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【参考情報】ヴィガノ大司教:私の言葉は真実への呼びかけであり、現実について嘘をつき改ざんすることへの非難であり、メディアの物語(ナラティブ)を前にして批判的に考えるように訴えることを意図している

2022年04月11日 | カトリック・ニュースなど

インサイド・ザ・バチカン 手紙第60号 2022年3月30日 中心ポイント(続き

Letter #60 2022, Wed, Mar 30: The main point

ヴィガノ大司教はワイゲルの批判に対して反論を発表しました。おそらく、以下が、その回答の中心的なポイントでしょう。

「私の言葉を戦争の正当化と解釈してはならないことを、強く再確認しておきたいと思います。この戦争の主な犠牲者はウクライナ国民なのです。何故なら、自分たちの政府がディープ・ステートと結託しているからです。私の言葉は、パンデミックの茶番劇のときの言葉と同様に、真実への呼びかけであり、現実について嘘をつき改ざんすることへの非難であり、メディアの物語(ナラティブ)を前にして批判的に考えるように訴えることを意図しているものです。(中略)ワイゲルの論文には、良い点が一つあります。それは、ある種の穏健な保守主義がディープ・チャーチの要求と意外にも接近していること、同時に米国のネオコン世界がディープ・ステートとその民主党の共犯者に従属していることを私たちに明らかにしている、ということです。」

以下は、一週間前の3月22日のヴィガノのワイゲルへの返答の全文で、「The Remnant」に掲載されたものです。The Uncrossable Red Line: Viganò Responds to George Weigel at First Things (link)

越えてはならない一線:ヴィガノ大司教、

「First Things」に記事を投稿したジョージ・ワイゲルに応える

2022年3月22日(火曜日)

THE UNCROSSABLE RED LINE: Viganò Responds to George Weigel at First Things

カルロ・マリア・ヴィガノ

私が少なからず驚いたのは、3月16日に「First Things」に掲載されたジョージ・ワイゲルの論評(こちら)で、私とGrace-Groundling-Marchpole大佐のその人と取り違えていることでした。私が大いに驚いたのは、以下に述べる奇妙な状況から来るものです。それは、このワイゲルの論文が、2021年12月29日付で「Corrispondenza Romana」に掲載されたワイゲルの友人ロベルト・デ・マッテイの論文「Riflessioni sull'anno che si apre」(来る年についての考察)(こちら)と歩調を合わせており、デ・マッテイの論文は、米国カトリック司教協議会に対する私の声明(こちら)へのいわゆる反論に関するものですが、さらにこの反論が、偶然にも、ワイゲル教授の娘グウィネス・A・スペーダー医師 Gwyneth A. Spaeder(こちら)によって(不思議なことに英語ではなくイタリア語で)書かれていて、彼女は小児科医で製薬業界の大手コンサルティング会社の重役の妻だというのです。

デ・マッテイの論文にはまた、私があらゆるところに陰謀を見いだす人々の一人に数えられるというほのめかしも含まれており、精神医学を必要とするという手段で対話相手を非合法化するという定石に従っています。少なくともワイゲルは、イーヴリン・ウォーの「名誉の剣」三部作の登場人物を借りて、私を突飛な陰謀論者として紹介することを自制しましたが、デ・マッテイは、精神医学的な「解釈妄想」(délire d’interprétation)に加えて、悪魔の憑依という仮説にも言及しています。

ワイゲルとデ・マッテイの協調した行動にある種の合理性を見ることは、「合理的な人ならつながりを想像しない、あるいはつながりが可能であるとさえ思わない点をつなぐこと」(「First Things」の論文から引用)を表しているのかどうか、あるいはむしろ、その行動に誰も容易に気づかないのかどうか、不思議に思います。特に、ソロスがユーロマイダンのカラー革命に関与したことに始まり、陰謀がその陰謀の立役者【ソロス】によって認められている場合、陰謀を企てる人々ではなく、糾弾する人々に対して「陰謀論」という非難ですべてを否定するのは、あまりにも単純化しているように思われます。しかし、ウクライナの「右派セクター」(Pravij Sektor)のメンバーであるセルヒイ・ディビニン(Serhiy Dybynyn)が、2021年1月6日の米連邦議会議事堂襲撃という茶番の間に非常に有名になったのを見れば(こちらこちら)、何かが必ずしも彼らの言う通りではないという考えが、あまり「点をつなぐ」つもりのない人々にさえも見え始めるのです。

【参考資料(上記リンクと同じ内容)】
1月6日の国会乱入。バッファロー男(Jacob Anthony Chansley 🐯支持者を装った?)と写メする🇺🇦兵 Sergai Dybynyn(オルガリヒのコロモイスキーと同じTシャツ)

もちろん、医師や科学者(実験的血清の批判に関して)、政治学者や国際戦略の専門家(現在のロシア・ウクライナ危機に関して)の両方が合意した一連の事実を前にして、この友人であり同僚であるデ・マッテイとワイゲルの2人が、私に対して共同行動を起こしているのは非常に奇妙なことです。

