Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

六ヵ月が経ちました

2011年02月15日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 マニラの修道院の責任を任されて六ヵ月が経ちました。

 暗黙のプロトコールがあって、長になったら、少なくとも最初の六ヵ月は前任者のやり方を何も変えてはならない、という賢明な不文律があります。

 たとえ上手くことが運ばないようなことがあったとしても、いざとなったらこのプロトコールを出すことができたのですがこれからは、そうも言っていられなくなりました。愛する兄弟姉妹の皆様のお祈りをよろしくお願いいたします。

 この世界が色々なところで「つながり」があって、ますます愛する兄弟姉妹の皆様のため、愛する兄弟姉妹の皆様につながりがある方々のためにお祈り申しあげます。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

ベネディクト十六世の告白

2011年02月12日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 ベネディクト十六世は教皇になるやいなや、2005年12月22日に第二バチカン公会議の解釈を問題化しました。曰く、「断絶の解釈と継続の解釈がある」という指摘です。

 第二バチカン公会議の終了後40年経って、第二バチカン公会議の解釈が定まっていない、定まっていなかった、という告白でした。

 教導権とは何でしょうか?教導権の目的は何でしょうか?

 教導権の目的とは、教導権の存在理由とは、信仰の内容を、つまり私が信じなければならないことを私に理解させてくれることです。私が救われるために信じなければならないことはこれとこれとこれだ、とはっきり示してくれることです。この意味で、教導権は聖書とも、聖伝とも区別されます。

 ベネディクト十六世は、第二バチカン公会議はこの教導権の存在目的を達成出来なかった、と告白したのです。

 第二バチカン公会議後40年にようやくその解釈が問題になったのですから。

 第二バチカン公会議が言わんとしたことは一体何だったのでしょうか?私が何を信じなければならないかを第二バチカン公会議ははっきり示してくれなかったのです。


 何故、第二バチカン公会議後の教皇パウロ六世も、ヨハネ・パウロ二世も、第二バチカン公会議の正しい意味合いを解釈することが出来なかったのでしょうか?


 1986年のアシジの集会は、第二バチカン公会議後のエキュメニズム運動の頂点に立つものです。ヨハネ・パウロ二世が第二バチカン公会議の正しい解釈の挿し絵として、アシジの集会を望んで実行したもののはずです。アシジは第二バチカン公会議の忠実な実りではなかったのでしょうか?もしも忠実な解釈であれば、第二バチカン公会議それ自体がカトリック教会の聖伝から離れていたことになります。


 何故、第二バチカン公会議後の解釈が問題となったのでしょうか?


 第二バチカン公会議がもしも不可謬だったなら、その解釈は問題になることはあり得ません。何故なら、もしも不可謬の文章が解釈を必要とするなら、その解釈こそが不可謬でなければならなくなるからです。私が何を信じなければならないかを不可謬的に示すのが教導権の目的なのですから。


 第二バチカン公会議後40年にようやくその解釈を必要とするなら、第二バチカン公会議は少なくとも、不可謬ではなかったということです。

 教導権の目的が信じなければならないことをはっきり示すことにあるなら、そこには解釈の余地があってはならないはずです。曖昧さがあってはならないはずです。

 しかし第二バチカン公会議はそれを全うできませんでした。教導権の目的を達成出来なかったということです。

主よ、我らを憐れみ給え!

聖母の汚れなき御心よ、我らのために祈り給え!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!


トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

司祭研修会

2011年02月11日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 司祭研修会は今日で終わりました。大変有意義な時を天主に感謝します。

 今年は、研修会に参加した全ての司祭たちにマニラの主催者から記念品を準備しました。マグカップでした。

 司祭たちのためのお祈りを感謝します。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

ジョージ・オーウェルの1984 は、1986 年に実現したようです

2011年02月10日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様

 ジョージ・オーウェルの1984は、1986年に実現したようです。

 主人公のスミスは、現実を見つめようとします。しかし、2 + 2 = 5 であると体制が言えば、それに従わなければならず、最後にはそれを受け入れます。2 + 2 = 4 であると言えることこそが本当の自由だと書き残しながら。

 しかし、最初はおかしいな、と思っても人々はついに喜んで2 + 2 = 5 を信じていくのです。

 1986年アシジで、諸宗教の祈祷集会がありました。全ての宗教は、どれでも良い、2 + 2 = 5 であり2 + 2 = 6 であり、同時に2 + 2 = 3 だと。

 ルフェーブル大司教は、いや、2 + 2 = 4 だと繰り返しました。

 それが真理だから。イエズス・キリストこそが唯一の天主だから。

 ルフェーブル大司教こそカトリック信仰を信じ続けようとしたからです。

 ルフェーブル大司教様を私たちに与えてくれた天主に感謝します。


 ジョージ・オーウェルの1984は、今年2011年に繰り返されるのでしょうか。私たちは、現実を見つめなければなりません。

 2 + 2 = 4 であると言えることこそが、真理を信じ続けることこそが、本当の自由です。

 今年またアシジで、諸宗教の祈祷集会が開かれ、全ての宗教は、どれでも良い、2 + 2 = 5 であり2 + 2 = 6 であり、同時に2 + 2 = 3 だと、教皇様は行動をもって教えるのでしょうか。

 私たちは、天主の聖寵の助けをもって、ルフェーブル大司教とともに、殉教者たちとともに、いや、2 + 2 = 4 だと繰り返します。
 そのために、カトリック教会の信仰を維持するがゆえに、私たちはまたもや迫害を受けるかもしれません。しかし、真理は真理です。誰かが真理を言い続けなければなりません。たとえ迫害を受けても。

 私たちは、天主の御助けをもって、イエズス・キリストこそが唯一の天主だと繰返します。そして、今年の10月にアシジ・スリーが起こらないことを祈ります。

 キリストの代理者が三度目の否みをしないことを祈ります。

聖スコラスチカよ、我らのために祈り給え!

