愛の炎を、できるだけたくさんの人にも分けてやりたいと、熱心に活動する使徒として続きます。
もしわれわれの使徒職が、ただ良い信者をつくりたい、という一点だけをねらっていますなら、われわれの理想は、なんと低級なものでしょう。われわれがつくりださねばならぬものは、使徒職の軍団なんです。家庭という、社会の基本的構成要素が、かれらによって、使徒職の中心にならなければなりません。このプログラムが、完全無欠であることを仮定して、さて残された問題は、ただ犠牲の生活と、イエズスとの親密な一致の生活――すなわち、内的生活だけが、これを実現する力と秘訣を、われわれに与えてくれる、ということです。
ただこの条件が果たされるときにだけ、われわれは社会にたいして、力づよい働きをすることができます。そのときはじめて、聖主の仰せられた、『わたしは、火を地上に投じるためにきたのだ。火がすでにもえていたならと、わたしはどんなに願っていることか』(ルカ12・49)とのお言葉が、めでたく成就されましょう……」
ああ、しかし、老司祭のこの生きた教訓が解るようになったのは、ずっと後のことだった。これらの教訓は、その心理的解剖においても、その機知においても、ほんとうに深い尊いものをもっていた。表面の成功が、天主のおまなざしの前には、一文(いちもん)のねうちもないこと、いろいろ使ってみた伝道の方法が、それぞれどのような結果をもたらすものか、それを比較検討して、その優劣が理解できるようになったのは、ごく後のことである。
これらの伝道方法の中には、あるいは福音書のように、単純で簡単なものもあり、あるいはあまりに人間的なもののように、複雑で多様なものもあろう。いずれにせよ、これによって、その事業のねうちが解るばかりでなく、さらに、事業を生かす人たちのカナエの軽重が問われる。
昔、イスラエルは大ぜいで、フィリスチン人の怪傑ゴリアドに、いくさをしかけて行ったが、いつも負けてばかりいた。その怪傑ゴリアドに、少年ダビドが立ち向かった。石投げ器、一本の棒、谷間から拾ってきた五個の小石――ダビドは、これ以外には何も望まなかった。
かれが名乗りをあげるときに、大声でいい放った「わたしは、万軍の主なる天主のみ名によって、おまえに立ち向かうぞ!」(列王の書17・45)との一声こそは、かれがすでにその当時、あのように高い聖徳に達する可能性のある人物だったことを証明している。
(続く)
愛する兄弟姉妹の皆様、
恒例のドン・ショタール著「使徒職の秘訣」L'Ame de tout apostolat
第四部 内的生活をいとなめば、使徒的事業が豊かに実を結ぶ(続き11)
をご紹介します。山下房三郎 訳を参考に、フランス語を参照して手を加えてあります。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
第四部 内的生活をいとなめば、使徒的事業が豊かに実を結ぶ(続き11)
(e)内的生活はまた、同じ内的生活を他に生むのであるから、その霊魂たちに及ぼす影響は深く、そして長続きがする (2/3)
ただ筆者がいいたいのは、こんなものに、あんまり時間やカネや精力を、使いすぎては危険である、だから注意してほしい――これだけである。そういう人たちは、今しばらく思いを沈めて、筆者がかつて語ったことのある、チモン・ダビド神父の意見に、耳をかたむけてほしい。
神父になって、二か年ほどたったある日、筆者は、かれと対談する幸福に恵まれたのだが、話の末に、この尊敬すべき老司祭は、ごく親しげに、しかしいくらか憐れむような調子で、次のように語ったものである。
「“わたしには、あなたにいうべきことが、まだ多くあるが、あなたは今はそれに堪えられない”(ヨハネ16・12)……後になって、内的生活にもっと進歩されましたら、そのときはじめて、わたしのいうことが、おわかりになると思います。
今はどんなに考えても、こういういわゆる近代的伝道方法を、お捨てになることはできますまい。遠慮なく、それをお使いなさい。あなたは、他に妙案がないのですから。
わたしのやり方はこうです。ごらんのとおり、わたしは若い労働者やサラリーマンを、じつにうまく集めています。そして一日一日、人数はふえる一方です。かれらを集めるための方法ですか?
