Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

聖母が、聖ヨゼフのため以上に恩寵と特権を取り成してくださった人はいなかった。聖母が、聖ヨゼフ以上に信頼して自らをお委ねになった人はいなかった。

2022年04月13日 | お説教・霊的講話

童貞聖マリアの浄配である聖ヨゼフについての説教

ドモルネ神父(2022年3月13日四旬節第二主日)

はじめに

今度の土曜日、3月19日には、童貞マリアの浄配の称号における、聖ヨゼフの祝日をお祝いします。この祝日は、カトリック教会の守るべき10の祝日の一つです。この童貞マリアの浄配という称号は、聖ヨゼフの主たる称号です。この称号は、聖ヨゼフが、他のすべての聖人、さらには、天使よりも偉大であることの基礎となるものです。ですから、今日は、この称号についてお話しします。

1.聖ヨゼフの召命

天主が人をある使命に召されるとき、天主はその人に、その使命を完璧に果たすための手段をお与えになります。そうでなければ、天主は不公平なお方ということになってしまうことでしょう。例えば、私たちの主イエズスは、世界中に主の福音を宣教するように、使徒たちを召されました。使徒たちのほとんどは、平均的な教育を受けた素朴な人々でした。イエズスは、使徒たちを、並ぶ者のない全世界の教師とする恩寵と賜物を、彼らにお与えになったのです。

天主は、聖ヨゼフを、ある使命に召されました。この使命は、一般的に言えば、童貞聖マリアを物質的にも精神的にも保護し、支えることでした。聖ヨゼフが、マリアの終生童貞の証人かつ保護者となることでした。また、姦通で訴えられる恐れからマリアの評判を守り、エジプトへの逃避の間は、マリアを保護し、日常生活においては、マリアを支えることでした。最後に、聖ヨゼフが、父なる天主の代理として、イエズスに対して、父としての権威を行使することでした。聖ヨゼフがこの使命を果たすことができるように、天主は、真の結婚によって、聖ヨゼフを童貞聖マリアと結ばせることを、お決めになりました。

2.聖ヨゼフと童貞聖マリアの間の財産の共同体

結婚とは、結婚の目的のための、男と女の間の契約です。夫婦は、互いに心と体と霊魂を与え合います。この契約からただちに表れる効果は、夫婦の間に財産の共同体が確立されることです。この共同体は、あきらかに、天主によって確立されるものです。「人は…その妻と合い…それゆえ、もう二人ではなく一体である。人は天主が合わせられたものを離してはならぬ」(マテオ19章5-6節)。この共同体は、物質的な財産だけではなく、二人の人間そのものにも及びます。夫は、妻を「自分の」妻と呼び、妻は、夫を「自分の」夫と呼びます。天主は、聖ヨゼフと童貞マリアを、真の結婚で結ばれました。聖ヨゼフは、マリアを、真に「自分の」妻と呼ぶことができたのです。さて、童貞マリアが、どのようなお方であるかを思い起こすことにしましょう。

マリアは、天主であるイエズスの御母です。この母性による絆によって、マリアは、聖三位一体の各ペルソナと、非常に密接なつながりをもつことになります。マリアは御子の御母であり、御父の娘であり、聖霊の浄配です。マリアは被造物に過ぎませんが、被造物として可能な範囲で、最も天主と結ばれたのです。したがって、こうも言えるでしょう。「天主は、いまより偉大な世界、いまより偉大な天国を創造することはおできになったが、童貞マリアより偉大な母を創造することはおできにならなかったのである」(ザクセンのコンラド)。マリアは、三位のペルソナと親密であったために、恩寵と美の充満を受けられました。天主は、聖書の中で、マリアについてこう言っておられます。「私の愛する者よ、あなたはすべてが美しく、何の汚れもない」(雅歌4章7節)。結婚によって、この創造の傑作である童貞マリアは、聖ヨゼフに委ねられたのです。聖ヨゼフは、真に、こう言うことができました。「最も清らかで、最も愛してくださり、また最も愛すべきマリアの御心は、私のものである」。(シエナの聖ベルナルディーノ)。

