<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



ここんところ、仕事で英文を訳す機会が増えて困っている。
ただでさえ他の業務で忙しいのだ。
そんなところで「英語の文章を読み、それを分かりやすい日本語に訳す」なんて作業は、私のように居酒屋でオーストラリア人相手に英語をマスターした人間にはとかく難しい作業だ。

とりわけ文章に専門用語が出てくると大いに悩むことになる。
英語から日本語へ、また日本語から英語へ訳する際も、私の仕事は多少とも専門性を有する仕事であるため語意が間違っていると大きな誤解を招く必要があるので注意が必要だ。

例えば一般的な電気製品でテレビなら televisionとか monitor screenと訳せば済む。
ところが私の仕事は科学に関係する仕事であるために、時々辞書を繰ってもわからない単語が出てくるのだ。
その都度、海外の雑誌をめくったり、外国製品のカタログをめくったり、絵本のイラストを探したりするので苦労する。
また、単純に見える専門用語でも、迂闊に訳して笑われた(幸いにも笑われたことはあるが嗤われたことは未だない)ことがある。

以前、小型卓上分析装置と訳するのに何も考えずに Tricorderと訳したところ、

「なんですか、この Tricorder ってのは?あなたスタートレックのファンですか?」

と指摘されたことがある。
この単語がスタートレックだけ通じる専門用語であることを私はこの時、初めて知ったのであった。

そんなこんなでカタログや広告や展示会や研究会の仕事をしている間に、その他の職務として、雑誌記事や外国の規格の翻訳をするというのはほとんど不可能に近い仕事。
いや、仕事量。
上司にはしきりに「だれか若い人、やとってちょうだい!」とお願いしているのだが、どこの企業も今はそうだが、なかなか人員増員をしてくれない。
ケチな話である。

また、翻訳は外部に出せばいいのかも知れないが、それほど量もないし、金もない。
ちょっとした雑誌記事や広告を専門家に依頼して翻訳するほど件数はないことに加えて、人員増強が難しいのと同じように追加費用発生にはかなり神経質な世の中なので、なかなか依頼できずにいるのだ。

そこで頼りにしたくなるのが googleだとかexciteだとかが提供している無料の翻訳ソフト。

英文ないしは和文を書き込みボタンを押すだけで翻訳してくれるという優れもの。
「この単語、なんて言うんやったんやろ」
と考える必要もないし、
「日本文、キー入力するん面倒くさい」
ということもなくなるのだ。

ただし、もしその翻訳が正しいものであったらの話。

googleが所有している巨大なシステムをもってしても翻訳という作業は容易ではないらしく、出てくる訳語のヘンなこと、変なこと。
正直言って詰まらない漫才師のトークよりも面白いくらいメチャクチャで、よくぞこれで「これは翻訳ソフトでございます」と宣言できるものだと感心することしきりだ。

例えばスタートレックついでにそのナレーションでエンド部分。
「To boldly where no man has gone before」
を自動翻訳したところ、
「大胆に移動するにはだれも前にどこへ行ってしまったの」
と出てくる。
「誰も前にどこへいってしまったの?」
行方不明のお尋ね文になっているのだ。
それも女性の。

また、シェークスピアのハムレットのセリフ
「To be or not to be.... that is the question.」
を自動翻訳しやところ、
「にするために、またはしないようにすることの質問であることを確認します。」
と出てくる。
「.....ことを確認します。」
なんて書かれてしまうと、おしまいに「はい、旦那様」と付け加えたくなってくるので困ってしまうものがある。

さらに、スターウォーズの決まり文句、
「May the force always with you」
を自動翻訳してみたところ、
「いつもあなたがたと共に月の力。 」
と出てくる。
「月の力」。
これではまるで月経を迎えた女性用品のコマーシャルの出来損ない、と言う感じだ。

このように自動翻訳ソフトは素晴らしい、ジョークの生成機。

見ての通り、映画や小説の翻訳がこのような有り様なので、ビジネスに使えるわけが無い。
どおりで、自動翻訳を有料サービスにしているサイトがほとんどない理由がよくわかった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