彼らが私に反対するのは、私の言っている内容が理由ではありません――彼らは、私が言ったことに対して、事実関係を論じたり、明確な証拠を提示したりして反論しないように気をつけています。しかし、私がパンデミックやウクライナ紛争に関する彼らの立場を共有しない以上、「彼らの」真実に対する尊重義務に基づき、訴えることなく私を沈黙させなければならないと、不可謬権をもって(ex cathedra)決めただけの理由で反対しているのです。

ワイゲルは判決を下しました。おそらく私は、彼自身の手で、彼自身の自発教令(motu proprio)によって引かれた、越えてはならない「一線」(red line)を越えてしまったのです。私の声明にある「クレムリンの嘘、中傷、プロパガンダ」とされるものを列挙していますが、ワイゲルは、自分の発言が、すでに文書化された事実よって否定されていることに気づいていないのです。それは、マリウポリの小児病院(ここは長い間明け渡されており、軍の兵舎として使われていました)の爆撃に始まり、また、同じ街の劇場を破壊したロシアの爆弾による、いわゆる「何千人もの犠牲者」に起きたことです(この話はウクライナの地元当局によって否定されています)。

ロシア・ウクライナ危機に関する私の声明――これをジョージ・ワイゲルは、いやらしい皮肉を込めて「回勅」と呼びますが――に関して、「明白に誤った主張」のリストが作成されました。明らかに「First Things」の読者が私の声明を読んでいないと想定しています。また、ワイゲル自身がそれを読んだかどうかも疑問に思われます。なぜなら、虚偽であるとして論争になっていることはすべて、実際に私の論文の中で、公式ニュースの出典や参照先をつけて、私が文書化したものであるからです。

「クレムリンのプロパガンダを一点一点繰り返している」と私を非難する人々は、私の分析のどこが事実の現実に合っていないのか、また、自分たちはなぜディープ・ステートのプロパガンダをプロパガンダとはみなさないのか、説明すべきでしょう。このプロパガンダは、ウクライナ領土にある米国のバイオラボのケースを始めとして、これまでグロテスクなまでに現実を改ざんしていることが証明されています。これまで、ホワイトハウスは、そのバイオラボの存在を否定してきましたが、WHOによって肯定されており(こちら)、WHOは病原体の破壊を求めています。

バイデン家のブリズマやウクライナの他の汚職への関与は、ジョー・バイデンもビデオの中で認めたほどであり、ウクライナ政権との共謀の証拠――そしてさらに――ハンターのラップトップパソコンから復元された証拠(こちら)を隠蔽するためのメディアのプロパガンダ作戦も同様です。

ロシア人のせいにされた民間インフラの意図的な破壊は、ウクライナ市民の複数の証言に基づいて、ゼレンスキーの民兵によって主に引き起こされたことが証明されており、その民兵の中には、ユーロマイダン革命以来、国連とアムネスティ・インターナショナルによって戦争犯罪の有罪として非難されてきたネオナチの準軍事組織が含まれています。ウクライナに武器を送ることで、略式裁判、仕返し、リンチといった非常に深刻なケースが発生しており、これらのケースは正当性がなく、住民を深刻な危険にさらしています。数日前、公式にはイタリア政府からウクライナに「人道支援」を運ぶとされている飛行機で、武器の積み荷が確保されました。

欧州における放送局「ロシア・トゥデイ」と「スプートニク」の検閲は、ここ数日、ゼレンスキーが命じたすべての情報プラットフォームの統一、さらには11の野党の弾圧(こちら)と軌を一にしています。「西側の価値」「民主主義」「報道の自由」を実現するには、奇妙なやり方です。

マイダン革命でもソロスが果たした役割は、この「慈善家」【ソロス】自身によって宣言されました(こちら)。彼は、民主的に選ばれた親ロシア派のヤヌコヴィッチ大統領を退陣させ、ポロシェンコに交代させた反乱に資金提供した手柄を立てたのです。ポロシェンコは、米国とNATOによって承認されました。

ネオナチ勢力の存在を米議会が宣言し、議会は2015年に米国でのアゾフ大隊のネオナチの訓練を修正案で停止しましたが、それは後にCIAの圧力で取り消されました(こちら)。

キエフ協定の違反とドンバスにおけるロシア語を話す少数民族の迫害は、国際機関や今日自分たち自身の報道を検閲しているメディアによって広く記録されています(こちら)。このロシア語を話す市民に対する民族浄化の犠牲者は14000人以上と見積もられています。ゼレンスキー政権は、このネオナチ集団による暴力に反対しなかっただけでなく、その暴力を意図的に否定し、アゾフ大隊を正式な軍隊として正規化したのです。

パンデミックの茶番劇とロシア・ウクライナ危機の間にあるイデオロギー的連続性は、起こったことや関係する主体の発言という証拠を超えて、両者の最終的な加害者が同じであり、すべて世界経済フォーラムのグローバリスト陰謀団に帰することができるという事実に浮かび上がり続けています。例えば、トニー・ブリンケン国務長官は、ダボス会議とつながりのある戦略コンサルティング会社「WestExec Advisors」の創設者で、バイデン政権にはその会社の関係者が20人以上います(こちらこちらこちら)。

「WestExec」の従業員の多くは、米政治サイト、ポリティコが糾弾したように、ミシェル・フロノイ【元国防次官】やジェイミー・スミス【サウスダコタ州下院議員】を始めとして、世界経済フォーラムと非常に密接な関係にありましたし、今もあります(こちら)。これらは「陰謀論」ではなく、事実です。以上終わり!

