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聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 19.2.4.マスメディアを駆使する司教

2010年05月28日 | ルフェーブル大司教の伝記
マスメディアを駆使する司教

 さらに一司教を立てる(司教を聖別する)ことに聖座が明示的に介入することは、神法により要求されない。ラテン教会の初期の数世紀に築かれた歴史がこれを立証している。

 「全ては暗黙の了解だった。それは使徒座との交わりという単なる意志に含まれていた。聖座に反して行動していない限りは、聖座に従って行動していると聖座それ自体によって認められていた。」

  大司教はこう考える。
「私は聖座に反して行動していません。何故なら私はカトリック司祭職を救う為に行動するのだからです。」

 加えて言えば、ルフェーブル大司教は次のようにも指摘された。教皇の至上裁治権は、それが神権に属していることは確かだが、それでも単に裁治権にすぎない、言い換えれば、カトリック教会の共通善の為に秩序付けられた権能なのであって、自由裁量的に行使できる権能でも絶対的支配の権能などでもない。それ故、権威が共通善を危うくするような機能不全を起こしても、カトリック教会それ自体が、例えば司教団の一成員が特別な行動を取ることによって、補足する事の出来ないような権能はない。

 大司教の【司教聖別への】小心が薄れれば薄れるだけ、ローマの恐れは大きくなった。1983年7月20日、ラッツィンガー枢機卿は大司教宛に手紙を書くのが適切だと考えた。「教皇聖下は、貴方が(…)正に離教の開始となるもの、つまり司教聖別を挙行はしないだろうという事をご存知です。」

 枢機卿はマスメディアを通してルフェーブル大司教からの返答を得た。マスメディアを駆使する大司教は、1983年12月9日に、自分の“司教声明文”の機会を利用し、ロワシーに居合わせた報道関係者たちへ問いかけながら、喜んでローマに回答し、ローマの反応を探るための第二の「観測気球」として流した。

 「皆さんは全員、私が司教を作るつもりだと発表すると考えてここに来たのですね。」(笑)
 「大司教閣下」とある報道記者は質問した。「では何故、閣下は司教を作らないのでしょうか?」
 「何故なら、依然として私は、それ【司教聖別】が一見して、ローマとの断絶の行為であるかのようにみえるでしょうし、そうなればこれは深刻だろうと考えているからです。私は‘一見して’ともう一度申し上げます。と言いますのも、私は自分の行動が天主の御前では、カトリック教会の歴史、カトリック教会と(…)そしてカトリック司祭職の存続の為には必要な行為となる可能性があると考えているからです。ですから、いつかある日にそれをするつもりだと言うのではなく、むしろ、さらにより悲惨な状況が至るならば、私はそれをするつもりはないとは申し上げません。」

 二年後に開催されたシノドゥス(司教会議)の前日、ルフェーブル大司教とデ・カストロ・マイヤー司教たちは教皇に手紙を書き、自分たちは“カトリック教会がカトリック信仰に忠実な聖職者を保存する為には必要とあればどんな決定でも下す”状況になり得ると表明した。

 当然ながら、(1986年1月20日)ラッツィンガー枢機卿はルフェーブル大司教に、教皇は大司教が“カトリック教会との交わりに決定的な断絶を構成するような行動は取らないよう”要求している旨を伝えた。5日後(1986年1月25日)、アシジの集会の告知を以って、ルフェーブル大司教は待っていた最初の印を御摂理から受けたと考えた。



聖ピオ十世司祭兄弟会 (FSSPX) 創立者 ルフェーブル大司教 伝記 目次
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