大阪梅田の映画館「松竹梅田ピカデリー」が16日で閉館する。
シネコン化していく映画館の潮流で、昔ながらの映画鑑賞のスタイルがまたひとつ消え去ることになった。

地下街「Whityうめだ」の泉の広場を地上に出たすぐのところにある梅田ピカデリーはひとつのランドマークだった。
太融寺。
阪急東通り商店街。
お初天神商店街。
とキタの中でも最もディープな雰囲気の漂うエリアがクロスするところに位置しており、周囲は一種どくとくの雰囲気がある。
なんといっても普通に見える泉の広場なんかでは時間帯によっては時々女装をしたオッサンを見かけることがあるくらいディープなところなのだ。

この梅田ピカデリーは昭和55年にオープン。
当時は新築だったので、ほかの映画館、例えば北野劇場や東映会館などと比べると、とってもモダンな映画館のように感じたのであった。
オープン当時、中学生だった私もちょうど両親とではなく自分で映画を見に行く年齢に達した時であり、この映画館でも何度か映画を見ることになった。

何を見たのか覚えている作品は少ない。

ピーター・セラーズの遺作になった「チャンス」ぐらいしか覚えていないのが辛いところだ。
邦画もいくつか観た記憶があるのだが、この映画館でこの映画、という記憶はよほどその映画館が特別な場所でない限り覚えていることはない、と今回新たに気付いた。
例えばシネラマOS劇場で鑑賞した映画はすぐにでも何本かは思い出せる。
「スターウォーズ」の最初の3作品、「未知との遭遇」「2001年宇宙の旅」「トップガン」「メリーポピンズ」「地獄の黙示録」などなど。
わざわざ「シネラマの大画面で見たい!」と思って足を運んだからこそ覚えているのだ。

梅田ピカデリーで最も印象に残っているのは、この劇場で松竹株式会社の会社説明会が開かれたことであった。

就職活動をしていた私は映画会社も訪問していた。
松竹もその一社で映画の世界に憧れていたのであったが、「就職説明会があるので来るように」と指示されたのが梅田ピカデリーなのであった。
映画会社というのは私のような芸術系の学生が憧れ目指す企業のひとつであったわけだが、何百人と集まった入社希望者の前で、松竹の人事担当者が言ったひと言は今も忘れることができないほど衝撃的な内容だった。

「松竹は『寅さん』シリーズの何本かを除いて映画は制作していませんし、今後も増やすことを考えていません。うちの会社の主な事業は『不動産』です。それでもよければ試験を受けてください。」

映画は斜陽産業の最たるもので、映画なんか作ってられるか、というのが当時の松竹の姿勢だった。
だから最大の業務は映画最盛期に獲得した劇場を主とする不動産の管理運営がメインの事業だと説明されたのだった。

「梅田ピカデリー」は映画を見た劇場という記憶よりも、「釈然としない重い気持ちで出た劇場」という記憶が強く、今もそうであり続けている。

ピカデリーが閉館するからといって大阪梅田地区の映画館のスクリーン数が減るということはないそうで、この春完全リニューアル新築オープンする超巨大なJR大阪駅ターミナルビルの中に新たなシネコンがオープンするのだという。

梅田は今も昔も映画激戦区だ。

なお、私にはミニシアター系劇場のひとつの中心である東京の恵比寿ガーデンシネマの閉館の方が「なんたるこっちゃ!」という気持ちが強い。
梅田ガーデンシネマには頑張っていただきたいと思ったのであった。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






最近の大学は、学問をするだけの場所ではなく市民の憩いの場にもなっているようだ。

私は仕事の関係であちらこちらの大学を訪問するのだが、大学によっては確かにとってもリラックスできる雰囲気のところがあり、中途半端な公園よりもよっぽど環境に優れていることが少なくないのだ。
図書館はあるし、カフェもあるし、学食もあるし、トイレも奇麗だし、言うことなし。
清掃も行き届いている。

尤も、私立の大学には、
「部外者お断り」
という排他的なところも少なくなく、門をくぐって中に入るためには、
「こちらに訪問先と用件をお書きください」
と警察官みたいな格好をした警備員のおっさんに指示されることもある。
これじゃ民間企業だ。

こういう私大は本来の大学という意味を成しておらず、えてして「金持ちお坊ちゃま、お嬢ちゃま大学」や「こんな名前聞いたこともない」というところが少なくない。
形だけの大学だ。
たぶん、警備員を置いて威厳をつけているのだろう。