最後に、私の「第三のローマ」という言及に関して驚いたことがあります。紛争の激化という差し迫った危険がある中で、ワイゲルが私を批判して、ロシアの役割を対立当事者とみる議論を使い、平和を視野に入れた対話の用意を示す目的で、政治的な意味に利用したと攻撃していることです。

私が書いたことから明らかなように、私は、ローマ・カトリック信者として、私の文化的・宗教的遺産の一部ではない汎スラブ的あるいは汎正教的なビジョンに、教理的な根拠や合法性を与えるという意図はありませんでした。その反対に、大げさでなく東方教会の離教的部分がカトリックとの一致に戻る道を開くかもしれない、という話題について衣を裂いている【怒っている】のが、まさにエキュメニカルな対話の支持者だというのは奇妙なことです。

私の言うことを何でも否定的な意味で解釈したがるのは、不誠実のしるしであり、愛徳に反する以前に真理に反する偏見です。しかし、自分の主人たちを喜ばせるために、私たちの目の前にある現実について嘘をつくとき、真理は都合の悪い虚飾物として扱われ、もはや天主の属性として扱われなくなるのです。そして、紛争の数週間前まで共有されていた立場が、いかにして今日では否定されているかを見ることは、また、それがロシアへの協力や支援の一種とみなされるのか、を目にするのは、いくら控えめに言っても恥ずかしいことです。

私の言葉を戦争の正当化と解釈してはならないことを、強く再確認しておきたいと思います。この戦争の主な犠牲者はウクライナ国民なのです。何故なら、自分たちの政府がディープ・ステートと結託しているからです。

私の言葉は、パンデミックの茶番劇のときの言葉と同様に、真実への呼びかけであり、現実について嘘をつき改ざんすることへの非難であり、メディアの物語(ナラティブ)を前にして批判的に考えるように訴えることを意図しているものです。おそらく、私には答えるべき長上がいないという事実が、私を都合の悪い人間にしているのでしょう。知的に自立していないということが証明される人には、私の立場は理解されないでしょう。

ワイゲルの論文には、良い点が一つあります。それは、ある種の穏健な保守主義がディープ・チャーチの要求と意外にも接近していること、同時に米国のネオコン世界がディープ・ステートとその民主党の共犯者に従属していることを私たちに明らかにしている、ということです。

一方、ジョージ・ワイゲルの政治的・思想的立場は、ディック・チェイニー、ドナルド・ラムズフェルド、ポール・ウォルフォウィッツらとともに、PNAC(アメリカ新世紀プロジェクト)の署名者に名を連ねていることを考えれば、疑問が起こる余地はないと私は信じています。この研究機関では、共和党員や新保守主義者(ネオコン)が極めて一致して、イラク戦争に始まり、あらゆる場所で軍拡競争、戦争やテロの温床を煽っています。

PNACが推進する米国の世界的リーダーシップという考え方は、明らかにNATOの東方拡大やウクライナのロシアに対する意図的な挑発の根底にあるもので、ロシアは、1991年の合意に反して、自分の国境近くまで実質的に包囲された状態にあると思っています。私は想像したくありませんが、もし、逆の発想で、南米のある国がモスクワと同盟を結び、米国の国境近くに軍事基地を設置していたら、何が起こっていたでしょうか。

また、NATOと米国が、コソボの場合のように、軍事力によって民主主義と人権尊重の概念を押し付けるために外国に侵攻することが認められているとみなされている一方で、ロシア連邦は、ネオナチ民兵によるロシア語を話す少数民族に対する8年間の民族浄化の後――しかも規定された同意協定に違反し、人道支援団体によるこれらの犯罪に関する報告書があるにもかかわらず――、ドンバスの市民を守るためにウクライナに介入することができないとみなされるのがなぜなのか、それは明らかではありません。

このようなプロパガンダ活動に身を投じている人々にとって――この活動のどこまで個人的な利害関係を持っていないのかは私には分かりませんが――、引退した大司教・教皇大使によって自分たちが暴露されるのは恥ずかしいことなのでしょう。なぜなら、彼らの物語(ナラティブ)への隷属ぶりが非常によく表れているからです。このことは、もし必要があるならば、過去において、他のもっと厳格にカトリックの諸問題に関する彼らの立場を取り巻いていた影を裏付けています。

2年前まで私の友人であると公言していたカトリック保守派の代表的人物らのこの行動は、自分のカトリックの思想家としての権威とジャーナリストとしての独立性の亡骸について、決定的で恥ずかしい訃報を書いているのです――すでに葬儀が行われた後に。

+カルロ・マリア・ヴィガノ大司教(教皇大使)