3.聖ヨゼフの偉大さ

天主は、ご自分の傑作である童貞マリアを、結婚という親密な絆によってお委ねになる相手が、誰でもよかったわけではないことは、明らかです。天主が望まれたのは、恩寵と聖徳において、童貞マリアに最も似た人でしかありえませんでした。ですから、天主は、聖ヨゼフを、童貞マリアに最もよく似た人とされたのです。創世記の中で、天主は、こう言われます。「人間が一人きりでいるのは良くない。私は、彼に似合った助け手を与えよう」(創世記2章18節)。そして、アダムのために、エワを創造されました。しかし、マリアとヨゼフについては、その逆です。聖ベルナルドは、こう言っています。「ヨゼフは、妻である童貞マリアに似せて造られた…聖ヨゼフはマリアの夫であったというだけで、十分である。聖ヨゼフは、顔立ち、心、心構え、習性、また聖徳、聖性が、童貞マリアに似ていると言えば、それが、すべてを語っているのである。聖ヨゼフは、義人として、最も偉大な聖人たちよりも聖なる人である。聖ヨゼフは、夫として、すべての天使たちよりも偉大である。それは、聖ヨゼフの妻が天使たちの元后であるがゆえに、聖ヨゼフは、天使たちの王であるからである」。聖ヨゼフの尊厳の源泉は、童貞聖マリアの尊厳なのです。

結論

すべての被造物の中で、聖ヨゼフ以上に、童貞マリアに密接につながっていた人はいませんでした。聖ヨゼフ以上に、童貞マリアの偉大さを理解した人はいませんでした。したがって、聖ヨゼフ以上に、童貞マリアを、心から深く愛した人はいませんでした。そして、そのお返しに、私たちの主イエズスは別として、聖母が、夫の聖ヨゼフ以上に、愛された人はいませんでした。聖母が、聖ヨゼフ以上に、恩寵と特権を取り成してくださった人はいませんでした。聖母が、聖ヨゼフ以上に、信頼して自らをお委ねになった人はいませんでした。

ですから、天の御母に倣いましょう。私たちも、聖ヨゼフを愛しましょう。聖ヨゼフを讃美し、その聖徳に倣い、あらゆる必要について、信頼をもって、聖ヨゼフのもとに行きましょう。しかし、次の土曜日に、私たちが聖ヨゼフに願い求める特別な恩寵は、より心からの、より深い、より完全な、童貞聖マリアに対する愛です。これこそが、私たちが、死ぬまで、私たちの主イエズスに忠実であり続けるための最高の保証です。

去年の3月19日、私たちは、私たちの修道院と使徒職を、聖ヨゼフに奉献しました。土曜日のミサの後、この奉献を更新します。実際に、あるいは霊的に、ぜひこの奉献に加わってください。


なぜ天主は、悪魔が私たちを誘惑するのをお許しになるのか?聖アンブロジオ「この戦いの報いは、この世の富ではなくキリストの王国とキリストの遺産である。誰も戦わなければ、勝利することはできない」

2022年04月13日 | お説教・霊的講話

誘惑についての説教

ドモルネ神父(2022年3月6日四旬節第一主日)

はじめに

今日、教会は、私たちに、砂漠でのキリストの誘惑の物語を読ませました。誘惑は、この世での私たちの日常生活の一部です。そこで、このテーマについて、少しお話ししたいと思います。