これと比較して国公立の大学はキャンパスへの人の出入りが自由自在。
建物に入るのは別として、門のところで警備員にとやかく言われた大学は皆無だ。
私の実家の近くには大阪府立大学があるのだが、ここはすっかり市民の憩いの場。
かつて私もジョギングを楽しむ場所にしていたことがあり、春夏秋冬、様々な草花を楽しむのにも不自由しない。
さらにさらに、橋下知事の「赤字の府立の大学は要るんかい」という、ともすれば売却される危機をもはらんでいるだけに、市民に向けたイベントも盛んで、市民講座は言うに及ばず、なぜか春には桜のライトアップまで演出して「桜宮」か「大阪城公園」か、と言うぐらい、美しい景色を楽しませてくれるのだ。

吹田の阪大も千里の山にあるからかどうか分からないが、春夏秋冬に見せる景観の変化は素晴らしく、「さすがEXPO70、万博会場の駐車場あと」と分けの分からない感動をしたりする。

新緑では杜の都。
仙台の東北大学のキャンパスが印象深かった。

そんなこんなであちこち行くけれども、やはりキャンパスの威厳では東京大学の本郷キャンパスは一味違うものがある。
歴史的建造物が建ち並び、春夏秋冬に木々が見せる景色は圧倒である。

そんな、東大本郷キャンパス。
今週初め、
「こんな夜になんで打合せやねん」
とブツブツ言いながら赤門をくぐり、とぼとぼと歩いていたら、突き当たりの建物がなぜかイルミネーションに輝いている。
「季節外れのクリスマスか」
と、常識はずれのイルミネーションかと思ったのだ。
なんといってもあらゆる意味で常識を超越した東京大学。
上はノーベル賞学者から下は汚職官僚まで、あらゆるジャンルの人々を排出している大学なので、ちょっとやそっとのことでは驚かないのだ。
半月遅れのクリスマスを楽しんでいてもなんら不思議ではない雰囲気を持っている。

よくよくみると「2011」なんて文字も見えているので季節外れのクリスマスイルミネーションではなさそうだ。
結構奇麗だしまあいいか。

私には関係のない建物なので「きっと学生の娯楽施設でもあるんやろ」と思って帰ってから調べて見ると、なんと「医学部2号館」。

医学部でなんでイルミネーションなのかわからないのだが、これも大学キャンパスの公園化のひとつなのだろうか。と思ったのであった。






コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




そのむかし、音の本棚というラジオドラマ番組で「タイム・トラブル・ストーリー」という連作の物語が放送されたことがある。
そのうちの一話の冒頭で道端で食べ物を求める青年が登場した。

「何か......何か食べ物を....」

青年はその場で倒れた。
続いて担ぎ込まれた病院だったか、個人宅だったかで医者が言った一言が妙に印象に残っている。

「こりゃーめずらしい。」
「めずらしいって?」
「今時行き倒れですよー!これは!」

青年は行き倒れ。
飲まず食わずで街を彷徨ってきた青年は過去の自分の家の前で倒れて、家族に助けを求めたというのが事の顛末。
青年は映画でよく描かれるパターンの「未来から来た人」だったのだが、他の映画や物語と違ってこの未来から来た青年には何の才能も知識もなく、「未来から来た人のメリット」を活かすことができなかったことが、「行き倒れ」に結びついたという、まま笑い話なのであった。

ラジオドラマは私が中学生だった1978年頃の放送だったので、日本の国もまだまだ今と比べると豊かな国だった。
経済的で豊かという意味ではなく、心の中味が今よりももっと豊かな国だったという意味だ。
だから「現代の行き倒れ」を笑い事に済ませる心の余裕が当時はあったのだが、もし今テレビやラジオで同様のことを描いたら、果たしてコメディで描けるかどうか。
疑問である。

というのも、大阪府豊中市で60代の姉妹が餓死しているのが発見される世の中。
飽食の時代とかグルメだとかテレビやラジオで言われて久しいが、大都市のど真ん中で餓死する人が出る社会というのはいったいどうなっているのか、考えてみる必要がある。
それも深刻に、早急に。

大阪府豊中市といえば人口40万人弱の中核都市。
いくつかの大企業の工場や国立大学や有名私立大学がそのキャンパスの一部分を置いているので収入はしっかりしている。
社会福祉に向ける金がない、などということはない。
公務員の給与のほうが税収より多いという鹿児島のどっかの街よりはすくなくとも豊かだ。
おまけに税収以外に大阪空港関連の補助金がどっどと付くので街中の公共施設は不必要に立派なものも少なくない。

