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聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 19.1.2.新教会法典―教皇への公開書簡

2010年05月19日 | ルフェーブル大司教の伝記

新教会法典―教皇への公開書簡

 1983年1月25日ヨハネ・パウロ二世は、使徒的憲章【Sacrae disciplinae leges】を発布し、カトリック新教会法を公布した。

 これは、“カトリック教会における最高権力の二重の主体(教会法336条)” を公に承認し、異端者たちがカトリック司祭の手から御聖体を受ける事を許し(同844条4項)、結婚が有する二つの目的【第一目的:子女の出産と育成;第二目的:夫婦相互の助け合い、相互の愛を保つ、情欲の抑制】を逆さまにして覆した(同1055条)。

 ルフェーブル大司教は、大胆にもヨハネ・パウロ二世が新教会法に見出される“革新的特徴”について語ったのには驚いて茫然となり、それについて自分の「友人や恩人の皆様への手紙」のなかで次のように書いた。

 先ず彼は、“この新教会法典は、第二バチカン公会議の提唱した教会に関する教義を、教会法の言い方に変換するという重大な努力と考えられる”という教皇の説明を引用した。ヨハネ・パウロ二世は新しい教会論の教えから5つの要素を挙げた。“天主の民としての教会、奉仕としての教会の権威、交わりとしての教会、キリストが有する司祭、預言者、さらに王としての三重の権能に天主の民の成員が各々独自の方法によって参与していること、そして最後に、エキュメニズムの任務”の以上、五つの点である。

そこで大司教は手紙の中で次のように書いた:

「ご覧下さい、プロテスタントの誤謬と近代の誤謬とが、今後カトリック教会の立法を発案させる事を可能にするだろう多くの曖昧な観念がここにあります。それらによって教皇と司教たちの権威が損害を被ることになるでしょう。聖職者と一般信徒との区別もまた減らされています。カトリック信仰が絶対的で必要であるという特徴は、異端や離教の利益のために軽減されています。罪や恩寵という根本的現実がぼやかされています。これらは、カトリック教会の教義と霊魂の救いにとって多くの危険な攻撃なのです。」

 「ミチエル(Michiels)教授は、その『ノルメ・ジェネラーレス(Normae Generales:一般規則)』という著作の中で、カトリック教会に委ねられている超自然的生命の基盤とは信仰であること、従って教会法に課せられた任務とは、それが何であれ信仰に関係するものの判断であること、つまり信仰が説かれ、信仰が説明され、外部に宣言され、受け入れられ、擁護されるかを判定する事である、と書いています。今述べたこと全ては、この新しい教会法によって危険に曝されています。それ故に、これをそっくりひとかたまりでそのまま受け入れる事は私たちにとって不可能です。何故なら新教会法典は本質的な点に関して異端を促進しているからです。」

 ある意味において、この新教会法は第二バチカン公会議以上の危険をはらんでいる。何故ならそれは、第二バチカン公会議の【教義的】逸脱を、法律に還元しているからだ。

 このために大司教の態度は決定的変化を被ったが、そのこと強調しすぎることなど出来ない。一方で、この時以来ルフェーブル大司教は司教聖別の挙行を真剣に考え始めた。他方でまた彼はカトリック教会の頂点において犯される不正行為【スキャンダル】に反対する公の抗議の道を考え始めた。

 1983年11月21日、“ルターの要求が迎えられたと見ることが出来る第二バチカン公会議の思想の中で ”重要な7つの点に関するカトリック‐ルター派「混合委員会」がなした宣言の後、それは新法典が不可避的に法律となる直前であったが、ルフェーブル大司教は“限界に達した”と考えた。カンポス教区を1981年9月に引退するように強制させられていたデ・カストロ・マイヤー司教と共に、ルフェーブル大司教は教皇への公開書簡を書いた。それは世界中の幾つかの首都で同時に公表された。

 “教会はあたかも占領された都市であるかのように思われる”こと、教会の自己破壊は継続していること、15年間自分達が個人的にやってきた歩みは無駄であった事を鑑み、聖福音の真理に従って歩んでいないと聖パウロが聖ペトロを非難した時【ガラツィア人への手紙2章11-14節】、その聖パウロが聖ペトロに対して抱いていたのと同じ心情を以って、自分達は公然と教皇のもとに介入せざるを得ないと考えた。両司教は6つの誤りもしくは逸脱を告発した。それらの誤謬はこの公開書簡に付けられた付録の中でさらに詳細に説明された。

1 特にシラブス【誤謬表】の命題18 によって非難されている、信仰において分裂している教会という横に広がりすぎた(latitudinarian)宗教統一的な教会の概念 、DS 2918【第二バチカン公会議の教会憲章(Lumen Gentium)とエキュメニズムに関する教令(Unitatis redintegratio)、及びヨハネ・パウロ二世の使徒的勧告カテケジ・トラデンデ(Catechesi Tradendae)】。

2 特に第一バチカン公会議により非難された、司教団体的統治とカトリック教会の新しい民主主義的指針。DS 3055【第二バチカン公会議の教会憲章 と新教会法典】。

3 主に【教皇ピオ九世の】クワンタ・クーラと【教皇レオ十三世の】リベルタス・プレスタンティッシムムにより非難され、信教の自由に関する文章に明らかに現れている人間の自然的権利に関する誤った概念【第二バチカン公会議の現代世界憲章(Gaudium et Spes)と信教の自由に関する宣言(Dignitatis Humanae)、さらにヨハネ・パウロ二世の回勅レデンプトル・オミニス】。

4 教皇の権能は、聖伝や聖書や教会の教導職によって既に公布された諸定義によって表明された天主の権能に従属するものであるにもかかわらず、それを絶対的なものだとする教皇の権能に関する誤った概念【DS 3116】。

5 トリエント公会議によって非難された、ミサの聖なる犠牲と秘蹟に関するプロテスタント的な見解【トリエント公会議、第22会期】。

6 最後に、一般的に言って倹邪聖省の廃止によって生じるようになってしまった異端の自由な流布。


 大司教は1983年12月9日ロワジー空港で報道陣に対しこの司教声明を述べ上げてこう結んだ。
「歴史上、後になって、カトリック教会の中で全てが失われ、破壊されてしまったと思われたその時、声を張り上げ、警報の叫び声を発した2人の司教がいたと人々は言うことでしょう。」

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