聖母の汚れなき御心よ、我らのために祈り給え!


愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父

司祭の友情

2011年02月10日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 またもやヘラ神父様がパンパンガまで病者のために行ってくれました。きっと帰りは夜中になることでしょう。本当に頭が下がります。感謝します。

さて、こちらは月曜から金曜まで司祭の勉強会です。アジア管区の司祭たちが集まりました。司祭たち間の兄弟的な友情がどれだけ貴重なことか!!天主に感謝します!!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

アシジⅢ<第三回アシジ平和祈祷集会>に関するフェレー司教による最初の説教

2011年02月09日 | エキュメニズム関連情報
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 アシジⅢ<第三回アシジ平和祈祷集会>に関するフェレー司教による最初の説教をご紹介します。


 2011年1月9日の御公現の荘厳祭に、聖ニコラ・デュ・シャルドネ(St. Nicolas du Chardonnet)教会で与えられた説教中にあった御公現の大祝日についての発言。

 聖主イエズス・キリストを礼拝する為、異教世界という最も遠い東の果てから旅をした東方の三博士の到来を説明した後で、フェレー司教は東方の三博士の信仰によるこの例を、ヘロデの不信仰や2011年10月にアシジで開催される世界平和祈祷集会の発表と対比して引き立たせている。

==説教の引用開始==

 理論上では、彼らは認めています。理論上では彼らは信じています。
 しかし現実に彼らは信じているでしょうか? 彼らは本当に私たちの聖主が天主であると信じているのでしょうか? 彼らは実際に人間や、国家の間の平和が聖主の御手の内にあると信じているでしょうか? 彼らは聖主の神性の直接的で、絶対的な結果の全てを実際に信じているのでしょうか? 彼らは、東方の三博士なる三人の王たちの様に、真の天主を礼拝し、あの平和を彼に期待して、彼にそれを願うつもりなのでしょうか? 彼らはレックス・パチフィクス(Rex Pacificus)、つまり平和の王のもとへ行くつもりでしょうか?

 おお、如何に歴史は繰り返す事でしょうか、悲しい事です!

 そうです、私たちはとても憤慨しており、このアシジでの数日の繰り返しに対して激しく抗議します。私たちが述べたことの全てを、またルフェーブル大司教様が[1986年のアシジに於ける第一回世界平和祈祷集会]当時に仰った事すべてを、私たちは自分たちの名で繰り返します。親愛なる兄弟たちよ、このような行為には償いが要求される事は明らかです。何たる神秘でしょうか!

 礼拝とは、どういう意味でしょうか? 礼拝するとは、何よりも先ず認める事、要するに神性を認める事なのです。礼拝は天主にだけ捧げられるものです。さらに天主の神性を認める事は、即座に服従を当然の事ながら伴います。それは天主の主権に対する服従の宣言なのです。天主は私たちに対する一切の権利をお持ちであり、私たちが全く完全に依存しているのだと、つまり自分の存在や命、また活動する事、考える事、願う事、望む事のできる能力について本当に天主に依存しているのだと認める事なのです。すべての善、私たちに起こるすべての良い事は、天主の善良さから来ます。しかもこれは‐信じる人々だけではなく、キリスト教徒だけではなく‐本当の事です。これは全被造物に、無条件にすべての被造物に当て嵌まるのです。見えるものと見えないもの全ての創造主である天主は、さらにこの世を治める御方であり、その聖言葉<御子>の御力によって万物を維持される御方であり、万物が自らの安定性をその中に持っている御方でもあるのです!命と死の聖主、個々人と諸国の聖主であります!全能永遠なる天主に、全ての誉れと栄光が当然与えられるべきです!そうです、礼拝するとは、天主の諸権利を認めるという謙遜な態度に我が身を置く事なのです。

 ですから行きましょう、私たちの聖主のもとへ行こうではありませんか。例え彼がその神性をお隠しになっているとしても、仮に彼がその母の腕に抱かれた幼子であるとしても、彼は本当に天主なのです!彼は私たちを救う為に、善き天主の御憐れみが送って下さった真の天主なのです。何故なら、彼は人となられ、また人となる事で救い主となったからです。そして天主御自身によって与えられた名前はイエズス、つまり救世主だからです!天の下で与えられ、それによって私たちが救われ得る唯一の名前なのです。唯一の救い主なのです!唯一の聖なる御方、つまり「御身は唯一の聖なる御方」[グロリアで唱える様に]であって、前代未聞の何かを私たちにもたらそうとやって来られるのです。それは天主からの永遠の幸福への招待状です。

 人々が主を侮辱する時、主を無視する時、主の権威を下げる時、彼らはどうやって主の祝福を受けられるよう希望する事が出来ますでしょうか? それは愚の骨頂というものです!人は自ら天主を嘲る時、どうやって人間世界に平和を希望する事など出来るでしょうか?

 今や現代思考は実に風変わりな計画を立ててくれます。全ての宗教は、最終的に、唯一の同じ神を礼拝するのだとそれは主張するのですから。それは完全に間違っていて、<聖書の>啓示の中にさえあるもので、私たちはそれを既に詩篇書、詩篇96.5に見出すのです。「異教の神々はみな悪魔である!」と。異教の神々は悪魔なのです。ですからアシジは悪魔で一杯になることでしょう!これは天主の啓示です。これは公教会の信仰です。これは公教会の教えです!

