ずっと前に見たNスペ「明治神宮不思議の森~100年の大実験」は、私の明治神宮のイメージを大きく変えるものでした。(明治神宮の創建は1920年)
広大な森が先にあって、そこに神宮が建てられたと思っていたのですが、全く逆でローム地層の原野に人工的に太古の原生林を造ったのです。その苦闘のドキュメンタリーでした。
半月ほど前の電話で、友人がいい本だと推薦してくれた本と、記憶の番組の内容が同じなのに気づいてすぐ取り寄せました。朝井まかて「落陽」です。
ネットから借りた写真ですが、ビフォーと今の写真です。
小さな△がマツ類、細長い△がマツ以外の針葉樹類(ヒノキ、サワラ等)、赤い木は常緑濶葉樹類(カシ、シイ、クス等)及び常緑灌木の下木
大隈重信は、雑木林では見苦しいので伊勢神宮のような巨大な杉並木にすべきだと大反対しますが、本多静六、本郷高徳、上原敬二が東京の土壌に合うように「永久ニ荘厳神聖ナル林相」の鎮守の森を創り出すことを計画しました。
Nスペで示された図は、四段階の遷移経過を予測して植栽計画を行ない、初期の植栽から五十年、百年、そして百五十年という時をかけて天然林相を目指すという壮大な計画でした。
上の図を説明を分かりやすくするために「落陽」から文を引用しました。
『初期にはマツ、ヒノキなどの針葉樹を植えはするが、東京では健全に育たぬのを承知で選んだのは、やはり造営直後にも荘厳なる風致を得る必要があるためである。ただしそれはいずれ枯死すると予測されるので、直射日光に強く、関東の冬の乾燥風、しかも煙害にも耐える樹種を混ぜて植える計画だ。・・・・やがてマツなどの針葉樹が枯れると、常緑広葉樹が主役の杜に変貌を遂げる』
そして『樹木は人為の植栽を行わずに林相を維持し、天然の更新をなし得るよう、次の世代に申し送らねばない・・・不必要な手を入れたり過剰な管理を行ったりしては、祈りの杜にならない』
「落陽」の主人公は三流新聞「東都タイムス」の記者・瀨尾亮一。明治天皇の崩御で、なきがらは京都の伏見桃山陵へ葬られます。それなら東京にもうひとつの施設をと、民間から明治神宮創建の動きが高まりました。
広大な森造りから始まる困難な過程が、女性記者伊東響子の原稿の形で細かく実によく描かれています。
その中で瀨尾はもうひとつの課題「人々は何ゆえこうも帝を尊崇し、神宮を造営し奉りたいと願うのか」を解き明かしたくなります。
「一人前の国として、天皇の伝統と風習を守りながら、欧州の近代君主像をも体現せねばならなかった」明治天皇。列強に名をとどろかせたエンペラーでなく、一人の孤独な青年の感情がどうしても知りたくなります。
その答えに少しでも近づきたく時をかけて人を探して調べ、その中からひとつの答えをみつけます。
その答えに少しでも近づきたく時をかけて人を探して調べ、その中からひとつの答えをみつけます。
急速な発展を遂げた明治に生きた登場人物の、それぞれの心の内、懸命に生きる姿に、やはり明治は特別だと感じます。
この本の面白さと緻密さと魅力を上手く描けないのは力不足ですが、朝井さんの小説の中では私のイチオシです。
数十年も前、田舎の小都市から上京したばかりの学生の目に、むしろ東京の方が緑が多いように感じたのはこんな森を見たからでした。「ない」と思っていた緑がこんなにたくさん・・・、その意外さを家族に手紙で知らせた記憶があります。