こういう街で公職に付く人というのは、多少怠慢でもやっていけるのかも知れず、そこんところが私企業と大きく異なる非常識な点かもわからない。
今回の事件は、昨年、いわゆる100才をとうに超え死んだ老人に年金を払い続けていた怠け者と同じ。

「亡くなったのは残念。執行官が手紙を入れているので、本人から相談してくるのを待つことにした。執行官からの相談がもう少し早ければ、対応策を話し合えたかもしれない」

という新聞報道で伝えられる市の担当者の談話は、

「訪問するのが面倒だから」

ということを遠まわしに言っているとしか思えない。

豊かな国の餓死者の怪。
さもありなん、では済まされないのが腹がたつところだ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




フランス国内でルノーと日産自動車が共同開発している電気自動車の技術情報が盗まれた。
盗んだ黒幕は「中国だ」との噂がもっぱらだ。

産業・スパイ大作戦!

フランスではついにサルコジ大統領が調査命令を発令したということだが、流出したのは基本的に日本の技術。
菅直人首相がなんにもしないのが、かなり不思議だ。
フランスで発生した事件だから全く関係ない、と思っているのか、それとも盗んだ犯人が中国と思われるので、中国漁船の海保艦船体当たり事件と同じように、不問に付すのか。
まったくもって、どこの首相かわからないのが一般日本人の悲しいところだ。

ところで、中国による産業スパイは今に始まったわけでは決して無い。
そんなこと今更ブログで書かなくても良いのだが、それに業を煮やして、

「そんな国とは取引しない。逆鎖国だ」

と叫ぶところもないのが、これまた情けない。

最近の産業での中国の行いは目に余るものがあり、中には恐怖さえ感じるものもある。

先週は同じように任天堂の新製品が中国国内の工場から流出し、コピー会社にすでに譲渡済み、という事件が伝えられ「まさか、あの任天堂も」とびっくりしたばかりだ。
アップルのiPadが発売されてすぐさまiPedなるまがい物が登場したことは記憶に新しいが、ハイテクコピーもお手の物中国の技術は決して侮れない印象再認識させた。
「このセダンは前がトヨタで後ろがホンダのデザインです。」と正規販売店で堂々とPRする大手中国自動車メーカーが存在するのだから技術やデザインの窃盗や模倣は、かの国ではもう犯罪という認識すら無いのだろう。

で、恐ろしいの「中国製ステルス戦闘機」の独自開発。

私の拙い知識によると、確か米国のステルス戦闘機の電波反射防止塗装の使われている塗料は日本製塗料。
生産できるノウハウがあるのは1社だけで、武器輸出三原則に抵触させない日米同盟に基づいた特例措置の輸出品であったはず。

中国製だからなんちゃってステルスという可能性が無くもないが、コピーすることに関しては群を抜いた技術があるだけに、もしほんとに日本企業から塗料生産技術のノウハウをパクっていあたら、それはルノー・日産どころの話ではないということになる。

産業・スパイ大作戦。
中国の日本関係へのスパイ活動は、どうやらミッション・インポッシブルならぬ「Mission Possible」になっているのかもわからない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





寝正月、というのも悪くないけれども、どうも私は寝正月ができない性分だ。

二年前の年末年始。
「今年こそ寝正月」
と、ばかりに仕事納めの翌日にリラックスモードに入ったら、いきなり風邪をひいてしまい、休日期間中寝込んでしまうという「事件」あった。
結局リラックスできたのではなく寝込んだのであって、忙しい毎日から無防備に自分を解放してしまうと病気になってしまうことがわかったのだ。

昨年はそんな反省をかんがみ、多少色々してみようと思っていたのだが、私的に非常に忙しくて何もできなかった。

さらにその反省もかんがみ、今回の年末年始はもっと有意義に過ごそうと考え、基本的に「何もしないが、何かする」というムードを自分の中に形成するよう努力。
その結果、「家に仕事を持ち帰って、多少業務作業をすれば病気にならずに済むはずだ」という作戦が功を奏して、実に健康的な年末年始を送ることができたのであった。

尤も、「年末年始に家で仕事」というのは、いささか「病気」ではある。

まず。今年は箱根駅伝をはじめから終わりまで完璧に観戦した。
往路6時間。
復路6時間。
合計12時間もテレビの前に座っていたのだ。

それにしても箱根駅伝は近ごろ少なくなった男の真剣勝負を見ることのできる壮絶なドラマだ。
年の初めにあのようなスポーツイベントを堪能できる日本人はなんて幸せなんだろうと、自分が日本に生まれたことに感謝することしきりなのだ。
但し、ほとんど一日中ソファに座ってテレビで観戦しているため、テレビの向こうで力走する選手と異なり、こっちは運動不足に陥ることもあり、今後対策が求められるところだ。
できればウォーキングマシーンやフラフープをしながら観戦するのが望ましいのかも知れない。