 今日、<カトリック信仰の>継続性は一体どこにあるのでしょうか? 今、どこかに断絶があるのではないでしょうか? 何たる神秘でしょうか!

 そう、親愛なる兄弟の皆さん、もし私たちが救われる事を望むなら、道は一つしかありません。そしてその道とは聖主イエズス・キリストという道であります。

==引用終わり==


教皇ピオ11世の回勅「モルタリウム・アニモス 真実の宗教の一致について」

2011年02月08日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 第3回アシジ集会の予告を知らされ、私たちはもう一度、教皇ピオ11世の回勅「Mortalium animos 真実の宗教の一致について」(1928年1月6日)を読むことを提案します。

==引用開始==


 ある人達は「宗教的感覚を完全に失ってしまった人は極めてまれである」と確信しています。そして、この確信を基礎に、諸民族を、その宗教の違いにもかかわらず、宗教生活の共通の基礎として認められる幾つかの教義を兄弟的に認めあうまでもって行くことが、容易にできるという希望を養っているようです。ですから、彼らはかなり多くの聴衆者が出入りする会合、集会、講演会などを開いています。彼らは全ての人々を区別無く、ありとあらゆる種類の不信者、信者、更に不幸なことにキリストから離れ苦々しくそして頑固にキリストの神性とその使命を否定するものまでもその公演に招待しています。

 このような骨折りにたいして、カトリック信者はいかなる賛同をも与えてはなりません。何故かというと、彼らの活動が“全ての宗教は、たとえ形は違っていても、全て等しく、私たちを天主に導き、私たちをして天主の力の前に尊敬を持って屈めさせる自然の生まれつきの感情を表している”という意味で“どの様な宗教でも、多かれ少なかれ、良いものであり称賛すべきである”という、間違った考えに基づいているからです。

 彼らは、ただ単に誤謬のうちに迷い込んでいるだけではありません。この誤りを支持しつつ、彼らは、宗教に関する本当の観念を歪め、同時にそれを拒んでいるのです。そうして彼らは、[どんな宗教でも同じだという]宗教に関する誤った考えを持ち、少しずつ[真の宗教に関する問題よりも、この地上のことを重視する]超自然否定主義(naturalism)そして、[真の宗教も、真の天主もないのだという]無神論へと歩んでいます。ですから、このような誤った教えの賛同者となり宣伝者に合同することは、天主によって啓示された宗教[すなわちカトリック教]を全く打ち捨てることであるということは完全に明らかです。

3 しかしながら、それが全てのキリスト者の一致を促進させることとなりますと、より簡単に多くの霊魂たちは、この達成すべき目標の素晴らしさに魅せられて、誤った道に引きずり込まれてしまいます。

 よく耳にすることですが、『全てキリストの聖名を呼び求めるものが、相互の非難をやめて、互いの愛によって遂に一致するのが正しく、更に義務ではないか? もし誰かが、キリストを愛していると言いながらも、主が御父に願った、ご自分の弟子らが一つであるように(ヨハネ17:21)とのキリストご自身の願いを実現させるため、全ての力を尽くして追求せずに、どうしてキリストを愛するなどとあえて主張できるのか。キリストは、ご自分の弟子らが、その他の人々から相互の愛の印によって印され区別されることを願われたではないか。主曰く“全ての人々は、もしあなたたちが互いに愛するなら、これによってあなたたちがわたしの弟子であると知るだろう”(ヨハネ13:35)と。願わくは、全てのキリスト者が一つであるように。何故なら、現代、日々、一層ひどく不敬虔の毒は広がり、福音の壊滅を準備しているからだ。そのさなかに、この一致によって、この不敬虔の毒を、より一層効果的に排斥できるではないか』と。

 これや、これと似たようなことを、[教派に偏らず、福音の教えを純粋に伝えると主張する]『汎キリスト者』と呼ばれる人々が常に教えています。ところで、このような人々が数少なくまれでバラバラな個人に過ぎない、と思うのは大間違いです。彼らは、信仰の真理に関していろいろな人々がいるにもかかわらず、完全な組織を幾つも作り、非カトリック者が指導する会をあらゆるところに創立しています。この事業はさまざまなところで好感を得、更に、多くのカトリック信者の好感さえも勝ち取る程に活発に活動しています。何故なら、この事業が、私たちの母なる聖なる公教会の願いに沿った一致を実現できるという、見かけ上の希望を提示しているからです。確かに、公教会は道に迷った自分の子らを、自分の胸元に呼び戻し連れ戻したいということをひたすら願っています。しかし、これらの美しく魅惑的な言葉の下に、間違いなく、最も危険でカトリック信仰の基盤をそこから覆す誤謬が滑り込んでいます。

4 私の持つ使徒継承の責務は、主の羊の群れを迷わしに来る、かの危険な誤謬を禁止することです。そのため、尊敬する兄弟たちよ、私は自分の責務を良心に従って果たすため、このような悪を予防するようにと、諸君の熱心に呼びかけます。私は、諸君の書物により、また言葉により、それぞれが信者たちに私がこれから説明する原理と理由を容易に理解させることができると確信しています。カトリック信者は、諸君の努力により、「キリスト者という名を自称する全ての人々を、まぜこぜの一致であろうと、一つの体にまとめることを目指す事業」に対して、一体どの様な見解と、どの様な行動をとったらよいか、を知ることができるでしょう。(中略)

