アヴェ・マリア!
イエズス・キリストは天主か?
歴史の主張「イエズス・キリストは、ご自分が天主の権能をもっていると主張した。キリストは、ご自分が天主から派遣されたこと、また、天主ご自身であることを主張した。自分が天主であることを証明する奇跡(病人の治癒や死者の復活などの物理的奇蹟、また旧約聖書の預言の成就という知的奇蹟、さらに自分の死からの復活という奇蹟)を行った。」
シェアン司教著 「護教学」 第七章 まことの天主なるイエズス・キリスト を見てみよう。
【ご自分を天主とするイエズス・キリストの主張は、奇跡と預言とによって、正当に裏付けられている】
【第一項 第一の証明】
★ 奇跡と預言とは、イエズス・キリストが主張していること、すなわち、自分が天主であることを立証する
【A キリストの奇跡は、キリストの天主性を立証する】
キリストはこの世に生活していたときに、多くの奇跡をおこしています。キリストは、単なる言葉だけで、病人や、目の不自由な人々、口の不自由な人々、足の不自由な人々などを治しました。また、別な所に住んでいる人たちの病気をいながらにして治癒したことも少なくありません。特記すべき奇跡として、生まれつきのめくらを癒したこともあります 。キリストは死者を蘇らせました。例えば、ヤイロの娘、ナイムの寡婦の息子、ラザロの蘇りなどをあげることができます。また、悪霊のとりこになっている人から、悪霊を駆逐しているが、こうしてキリストは、ご自分の権能が霊の世界にも及ぶことを、はっきり知らせたのです。キリストは、単なる物質界においても、多くの奇跡をおこしています。水をぶどう酒にかえ、五千人余の人たちを、五個のパンと二尾の魚をふやして飽食させたりしています。ちょっとした命令で、暴風雨を鎮め、また、水の上を歩いています。
キリストの奇跡は、自然的には説明不可能です。以下、自然的に説明しようとしてでっちあげたいろいろなこころみを検討して見ましょう。
(1)妄想説によると、奇跡は単なる自然的な出来事であったのだが、狂信的な弟子たちが、超自然的なものに妄想した、という。ところが、奇跡はいつも公然と、一般の人たちの目の前で行われたので、その事柄が事実その通りであったことは、キリストの敵たちでさえ認めざるをえませんでした。
(2)悪霊蠢動説によっても説明不可能です。何故ならキリストは、彼の教えから見ても、その人格からいっても、聖なる人だったからです 。つまり、キリストはサタンの僕ではありえなかったのです。キリストは、悪霊を追い出しているのであるから、悪霊の敵ではあったが、悪霊の手先ではありえなかったのです。
(3)催眠術、または、動物磁気説によっても説明がつきません。催眠術とか暗示とかによる治療法は、神経系統のある種の病気には効果があるといわれています。しかし、瞬間的な平癒とか、そこにいない人の病気を治すことは出来ません。キリストは、いろいろな種類の病気を治しています。その上、多くの場合、病人たちが、そこにいあわせないこともあったし、病人たちが、なおしてもらえる立場にあることにさえ気がついていませんでした。いずれにしてもこの説は、死者の蘇りを説明することはできません。
キリストは、ご自分が天主から遣わされたことを立証するために、奇跡をおこした.。「私のする行いそのものが、私を遣わしたのが父であることを証明している 」のです。従って、キリストの教えは、天主の教えであったのです。ところで、キリストはご自分が天主であると教えています。それゆえキリストは天主です。
【B キリストの預言は、彼の天主性を立証している】
キリストは、人間が到底予知することができない未来の預言を多くしました。
(1)ご自分の将来について、受難、復活、昇天などの預言 。
(2)彼の弟子たちについては、ユダが師を売ること、弟子たちがみな師を棄てるであろうことなどの預言。
(3)キリストの教会については、教会が、辛子種のような素晴らしい成長力をもっていて、全人類を、その木の葉陰に休ませるようになること、ご自分と同じ待遇を受けるだろうこと、すなわち、世がこの教会を憎み、迫害するであろうこと、しかし教会には、地獄の門も勝つことはできないこと、などの預言。
以上の預言の完成は、キリストの教えが、天主の教えであることを明白に立証するものです。ところがキリストは、ご自分が天主であると教えています。従って、キリストは天主です。