それと今回は休みの間に一冊本を読了することに成功した。
私は毎年、「この本、年末年始の休みに読もう」と年末に数冊の書籍を購入するのだが、読書家の私が年末年始はほとんど本を読めず、休日を終えてしまうということを何十年も繰り返してきた。
そこで、今年は年末に一冊の本も購入せずに、読みたくなったら蔵書を読もうと心に決めていたのだった。

その効果か、年末のNHKドラマ「坂の上の雲」の効果なのか、今年の正月は箱根駅伝を観戦するというハードなスケジュールをこなした上に仕事もし、さらに、司馬遼太郎の「世に済む日日」第1巻の読了に成功するという偉業を達成したのであった。

「世に済む日日」はわたしの大好きな司馬作品の中でも、最もお気に入りの物語だ。
前半の主人公が吉田松陰。
後半の主人公が高杉晋作。
幕末を駆け抜け、互いに維新を見ることのなかった英雄の物語は新年に読むのにふさわしく、数回目の読書と相成ったわけだ。

初めてこの作品を読んだのは学生の時であったが、私はすぐ何にでも影響される質なので、読み終わるとすぐに山口県と島根県の一部を自由に乗り降りできる国鉄(当時はJRになっていなかった)の周遊券を買い求め、下関、萩、津和野への旅に出発したのであった。
下関では馬関海峡を臨み、長州の砲台の跡を訪れ、高杉晋作終焉の地も訪問。
白石邸の跡も歩いて回ったのであった。
さらに萩では松下村塾や伊藤博文生家、野山獄、萩城跡、武家屋敷跡を訪ねた。
ついでに津和野へ寄ってSL山口号の写真を撮影して帰ってきたのであった。

この小説を読むことによってその後の私の生活に大きく影響を与えたのは、「有言即実行」ということなのであった。
松陰先生も高杉東行先生も共に現在であれば「政治的過激派」以外の何ものでもないが、現在の過激派と大きく異なるのは国家のことを思い、人々のために走り回ったということで、これは同じ活動家でも現代のそれとはまったく正反対な人々なのであった。

自分の命も惜しまないその大胆不敵な行動力も現代の日本人には認められない部分だ。
私はそれに多いに共感し、今日に至っている。

但し、今日に於ても「有言即実行」は時として危険なことがあるのも事実。
かくいう私も会社でなんでもかんでも「有言即実行」に走ってしまうので上から嫌われること度々で、数年前には本社から一事業部に配転されてしまった実績がある。
「有言即実行」は取引先には歓迎されるが、時として社内では(とりわけ上層部からは、しかも同族会社の場合)歓迎されないことがあり、意外な扱いを受けることがある。

「だから、心配やねん」

と嫁さんに苦言を呈されるたびに、

「もしかしたら、俺は間違っているのだろうか」

と最近、思うことが少なくなくなっていたのだ。
今回「世に済む日日」を再々再読したことで、自分の考えに間違いはなかったのだと確認できたことが正月の大きな収穫なのであった。

今年もちょっと情熱的に「世に棲む日日」。
決意をさせる物語だ。

但し、嫁さんを心配させて苦言を言われる可能性があるのが、たまに傷、ではある。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




その時、東海大学の早川選手が、笑った。

新年恒例の箱根駅伝。
私の新年1月2日と3日は2つの選択肢があり、ひとつは大阪サンケイホールブリーゼの米朝一門会を聴きに行くこと。
そしてもう一つはテレビで箱根駅伝を観戦することだ。

個々数年、新年の予定がバタバタしており米朝一門会には行くことがなかなかできずにいる。
その代わり、テレビ箱根駅伝を断片的に観ることにしている。
その箱根駅伝。
今日は往路の闘いは大手町のスタートから芦ノ湖のゴールまで、テレビの前から離れることなく見続けるという珍しい1日を送ったのであった。

