私の昭和30年代の学校給食「ポークピンズ」・・・、この呼び方には郷愁があります。「ぴんず」ではなく、「pork」+「beans」で「ポークビーンズ」だと知ったのは長ずるに及んでからでした。献立表にもたしかに「ピ」と書いてありました・・・。
「ぴ」という発音が何となく、高度成長期に入った明るい雰囲気に合っていたのかもしれません。あのころはまだ貧しくてもみんな上を向いていました。元気でした。エネルギーがありました。
私は完全給食が始まった歴史の生き証人(?)。ミルク用、おかず用、パン用のアルマイトの食器の費用は自己負担があたりまえ、給食当番のエプロンも三角巾もまだ着用しない時代でした。衛生思想は国が豊かになるのと同時進行なんですね~。
給食室では給食のおばさんが櫂ほどもある木杓子で大きな鍋をかきまわし、そこから流れてくるおいしそうなにおいに給食時間を心待ちにしていました。
味のないコッペパンはジャムやマーガリンがないと食べられないもので、いまだに不評の脱脂粉乳ですが、たまにココアを混ぜてありました。今でも、食器のカラカラ鳴る器で食べた給食は、小学時代を象徴する懐かしーい思い出です。
昭和30年といえばまだまだ卓袱台での食事が主流、食生活の楽しみは少ない時代でしたが、給食のメニューには、シチューやポークピンズ、クジラの立田揚げ、ご汁、豚汁、煮込みうどん、カレーライスがとてもご馳走に思えました。それに大きなお鍋で作るごった煮はとてもおいしいのです。冷たいお弁当からの解放でもありました。
私がトマトの煮込みが好きなのは当時の給食が原点です。私には幾つになってもポークピンズで、時々一人でつぶやいてはクスクス・・・。という訳で、夕食のポークピンズと「もやしとピーマンの卵焼き」 です。
卵焼きは、おしゃべりクッキング「もやしとピーマンの卵焼き」、ジャンルは「中華」。どこが中華なのかな?
もやしと赤、緑のピーマン、ハムが入ってしっかりした惣菜にはなっています。オクラは庭で採れたもの。小松菜はカニカマのあんかけです。
この暑さでは買い物への気力はゼロ、冷蔵庫にあるものでも結構栄養のバランスはとれました。