2種類の誘惑

「さて、イエズスは、悪魔に試みられるために、霊によって荒野に導かれた」(マテオ4章1節)。この福音の一節で、二つのことが分かります。第一に、イエズスを罪に陥れようとして、誘惑するのは、悪魔だということです。このように、天主の法に背くようにそそのかすことは、「いざないの誘惑」と呼ばれます。悪魔は、エワに、禁断の実を食べるように、このいざないの誘惑によって、そそのかしました。第二に、イエズスが、悪魔と戦って、悪魔に打ち勝つ機会を与えるために、イエズスを誘惑に向けられるのは、聖霊だということです。このように、ある人を誘惑して、その人に、自分の資質や弱点を示させようとする行為は、「試練の誘惑」と呼ばれます。天主は、アブラハムに、独り子のイザアクをいけにえにするよう要求することによって、この試練の誘惑として、アブラハムを誘惑なさいました。このとき、アブラハムは、天主への絶対的な忠実さを示したのです。

悪魔の誘惑

悪魔は、私たちを罪に陥れるために、私たちを誘惑します。聖ヨハネ・クリゾストモは、こう言っています。「悪魔は、誘惑しかしない。誘惑こそが、悪魔の食べ物であり、栄光であり、喜びなのだ」。なぜ悪魔は、私たちに対して、このような行動を取るのでしょうか? 悪魔は、天主を憎んでいます。しかし、悪魔は、直接には、天主に手が届かないため、天主の似姿に造られた人間を攻撃するのです。悪魔は、イエズス・キリストを憎んでいます。しかし、悪魔は、イエズス・キリストを打ち負かすことができないため、イエズス・キリストの贖いのみわざを、できるだけ多くの人にとって無益なものにしようと懸命に努力するのです。悪魔は、嫉妬から、私たちを憎んでいます。悪魔は、天国の幸福を失ったため、私たちにも、その幸福を失わせようと、懸命に努力するのです。

イエズスに対する悪魔の三つの誘惑は、私たちに対する悪魔の誘惑のすべてを、まとめたものです。石をパンに変えるという誘惑は、あらゆる情欲の誘惑を意味します。情欲とは、快楽や快適さを求める、乱れた愛のことです。情欲は、私たちを、肉欲、大食、怠惰に至らせます。神殿の頂上から身を投げるという誘惑は、あらゆる高慢の誘惑を意味します。高慢とは、天主に依存するのことのない、自らの優秀さに対する、乱れた愛のことです。高慢は、私たちを、ねたみと怒りに至らせます。この世のすべての国を所有するという誘惑は、あらゆる貪欲の誘惑を意味します。貪欲とは、この世の財物に対する、乱れた愛のことです。貪欲は、あらゆる種類の不正を行うように私たちを駆り立て、はては、悪魔崇拝を実践するまでに至らせます。

天主がお許しになる誘惑

では、なぜ天主は、悪魔が私たちを誘惑するのを、お許しになるのかを、見てみましょう。天主は、霊的な戦いを望んでおられます。私たちが戦い、勝ち、そして、勝利者に約束された報いを得ることを、望んでおられます。聖アンブロジオの言葉を聞いてください。「この戦いの報いは、この世の富ではなく、キリストの王国と、キリストの遺産である。私たちには、冠がかかっているのだから、この戦いを受け入れなければならない。誰も、勝利しなければ、冠を得ることはできないし、戦わなければ、勝利することはできないのだから」。

天主は、私たちに、キリスト信者としての霊的な強さを自覚させるために、悪魔が私たちを誘惑することを、お許しになるのです。聖アンブロジオは、こう言っています。「私たちは、肉と血に対してではなく、霊的な勢力に対して、戦わなければならない。キリスト信者は、何という偉大さに召されていることか。キリスト信者は、この世の、より高いところにいる勢力と、戦わなければならない!」。ですから、聖書の中で、天主は、ヤコブと組打ちするように、天使を遣わされました。ヤコブは一晩中戦い続け、その天使は、ヤコブに勝つことができませんでした。天主は、ヤコブに、自分がいかに強いものであるかということ、そして、兄のエザウを恐れる理由がないことを、自覚させようとされたのです。(創世記32章28節)。