ロシアの誤謬とは何か?1858年:ダーウィンの「種の起源」ミルの「自由論」マルクスの「経済学批判」とルルドの聖母の御出現

2022年04月11日 | カトリックとは

インサイド・ザ・バチカン 手紙第60号 2022年3月30日 中心ポイント

Letter #60 2022, Wed, Mar 30: The main point

「その答えは、教皇レオ十三世の回勅『レルーム・ノヴァルム』(Rerum Novarum)の内容にあります。その中で教皇は、共産主義への教会の応答を述べています。不平等と階級闘争は修正されるべき異常なものではなく、むしろそれらは人間の条件の一部なのです。人間は堕落した世界、人間が天主に背くことによって堕落した世界に生きています。天主を通して、天主と共に、教会を通してのみ、平和と調和は可能となるでしょう。共産主義者や社会主義者が世界を「修正」できると考えているすべてのセクト、組織、協会、友愛会、すべての政府の解決策は、無駄であり妄想です。天主を離れては、どんな組織も国家も、世界に平和をもたらすことはできないでしょう。社会問題は、天主とその教会を離れては解決できません」――元マルクス主義無神論者バーバラ・J・ファラー、「クライシス・マガジン」3月29日(昨日)付の小論(以下に全文)

「そして、人間の拒絶に再び応え、天主と聖母マリアのもとへ私たちを導いてくださるのは、これもまた、私たちの天主らしくないでしょうか? マリアの祝日である天主のご托身の告知の日に、教会の歴史の中で最も近代主義的な教皇がひざまずいて、全世界に、東洋にも西洋にも同じように、すべての司教、すべての国民がひざまずくように呼びかけ、最終的に無原罪の聖母を認めるだけでなく、それ以上に、私たち自身と全世界を、聖母の汚れなき御心に、無原罪の御宿りの汚れなき御心に奉献し、それによって、ついに、これらの年月を経て、これらの出現を経て、ついに、こう言うのです。『そうです、天主はいます。そうです、天国はあります。そうです、私たちは単なる物質以上の存在です。そうです、私たちは皆、罪人です。そうです、私たちは天主に従い、罪の償いをしなければなりません』。これは、私たちの天主らしくないでしょうか?」――バーバラ・J・ファラー、「クライシス・マガジン」同3月29日付の小論

手紙第60号 2022年3月30日 中心ポイント

元マルクス主義無神論者バーバラ・J・ファラー(リンク)による3月29日の小論(以下)は、ファラーが故フルトン・シーン司教(1895-1979年、リンク)の思想を引用して、1917年にポルトガルのファチマで童貞マリアが3人の羊飼いの子どもたちに求めた「ロシアをマリアの汚れなき御心に奉献する」ことの深い意味について分析したものです。
作品のタイトルは「聖母マリア、西洋、そしてロシアの誤謬:ヴィガノ大司教を擁護する」です。

なぜファラーはヴィガノ大司教を擁護する必要があると感じているのでしょうか?なぜなら、ヴィガノは最近、ウクライナの戦争について書いた内容に対して、鋭い攻撃にさらされているからです。

批判者たちは、ヴィガノがウクライナの戦争についてコメントしようとして、(彼の批判者たちが言うところの)大司教として関心を持つべき霊的な問題とはかけ離れた政治的な領域の問題を論じ、「自分の能力を超えている」と言っているのです。

ファラーの中心ポイントは――元は熱心なマルクス主義者だったという特権的な視点から――「ヴィガノ大司教は政治に没頭してはいません。彼は、永遠のもの、つまり、今日の事件の中に永遠のものを見ることに没頭するようになったのです」という趣旨の発言をしています。

    ***

ファラーの作品は、「クライシス・マガジン」(Crisis magazine)に掲載されたばかりですが、読んで黙想する価値があります。現代世界の状況全体と、近年のさまざまな、しばしば不可解な出来事を、より明確な文脈で捉えています。そこで私は、以下に全文を掲載することが重要であると考えました。

重要なファラーの文章の下に、米国のカトリックの学者ジョージ・ワイゲルによるヴィガノ大司教への攻撃と、ヴィガノの応答という二つの小論を掲載します。攻撃と応答の文章すべてを掲載しておくことが重要だと思われます(ロバート・モイニハン)。

聖母マリア、西側、そしてロシアの誤謬:ヴィガノ大司教を擁護する
バーバラ・J・ファラー

ファチマとロシアに関する著作の中で、尊者フルトン・シーン大司教は、この世が「現世の出来事を他【の現世】の出来事で判断することに慣れてしまい」、「もっと大きな判断の基準、すなわち永遠」を見失ってしまったと指摘しています。マイケル・ウォーレン・デイヴィスは、「クライシス」(Crisis)の記事の中で、最近、別の大司教であるカルロ・マリア・ヴィガノが、まさにこの誤謬に陥ってしまい、この世の出来事に没頭して、「現代政治のトレンドに流され」「時事の喧騒が天主の声をかき消し」「ロシア政府の悪事に対して盲目になった」のだ、と非難しています。

私は強く反対します。実際、ヴィガノの著作を、フルトン・シーンのファチマに関する議論に照らしてみると、正反対であることが分かります。ヴィガノが天主の声をかき消しているのではありません。実際は、西側世界全体が、天主の声をかき消しているだけでなく、この世の出来事を通じた天主のご介入および運動を示している非常に明確なしるしさえも、かき消すという罪を犯しているのです。