7 この全ての問題の基礎にある、そして、私が上述したようにキリスト教の諸教会を連合させるための非カトリック者の多くの活動と努力が出てくる、その誤謬を示し、それに反論する時が来ました。

 この計画の作者らは、キリストのこの御言葉を引用するのを常とします。『全てが一つになるように。一つの群れ、一つの牧者となるだろう』(ヨハネ17:21,10:16)と。

 あたかも彼らによれば、キリスト・イエズスの祈りと長いが今に至るまで死文書となっていたかのように、彼らは「唯一の真の教会の性質である信仰と統治の一致が、今に至るまでほとんど存在したことも無く今も存在していない」ということを、「本当のことを言えば、それを願い、時としては共通の意志の疎通により実現できるのだが、しかし、それはやはり一種のユートピアとして考えるべきである」ということを支持しています。

 彼らは加えてこういうのです。『教会はそれ自体その本性からして分かれている。即ち、教会は、教義のうえでいくらかの共通点を持ちながらも、その他の点でそれぞれ異なる更に細分化された多くの教会、又は、個別の共同体によって構成されている。そしてそれぞれの教会は、同じ権利を享受する。特に使徒の時代から最初の幾つかの公会議までは、教会は一つであり唯一だった。そこで、たとえ最も古くからの論争であれ、教義の違いであれ、今日までこれらの教会を分裂し続けているものは、忘れ取り去らねばならない。更に別の教義上の真理とともに、共通の信仰の確かな基準を提示し、築き上げなければならない。この信仰宣言において、彼らは自分たちが知る以上に、互いが兄弟であると感じるようになるだろう。更に、さまざまな教会や共同体が、一度、全世界的な一種の連邦を結べば不敬虔の進歩に対抗して力強く勝利を勝ち取るとるために戦うことができるようになるだろう。…』

8 これが、尊敬する兄弟たちよ、皆が繰り返し説くところです。しかし中には、『プロテスタント主義が、慰めになり有益な、いくらかの教義あるいは何らかの外的儀式をあまりにも良く考えもせずに、捨ててしまったが、ローマ教会はそれをまだ保持している』と説き、譲歩する者たちもいます。

 実のところ彼らは、この(ローマ)教会自身が、福音に反するというよりも、むしろ『福音に幾らかそぐわない幾つかの教えを付け加え、信者にそれを信じるように押し付けたので、初代の宗教から迷い腐敗した』とあわてて言い足しています。

 彼らはそれらの付け加えられた教えとしていろいろある中で、特に、ペトロとローマ司教座に於けるその後継者たちに帰せられた裁治権の首位性を挙げています。彼らのうちで僅かに少数はローマ司教に名誉上の首位を、あるいは裁治権か権威の権能を幾らか譲歩することに同意はします。しかし、この首位権は神権に基づくものではなく、『信者たちのなんらかの同意から得られたところである』とします。他の者たちは、『雑種の』と呼べる彼らの集まりが、ローマ教皇その人によって司られることを願いさえします。

 しかし、キリスト・イエズスにおいて兄弟的な交わりをしきりに説く非カトリックの多くは、イエズス・キリストの代理者が教えを説く時には、それに従おうともせず、彼が命じる時、それに従順たろうともしません。しかし彼らは喜んでローマ教会と同じレベルで、同輩の者として話し合おうとするでしょう。しかし、現実には、彼らがもしそうしたとしたら全く疑いもなく彼らは、彼らを今でもキリストの唯一の群れの外に迷わせ放浪させているまさにその誤りを放棄しなくても大丈夫だという考えを持ってしか、いかなる同意をも結ばないでしょう。

 この条件の下では、使徒座はいかなる口実の下であろうとこれらの集いに参加することができず、いかなる犠牲を払ってまでもカトリック信者は、その賛同あるいは行動によってこれらに好意を与えることができないことは一目瞭然です。

9 そうする(=誤謬を持ったままでの一致に賛同する)ことによって、カトリック信者は、或る一つの偽りの宗教に、キリストの唯一の教会に全くよそ者である宗教に、権威を与えることになるってしまうでしょう。

 私は真理が、特に、啓示された真理が、この様に疑問視されるがままになるのを黙認することができるでしょうか。いえ、私がそうすることは邪悪の極みでしょう。

 実に、これは、啓示された真理を守ることに関わるのです。全ての国々が、福音の信仰について教えを受けるために、キリスト・イエズスはその使徒たちを遣わされたました。それは、まさしく、全ての国々へとであったのですから、また、彼らのほんの僅かな誤謬さえも恐れ給い、主は、聖霊が全ての真理を彼らに教えるように望まれたのですから、その頭また守護者として天主ご自信をもつ教会に於いて、使徒たちのこの教えが、完全に既に消えうせたり、幾らかの大きな変更を受けたということは、認められ得ることなのでしょうか。更に、私たちのあがない主の明らかな宣言に基づいて、もし福音が使徒の時代だけでなく更に全ての時代に関わるものだとしますと、信仰の対象が、時と共にいろいろの意見、更にさまざまな矛盾までも、今日黙認され得るほどに、かくも曖昧で不確かなものになってしまったと言うことを認め得るでしょうか。もしそうであるとすれば、聖霊が使徒たちのうえに降臨したこと、この同じ聖霊が教会に絶えずおられること、イエズス・キリストご自身のご説教が、数世紀も前からその全ての有効性その全ての福祉を失ったということを支持しなければならなくなります。これは明らかに冒涜的な断言です。