イェルザレムの滅亡と、ユダヤ人の将来とに関するキリストの予言は、特記すべき預言であると見られています。
キリストは言います。「敵がおまえのまわりに塁を築き、とりかこみ、四方からせまり、おまえとそのうちにすむ人びとを地にたおし、石のうえにひとつの石さえのこさないような、ある日がくるだろう 」と。それから「地上には大艱難があり、おん怒りがこの人民のうえにくだるからだ。彼らは、剣の刃のしたに倒れ、あるいは捕虜として、諸国に引かれていくだろう。そしてイェルザレムは、異邦人の時が満たされるまで、異邦人にふみにじられる 」であろうと。これはキリストの預言ですが、この預言が、文字通りに実現したことは、ローマ皇帝ティトスの命によって書かれた、フラビゥス・ヨセフス(三七~九八) 著「ユダヤ戦記」に明らかです。ローマ軍には、攻略した都市、特に神殿などは、そのまま保存しておく習慣があったので、都市の壊滅ということなど、全く予想外のことだったのです。
ローマ皇帝、背教者ユリアヌス(三六一年~三六三年)は、キリスト教の預言の裏をかこうとし、神殿とユダヤ国との再建とを計画し、ユダヤ教をさかんにしようと計画しました。離散していたユダヤ民衆は、この計画を知ると狂喜して参集し、熱心に協力しました。アンミアーヌス・マルチェリーヌスは、皇帝護衛官で、異教徒の著作家ですが、人類史上において、特に立証された事件のひとつとして、以後のなりゆきを記しています。「ユリアーヌスは、以前ブリタニアの副官であったアンテオキアのアルピヌスに、この大事業をまかせた。アルピヌスは、情熱をこめてこの大事業をはじめ、州の総督を補佐役に任命した。恐ろしい熱火の塊が、基礎の下から吹き上がり、労働者たちがどうしても近づくことが不可能になるまで、猛火の攻撃が止まなかった。こうして猛火が執念深く彼らを追っ払ったので、遂に事業 は放棄された」と書いています。
【C キリストご自身において、預言がすべて完成している】
多くのユダヤ人たちは、彼らの聖書、すなわち、旧約聖書が教えているメシアに関する預言が、キリストにおいて、完成されていることが分かったので、キリスト教徒になったのです。私達は、ここではただ、誰も否定することができない点、すなわちこの本が、キリストが生まれるはるか以前に書かれた本だということだけをとりあげて論を進めていきます。
ユダヤ人の宗教は本質的に待望の宗教でした。すなわち、あとでつかわされるメシア、あるいは救世主に対する信仰と待望とが教義の中心になっていた。そして、救世主に関する預言が、すべてキリストにおいて実現したのです。救世主に関する預言の大要を、次にあげてみます。
彼は、ダビドの正継として生まれるであろう。(イザヤ、11:1, 2)。
そして、ベトレヘムで生まれる(ミケア、5:2) 。
彼は、聖処女である母から生まれるであろう(イザヤ、7:14) 。
そして天主の子といわれる(詩、2:7)。
彼はナザレ人・・・すなわち、ナザレの人といわれる(イザヤ、11:1)。
彼は正義をもって、貧しいものを裁く(イザヤ、11:4)。
彼の王国は攻撃を受けるであろうが、永遠にほろびることはない(詩、2:1-4)。
彼は、すべての人びとを裁き、そして、義人には光栄の冠を与える(イザヤ、24章、28章)。
しかし、彼は悲しみの人であって、軽蔑され、最もさげすまれた人間になる(イザヤ、53章)。
彼は銀貨三〇枚で売られるが、その銀貨は、やき物師から畑を買う代価につかわれる (ザカリア、11:12,13)。
自分から望んで犠牲になり、ひとこともいわありません。場にひかれていく羊のように、毛を刈りとる人の前にだまっている羊のように、口をつぐんでいる(イザヤ、53:7)。
彼の腕と足とはさしつらぬかれ、衣服は分けられ、着物はくじ引きにされる(詩、21:17-19)。
彼は異教の国々の光明になり、地のはてまで、救いをもっていく(イザヤ、49:6)。
天の天主は、けっしてほろびない王国をたてる(ダニエル、2:14) 。
以上あげたような多くの預言が、ある個人において完成された ということは、けっして偶然の符合ではありえないし、人間の作為によるものでもありえません。天主の聖業に帰すべきであるということは、きわめて明瞭なことです。従って、キリストは約束されたメシア、すなわち、救世主です。キリストは天主によって派遣された。キリストは天主の権をもって教え、しかも、ご自分が天主であると教えた。それゆえ、キリストは天主です。
