Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

聖体は遍在の天主である

2020年05月16日 | カトリックとは
テニエール神父著『聖体の黙想』 (1953年) (Révérend Père Albert Tesnière (1847-1909))より【アルベール・テニエール神父は、聖ピエール・ジュリアン・エマールの創立した聖体修道会の司祭で、聖体修道会の総長(1887-1893)も務めた。】
 
天主である聖体
 
聖体は遍在の天主である
 
 礼拝 あなたの眼前の顕示器のホスチアの中においでになる主イエズス・キリストを最大の尊敬、絶対の信仰をもって礼拝しよう。
 
 次に、あなたの住んでいる町にあるすべての教会を心に思い浮かべよう。聖体の中に私たちといっしょにおいでになる天主『エンマヌエル』は、今、現にあなたの眼前においでになるように、そのどこにもおいでになるのである。
 
 さらに、なお遠く海を越え、国境のかなたにある、あるとあらゆる国々にあなたの思いをはせるとき、そのいずこにもあなたはカトリック教会を見いだすことができる。そのあるものは荘厳な美しい教会であり、他のものは貧しくみすぼらしい教会であろう。
 
 けれども、あなたが今、現にあなたの心を開こうとしている天主は、そのいずこにでもまことに存在なさっているのである。
 
 聖体の秘跡の中にこもっていらっしゃるキリストが、このように、全世界中にペルソナ的においでになるということは、無限な天主の遍在のいくぶんかを、おそらくあなたにさとらせるであろう。
 
 天主の遍在とは、天主がどこでもその全存在において存在されていることである。天主は遍在の徳によって無限に大きく、ありとあらゆる空間、ありとあらゆる被造物の中においでになるのである。こうして遍在は天主に無限で不可測な性質を与えるのである。
 
 聖体の中にこの遍在性を明らかにお示しになったイエズスを礼拝しよう。イエズスは聖体の秘跡の中において、単に世界のすべての国々に住まれるだけでなく、聖体拝領によって主を受けるあらゆる人々の霊魂の最も深い奥にまでおいでになり、そこに住み、そこに生きておられる。この時イエズスは、私たちの各自の中に、神性と人性とのすべてをもっておいでになるのである。
 
 私たちが私たちのもとにおいでになるイエズスのみ姿を想像しようとするなら、測り知ることのできない神秘を見出だすであろう。すなわち、イエズスの神性は最高の天よりも高くておいでになるのに、秘跡の中でのけんそんはこれに反して彼をほとんど虚無に近い卑しい者とする。
 
 あなたの理性の努力によって、聖体の中にお住まいになるイエズスのありさまを知りつくすことは不可能である。すなわち、聖体はパンの実体なくしてパンの性質をあらわし、イエズスはその実体においでになりながら、ご自分のご性質を隠してそこにおいでになる。
 
 このような事実は、私たちにとって全く不可解な奥義である。この時、私たちは理性の目を閉じ、ひざまずいて、その何ものなるかを了解することができずただ信仰をもって礼拝するほかはない。
 
 実に、聖体の秘跡の中にまことにこもっておいでになる無限遍在のイエズスを賛美できるのは、ただ私たちの信仰だけである。
 
 感謝 無限の遍在の御徳を聖体の秘跡の中におあらわしになる慈愛深い天主を、心にあふれる感謝の情をもって祝福し、賛美しよう。
 
 天主が私たちのまことのエンマヌエル(私たちとともにおいでになる天主)でおいでになり、私たちとともに涙の谷をお歩きになり、私たちのそばに、私たち各自の隣家にお住まいになるのは、ひとえにそのご慈悲によるのである。
 
 被造物の私たちを保護し、私たちの病をいやし、私たちを慰め、ありとあらゆるよいたまものをくださる天主は、このようにどこにあっても私たちの隣人でおいでになるのである。
 
 聖体の秘跡の中にあらわれる天主の遍在の御徳によって、ちくたくの地にあっても私たちは決して孤独ではない。主は友のない人の友であり、みなしごの父であって、貧しい者の支持者である。人となりたもうた天主は、このように、どこまでも人とごいっしょにおとどまりになるのである。
 
 償い ホスチアの中における愛にあふれる天主の遍在は、私たちのむとんじゃく、一般の忘恩、多くの人のけいべつの罪をますます重くする。
 
 私たちは洗礼を受けた信者であるのに、私たちの営む生活によって、多くの侮辱を至聖なる聖体に加えているからである。
 
 主が聖体の卑しいありさまで、再びこの世界に帰って来てくださったのは、ただ私たちのためである。私たちは主の被造物であり、主に救っていただいた者、主にあがなっていただいた者である。
 
 主は私たちの愛と、私たちの賛美とを要求なさる多くの権利をもたれ、また実際にこれを受けるためにおいでになり、私たちにホスチアのみ姿を示して眼前に座しておられる。
 
 主がのちに光栄と全能の力と審判者の威容とを示して、私たちの前におあらわれになるとき、私たちはなんとお答え申しあげようか。主はその時、『なんじが憎み、けいべつし、捨てたものはすなわちわれである。わがなんじらの愛を得んと欲して、かずかずの奇跡とぎせいとを行ったときに、なんじらは恩恵をもってするわが存在に無関心であった。いまや、なんじらはわが光栄の前より永遠に退けられねばならぬ』とおっしゃるであろう。
 