箱根駅伝に興味を持ちはじめて随分経つが、新春にこれほど緊張と感動を与えてくれるスポーツを私は他に知らない。
なんといってもひとつの区間が20kmもある駅伝競技はこれしかなく、他の駅伝競技とは一線を画する凄みが存在するのだ。
選手は全国からこの競技に出場するするために関東の大学に入学した健脚たちばかりであり、マラソンと違って団体競技であるところに「責任」という他の陸上競技ではお目にかかれない重圧が選手を包み込むのだ。

20kmと言う距離はマラソンよりも短いものの、一般の駅伝競技よりも長い。
したがって選手はマラソンのようなペースで走っていると勝つことはできないし、かといって10000メートル競技のペースで走るとばててしまう。
この箱根駅伝独特のエネルギーの配分を要求されるのだ。
したがって、選手は時分の限界まで体力と気力を使い、時分の大学の名誉と時分のチームと自分自身のために走り抜くのだ。

各区間にゴールし、力尽き果て倒れ込む選手の姿を見るとググッと胸に迫った来るものがある。
最近、テレビでも映画でもチープな内容のものが少なくないが、箱根駅伝のこの光景はノンフィクションだけに感動せずにおられない。
凄みがある。

今日の見どころはもちろん5区。
箱根の山登り。
注目は東洋大学のランナー柏原選手。

今日の往路はこの選手を見るためにあったといっても過言ではない。
もちろん、他にも素晴らし選手の走る姿に感動を受けた。
とりわけ2区を走った東海大の村澤選手の凄い走りには爽快感を感じた。

でも、やはり注目は柏原選手なのであった。

5区。
3位でタスキを受け取った柏原選手は2位の東海大早川選手を追う。
ターゲットはもちろんこの選手ではなくて首位をゆく早稲田の猪俣選手。
昨年、一昨年の実績を見ると柏原選手が2人を追い抜くのは当たり前。
観戦しているだけの私たちには、まさにそう。
柏原選手がどれだけ2人を追いつめ追い抜くのかが今大会の「既知」の見せ場だ。

「既知」の見せ場。
それは観客が「絶対」だと確信している柏原選手の追い抜き優勝そのもの。
もちかすると、その追い抜き見たさに私たちはテレビの前に陣取っていたのかも分からない。
追い抜く瞬間を見たくてしかたなかったのだ。

5区の坂道を上りはじめ1/3が経過した時、柏原選手が東海大の早川選手をとらえた。
一歩、一歩、国道1号線の路面を踏みしめて登る2人に手に汗握る。
早川選手の走りが普通より良いだけに、柏原選手の凄さが一層光って見える。

「あの選手、追い上げられてどんな感じなんやろ」

と私も、一緒に見ていた嫁さんも思った。
優秀な成績で箱根に来たのに、その上がいて、その選手がまさに後ろを追いかけてくる。
早川選手の気持ちを思わず考えずにはいられない。

そしてついに柏原選手が早川選手に並んだ。
私は早川選手の表情に注目した。
柏原選手は苦しそうな表情でぐんぐん坂を登っている。
でも、世間は彼を「超人」だと信じている。
超人は苦しそうな表情とは裏腹に上り坂を信じられないスピードで上がっていくのだ。

その時、柏原選手を横目でチラッと見た東海大の早川選手の表情を見て、私は感動した。

その時、早川選手は笑った。

なんと、彼は自分を追い抜いていく柏原選手を見て「ここで来るんだものな」という感じでニコッと笑ったのだ。

もはや5区のスーパースターである柏原選手がいつ自分に追いつき、追い越すのか、早川選手はそれを予想していたに違いない。
そのスーパー選手が自分を追い抜いていくのを、もはや苦しいというよりも「信じられない」そのパワーを目の当たりにして思わず笑みがこぼれてしまったのに違いないのだ。

早川選手のその素晴らしい走りを、さらに上回る柏原選手の脅威の走り。
私は2人の胸の内を想像し、熱いものが込み上げてくるのだった。

結局早稲田も追い抜いた柏原選手は当然のごとく東洋大に往路優勝をもたらした。

これだけだったら、
「お。あいつは凄い選手なんや」

と思うところだったのだが、その柏原選手、ゴールと共に倒れ込み、よく見て見ると泣いているのだ。
さらに優勝インタビューでは泣きじゃくりを上げながらチームメイトの名前を叫び、インタビューに応えている。
その瞬間、彼はスーパースターでも坂のぼりの超人でもない、普通の大学生選手であったことを実感し、感動を新たにしたのだった。