 それだけではありません。天主の御独り子は、その使者に全ての国々に教えよと命じ、他方で『天主によってあらかじめ立てられた証人』(使徒10:41)を信じる義務を全ての人に負わせられました。主はこのみ言葉によってその掟を裁可されました。「信じて洗礼を受ける者は救われ、信じない者は排斥される」(マルコ16:16)と。ところで、キリストのこの2重の掟は、即ち永遠の救いを得るための教える掟と、信じる掟は、もし教会が福音の教えを完璧にかつ公に示し、かつ、この教えの公示において、教会が全ての誤りから免れている、とした時に初めて守りかつ理解することができるのです。

 この地上のどこかに真理の遺産が存在することを信じてはいる迷ったものがまだいるかも知りませんが、彼らがそれを発見しそれに溶け込むために、人生がようやく足りるか足りないかの長い勉強と議論の労苦がそれの追求のために必要でしょう。従って、無限に良い天主が予言者とその独り子によってただ僅かに、年老いた少数の人々だけに啓示を示したに過ぎず、人々をその生涯の長きにわたって導くことのできる信仰と教えと道徳律とを与えようとは夢想だにしなかったということになってしまいます。

10  諸教会を連合させようともくろむこれらの汎キリスト教徒は、全てのキリスト者間の愛徳を発展させるという崇高な計画を遂行しているかのように見えます。

 しかし、信仰を犠牲にしてまでの愛徳の増加をどうして想像できるでしょうか。愛徳の使徒である聖ヨハネ自身が、その福音の中で言わばイエズスの聖心の秘密を明かすのですが、そして、互いに愛し合いなさいと新しい掟を信徒たちに絶えず繰り返すこの使徒が、キリストの教えを完全にそして純粋に宣言しない者たちとの全ての関係を一切断て、と言うことを知らない者はいません。

『もしこの教えをもたずにあなたたちのところに来るものがあれば、その人を家にいれず挨拶もするな。(2ヨハネ10)』

11  従って、愛徳の土台は真摯で完全な信仰ですから、信仰の一致こそがキリストの弟子たちを一つに結ぶ第一の絆でなければなりません。

 そうならば、信仰に関する問題に於いてでさえ自分独自の見解や思潮を保持しつつ、多大に他人の意見と矛盾していても、キリスト者の間で締結を結ぶ可能性さえ考えられるでしょうか。

 私はあなたたちに尋ねます。一体いかなる信仰表明でもって、互いに矛盾する意見の人々を一つで唯一の連合に結ぶことができるとでも言うのでしょうか。(後略)

第3回アシジ諸宗教の集いの暗い予告

2011年02月07日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今年は、私たちの世界にとって、暗闇が重くのし掛かって新年を迎えたようです。それは第3回アシジ諸宗教の集いの予告がなされたためです。

 教皇ベネディクト十六世の2011年1月1日の「お告げの祈り」のことばによると、教皇ベネディクト十六世は、2011年10月にアッシジで、ヨハネ・パウロ二世が1986年に世界平和祈祷集会を開催した25周年にあたって、世界の宗教者とともに祈祷集会を行うことを発表しました。

「来る10月にわたしは聖フランシスコの町に巡礼を行います。そして、この巡礼に、諸教派のキリスト教の兄弟の皆様、世界のさまざまな宗教伝統の代表者の皆様、そして精神的な意味ですべての善意の人が参加してくださるよう招きます。それは、わたしの前任者が望んだこの歴史的な出来事を記念し、あらゆる宗教の信者が自分の宗教的信仰を平和のための奉仕として実践するという約束を荘厳なしかたで更新するためです。」

 最初のアシジ諸宗教の集会は、ヨハネ・パウロ二世が行った1986年10月27日のアッシジで世界平和祈祷集会。

アシジで御聖体の安置されている聖櫃の上に置かれた仏像





 第2回目は、2002年1月24日に、同じヨハネ・パウロ二世がキリスト教と12の諸宗教指導者とともにアッシジで同じ集会を開催。

 今年の10月に、もしもアシジの集会が実現すれば第3回目になります。

 しかし、教皇様、私たちの主イエズス・キリストだけがこの世を創った真の天主です。三位一体の天主のみが唯一の真の天主です。

「われは、天地の創造主、全能の父なる天主を信じ、またその御独り子、われらの主イエズス・キリスト、すなわち聖霊によりて宿り、童貞マリアより生まれ、ポンシオ・ピラトの管下にて苦しみを受け、十字架に付けられ、死して葬られ、古聖所に降りて三日目に死者のうちよりよみがえり、天に昇りて全能の父なる天主の右に坐し、かしこより生ける人と死せる人とを裁かんために来り給う主を信じ奉る。」

「主のみ聖なり、主のみ王なり、主のみいと高し、イエズス・キリストよ。」

 私たちは、使徒信経に反するアシジの祈祷集会がキャンセルされることを祈ります。

 使徒信経の第1条と天主の十戒の第一戒に反するアシジの集会が開かれないことを祈ります。

 唯一の真の天主の名誉のため、私たちの主イエズス・キリストの名誉のため、私たちは抗議の声をあげたいと思います。

 アシジで諸宗教の平和の祈祷集会をめぐって、マルセル・ルフェーブル大司教は、いまから25年前、次のような手紙を8人の枢機卿様たちに書きました。どうぞお読み下さい。

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エコンにて、1986年8月27日

枢機卿様

 教会において起こっているさまざまなできごとを前にして、そしてヨハネ・パウロ2世教皇様をその張本人とするこれらのできごとを前にして、テゼーで、また10月にはアシジですることが計画されていることを前にして、私は枢機卿様に筆を執らずに入られませんでした。それは歴史上かつてなかったほど屈辱を受けている教会の名誉を守ってくださるようにと、多くの司祭と信徒たちの名前で枢機卿様にお願いするためです。

 トーゴ、モロッコ、インド、ローマのユダヤ会堂でのヨハネ・パウロ2世の訓話と行動は私たちの心に聖なる憤りを呼び起こします。旧約と新約の諸聖人たちはこれについてどう思うことでしょうか!もし今でも存在していたとしたら、異端審問所は何をしたでしょうか?