このことを理解するためには、私たちは過去に戻って、聖母マリアが"ロシアの誤謬"について語った意味が何であったかを考察する必要があります。

最も一般的な解釈は、マリアが共産主義の誤謬に言及したのだというものです。しかし、この解釈を否定する理由がいくつかあります。

第一に、マリアは共産主義者が政権を取る数カ月前の7月に、これらの誤謬について話しています。二月革命は「ブルジョア民主主義」の革命であり、それまで天主によって任命されたツァーリ(ロシア皇帝)の君主制とみなされていたものを終わらせる革命でした。もしマリアが共産主義の誤謬のことを言っていたのなら、なぜ共産主義者が政権を取る前に御出現なさったのでしょうか? 当時の人々が、マリアが民主主義革命のことを述べていると考えたであろうときに、なぜ出現したのでしょうか?

さらに言えば、共産主義は、1917年にロシアで新しく生まれたものではありません。その時まで、共産主義は70年以上にわたって欧州をはじめ世界中にその誤謬を広めていたのであり、教会はその間ずっと、それについて警鐘を鳴らしていたのです。共産主義も、その拡大も、ロシアにとっては新しいものでした。第三に、もしマリアが共産主義のことを言っていたのなら、なぜ、きちんと共産主義や共産主義の誤謬と言わないのでしょうか? なぜ、単に誤謬なのでしょうか?

フルトン・シーンは、私たちに別の方向、つまり1858年という年を指し示しています。彼は、その年のこの世の出来事だけでなく、永遠の出来事にも目を向けるよう求めています。シーンは、"近代は科学の台頭で始まり、科学は信仰と相容れないものである" とする通説を否定し、近代は3冊の重要な著作の執筆で始まったと主張します。それは、ダーウィンの「種の起源」、ミルの「自由論」、マルクスの「経済学批判」です。この3冊の著作で、人間は近代の誤謬をまとめ上げ、天主からの独立を宣言したのです。つまり、「われわれ人間は、天主によって創造されたのではなく、単なる物質から進化した。われわれが答えなければならない人間より上位の権威は存在せず、自由とは放埓であって、法というものはわれわれ選んで作ったものにすぎない。人間と歴史は経済と政治によって動いており、宗教や霊的なものによって動いているのではない」というのです。【上記の3冊の出版は1859年】

これらは共産主義の誤謬ではなく、近代主義の誤謬なのです。これらは、天主、被造物、人間に対する天主の権威、天主への服従といったものを否定する現代人と関係する誤謬です。シーンが指摘しているのは、1858年当時、これらの著作で実質的に語られたのは、すべての人間は原罪なく受胎し、原罪を持たずに生まれる、ということです。なぜなら、天主の創造がないなら、堕落もないからです。堕落がないなら、原罪もないのです。原罪がなければ、すべての人は無原罪で生まれて自由に何者にもなれるのであり、責任を取るべき自分より高い権威はなく、その権威の必要性もないことになるのです。

これらは、1858年に起こった鍵となる人間的出来事であり、シーンは私たちの関心をそれに向けさせます。そして、その同じ年に起こった天主の応答、天主の永遠の審判、すなわちルルドの出現に私たちの関心を移します。マリアは天から出現し、こう告げました。「私は無原罪の宿りです」。シーンは、こう指摘しています。「この世が原罪を否定しようとしていたまさにその時、聖母は、その特権を自分だけのものとして主張しました…マリアだけが唯一、無原罪で宿り、他の者は皆、原罪のうちに生まれたのです」。

ルルドでの聖母の出現において、天主は人間の傲慢な独立の主張に答えて、その誤謬の証明を与えた、とシーンは記しています。まさに出現した聖母は、こう言いました。「そうです、物質以上のものがあります。そうです、天主がいます。そうです、天国があります。そうです、人間は原罪のうちに生まれました。そうです、人間は天主に服従し、天主に対して犯した罪の償いをしなければなりません」。

これら3冊の影響力のある著作に含まれるすべての誤謬は、「私は無原罪の宿りです」というこの一つの宣言で否定されました。

かくしてシーンは言います。科学や理性ではなく、原罪の否定と天主の応答によって、近代が始まったのだ、と。

しかし、人間はその永遠の宣言、永遠の審判に目を留めることも、耳を傾けることもありませんでした。

それどころか、近代主義の誤謬は、合理主義、社会主義、共産主義など、教皇ピオ九世が「クアンタ・クーラ」(Quanta Cura)とその付属文書「誤謬のシラブス」(Syllabus of Errors)に列挙した他のすべての誤謬と共に、欧州中に広まり続けました。

しかし、それは1864年のことでした。1917年まで、これらの誤謬は、ロシア革命とファチマでのマリアの出現の前のさらに50年余りの間に存在し、広まっていたのです。それらはロシアに特有のものでも、共産主義に特有のものでもありませんでした。では、聖母マリアがロシアを特別視するほど、ロシアのどこが異なっていたのでしょうか?