わたしの処には、旧式の遊びしかありません。しかし、それはいつまでたっても、面白さがなくならない遊びです。そして、こういう簡単な遊びで、精神はじゅうぶん安らぎます。むろん、ビタ一文も要りません。
さ、あっちへ行きましょうか。楽器がしまっている納屋を、ごらんに入れますから。
お恥ずかしい話ですが、こういうわたしが、事業を始めたころには、こんなものがなければ、仕事は絶対にやっていけるもんじゃない、とまじめに信じていたんです。ところが、現在は考えが、スッカリ変わりましてね。むろん、合奏団もあるんですが、それがまた、一風変わった新式のものでして。そおれ、おいでなすった。どんなものだか、ゆっくりごらんになってください……」
なるほど、それから五・六分もたったろうか。十二・三才から十七・八才ごろまでの若い人たちが四・五十名、列を組んで、われわれの前を通りかかった。まあ、その騒がしいことといったら! このヘンテコな“軍隊”を、聖なる老司祭はさも満足げに、すすきのほのように細い眼を、しばたたいて眺め入っている。そのおかしさといったらない。ひと目みて、大笑いしない者はあるまい。
老司祭は、続いていうのである。
「あれをごらんなさい。先頭に立って、あとじさりしながら、ステップをふんでいる若者がいるでしょう。オーケストラの指揮者のように、手にもっている丸太棒をしきりにふりながら、音頭をとっている。
あれあれ、こんどは棒を口にもってきて、まるでクラリネットを吹くような格好――あれは、外出の許可をもらって、兵営から出てきた下士官です。こちらでも、いちばん熱心なリーダーの一人ですがね。かれはできる日には、いつも聖体拝領をしています。毎日でもしますよ。とりわけ熱心なのは、きまって半時間の黙想をすることです。それに、人を愉快に遊ばせるのがまた、たいへんお上手でしてね。聖堂では信心の天使ですが、運動場にでれば、青年たちが遊びにあかないようにと、自分のもっている知恵を全部しぼりだして、いろいろ工夫をします。頭がいいし、機知には富んでいるし、人をおもしろく遊ばせるのは雑作もないことです。
どうかして、青年たちを愉快に、ほがらかにしたいと、そのことに一生懸命なんです。
ですが、本職は特務曹長でしょう。それに、青年たちの使徒ですからね。目が光っていますよ、目が。心の目は、なおさらのこと!
ですから、青年たちのどんな小さな事がらにも、いつも目をくばって、絶対に間違いをおかさせません……」
なるほど、老司祭のいうとおり、この茶目な音楽家たちが、若い声をはり上げて、ありふれた、だれもが知っている童謡や軍歌――たとえば、「あひるが羽根をひろげて……」や、「帽子はどこだっけ……」などを歌っているのをみると、どうしても爆笑を禁ずることができないのだ。
オーケストラの指揮者特務曹長殿が、合図に棒をふると、みんなはちがった折り返しを歌う。そして演奏者はみな、楽器を弾くまねをする。ある者は、両手を丸く筒形につないで口にあて、ラッパを吹く格好をする。ある者は、紙片をくちびるにあててピーと吹き、世にも妙なる笛の音をだす。ある者はまた、別なことを工夫する。
うっかりして、いうのを忘れていたが、前列にトロンボンと太鼓をやっているのが、またおもしろい。二本のふとい棒をもって、一本は、左の手ににぎっている。他の一本は、右の手で正確な調子にあわせて、前につきだしたり、後へ引いたりして、ホンもののトロンボンの代用にしているのだ。太鼓の代用には、ふるくなった石油かんをしている。
だが、青年たちはみなまじめで、ひじょうに愉快そうである。演奏ごっこに、ほんとうに夢中になっていることがわかる。
「合奏団に、ついていこうじゃありませんか」老司祭が、そういったので、その通りにした。道のつきあたりに、聖母のご像が、おいてあった。
「諸君ひざまずきたまえ!」合奏団長が、号令をかける。「われわれの善き御母聖マリアさまに、“Ave Maris Stella”(めでたきかな、海の星よ)を一回と、ロザリオ一連を、となえることにしよう!」
瞬間、小さな群れは、しばらく沈黙する。つぎに、ひじょうにゆっくり、そして聖堂にいるときとすこしも変わらない、信心ぶかい態度で、特務曹長殿の先唱する“めでたし聖寵”うんぬんの天使祝詞の祈りに、“天主の御母聖マリア”うんぬんと答える。