 ペトロの座にすわるものによって公に足蹴にされているのは、使徒信経の第1条であり、天主の十戒の第一戒なのです。カトリック信者の霊魂において躓きは計り知れません。教会はその根底から揺るがされています。

 もしも、カトリック教会が救いの唯一の方舟であるという信仰が消えてしまったら、その時には教会自体が消えてしまいます。教会の全ての力、その全ての超自然的な活動は、私たちのこの信仰箇条を基としているのです。

 ヨハネ・パウロ2世は、公に、特にアシジで計画されているように、聖フランシスコの町のあらゆる道で多くの宗教代表者の取りまきと共に、いろいろな小聖堂や大聖堂をいろいろな宗教団体に振り分けて、そこで国連の考えているような平和のために彼らが独自の礼拝を捧げるよう招いて、カトリック信仰を破壊しようとするのでしょうか? これが諸宗教の集いという忌まわしい集会の責任者となっているエッチャガライ枢機卿様が発表したことです。

 教会においてこのような公の罪を排斥する公式の声が一つも挙がらないと言うのは考えられることでしょうか?マカベオたちは一体今どこにいるのでしょうか?

 枢機卿様、唯一の真の天主の名誉のため、私たちの主イエズス・キリストの名誉のため、公に抗議の声を挙げて下さい。カトリックとして留まっている司教たち、司祭たち、信徒たちを助けて下さい。

 枢機卿様、私が枢機卿様のもとにこのようなお手紙を書いたのは、私がこのことに関する枢機卿様のお考えを疑うことができないからです。

 この呼びかけは、以下に明記してある枢機卿様たちにもしてあります。それは枢機卿様がこれらの枢機卿様方と共に行動されることを考えてのことです。

 願わくは聖霊が枢機卿様の助けに来ますように。

 私たちの主キリストとマリアとにおいて。敬具

マルセル・ルフェーブル

チュールの引退大司教司教


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生命と家庭に関する天主の掟が尊重されるため:現在7161環のロザリオが集まりました

2011年02月05日 | ロザリオの十字軍
アヴェ・マリア

愛する兄弟姉妹の皆様、

 生命と家庭に関する天主の掟が尊重されるため、フィリピンにおける「出産健康法」が廃案となるためのロザリオの報告をご紹介いたします。

 2010年11月1日から2011年1月16日までの分として、生命と家庭に関する天主の掟が尊重されるため、フィリピンにおける「出産健康法」が廃案となるため:2011年1月22日現在日本から、総計
 ロザリオ 7161 環

 の報告を頂きました。

 フィリピンでの総集計は2011年2月2日現在、521,297 環が報告されています。日本のあらたに報告された分(1619 環)を付け加えてロザリオ 522916 環になりました。愛する兄弟姉妹の皆様のご協力を深く感謝します。

【報告】
小野田神父様
 いつもお世話になっております。
 私どもの1月のロザリオのレポートをお付け致しますので、ご参照願います。

 2011年1月合計 1339環

【報告】
主の平安。小野田神父様、お元気ですか。
先日はマックファーソン神父様に来ていただいて聖伝のラテン語のミサをあげていただいて有難うございました。
つたない言葉ですが、告解もできましたし、みんなで推測しながらも、お説教も大体の意味は理解できました。...
1月分のロザリオの十字軍の報告をさせていただきます。
フランシスコ 31環
モニカ    93環
テレジア  124環 
           以上です。
祈っています。
小野田神父様と聖ピオ十世会の上に神様からの祝福とお恵みが豊かにありますように。お祈りしています。

【報告】
小野田神父様

申し訳ありませんが、先月のフィリピンの為のロザリオは8回でしか出来ませんでした。

天主様の御加護が豊かにありますように

【報告】
アヴェ・マリア!

トマス小野田神父様
フィリピンのロザリオのご報告をさせていただきます。
1月3日から1月31日13時(日本時間)まで、私と子供2人あわせて24環でした。

マクファーソン神父様の主日のごミサに与ることができました。
天主様に感謝いたします!

天主様の祝福が豊かにありますように!


+ + +


愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

聖ピオ十世司祭兄弟会 (FSSPX) 創立者 ルフェーブル大司教 伝記 目次

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明日は日本26聖殉教者の祝日

2011年02月04日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 明日は日本26聖殉教者の祝日ですね。また初土曜!聖母の汚れなき御心の日でもあります。

 日本の信仰の初穂は、今から413年前のことでした。

 つい数日前からお昼の食事中の読書は、第3冊目に入りました。ウォレン・カロルのキリスト教世界の歴史の第4巻です。マルチン・ルターの反乱、カルロ五世の即位、コルテスの勝利、マジェランの世界一周のところをワクワクしながら聞いています。