その答えは、教皇レオ十三世の回勅「レルーム・ノヴァルム」(Rerum Novarum)の内容にあります。その中で教皇は、共産主義への教会の応答を述べています。不平等と階級闘争は修正されるべき異常なものではなく、むしろそれらは人間の条件の一部です。人間は堕落した世界、人間が天主に背くことによって堕落した世界に生きています。天主を通して、天主と共に、教会を通してのみ、平和と調和は可能となるでしょう。共産主義者や社会主義者が世界を「修正」できると考えているすべてのセクト、組織、協会、友愛会、すべての政府の解決策は、無駄であり妄想です。天主を離れては、どんな組織も国家も、世界に平和をもたらすことはできないでしょう。社会問題は、天主とその教会を離れては解決できません。

今の時代の教会のすべての著作を見ると、誤謬そのものについてだけはなく、強まりつつある一つの信条について関心が高まっていることが分かります。その信条とは、天主のいない国家の創設によって、また人間が単なる経済的、政治的変革の実施によって、人間の条件を解決できるというものです。

そして、これこそが、ロシアにおける、二月革命における新しいもの、ボルシェビキ革命で完成した新しいものなのです。つまり、天主への言及を一切排除しながら、人間の条件に内在する問題を解決できると主張する世俗的な国家、天主も自分より上位の権威も自然法も認めない国家、そしてそれらの誤謬を世界中に広めるほど強力な国家です。シーンが言うように、「ロシアは西側世界の脱精神化」に、「政治的な形態と社会的な実体を与えた」のです。

聖母マリアが特に共産主義とロシアを指し示していると信じることの危険性は、問題はロシアであり、誤謬は共産主義であると信じることにあります。しかし、実際には、誤謬は、人間は世俗的国家によって制定された政治・経済政策によって全ての社会問題を解決することができる合理的動物に過ぎない、と信じることにあります。

聖母がファチマに現れた時、最初の告知はこうでした。「私は天から来ました」。1858年に、人類が天主からの分離を宣言したことに天主が応えたように、1917年に、人類が人間の幸福と自由への新しい道として天主のいない国家を建国したことに天主が応えたのです。マリアは時の中に入って、天国が存在することを告げました。そして、天国が存在するならば、より高い権威が存在します。救いと贖いは人間が作った国家からではなく、天主から、そして天主のみからもたらされるのです。このことを証明するために、また、このメッセージを徹底させるために、マリアは6回現れます。そして最後には、聖母は天からの直接の証拠、奇跡をもたらすのです。その奇跡は、人間が地上での最高権威者であり、人間だけが地上を修正することを望むようにその地上を修正することが完全にできる、という嘘を証明するのです。

しかし、何万人もの人が目撃した奇跡にも、現代人はまたしても「ノー」と言い、そのメッセージを聞き入れようとはしませんでした。

ソビエト国家は成長し、実際にその誤謬を世界中に広めました。共産主義の誤謬ではなく、人間は自立しており、世俗的な国家によってユートピアへの道を自ら切り開くことができるという近代主義の誤謬です。西欧諸国全体を通じて、次から次へと、人間はますます多くの社会問題の解決を、政府に、国家に求め始めました。貧しい人々の世話は国家に移りました。階級闘争の調停は国家に移りました。差別の緩和、人種間の対立の緩和、所得格差の緩和、これらすべてが国家に移りました。個人の慈善事業は、国家が運営する慈善事業に取って代わられました。

教会でさえ、社会の問題、人間の条件を解決するために国家に目を向け、公共政策に影響を与えることに重点を移したのです。あらゆる社会問題は、新しい国家政策、新しい制度的あるいはシステム的な変化によって解決できるとみなされるようになりました。社会問題も、人間の本質にある傷ではなく、政府の政策不備の結果だとみなされるようになるのは、時間の問題でした。天主が人の霊魂を癒やすために創った教会を通して得られる恩寵によって心と霊魂を癒やすのではなく、国家によってすべてが解決されるのでした。

この誤謬は、ロシアや共産主義に特有のものではないという点を、シーンは何度も何度も強調しています。この誤謬は、資本主義国でも共産主義国と同じように簡単に火がついたのです。彼は、こう指摘しています。「共産主義と独占資本主義の間には、ほとんどの人が疑っているよりも密接な関係があります。彼らは、文明の物質的基礎については同意していますが、同意していないのは、その基礎を誰が支配するのか、資本家なのか、それとも官僚なのか、についてだけです」。そしてさらに、彼はこう述べています。「資本主義経済は天主なきものであり、共産主義は経済学を天主とします…。資本主義は、経済がより高い道徳的秩序に従うことを否定しています。共産主義は、経済学が道徳であると言っています」。

実際、彼は、教会は、共産主義と同じように独占資本主義に反対していることを強調しています。どちらにもこの誤謬が浸透しています。どちらも人間を単なる経済的動物に貶めています。どちらも支配するために国家を利用します。

問題は、ヴィガノがロシア政府の悪に目をつぶっていることではありません。自らの存在を根底にまで広がっている悪に目をつぶっているのは、西側なのです。秘跡を社会活動に置き換え、霊魂を養うことを犠牲にして腹を満たすために政府の金を使うことが正しいと考えるという悪に目をつぶっているのは、近代主義の教会なのです。