 私たちは天主の御怒りの前からのがれようとするであろう。しかしこの時、私たちの頭上には、私たちがけいべつしたホスチアが最大の光輝に包まれてあらわれ、私たちは地獄の火よりもさらに激しくこれによって焼かれなければならないであろう。
 
 祈願 いつも、また、どこででも聖体の中にまします天主に忠実に仕え、他人の侮辱、あざけり、時としては全世界の迫害も恐れない恩恵を熱心に請い求めよう。
 
 救い主が遍在の御徳によっていつでも、また、どこにでも絶えずあなたのそばにおいでになるように主に願い、特に誘惑に会うとき、また臨終の時、聖体の中でのイエズスがあなたをお助けになるようにお願いしよう。
 
 よき臨終、すなわち、その時にあたって主があなたといっしょにおいでになることは、あなたの永遠の幸福を定める最も大きな恩恵だから、あなたはこれをことに熱心に願わなければならない。
 
 実行 どこにいても、あなたの心、あなたの意志によって、至聖なる秘跡の前で日を送るようにしよう。






御聖体降福式は天主の御怒りを防ぐ楯である

2020年05月16日 | カトリックとは
テニエール神父著『聖体の黙想』 (1953年) (Révérend Père Albert Tesnière (1847-1909))より【アルベール・テニエール神父は、聖ピエール・ジュリアン・エマールの創立した聖体修道会の司祭で、聖体修道会の総長(1887-1893)も務めた。】
 
聖体の顕示に関する黙想
 
御聖体降福式は天主の御怒りを防ぐ楯である
 
 礼拝 天地の間、天主と人類との間に高くあげられた主イエズス・キリストを礼拝しよう。主が御聖体降福式の時に占められるこの位置は、主が天主と人との間に立って、仲介者、大祭司である最も厳しゅくなご任務をとり行われていることを象徴している。
 
 イエズス・キリストは、かつてご托身の日に、唯一の大祭司として聖別され、罪人のために天父にとりなす仲介者として定められた。いや、主は単にとりなしをしてくださる仲介者としてだけではなく、まことに全世界の罪のあがないとして定められたのである。すなわち、主は御父の御怒りを和らげるために、その傷つけられた正義を償うに足りる犠牲と、人々の罪を打ち消すに足りる功徳とをささげなければならないことになったのである。
 
 主がカルワリオ山上でとげられたのは、まことにこのみわざである。主はそのために、第一に名誉と自由を、次に御血、ご生命までも、これを天父にささげ、同時に、世の罪によって汚された天父のみ名の光栄を取り戻すために、最高の聖徳まことの完全徳を実行された。このようについにカルワリオ山上で、天地の間にあげられ、加害者と被害者との二つに身分をご自身のうちに一致させ、以上の仲介と、とりなしのみわざを完成された。すなわち、こうして、私たちの祈りを主ご自身の善業と功徳とに合わせ、御血をもって私たちのいっさいの罪を洗い清め、私たちのために平和と許しと救いとを天父から得ることがおできになったのである。
 
 救い主は今もなお、この大いなるみわざを聖体の中でつづけられ、特にミサ聖祭の間に、司祭の手を借りて、ご死去の御功徳と、秘跡の中で受けられる多くの屈辱と犠牲とを、罪人にかわって天父にささげ、彼らのために祈られるのである。
 
 礼拝すべき大司祭、天主なる仲介者、誠実なるいけにえ、たゆまざる弁護者、正義と聖徳そのものでいらっしゃるイエズスを聖体の中に礼拝し、あなたの不義を主の聖徳の下に、あなたの貧しさを主の御功徳の下におおい隠してくださるようお願いしよう。
 
 感謝 いとも尊い天主の子羊の御怒りと善業と償いに守られて、私たちは、このように繰り返して犯す無数の罪にもかかわらず、まだ天主の正義の罰を受けないでいる。
 
 ソドマやゴモラ、ニニベやバビロン、天主を殺したエルサレム、異教のローマが犯した罪で、私たちが犯さなかったものがあるだろうか。
 
 私たちは背信の民である。私たちは洗礼のたまものにふさわしくない多くの腐敗と堕落とを重ねて天主を侮辱し、天主を否んだりした。このために全地は私たちの冒瀆によって汚され、私たちの罪悪に満ちあふれているありさまではないだろうか。
 
 天主の御恵みが豊かであっただけに、私たちは天主の懲罰に相当する。それにもかかわらず、私たちはなおまだ天主の御怒りの火中に投げ入れられていない。
 
 これは聖なるホスチアが昼夜をわかたず私たちのために天父の御怒りをなだめ、私たちを保護してくださるからである。これを思うとき、私たちは主に永遠の愛と感謝とを約束しないではおられない。
 
