インターネットが普及してすでに10年以上。
今では「どこでもいつでも誰とでも」という、まるで不詳宮嶋茂樹カメラマンのキャッチフレーズにようになってしまっているのだ。
そのおかげといってはなんだが、簡単な端末を持っているだけで必要な情報はいつでもとり出すことができる。
それも迅速に、素早く、悩むことなく取り出すことができるのだ。
その反面、購読にお金のかかる新聞や雑誌、テレビなどは相対的にその価値を失ってきている。
広告費用のトータルもインターネットがすでに新聞雑誌を追い抜いているそうで、テレビを追い抜くのも時間の問題。
マスメディアの業界図が大きく変わりつつあるのだ。
インターネットの功績で最も大きいことは世界中の人々の距離をさらに縮めたことで、これは実に大きい意味を持っている。
なぜなら、人と人との距離が近いと、争いごとがしにくいからだ。
「あ、あの人のことなら良く知っている」
「あの人は友達だ」
「見かけは怖いけど優しいひとだよ」
と、人と人が良く知るとそれだけ偏見も減ることになり、戦争や差別がしにくくなる。
知っている人を殴るわけにはいかないだろう。
ところが知っていると困ることもあって、
「性格悪いから、あの人は嫌い」
「裏で汚いことしているのに、二重人格だ」
というような悪い情報もきっちりと露出してくるので、アクドイことをしている人はそれなりに糾弾されることになる。
このため、中国や北朝鮮のような共産主義や独裁主義の国はインターネットが大嫌い。
必要な情報は都合の良いものだけが見られれば良いのであって、為政者のホントの姿はさらけ出したくない、というのが「紛争ネタ」になる。
実のところ、数年前にミャンマーの僧侶によるデモ騒動もそうだったし、市街戦もどきまで発展した昨年のタイのバンコクでの二派衝突もそうだったわけで、何が騒動に火をつけて、それを燃え上がらせるかというと、私はインターネットでやり取りされている膨大な情報が人々を燃え上がらせているのだと思うのだ。
で、今回はエジプト。
デモ騒動から死者が出るほどの抗争に政府とデモ隊の闘いは発展してしまったが、その火だねと導火線の役割は、どうもインターネット。
騒動が大きくなるに従って政府がインターネットを遮断した事実でも良くわかる。
ということで、下は友達の悪口から、上は政府や民族の対立まで。
インターネットの功罪は小さくない、というのが今の世の中だと思うのだが、例によってテレビも新聞も報道しない。
そんなにインターネットが癪にさわるのか。
これもまた功罪のひとつかも知れない。
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