では、なぜユダヤの全民衆が、キリストにおいて、すべての預言が完成していることを承認しなかったのだろう、ということです。特に、キリスト誕生のときが近づくにつれて、メシアへの待望がますます激しくなっていることがわかると、この疑問がさらに、ときがたいものに見えてくるわけです。
応答
(1)キリスト降生当時のユダヤ人たちは、一般的に見て、道徳的に非常に頽廃していました。フラビウス・ヨセフスは、ローマ軍が、彼らを罰するためにやってこなかったとしても、地震とか、洪水とか、あるいは、ソドマの雷光が、彼らを罰したに違いない、といっています。思うに、彼らの不義、不徳が、キリストの福音に、耳をひらかせなかったひとつの原因になったと考えられます。
(2)キリストの教えが、彼らにある種の革命的な要素を感じさせた。すなわち、キリストによれば、彼ら、は、もはや天主の選民として他民族より優位な立場におかれることはなく、そのうえ、彼らが忌み嫌っていた異邦人たちもが同じ特権が与えられる という教えを聞き、がっかりしたわけです。
(3)ユダヤ人たちの指導者は、律法学士やファリザイ人たちであったが、キリストは、彼らの高慢と偽善とを真っ向から非難したので、その結果、彼らはキリストをことのほか憎悪しました。それで、キリストの主張と教えとをただしく判断できない精神状態に陥ったのです。
(4)ひとつには、聖書に関するファリザイ人たちのまちがった解釈のためと、もうひとつは、他国の圧迫が絶えず、民族的な自負心が強かったために、ユダヤ人は、メシアを罪から解放する救世主としてではなく、ローマ帝国の重圧から彼らを解放し、世界帝国をつくる現世的な王であると夢想するようになっていました。精神界の王としての勝利が、現世的な王国の勝利におきかえられて誤解されていました。使徒たちでさえ、この種の民族的な考えから脱却することができなかったらしく、キリスト昇天の直前に、祖国愛のために、この希望の完成を見たい願望にかられて、「主よ、あなたがイスラエルのために国を再興されるのはこの頃ですか 」とキリストにたずねているほどです。
【第二項 第二の証明】
イエズス・キリストの復活は、彼が天主であることを証明している
キリストは、ご自分が天主であると主張し、この主張が真理であることを立証するために、ご自分が死者のうちから復活するであろうといった。そして、キリストは死者のうちからよみがえったのです。従って、キリストは天主です。キリストの復活を証言する人たちは、みな信頼に値します。
【キリストは、ご自分が死者のうちから復活するといった】
ユダヤ人たちが、キリストの権力についての証拠を見せてもらいたいといって、奇跡を要求したとき、イエズスは、「この神殿をこわしたら、私は三日でそれを建てなおそう 」と答えました。福音書記者は、キリストは彼のからだの神殿をさしていったのだ、と説明しています。
あとになってからは、もっとはっきり、「この悪い、邪な世代はしるしを望むが、しかし、預言者ヨナのしるし以外のしるしは与えられないであろう。すなわち、ヨナは三日三晩、海の怪物の腹のなかにいたが、同様に人の子は三日三晩、地のなかにいるだろう 」といっています。
タボル山の変容ののち、キリストは、ペトロ、ヤコボ、ヨハネをいましめて、「人の子が、死人のうちからよみがえらないうちは、見たことを誰にもいうな 」といっています。
受難のためにイェルザレムにいく前に、キリストははっきり、「私達はイェルザレムにのぼるが、人の子は、司祭長、律法学士たちに渡されるだろう。そして彼らは、人の子に死刑を宣告し、異邦人にわたし、嘲弄させ、むち打たせ、十字架につけるが、しかし、三日目によみがえるだろう 」と言いました。
復活に関するキリストの預言が、一般の人びとに知れわたっていたということは、キリストの死後、彼らがピラトに進言して、「あのまどわし者は、生きていたときに、私は三日目に蘇る、といっていたのを思いだす 」といっているのを見ても分かります。
【キリストは死んだ、そして墓に葬られた】
