<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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寝正月、というのも悪くないけれども、どうも私は寝正月ができない性分だ。

二年前の年末年始。
「今年こそ寝正月」
と、ばかりに仕事納めの翌日にリラックスモードに入ったら、いきなり風邪をひいてしまい、休日期間中寝込んでしまうという「事件」あった。
結局リラックスできたのではなく寝込んだのであって、忙しい毎日から無防備に自分を解放してしまうと病気になってしまうことがわかったのだ。

昨年はそんな反省をかんがみ、多少色々してみようと思っていたのだが、私的に非常に忙しくて何もできなかった。

さらにその反省もかんがみ、今回の年末年始はもっと有意義に過ごそうと考え、基本的に「何もしないが、何かする」というムードを自分の中に形成するよう努力。
その結果、「家に仕事を持ち帰って、多少業務作業をすれば病気にならずに済むはずだ」という作戦が功を奏して、実に健康的な年末年始を送ることができたのであった。

尤も、「年末年始に家で仕事」というのは、いささか「病気」ではある。

まず。今年は箱根駅伝をはじめから終わりまで完璧に観戦した。
往路6時間。
復路6時間。
合計12時間もテレビの前に座っていたのだ。

それにしても箱根駅伝は近ごろ少なくなった男の真剣勝負を見ることのできる壮絶なドラマだ。
年の初めにあのようなスポーツイベントを堪能できる日本人はなんて幸せなんだろうと、自分が日本に生まれたことに感謝することしきりなのだ。
但し、ほとんど一日中ソファに座ってテレビで観戦しているため、テレビの向こうで力走する選手と異なり、こっちは運動不足に陥ることもあり、今後対策が求められるところだ。
できればウォーキングマシーンやフラフープをしながら観戦するのが望ましいのかも知れない。

それと今回は休みの間に一冊本を読了することに成功した。
私は毎年、「この本、年末年始の休みに読もう」と年末に数冊の書籍を購入するのだが、読書家の私が年末年始はほとんど本を読めず、休日を終えてしまうということを何十年も繰り返してきた。
そこで、今年は年末に一冊の本も購入せずに、読みたくなったら蔵書を読もうと心に決めていたのだった。

その効果か、年末のNHKドラマ「坂の上の雲」の効果なのか、今年の正月は箱根駅伝を観戦するというハードなスケジュールをこなした上に仕事もし、さらに、司馬遼太郎の「世に済む日日」第1巻の読了に成功するという偉業を達成したのであった。

「世に済む日日」はわたしの大好きな司馬作品の中でも、最もお気に入りの物語だ。
前半の主人公が吉田松陰。
後半の主人公が高杉晋作。
幕末を駆け抜け、互いに維新を見ることのなかった英雄の物語は新年に読むのにふさわしく、数回目の読書と相成ったわけだ。

初めてこの作品を読んだのは学生の時であったが、私はすぐ何にでも影響される質なので、読み終わるとすぐに山口県と島根県の一部を自由に乗り降りできる国鉄(当時はJRになっていなかった)の周遊券を買い求め、下関、萩、津和野への旅に出発したのであった。
下関では馬関海峡を臨み、長州の砲台の跡を訪れ、高杉晋作終焉の地も訪問。
白石邸の跡も歩いて回ったのであった。
さらに萩では松下村塾や伊藤博文生家、野山獄、萩城跡、武家屋敷跡を訪ねた。
ついでに津和野へ寄ってSL山口号の写真を撮影して帰ってきたのであった。

この小説を読むことによってその後の私の生活に大きく影響を与えたのは、「有言即実行」ということなのであった。
松陰先生も高杉東行先生も共に現在であれば「政治的過激派」以外の何ものでもないが、現在の過激派と大きく異なるのは国家のことを思い、人々のために走り回ったということで、これは同じ活動家でも現代のそれとはまったく正反対な人々なのであった。

自分の命も惜しまないその大胆不敵な行動力も現代の日本人には認められない部分だ。
私はそれに多いに共感し、今日に至っている。

但し、今日に於ても「有言即実行」は時として危険なことがあるのも事実。
かくいう私も会社でなんでもかんでも「有言即実行」に走ってしまうので上から嫌われること度々で、数年前には本社から一事業部に配転されてしまった実績がある。
「有言即実行」は取引先には歓迎されるが、時として社内では(とりわけ上層部からは、しかも同族会社の場合)歓迎されないことがあり、意外な扱いを受けることがある。

「だから、心配やねん」

と嫁さんに苦言を呈されるたびに、

「もしかしたら、俺は間違っているのだろうか」

と最近、思うことが少なくなくなっていたのだ。
今回「世に済む日日」を再々再読したことで、自分の考えに間違いはなかったのだと確認できたことが正月の大きな収穫なのであった。

今年もちょっと情熱的に「世に棲む日日」。
決意をさせる物語だ。

但し、嫁さんを心配させて苦言を言われる可能性があるのが、たまに傷、ではある。

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