ヴィガノは、WEF、IMF、国連、NATO、EU、その他西側で作られてきたあらゆる団体を見て、それらの団体を、この世の別の出来事という観点ではなく、永遠という観点で見ているのです。教皇レオ十三世が、当時の世俗的な組織を見たように、それらの団体を、ヴィガノは、天主と教会からこの世界を離させて戻さないようにしようとする人間の努力と見ているのです。

ヴィガノは、彼らがしようとしていることは、マリアが私たちに警告したロシアの国家よりもさらに強力な新しい国家の創造、つまり、新世界秩序および新しいトランスヒューマニズムの人間を創造するという宣言目標を持つグローバル国家を創造することだとも見ているのです。近代主義は、人間から霊的な本質を奪い去りました。トランスヒューマニズムは、人間から最も基本的な本質を奪い、人間を、テクノロジーと微生物学によって完成される、単なる機械へと貶めようとしているのです。

ヴィガノは政治に没頭しているのではありません。天主に動かされていると思われるもの、サタンに動かされていると思われるものの両方を含む、日々の事件に永遠を見ることに没頭しているのです。私たちには、聖母マリアが求めた通りに【ロシアの】奉献が行われたかどうかは分かりませんが、ヴィガノは、この世の出来事を、他のこの世の出来事という観点だけでなく、霊的な出来事という観点で見ることを私たちに求めているのです。私たちが知っているのは、1989年にソビエト国家が崩壊したことです。また、その時以来、ロシアが再キリスト教化する一方で、西側世界全体が脱キリスト教化を経験したことを知っています。

ヴィガノは、私たちが戦っているのは、実際にはロシアでも、共産主義でも、資本主義でもなく、むしろ、すべての人を天主のいないグローバル国家の奴隷にしようとするサタンの力、邪悪な権天使(プリンシパリティー)なのだと知るように求めています。ヴィガノは、天主がロシアに対して、再キリスト教化したロシアに対して、まさに、グローバル国家が創設されるのを阻止する存在となることで、その罪を償う機会を与えているのだ、とみなすように私たちに求めているのです。

それは、想像するのがそれほど難しいことでしょうか? それは、私たちの天主らしくないでしょうか? ロシアに罪を償わせ、多くの霊魂を救う手段とさせることが?

天主と聖母マリアのもとへ私たちを導くことで、人間の拒絶に再び応えるのは、これもまた、私たちの天主らしくないでしょうか? 天主のご托身の告知というマリアの祝日に、教会の歴史の中で最も近代主義的な教皇がひざまずいて、全世界に、東洋にも西洋にも同じように、すべての司教、すべての国民がひざまずくように呼びかけ、最後には無原罪の御宿りを認めるだけでなく、それ以上に、私たち自身と全世界を、聖母の汚れなき御心に、無原罪の御宿りの汚れなき御心に奉献し、それによって、ついに、これらの年月を経て、これらの出現を経て、ついに、こう言うのです。「そうです、天主はおられます。そうです、天国はあります。そうです、私たちは単なる物質以上の存在です。そうです、私たちは皆、罪人です。そうです、私たちは天主に従い、罪の償いをしなければなりません」。これは、私たちの天主らしくないでしょうか?

私たちの目と心を聖母に向けるなら、私たちは最終的に、教皇レオ十三世と同じように、天主から離れては平和はありえないということを認めるのではないでしょうか? 天主なしには、単なる人間の制度は、天主なき国家は、たとえそれがどれほど大きく、どれほどグローバルなものであっても、私たちを救うことはないのです。

それは、私たちの天主らしくないでしょうか? 全時代で最も近代主義的な教皇が、近代主義の最も基本的な誤謬を放棄するようこの世を導くのが?

それは、永遠が、近代の終わりを告知するのにふさわしい方法ではないでしょうか?

【アメリカ最高裁判事の任命に関連して】人間が女性とは何かを定義することもできないという、まさにその時に、天主が悪に打ち勝つ力を与えたのは女性であり、蛇の頭を砕くのは一人の女性であることを、天主は私たちに思い起こさせるのです。現代人はイエズスを失いました。イエズスの母は、私たちがイエズスを発見するのを助けるために戻ってきました。聖母には、それについての経験があるのですから。

[バルバラ・ファラーの記事の引用終わり]

ここ数週間、ウクライナの戦争に対するヴィガノ大司教の立場をめぐって論争が起きています。

3週間前の3月6日のヴィガノ大司教(リンク)の記事(日本語訳その1日本語訳その2)です。これがさまざまな反応を呼び、大司教を鋭く批判する者がいれば、大司教を支持する者もいました。

中でも、米国のカトリック作家ジョージ・ワイゲルは、ヴィガノが愚かで危険な「不条理」である議論をしていると、厳しい批判をしました。すると、ヴィガノ大司教がワイゲルに反論しました。この論争における二つの重要な文章を読者に提供するために、両論文を以下に再掲します。

以下は、ワイゲルが3月16日に「First Things」に書いたものです。

ヴィガノ大司教とグレース・グランドリング・マーチポール大佐(リンク
ジョージ・ワイゲル

2022年3月16日

イーヴリン・ウォーの第二次世界大戦の三部作「名誉の剣」の脇役の一人に、軍の秘密情報部隊の司令官、グレース・グランドリング・マーチポール大佐がいます。彼は、合理的な人ならつながりを想像しない、あるいはつながりが可能であるとさえ思わない点を常につなぎ合わせる陰謀論者でした。大佐はまた、救世主コンプレックスを持っていました。