四人の福音書記者は、いずれも、キリストは十字架のうえで死んだと言います。兵隊たちは、キリストが死んでいることがわかったので、彼の足のすねを折りませんでした。ひとりの兵隊が、槍でキリストの脇腹を貫きました。アリマタヤのヨゼフが、キリストを埋葬するためにその許可を願い出ると、ピラトは許可を与える前に、百夫長に命じてキリストの死を確認させています 。考えてみて下さい。キリストの殺害をあれほど執念深くたくらんでいたキリストの敵たちが、自分たちの計画を中途半端でやめることなどありえたでしょうか。前述したように、「生きていたとき」といっていますが、この言葉から考えても、いまは死んでいるという事実があったからこそ、こういう言葉が出てきたことがわかるのです 。
(ローマの歴史家、タキトゥス(西暦55年―120年頃)は、「キリストは、チベリウスの治下、総督ポンテオ・ピラトに依って死刑にされた」と記しています(Annals.ⅩⅤ.44)。)
【キリストは死者のうちから蘇った。】
福音書記者たちが教えているところによると、墓がからになっていました。それから、キリストはマリア・マグダレナと他の婦人たちとに現れ、次に、使徒たちに現れ、傷のあとを示しています。「私の手と私の足とを見よ、私自身だ。私に触って確かめてごらん。霊には、私にあるような骨や肉はない 」といって、彼らと話したり、一緒に食事したりしています 。キリストは、エマオへ帰る二人の弟子と一緒に歩き行きましたが、「パンをさく動作 」によって、弟子たちは、彼が主であることを知ったのです。コリント人たちに書き送った手紙で、聖パウロは、「五百人以上の兄弟たちが一緒にいるところに、キリストが現れ、最後には、私にも現れた 」と教えています。
【A キリストの復活に関する証人は信頼に値する】
(1)彼らは、決して嘘つきではありません。彼らには、虚偽の証拠をつくりださなければならない少しの動機もありませんでした。彼らの働きと、そのためにうけた苦難とを思いあわせると、それらはみな、彼らの誠実さを証拠だてるものばかりです。また、彼らは、自己欺瞞におちていたわけでもありません。なにしろその数がひとりやふたりではないし、初めからキリストの復活を信じていたわけではなく、むしろ信じたくなかったくらいなのです。また、キリストの死後、キリストが、彼らとともにいた時間が、相当長期にわたっていたことも、自己欺瞞という説を不可能にするもうひとつの理由なります。
(2)天主は奇跡の賜物を彼らに与えて、彼らが人を騙すような人間ではなく、また浅薄な夢想家でもなく、ひたすら真理を宣言する人たちであることを立証しています。彼らの手によって、キリストのみ名において、天主は、多くのしるしと、不思議とをおこしたので、これを見た、「一般の人びとは、畏れを感じた 」程でした。
(3)何千人という、初代教会の改宗者たちが、聖ペトロのもとにあつまっているが、そのなかには、「非常に多くの司祭たち 」がいたという驚くべき事実に注意して下さい。これらの司祭たちは、特別な階級に属する人たちで、つい最近までは、キリストの奇跡を否定していたばかりでなく、キリストを十字架の刑罰におくりだすために、一生懸命になった人たちでした。また今もなお、天主から来る新しい証拠を抹消するために、やっきとなって努力している大司祭たち、その他の指導者たちといさぎよく訣別してきた人たちであったのです 。これら勇敢な改宗者たちは、彼らの司祭職が提供するいろいろな特権を、一生涯続くかも知れない迫害ととりかえなければならないはめにおちいる、自分たちの立場を、よく承知していたにちがいません。彼らは、彼らが属していた社会を混乱させる者、民族の裏切り者として、あるいは焼き殺されねばならないかも知れないということも知っていたにちがいません。それにもかかわらず、こういう未来に敢然とたち向かっていくことができたのは、何のためであったろう。彼らは、ひたすら自分たちの良心が要求する強い命令に従っただけであったのです。キリストの復活という真理が、彼らの心に水晶のような清浄な姿でうつしだされていたにちがいません。