天主は、私たちが高慢におちいらないように、悪魔が私たちを誘惑することを、お許しになるのです。聖パウロは、こう言っています。「私が受けた啓示があまり偉大なので、高ぶらせないように肉体に一つの刺(とげ)が与えられた。高ぶらないように私を打つサタンの使いである」(コリント後書12章7節)。私たちが誘惑を受けることで思い起こすのは、私たちが、いかに、悪に染まりやすいか、また、恩寵の助けがなければ、あらゆる種類の堕落に、いかに、すぐ陥ってしまうか、ということです。

天主は、私たちが霊的にもっと強くなるように、悪魔が私たちを誘惑することを、お許しになるのです。私たちが貞潔の徳を育むのは、肉欲の誘惑と戦うことによってです。私たちがカトリック信仰を告白する勇気を育むのは、天主より人間を敬う誘惑と戦うことによってです。私たちが寛大さを育むのは、自己中心主義の誘惑と戦うことによってです、といった具合です。

天主は、私たちにお与えくださる賜物が、どれほど貴重なものであるかを、私たちに理解させるために、悪魔が私たちを誘惑することを、お許しになるのです。天主は、私たちを、永遠の命に召されます。天主は私たちに、成聖の恩寵、聖徳、聖霊の賜物、助力の恩寵を、与えてくださいます。悪魔が、これらの賜物をすべて、私たちから失わせようと決意していることは、これらの賜物が、どれほど貴重なものであるかを示しています。

結論

天主は、私たちと悪魔との間の霊的な戦いを、望んでおられます。ただ、天主は、公平な、同等の強さの戦いを、望んでおられます。ですから、天主は、悪魔を打ち負かすための手段を、すべて、私たちに与えてくださるのです。聖パウロは、こう言っています。「天主は忠実であるから、あなたたちの力以上の誘惑には遭わせ給わない。あなたたちが誘惑に耐え、それに打ち勝つ方法をも、ともに備え給うであろう」(コリント前書10章13節)。イエズスが、主祷文の中で、「われらを試みに引き給わざれ」と祈るように、私たちに教えられたように、特に私たちが天主の御助けを求めるとき、天主は私たちを助けてくださいます。また、私たちが断食をするときも、同じです。聖アウグスティノは、こう言っています。「イエズスの模範に倣って、激しい戦いに直面するときは、断食をしなければならない。そうすれば、この自ら行う制裁によってあなたの体は強められ、また、謙虚になることによって、あなたの魂は勝利することができるであろう」。

四旬節の間、私たちの主イエズスに倣いましょう。祈って、断食をして、あらゆる悪魔の誘惑に打ち勝ちましょう。


【参考情報】エドワード・ペンティン:新型コロナウイルス感染症のトップ専門家「バチカンは今すぐワクチン接種の義務付けを終わらせるべき」

2022年04月13日 | プロライフ

【参考情報】エドワード・ペンティン:新型コロナウイルス感染症のトップ専門家「バチカンは今すぐワクチン接種の義務付けを終わらせるべき」

2022年2月23日(水曜日)

EDWARD PENTIN | Top COVID-19 Expert: Vatican Violating Code of Bioethics, Must End Vaccine Mandate Now

プレスリリース

【エドワード・ペンティン】新型コロナウイルス感染症のトップ専門家「バチカンは生命倫理規範に違反しており、今すぐワクチン接種の義務付けを終わらせるべき」

新型コロナウイルス感染症の第一人者が、バチカンに対し、ワクチンの擁護と義務付けを直ちにやめるよう求め、ワクチン接種に関するバチカンの立場が、ワクチンによる死亡と、生命倫理の重要な規範への違反に加担している、と警告した。

ダラスを拠点とする内科医、心臓専門医、疫学者で、新型コロナウイルス感染症に関する自分の名前の54の査読付き出版物を持ち、パンデミック対応について米上院の前で証言したピーター・マッカロー博士(Dr Peter McCullough)は、バチカンに対しても、「ワクチン被害とワクチン死亡に関する公益キャンペーンを直ちに始める」ことを要求している。