 そんな激動の時代に日本26聖殉教者の殉教があったのですね。

 さて今日は、ヘラ神父様がパシグ・ミッションを始めて行ってくれました。およそ90名の方々が聖伝のミサに与りました。

 明日は、マックファーソン神父様がミンダナオに行き、ヘラ神父様がバギオに行きます。


 私はまた一人でマニラの教会の仕事を果たします。明日の午後には病者の訪問が入り、婚姻の準備セミナーはキャンセルしました。

 あさっての主日の聖伝のミサ、ミサの後の要理、堅振の準備などを頑張るつもりです。

 また、生まれたばかりの赤ちゃんの洗礼式も予定されています。

 極めて忙しく、やるべきことも出来ずにいます。


日本の愛する兄弟の為、重きつとめを果たし得で、時間尽き果て、一日終えるぞつらき。


主の為にいのち捧げしますらをよ、我が足りなきを祈りおぎなへ。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

フィリピンのバステス司教が「悪法に従うことが出来ない」と主張

2011年02月04日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 フィリピンでは「健康出産法」に反対して、例えばカトリック司教であるバステス司教様が「このような悪法に従うことが出来ない」という、見かけ上の「不従順」、天主に従うために「悪法」には従えない、という立場を表明しました。英語のままですが参考資料として引用することをお許し下さい。


Sorsogon Bishop Arturo Bastes said over church-run Radyo Veritas that they have no choice but to resort such action but in a peaceful way.

2 bishops renew ‘civil disobedience’ threat vs RH bill

MANILA, Feb. 3, 2011― At least two Catholic bishops urged the people to rise up in a campaign of ‘civil disobedience’ against the reproductive health (RH) bill if it becomes a law.

Archbishop Ramon Arguelles and Sorsogon Bishop Arturo Bastes said over church-run Radyo Veritas that they have no choice but to resort such action but in a peaceful way.

“We will have a civil disobedience! Those laws that are immoral, we will tell the people not to obey,” Bastes said.

Arguelles, however, clarified that their civil disobedience is not meant to topple the government but rather a move to strongly reject the RH bill.

“Let’s make it clear that we are not against any person. We are not against the government. We are not subversives,” Arguelles said.

The Sorsogon prelate added they will be not be cowed of any penalties of the law saying it is their duty to promote morality.

“We bishops, are willing to be imprisoned, together with our priests, and protest the immoral things there (RH bill). To be firm with our teachings, let them imprison us!” said Bastes.

“We are just saying what is right! We are going to proclaim whatever it is,” Arguelles also said.

In a new pastoral letter, the Catholic Bishops’ Conference of the Philippines (CBCP) called on the people to oppose the bill and act against its passage.

The statement, CBCP President Bishop Nereo Odchimar said it would be up to the people whether they will hold protests or not. (CBCPNews)


Bishops warn of ‘civil disobedience’ vs RH bill

Bishops renew ‘civil disobedience’ threat vs RH bill


フィリピンの司教たちが「健康出産法」に対する司牧書簡を発表

2011年02月04日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 フィリピンでは「健康出産法」が立法化される虞があるので、カトリックの司教様たちが大変強い反対の立場を表明しました。英語のままですが参考資料として引用することをお許し下さい。

Choosing Life, Rejecting the RH Bill

(略)

As religious leaders we believe that there is a greater form of corruption, namely, moral corruption which is really the root of all corruption. On the present issue, it would be morally corrupt to disregard the moral implications of the RH bill.

This is our unanimous collective moral judgment: We strongly reject the RH bill.

Commonly Shared Human and Cultural Values – Two Fundamental Principles

Far from being simply a Catholic issue, the RH bill is a major attack on authentic human values and on Filipino cultural values regarding human life that all of us have cherished since time immemorial.

Simply stated the RH Bill does not respect moral sense that is central to Filipino cultures. It is the product of the spirit of this world, a secularist, materialistic spirit that considers morality as a set of teachings from which one can choose, according to the spirit of the age. Some it accepts, others it does not accept. Unfortunately, we see the subtle spread of this post-modern spirit in our own Filipino society.

Our position stands firmly on two of the core principles commonly shared by all who believe in God:

(1) Human life is the most sacred physical gift with which God, the author of life, endows a human being. Placing artificial obstacles to prevent human life from being formed and being born most certainly contradicts this fundamental truth of human life. In the light of the widespread influence of the post-modern spirit in our world, we consider this position as nothing less than prophetic. As religious leaders we must proclaim this truth fearlessly in season and out of season.

(2) It is parents, cooperating with God, who bring children into the world. It is also they who have the primary inalienable right and responsibility to nurture them, care for them, and educate them that they might grow as mature persons according to the will of the Creator.

What We Specifically Object to in the RH Bill

Advocates contend that the RH bill promotes reproductive health. The RH Bill certainly does not. It does not protect the health of the sacred human life that is being formed or born. The very name “contraceptive” already reveals the anti-life nature of the means that the RH bill promotes. These artificial means are fatal to human life, either preventing it from fruition or actually destroying it. Moreover, scientists have known for a long time that contraceptives may cause cancer. Contraceptives are hazardous to a woman’s health.

Advocates also say that the RH bill will reduce abortion rates. But many scientific analysts themselves wonder why prevalent contraceptive use sometimes raises the abortion rate. In truth, contraceptives provide a false sense of security that takes away the inhibition to sexual activity. Scientists have noted numerous cases of contraceptive failure. Abortion is resorted to, an act that all religious traditions would judge as sinful. “Safe sex” to diminish abortion rate is false propaganda.

Advocates moreover say that the RH bill will prevent the spread of HIV/AIDS. This goes against the grain of many available scientific data. In some countries where condom use is prevalent, HIV/ AIDS continues to spread. Condoms provide a false security that strongly entices individuals towards increased sexual activity, increasing likewise the incidence of HIV/AIDS. “Safe sex” to prevent HIV /AIDS is false propaganda.