「彼の心の中の渦を巻く最深奥に、プランがあったのである。時間があれば、十分な機密資料があれば、彼は諍いの絶えない世界全体を、一つの陰謀の網に編み込むことに成功することだろう。そこには敵対者はおらず、ただ同じ目的のために、互いに知られることなく働いている何百万人もの人間がいるだけである」。グレース・グランドリング・マーチポールにとって、連合国とナチスは実は同じ側であり、そのことが明らかになりさえすれば、すべてが世界とうまくやっていくことになるのです。

このカトリックの現代における悲劇の一つは、そのグレース・グランドリング・マーチポールが、前駐米教皇大使であるカルロ・マリア・ヴィガノ大司教であるということです。

大司教はここ数年、教会の、政治の、疫学の、ワクチンの問題の分析において、ますます多くの陰謀論的な「宣言」を発表してきました。ヴィガノ大司教の3月6日の回勅は、1万語に及ぶ「ロシア・ウクライナ危機に関する宣言」であり、この陰謀マニアをグレース・グランドリング・マーチポールの領域に踏み込ませました。その明白に誤った主張の数々は以下の通りです。

●ウクライナの戦争について皆さんが知っていると思っていることはすべて、事実上「主流メディアの重大な改ざん」であり、大司教の主張を受け入れない者は「主流メディアによって行われた洗脳」の犠牲者である。
●バイデン大統領と欧州連合は、「ウクライナ危機の平和的解決の試みを不可能にし、ロシア連邦を刺激して紛争を誘発する」という「犯罪計画」を実行している。皆さんが、ロシアのミサイル、爆弾、砲撃によって意図的に破壊された民間人の死体や民間インフラ(産院を含む)を見たと思っているものは、本当は西側のせいである。
●真実について気にかける人は、西側が「ロシア・トゥデイ」と「スプートニク」をブラックアウトしていることを嘆くべきである。
●2013~14年のウクライナのマイダン「尊厳の革命」は「ジョージ・ソロスがスポンサーになった作戦」だった。
●ウクライナには「ネオナチ軍」が存在する。
●ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領は、「もう8年間もロシア語を話すウクライナ人を平気で迫害し続けている」。
●したがって、「ウクライナの人々は、どの民族に属するかにかかわらず、世界人口を減少させ、生き残った者を取り返しのつかないほど免疫力の低下した慢性疾患患者に変える必要性を公に理論化した後、新型コロナウイルス感染症の欺瞞によって全世界の経済を屈服させた、超国家的全体主義体制によって知らないうちに人質となってしまった最新の人々に過ぎない」。
●しかし、希望はある。「第三のローマ」――ロシア正教会のモスクワ総主教座――が、人類をより良い未来に導くかもしれない。

このような不条理な記事を書いている人は、彼、彼女、あるいは彼らがクレムリンの偽情報とプロパガンダを一点一点再現していることを気にしていないようです。典型的な左翼傾向の西側メディアが突然、反ロシア的で好戦的な態度を取るようになったのは、ばかばかしいことです。私が敬愛していないジョージ・ソロスが尊厳の革命のスポンサーになったことは、私たちが議論したカトリックの社会教義をマイダンで実践するために、氷点下の冬の天候の中、命がけで戦った私のかつての教え子たちには衝撃的なことだったでしょう。「ロシア・トゥデイ」と「スプートニク」はクレムリンの偽情報機関です。ロシアの侵略者と勇敢に戦ってきたウクライナ軍の多くが、ロシア語を話す人々で構成されているのはなぜでしょうか? ゼレンスキー大統領は就任して3年足らずなのに、どうして8年間もロシア語を話す人々を迫害してきたのでしょうか? 大司教とその周囲の人々は、プーチン大統領を「挑発」したのは独立した主権国家ウクライナという事実であると強調した2月20日の彼の演説を読んでいないのでしょうか? プーチンの言いなりであるロシア正教会のキリール総主教は、あなたの地元のタロットカード占い師と同じくらい、文明のルネッサンスを導くことはなさそうです。

私は以前から、ヴィガノ大司教が自分の名前で出したこれらの「宣言」を本当に書いているのか疑っています。この宣言は、悲劇的なことに、時とともにぐらつきを増しています。というのも、私はかつて大司教を友人とみなし、バチカン(彼はしばしば不誠実な環境の中にいながら正直な人でした)や米国の教会(彼は教皇大使としてよく奉仕しました)への彼の奉仕に感謝し続けているからです。しかし、ウクライナの戦争に関するこの最新の宣言は、一線(red line)を越えています。嘘、中傷、クレムリンのプロパガンダを自分の名前で出させることによって、カルロ・マリア・ヴィガノ大司教は、かつて相当な宗教的、道徳的権威を有していた彼の亡骸のために死亡記事を書いたのです。

そして、それは悲劇以上のものなのです。

[ジョージ・ワイゲルの記事の引用終わり]

すると、ヴィガノはワイゲルの批判に対して反論を発表しました。

(続く)


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