ルルドの聖母の祝日である2月11日に電話越しに話した彼は、バチカンはすでに「世界中でワクチンによって失われた何十万にも上る可能性のある命について説明しなければならない」だろうと述べた。なぜなら、「ニュルンベルク・コード」(あらゆる医療行為、特にそれが新しく実験的である場合は、圧力、強制、報復の脅しを排除する一連の倫理原則)に違反しているからである。

【参考資料】ニュルンベルク・コード 【あるいはニュルンベルク綱領

この米国人専門家(マッカロー博士)は、今後ワクチンについて教皇に助言することを申し出ている。

メソジスト派のマッカローは、ワクチンによる生命の損失や副作用を容認できないものとし、また抵抗しない者は犯罪の共犯者であると考え、声を上げざるを得ないと感じてきたと言った。「私は、このような事態を傍観し、黙って見ていることはできません」と彼は言った。「キリスト教徒なら、誰もこんなことはできないと思います」。

バチカンは、ワクチン接種は「原則として道徳的義務ではなく、したがって自発的でなければならない」という自らの教えにもかかわらず、現在では、典礼や教皇謁見にあずかる者を除く、すべての職員と訪問者が、バチカンの領土内に入るためには、完全に予防接種を受けているかウイルスから最近回復していることを義務づけている。

教皇フランシスコは、新型コロナワクチンの世界的な擁護者でもあり、ワクチン接種を「愛の行為」「道徳的義務」と呼び、世界中で、特に世界の最貧困層に公平にワクチンを配布するようたびたび促している

昨年は、バチカンと新型コロナワクチンの配布契約を結んでいるファイザー社のCEO、アルバート・ブーラと2回にわたって秘密会談を行った

フランシスコのワクチンへの支持は、宗教的免除を拒否するためにも使われており、最近では、ニューヨーク市の公立学校教師へのワクチン義務付けを支持した先週金曜日の最高裁決定がある。

以下、インタビューからの抜粋である。

【質問】マッカロー博士(Dr McCullough)、あなたは専門的な内科医、心臓学者、疫学者として、ウイルス感染と新型コロナワクチン接種後の傷害の両方による心血管系の合併症を綿密に調査されています。また、あなたは新型コロナウイルス感染症に関する54の査読付き出版物を作っておられます。ですから、この分野の著名な専門家として、ワクチン、特にメッセンジャーRNAワクチンについて、あなたが懸念しておられることを簡単に要約していただけますか?

【マッカロー博士】現在、このワクチンには危険な作用機序(メカニズム)があることが知られています。このことは、安全で効果的な他のワクチンとは違って、これらのワクチンは、その生化学的・物理化学的特性から、危険であることが予想される、ということです。つまり、私が言いたいのは、メッセンジャーRNAやアデノウイルスDNAなどの遺伝物質が、脂質ナノ粒子に載せられている、ということです。

脂質ナノ粒子は、設計上、体内の各所に、体内の臓器システムに行き渡り、そこに遺伝物質が運ばれれば有害です。だから、このことは、これらのワクチンが登場する以前から知られていたのです。

中国の論文が脂質ナノ粒子を研究しており、脂質ナノ粒子が副腎、卵巣、脳、心臓、骨髄、その他の重要な臓器に到達することが分かりました。注射後に腕から離れ、体内を循環し、実際に体内の細胞に遺伝物質が沈着するようなワクチンには、私たちは大きな懸念を抱いています。遺伝物質がこれらの臓器に送り込まれることは、その遺伝物質が細胞に取り込まれることになるため、非常に懸念されます。これらの細胞は、そのような遺伝物質を持つようには作られていません。細胞には天主から授かった遺伝子があり、それは世代から世代へと受け継がれていくのです。外来性の遺伝物質を摂取して、それを体中に撒き散らして、細胞のモザイクが人体がこれまでに作ったことのない新しい物質を作り始めるなどということは、私たちのすべきことではないのです。これは非常に憂慮すべきことです。