Advocates also assert that the RH Bill empowers women with ownership of their own bodies. This is in line with the post-modern spirit declaring that women have power over their own bodies without the dictation of any religion. How misguided this so-called “new truth” is! For, indeed, as created by God our bodies are given to us to keep and nourish. We are stewards of our own bodies and we must follow God’s will on this matter according to an informed and right conscience. Such a conscience must certainly be enlightened and guided by religious and moral teachings provided by various religious and cultural traditions regarding the fundamental dignity and worth of human life.

Advocates also say that the RH bill is necessary to stop overpopulation and to escape from poverty. Our own government statistical office has concluded that there is no overpopulation in the Philippines but only the over-concentration of population in a number of urban centers. Despite other findings to the contrary, we must also consider the findings of a significant group of renowned economic scholars, including economic Nobel laureates, who have found no direct correlation between population and poverty. In fact, many Filipino scholars have concluded that population is not the cause of our poverty. The causes of our poverty are: flawed philosophies of development, misguided economic policies, greed, corruption, social inequities, lack of access to education, poor economic and social services, poor infrastructures, etc. World organizations estimate that in our country more than P400 billion pesos are lost yearly to corruption. The conclusion is unavoidable: for our country to escape from poverty, we have to address the real causes of poverty and not population.

In the light of the above, we express our clear objections:

1. We object to the non-consideration of moral principles, the bedrock of law, in legislative discussions of bills that are intended for the good of individuals and for the common good.

2. We are against the anti-life, anti-natal and contraceptive mentality that is reflected in media and in some proposed legislative bills.

3. We object strongly to efforts at railroading the passage of the RH bill.

4. We denounce the over-all trajectory of the RH bill towards population control.

5. We denounce the use of public funds for contraceptives and sterilization.

6. We condemn compulsory sex education that would effectively let parents abdicate their primary role of educating their own children, especially in an area of life – sexuality – which is a sacred gift of God.

What We Stand For

On this matter of proposed RH bills, these are our firm convictions:

1. We are deeply concerned about the plight of the many poor, especially of suffering women, who are struggling for a better life and who must seek it outside of our country, or have recourse to a livelihood less than decent.

2. We are pro-life. We must defend human life from the moment of conception or fertilization up to its natural end.

3. We believe in the responsible and natural regulation of births through Natural Family Planning for which character building is necessary which involves sacrifice, discipline and respect for the dignity of the spouse.

4. We believe that we are only stewards of our own bodies. Responsibility over our own bodies must follow the will of God who speaks to us through conscience.

5. We hold that on the choices related to the RH bill, conscience must not only be informed but most of all rightly guided through the teachings of one’s faith.

6. We believe in the freedom of religion and the right of conscientious objection in matters that are contrary to one’s faith. The sanctions and penalties embodied in the proposed RH bill are one more reason for us to denounce it.

Our Calls

As religious leaders we have deeply and prayerfully reflected on this burning issue. We have unanimously made the moral judgment – to reject the RH agenda and to choose life.

1. We call for a fundamental transformation of our attitudes and behavior towards all human life especially the most defenseless, namely, human life being formed or being conceived. The cheapness with which many seem to consider human life is a great bane to our religious-oriented nation.

2. We call upon our legislators to consider the RH bill in the light of the God-given dignity and worth of human life and, therefore, to shelve it completely as contrary to our ideals and aspirations as a people. We thank our legislators who have filed bills to defend human life from the moment of conception and call upon all other legislators to join their ranks.

3. We thank the great multitude of lay people all over the country, and particularly the dedicated groups who made their presence felt in the halls of Congress, to defend and promote our position. We call upon other lay people and adherents of other religions to join the advocacy to defend and promote our commonly shared ideals and aspirations.

4. We call on our government to address effectively the real causes of poverty such as corruption, lack of social and economic services, lack of access to education and the benefits of development, social inequities.

5. We call for the establishment of more hospitals and clinics in the rural areas, the deployment of more health personnel to provide more access to health services, the building of more schools, the provision of more aid to the poor for education, and the building of more and better infrastructures necessary for development.

6. We echo the challenge we prophetically uttered 25 years ago at EDSA I and call upon all people of good will who share our conviction: “…let us pray together, reason together, decide together, act together, always to the end that the truth prevail” over the many threats to human life and to our shared human and cultural values.

We commend our efforts against the RH bill (or the Responsible Parenthood bill – its new name) to the blessing of our almighty and loving God, from whom all life comes and for whom it is destined.

For the Catholic Bishops’ Conference of the Philippines.

+NEREO P. ODCHIMAR, D.D.
Bishop of Tandag
President, CBCP
January 30, 2011




フィリピンで一番の話題

2011年02月02日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日は聖母の御浄めの祝日でした。

マックファーソン神父様は一日ミッションをしてくださいました。
ヘラ神父様と私とは(元)マニラ市長のアチエンサさんの義理のお父さんの御通夜に行きました。

フィリピンでは、今、例の「出産健康法」が一番の話題です。月曜にフィリピン司教評議会の会長オッチマール司教が司牧書簡を出して「出産健康法」を排斥しました。それとほとんど同時に下院の委員会が可決し、下院の議長は3月24日までに立法化させると言っています。

プロ・ライファーたちは2月12日に行動を起こすと言っています。第3エッツァ革命にならないことを心から祈ります。

聖母の御手を通して、私たちの主イエズス・キリストとともに、天主聖父に全てをお捧げいたします。

いつもの通り修道院の最後の戸締まりを確認して、休みます。

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!!


トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
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