テレビで見ているだけで、勝手に感動し、勝手に楽しんでいる私なのであったが。

笑う早川選手。
泣く柏原選手。

新年早々、素晴らしいドラマを目の当たりにして元気のエネルギーを貰った箱根駅伝なのであった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




大学を卒業して以来、私は30日から大晦日にかけて大学時代の友人達とその友人宅で「夜通し忘年会」を楽しむことを恒例としている。
鍋を囲んで、想いで話に花を咲かすのだ。
その会場はもう二十年近く京都市内で行なっているのだが、今日のような天候は初めてなのであった。

何が初めてであったかというと、雪のために危うく自動車で大阪に帰れなくなるところだった。

天気予報で、
「大晦日にかけて近畿地方は強風が吹き荒れ、平野部でも雪をみるかも知れません」
というニュースが数日前から流れていたことは私も注意していた。
しかし、この季節、雪が降って大阪や京都に雪が積もるなんてことはほとんどない。
まして今年は30日夕刻時点では風がやたらと強いだけで雪のかけらも降っていなかったのだ。
それが大晦日の午前、大変なことになってしまったのだった。

朝、京都市伏見区の友人宅で目が覚めた。
テーブルを挟んで同じ部屋で寝ていたDちゃんの鼾がうるさくて目が覚めたのではない。
トイレに行きたくて目を覚ましたのだ。
Dちゃんの鼾も原因の要素の一部ではある。

彼は昨夜、宴会途中で椅子に座ったまま居眠りを始めた。
そのまま放っておくと太った即身仏みたいで少々不気味なので、
「Dちゃん、寝た方がええで」
と声を掛けると、
「んんんん~~~~~~」と言いながらテーブルの横にゴロンとなり、鼾を立てはじめた。
例年なら、Y君が大きな鼾を立てはじめる時間なのであったが、今回は事情によりY君が欠席。
鼾の代打など要らないのだが、Y君の代わりにDちゃんが鼾をかきはじめたのだ。
それもかなり大きな音で鼾を立てはじめた。
自分の鼾で目が覚めないのが不思議なくらいだった。

で、目が覚めた私はごそごそと寝床を剥いだしトイレで用をたしたあと、窓のカーテンを開けると、道路の路面が濡れていた。
「雨かな?」
と思った。
携帯電話で時間を確かめると午前7:30分になっていた。
腹が減ったが、みんなは未だ寝ている様子なので、私ももういちどゴロリとすることにした。
その後、8時になって朝食をとりながら外を見ると雪がチラホラと降っていた。
京都の雪は風流で、観光地なら写真撮影にピッタリだ。
しかし私は忘年会の身の上。
観光地を訪れる時間も余裕もない。

余裕はないが、せっかくなのでその友人宅でWiiをプレイしているうちに時間を失念してしまったのだった。

やがて昼が近づき外を見ると、そこは白銀の世界に変わっていたのであった。
乗ってきた私の車の屋根に5センチ以上も雪が積もり、道路の色も白く変わっていたのだった。

「あ、今年の忘年会は北海道.......」

とは思わなかった。
思わなかったが、それほど周りは真っ白になっていたのだった。

「高速道路、ダイジョブか?」

と心配になってネットでjarticの渋滞情報を確認すると、通行止めにはなっていないようだった。
そこで安心してランチを食べに出かけたのだが、これが凄い。
すでに住宅街の路地は雪で真っ白。
自転車では走れない状態だ。
レストランについてそこへ滞在している30分ほどの間に、幹線道路の路面まで真っ白になってきたしまったのだった。

粉雪舞う京都。

これが東山だとか祇園だとか、嵐山なら風情があるのだが。
観光写真に出かけられない私は非常に残念に感じていたのであった。

で、ノンビリランチを食べている気分を吹っ飛び、できるだけ早く帰らねば電車で帰るのか、雪が止んで溶けるまで待つかしなければならない。
と危機感を感じ、すぐさま自分の自動車に飛び乗って一路、大阪を目指したのであった。

幸いにできたばかりの阪神高速京都線は私が乗った時点では通行止めになっていなかった。
しかし、高速道路に入ってすぐのインフォメーションボードには「京都線全線通行止め」の文字。
どうやら私はギリギリのタイミングで高速道路に飛び乗ることができたようなのであった。



2010大晦日。
久々に忙しない大晦日になった、迷惑な豪雪なのであった。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )



   次ページ »