そして次に、今、この遺伝物質がすぐには消えないということが発見されました。トニー・キリアコプロス博士と私は最近、この理論的な懸念に関する論文を発表しました。これは国立医学図書館にありますが、このワクチンの遺伝物質が体内で数カ月間持続する可能性があること(を示しています)。数カ月後、その遺伝物質がリンパ節で発見され、まだ残っていることが証明されたのです。

この遺伝子は、武漢の野生型スパイクタンパク質と呼ばれる非常に危険なタンパク質をコードしており、これはウイルスの表面にある棘のようなものです。このスパイクタンパク質が、新型コロナウイルス感染症のすべての危険性をもたらしているのです。これが、新型コロナウイルス感染症のすべての致死性をもたらしているのです。つまり、ある意味では、私たちはウイルスの致死性成分を取り出し、その遺伝子コードを見つけ、そして今、その遺伝子コードを大量に人体に注入しているのです。このスパイクタンパク質は、制御されない方法で、制御されない量と時間の間、体内で生成されます。最近の発見でまとまったのは、数カ月間体内にある遺伝物質、スパイクタンパク質が数カ月間体内にある遺伝物質だということです。実際、スパイクタンパク質は1年以上体内に存在するかもしれません。

【質問】では、このワクチンで心筋炎や脳卒中、心臓発作を起こすリスクは、どの程度だと思われますか? これらは本当に深刻なリスクなのでしょうか、また、ワクチンのために当たり前になる可能性があるのでしょうか?

【マッカロー博士】最も深刻な懸念として、死亡を取り上げてみましょう。人口3億3千万人の米国を例に取ってみます。米国で1年間に接種されるワクチンをすべて、複数回の注射をすべて合わせてみると――私自身、すべてのワクチンを接種していますが――、年間約2億7800万本になります。これは大変な数です。全国民ではありませんが、少なくとも幅広い層の人々に2億7800万本のワクチンが投与されているのです。

死亡はあっても、まれにしかないと考えられており、また私たちが我慢しなければならないものであり、アレルギー反応のような非常に珍しい状況によって起こり得るものですが、その数は、年間約150件でしょう。それで、私たちの「ワクチン有害事象報告システム」(VAERS)には、2021年までのすべての年を通じて、年間約150件の死亡が記録されています。

2021年に起きたことは、1月22日にはすでに182人の死者を出し――すでに死者が30人も多かったのです。振り返ってみると、もし適切なデータ安全性監視委員会と適切な人間倫理委員会を設置し、この件を調査していれば、2月に米国のプログラムを停止させ、「ちょっと待ってください、死者が多すぎます」と言ったことでしょう。

今、私たちはここにこうして座っていますが、同じシステムで21,000人以上が死亡しているのです。ですから、【死亡数が】珍しいと考えられるのは、全ワクチンを合わせても150人、1製品あたり50人ほどでしょう。通常、医薬品については、30日以内に原因不明の死亡が5件あれば、ブラックボックス警告(FDAが市販薬に対して行う最も厳しい警告で、一般市民や医療従事者に傷害や死亡などの重大な副作用を警告するもの)が出されます。30日以内に50人の死亡者が出た場合、因果関係とは無関係に――というのは、それが一時的に起きたかどうかだけで、因果関係を正確に評価することはできないからです――50人になったら、その製品は市場から消えます。

今日、私たちはCDCのワクチン安全性報告システムにおいて、21,000人の死亡を記録しているところです。ですから、私はこう申し上げなければなりません。いかなる状況においても【ワクチンによる】死亡がまれだとは考えられない、と。さて、これを正しく表現するならば、これは人類史上最も危険で致死性を持つ生物学的製剤(biological product)だ、ということです。それ以外の何ものでもありません。以上です。

全文はEdward Pentin’s blogでお読みください。

Photo Credit


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】