これは、おそらく次にあげる二つの道のどちらかからきたと思われます。その一つは、使徒たちがおこなう奇跡が、間違いなく起きた奇跡であるということを知り、従ってこれはキリストが復活したと主張する使徒たちがただしいことを、天主ご自身が保証するものだと確信するに至ったか、或いは、もう一つの道に従うと、彼ら自身、復活に関係がある多くの証人たちの話しをきいたり、調べたりして(誰とでも直接話しあうことができた)、それらの証拠には、なんら疑問とするものがないことを確かめて、最後の確信に到達するようになるかしたのです。しかし、上述したふたつの、いずれの道を選んだとしても、彼らの多くの人びとは、もう一歩前進したことは確かです。すなわち、さらに遡って、メシアに関する預言をもう一度調べたにちがいません。その結果、旧約の預言が、すべてキリストにおいて成就したことを知ったのです。すなわち、キリストは人となった天主の子で、苦しみをうけ、十字架に釘づけられて死にました。そして三日目に墓から蘇りましたが、これらはみな預言の完成であることを知ったのです。
【キリストの復活に関する証人としての聖パウロ】
聖パウロの証言は、それ自体、確固たる証明力をもってはいるが、同時に他の証人たちの証言をも立証する特別な力があります。いかなる批評家も、聖パウロがダマスコ途上で、奇跡的な示現にあった事実を疑問視するものはいません。キリストの死後、三十年以内に、聖パウロが、ローマ、ギリシア、小アジアの諸教会に書きおくった素晴らしい手紙、この書面をもって彼は、彼らの信仰の土台であるキリストの復活を諄々と説いていますが、これらの手紙の文献的な価値を無視していくことができる批評家は、一人もいません。また、前身は教会の迫害者だった聖パウロの、聖者としての風格と、誠実な人格とに、疑問符をうつことができる人もいません。聖パウロのように高潔な人格者で、しかも教養の高い人が、詐欺師とか、またはこれに類する人たちの仲間入りができるものではありません。また、復活の証人たちと話しあったとき、何かの不合理を発見したり、彼らの立証に、うたがわしい点を見いだしたりしていながら、そういうことに関する一切の記事をさし控えたなどとは到底考えられるものではありません 。
【B キリストの復活は、復活に関する全世界に及ぶ信仰という奇跡によっても証明される】
ペンテコステの日、その日はまだ、イェルザレムにおいて、キリストの惨酷な死刑の記憶が、人びとの脳裡にまざまざと浮びあがってくるときでしたが、使徒たちは、その同じ場所に、素面で立ち上がり、人びとの前に姿を現したのです。講演の冒頭で彼らはキリストの復活を説いたのです。「天主が復活させたのはそのイエズスで、私達はみなその事実の証人である」と聖ペトロは説教したが、この言葉でキリストを信仰し、改宗したユダヤ人たちは三千人もいた。それから間もなく、「天主が、死者の内から蘇らせたのは、生命の君 」であるということについて、聖ペトロが説教したときにはさらに、五千人以上の改宗者がこれに加えられています。パレスチナはいうにおよばず、国境をこえて、各階級と民族とに、改宗者の数は日一日と急速に増加していった。数年にもならないうちに、百万人を突破し、数世紀のあいだに、ローマ大帝国の大半をキリスト教化し、更に前進して行きました。聖アウグスチヌスはキリストの復活が事実でなかったとするなら、ガリレアの名もない少数の漁夫たちが、世界をこの信仰に塗り替えたいうことになり、キリストの復活と同じくらい偉大な奇跡になってしまう、といっています。この信仰の奇跡は、また継続的な奇跡でもあって、時代が経過するにつれて、ますます大きくなりました。四億以上の信者がいる今日の教会においては、カトリック教会外にもこの信仰をもっている人々が二億はいると推定できます。信者は、いろいろな階級にまたがっているが、もちろん最高の知識層に属している人たちもいます。従って、天主は使徒たちが真理を宣言したことをこういう奇跡的な事実によって立証しているのです。天主は私達の主イエズス・キリストが、死者のうちから蘇ったことを立証しているのです。
上に挙げた積極的な論証の証明力は、復活の日の朝、墓がからであったという疑うことができない事実を説明するために反対論者たちが提唱する多くの説が、どれもこれも、とるにたりないものであることが分かれば、さらに強力に浮かびあがってくるのです。
以上、シェアン司教著 「護教学」 より。
http://www.d-b.ne.jp/mikami/apolog2.htm
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