 償い 世人一般の罪、特にあなた自身の罪を反省しよう。その時、あなたは、聖体の中の仲介者が、恐ろしい刑罰からあなたを救い出すために、お支払いにならなければならなかった代価の程度をわかり、また同時に罪の機会を避け、他人に与えたつまづきをあがない、祈りと苦業と熱心な善業とによって、自分自身の償いを主の償いに合わせなければならない義務をもさとるであろう。
 
 カトリック教会は、世間全体が、ごうまんと貪欲と肉欲とにしいたげられていると説いているが、これは偽りであろうか。地を支配し、地上で愛され、あがめられ、おがまれているのは、はたして何であろうか。注意してあなたの周囲を見わたしたら、いかに憎まねばならない罪悪が、この三大邪欲によってかもし出されているかがわかるであろう。
 
 それでは、あなた自身はどうであろうか。あなたの過去、また現在はどうか。他人からは善人と思われていても、実際は、罪のきずなで縛られてはいないだろうか。そしてそれが隠れた執着であるだけに、その力はなお強くないであろうか。
 
 天主の御慈悲にも限りがあるということをまじめに考えよう。ひとたび息をひきとったならば、私たちはもはや仲介者なる聖体の守護を受けることができず、弁護者なしに正義の法廷に出なければならないのである。あわれみ深い大祭司、いとも忠実な犠牲の長いとりなしと償いとを空費したあと、生ける天主の御子の中に陥ることは、なんと恐ろしいことであろう。
 
 祈願 聖ヨハネの次の言葉の意味をよく味わおう。『わが小子よ、罪を犯すなかれ、されど罪を犯した者あらば、われらは父のみ前に弁護者を有せり。これすなわち義者イエズス・キリストにして、彼はわれらが罪の贖いにてまします。ただわれらの罪のみならず、全世界の罪に対してもまたしかるなり』と。
 
 実行 罪を犯したからといって落胆してはならない。天主が私たちを罰するために多くの試練を送り、また社会の罪悪を責めるためにかずかずの災難を送ってくださったとしても決して失望してはならない。こんな時には私たちの霊魂を清めるために慈悲深い大祭司なる主に祈り、たびたび聖体を拝領し、また聖体顕示式に参列しよう。
 






 

コロナ感染者数は減少、でも、もしかしたら第二波が危惧されています。これをはるかに上回る津波に今現在、襲われている

2020年05月16日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

2020年5月9日(土) 聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父メッセージ



「コロナ感染者数は減少しているが、もしかしたら第二波がと危惧されている。これをはるかに上回る津波に今現在、襲われている」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、新型コロナウイルスで、多くの方が辛い思いをされたり、病気にかかったり、感染されて、検疫をされました。

日本では5月8日現在の統計によると、1万5382名の方が感染されたそうです。そして557名の方が亡くなったと聞きました。

その感染の為に、多くの方が、医療従事されている先生や看護師の方々が、一生懸命にその看護に当たっておられるという事を聞き、そして他の方々と共に立ち上がって、拍手を送りたいと思っています。このように命を守る為に、一生懸命日夜働いている方々に、心から感謝致します。

今、少しずつその感染者の数が少なくなりつつあると聞きます。早くこれが収束しますように、私共も心からそのお祈りしております。

話によると、第二波も来るのではないか、第二波はもっと、今までよりも多くの方が亡くなってしまうかもしれないと聞きました。

実は、私たちに今、マスコミもテレビも新聞も何も言わない、第二波よりも大きな津波のようなものが、私たちの愛する祖国、日本を襲っています、今現在、コロナの死亡者が557名もいらっしゃるのですけれども、2017年の統計によると、16万4621名が亡くなったという統計があります。

日本で死亡する原因なかで、ガンよりも多い原因は、「人工妊娠中絶、堕胎」です。

堕胎によって、生まれるべき子供たちの、7人の内の1人が亡くなっています。生まれるべき子供たちの15%が命を落としています、病気ではないのにも関わらず。命を奪われています。コロナで重態化しないように、命を失わないように、私たちは一生懸命努力していますけれども、その影に、多くの子供たちが、皆さんと私たちと同じ人間、子供たちが、日本人が、亡くなっています。

子供の日が、このままでは子供のない日になってしまいます。
今年の、公園で遊んでいない子供、学校が開かれていない、あるいは電車に5%しか乗っていない、というのが、本当のこと、日常のことになってしまいます。

将来、私たちに喜びと、笑いと、幸福を与えてくれるべき才能のある子供たち、あるいは芸術家、あるいは学者、あるいは将来の総理大臣、将来の世界を病気を救うべきお医者さんとなる方々、あるいは難しい問題を解く数学者、多くの可能性を持った子供たちが、7人に1人、亡くなっています。

愛する兄弟の皆さん、どうぞお祈り下さい、この恐ろしい堕胎が、人工妊娠中絶が、一刻も早く日本から無くなりますように、子供たちの命が尊重されますように、多くの命が守られますように。

コロナの収束と共に、この堕胎の終息もお祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


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--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
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