新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

海堂尊『奏鳴曲  北里と鷗外』

2023年01月30日 | 本・新聞小説
クリンちゃんのブログで紹介された★★★★★の推薦の本で、450ページの大作です。

このブログで紹介される書籍は私はいつも少し背伸びをしないと届きませんが、クリンちゃんの感想を読んでとても興味がわきました。鴎外のことも北里のことも知っているようで知らない・・・。

まず登場人物の多さに頭は混乱するばかり。だからその都度メモ、メモ、メモ。読むのに時間がかかりましたが、ギブアップしようとは思わないほど手ごたえのある本でした。
章ごとに日本とドイツを行ったり来たり、章ごとに主人公が交互に入れ替わりながら医学界、官界、陸軍と深く切り込んでいきます。

明治の世がまだ整っていないM19年にドイツへ。北里はドイツのコッホに師事し破傷風菌の純粋培養に成功、血清療法を確立してコッホ四天王に加えられます。
ここで北里が発見した原理の、発見者の名誉をベーリングから横取りされます。共著が、ベーリング単独名の論文になっていたのです。のちにベーリングはノーベル賞に!

帰国してからは、北里は内務省伝染病研究所に勤め、後に北里研究所を創設します。鴎外は陸軍軍医総監に上り詰めます。
二人は、軍隊で発生した脚気病の原因をめぐり対立します。
北里ら内務省や海軍は、脚気は米食が原因で麦食にすべきだと主張し、鴎外と陸軍は頑として米食に固執します。この対立はずーっと尾をひくことになります。
脚気菌発見の誤りを北里が指摘しても、帝大の権威や鴎外は感情的に反駁します。帝大と陸軍に脈々と流れる偏狭なエリート意識が日本人の学術的偉業を潰したと著者は断言しています。

『ひとり海軍だけが脚気に関する統計をごまかし、誤った対応に固執して多数の兵を損じ、その死の数は戦死者を凌駕し』、その隠蔽体質を鴎外も継続していました。
それが源流となって昭和の陸軍軍医部の暴走へと変質していったことを著者は鋭く突いています。
文学の観点からでなく医療行政から見た鴎外の評価はちょっとかわいそうでもあります。
鴎外が上がれば北里が沈み、鴎外が沈めば北里が上がる、それが繰り返されたシーソーゲームのような生涯でした。

北里の元からは赤痢菌発見の志賀潔、サルバルサンの秦佐八郎など「北里四天王」が輩出します。慶応医学科を創設、日本医師会を創設など重要な組織を整えていきます。
新しい千円札に登場する人物像として、もっともだと納得できる偉業が細かく記されているのは、参考図書・文献130冊ほどから推し量られます。

当時次々と伝染病が世界に蔓延する中、世界の研究者たちの菌との戦いの様子も垣間見えました。
いまだにコロナの解決策がなく恐怖の中にあることに、二人は何と言うでしょうか?



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