南国生まれの、この若い人たちは、敬けんにまぶたを伏せている。ついさっきまでは、手におえない、いたずら小僧だった者が、今はなんと、フラ・アンジェリコえがくところの天使に、早がわりしているのだ。
そのとき、老司祭はいうのだった。
「お忘れになっちゃいけませんよ。これが、使徒的事業の成績を、正直に示すバロメーターです。簡単な、そしてひじょうに面白い遊びで、大きくなった青年たちを集める。二十才以上の青年でも、よろこんできますよ。
それから、ここに遊んでいるあいだに、祈りをしたり、遊びに興じたりしているうちに、小さい子供の精神になる。童心に帰る、というんですか。遊びといっても、ビタ一文、カネのかからない奴です。とりわけ、かれらに祈らせる。ほんとうに祈らせる。遊びのまっ最中でも、心では祈らせる。そういう習慣をつけさせるんです。
わたしのところの中心人物――熱心にもえた、いわゆる小さき使徒たちはみな、この一点をねらっているんです……」
バンドは立ちあがって、例の楽器で、また新しい合奏を始める。運動場は、その音響でいっぱいだ。しばらくたつと、こんどは“人取り遊び”で、また大騒ぎだ。ここに一つ、見のがせない関心なことを目撃したから、左に紹介しよう。
それは、例の特務曹長殿だが、かれは『めでたきかな、海の星よ』が終わるや否や、すぐに立ちあがって、二・三人の青年たちの耳に、なにごとかささやいた。すると、かれらは、直ちに、大よろこびで、あたかもみんなが実行している規則にでも従うように、作業ズボンや、ズック靴をぬぎすてて、聖堂に走って行った。それは、聖ヒツの前にひざまずいて、十五分間の聖体訪問をするためだそうだ。
そのとき、チモン・ダビド神父は、大きな確信をもって、こうつけくわえていうのだった。
「われわれの大望は、熱心にもえた、ほんとうの使徒をつくることにあるべきです。かれらの心には、天主への強烈な愛が、もえさかっていなければなりません。もえさかっておれば、そのおかげで、かれらは青年会を出た後でも、家庭をつくってからでも、以前と同じように、自分の心にうずを巻いてもえている愛の炎を、できるだけたくさんの人にも分けてやりたいと、熱心に活動する使徒として続きます。
もしわれわれの使徒職が、ただ良い信者をつくりたい、という一点だけをねらっていますなら、われわれの理想は、なんと低級なものでしょう。われわれがつくりださねばならぬものは、使徒職の軍団なんです。家庭という、社会の基本的構成要素が、かれらによって、使徒職の中心にならなければなりません。このプログラムが、完全無欠であることを仮定して、さて残された問題は、ただ犠牲の生活と、イエズスとの親密な一致の生活――すなわち、内的生活だけが、これを実現する力と秘訣を、われわれに与えてくれる、ということです。
ただこの条件が果たされるときにだけ、われわれは社会にたいして、力づよい働きをすることができます。そのときはじめて、聖主の仰せられた、『わたしは、火を地上に投じるためにきたのだ。火がすでにもえていたならと、わたしはどんなに願っていることか』(ルカ12・49)とのお言葉が、めでたく成就されましょう……」
ああ、しかし、老司祭のこの生きた教訓が解るようになったのは、ずっと後のことだった。これらの教訓は、その心理的解剖においても、その機知においても、ほんとうに深い尊いものをもっていた。表面の成功が、天主のおまなざしの前には、一文(いちもん)のねうちもないこと、いろいろ使ってみた伝道の方法が、それぞれどのような結果をもたらすものか、それを比較検討して、その優劣が理解できるようになったのは、ごく後のことである。
これらの伝道方法の中には、あるいは福音書のように、単純で簡単なものもあり、あるいはあまりに人間的なもののように、複雑で多様なものもあろう。いずれにせよ、これによって、その事業のねうちが解るばかりでなく、さらに、事業を生かす人たちのカナエの軽重が問われる。
昔、イスラエルは大ぜいで、フィリスチン人の怪傑ゴリアドに、いくさをしかけて行ったが、いつも負けてばかりいた。その怪傑ゴリアドに、少年ダビドが立ち向かった。石投げ器、一本の棒、谷間から拾ってきた五個の小石――ダビドは、これ以外には何も望まなかった。
かれが名乗りをあげるときに、大声でいい放った「わたしは、万軍の主なる天主のみ名によって、おまえに立ち向かうぞ!」(列王の書17・45)との一声こそは、かれがすでにその当時、あのように高い聖徳に達する可能性のある人物だったことを証明している。
(続く)